潜入。そして交渉へ。
抜き足、差し足、忍び足。それは古来より語り継がれてきた侵入者の歩き方。
原点にして頂点。この足運びを極めたならば、どんな厳重な警備もすり抜けられるとされている。
「なにをブツブツ言ってるんですか~? 気持ち悪いですよ~。小声なぶん不気味に聞こえるんですから気をつけてくださいね~」
先を行くエージェントMの言葉が胸に刺さる。悪口には慣れているはずなのに、妙にグサグサくる。オレ何か悪いことしたっけ?
そんなこんなで進むこと約五分。オレ達は裏口から内部への潜入に成功した。
開けっ放しだった裏口をくぐり抜け、手近な部屋に入る。休憩室らしい。
幸か不幸か誰にも見つかることなくここまで来れたが、その事が逆にオレの不安を掻き立てる。
朝って、普通は開店準備で忙しいんじゃないのか?
休憩室に人っ子一人いないってのはおかしいだろう。
「なあ、なんか妙に静か――」
「しっ」
ミカミの鋭い制止によって反射的に口を閉じる。な、なんだよいったい。
(あれを見てください)
入って来たのとは別のドアから外の様子を伺っていたミカミが、辛うじて聞き取れるくらいの声量でそう囁く。
(なにか見つけたのか?)
覗き込む彼女の上からドアの隙間に顔を近づけた。
(? ……!?)
息を呑む。体から血の気が引いて行くのが分かった。けっして気分の良いものでは無いけれど、姉貴のおかげで耐性ができていたようだ。
オレの心境を簡単に説明すると、以下のようになる。
驚愕。なんだアレは。いったい何があったんだ。
疑念。これは本当に現実なのか?
恐怖。叫び声をこそ上げなかったものの、オレの身体は否応なしに震え出す。口から硬質な音が漏れているのは、きっと噛み合わせがうまくいかないからだろう。
なあミカミ。お前がオレをここに連れて来たのは、この光景を見せたかったからなのか?
一歩下がって彼女の様子を伺う。顔は未だ外へ向けているため表情こそ分からなかった。
分かったのは、手が真っ白になるくらい強くドアノブを握ってることくらいだ。
喉が渇く。口の中がカラカラだ。なんとか集めた唾を飲み込むと、意を決して口を開く。
「ミカミ。もしかしてこれ、あの黒いタキシード野郎と関係が有るのか?」
尋ねる形になってしまってはいるが、内心では十中八九そうだと結論付けていた。
激しく打ち鳴らされる警鐘を頭の隅へと押しやり、ミカミが答えるのを待つ。今までさんざん後回しにしてきたんだ。ここらが覚悟の決め時だろう。
「……漁夜さん」
そう呟き、ミカミはゆっくりと振り返る。
「本当なら、こんなこと頼むべきでは無いのですが……」
目を伏せ、もごもごと口を動かすミカミ。そんな彼女がなんだか可愛くて、愛おしくて、ついつい手を差し延べたくなる。
けれど今はミカミのターン。彼女の言葉を最後まで聞く事が、今のオレのするべき事だ。
「私達に、力を貸してくれませんか?」
「ああ。任せろ」
「詳しい事は帰ってから……えっ? 良いんですか?」
「もちろん」
「だって録に説明もしてないんですよ?」
「帰ってからするんだろ?」
「命の危険だって――」
「ミカミが守ってくれるんだろ?」
「そ、それはそうですけど……。だー! もう!」
口ごもるミカミが突如として雄叫びを上げた。こんなことするやつ、オレは一人しか知らない。
「いつまでもウダウダ言ってんじゃねぇよ!」
ミオなら絶対に口にしないであろう乱暴な言葉が室内に響く。
「協力してくれるっつってんだ! 素直にありがとうって言やぁいーんだよ!」
その言葉はオレに向けられたものではない。多重人格といっても記憶はしっかりと共有されてるみたいだ。
その証拠に、ミサが引っ込むとミカミは俯いて何か考え始めた。
たった数回会っただけだが、ミサは台風みたいな奴だ。突然出て来て、言いたいことを言って去っていく。ま、その方がき気楽で良いのかもしれないけど。
黙り附したまま考え事をしているミカミを見て、これがホントの自問自答……なんて事を考えていると、ようやく彼女が顔を上げた。
「わかりました。漁夜さん。これからよろしくお願いします」
その声色からは、一切の迷いも感じられなかった。それだけ真剣に考え抜いたって事か。そこにどれだけの葛藤があったのかは分からない。分からないからこそ、オレの返事も簡素なものになってしまった。
「おう。任せろ」
少々簡略化しすぎたかもしれないけれど、その分思いを凝縮させてある。密度という点ではミカミにだって負けないだろう。
「改めてよろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
オレ達はどちらからとも無く手を出し合う。初めて触れた彼女の手は、想像以上に小さくて冷たかった。けれど、体温の上がっているオレには心地のいい冷たさだった。
ミカミはというと、握り合った手を見てえへへと笑っている。なんだ。照れくさいのはオレだけじゃ無かったんだな。