突入
姉貴の部屋に掛けられたプレートの物騒なメッセージ。それを見て、自分がこれから行おうとしている事がどれだけ無謀な事なのかを改めて認識する。死にたく無いなぁ……。
でもグズグズしていられない。時間は待ってはくれないんだ。オレは意を決して、悪魔の眠る部屋のドアをノックした。
コンコン……
「姉さーん。朝だよー。もうすぐテレビ始まっちゃうよー」
そう言ったオレの声は、恐怖から来る緊張のため滑稽なくらい震えていた。ドアの前で待つことしばし……。幸か不幸か、部屋の中からは返事どころか物音一つ聞こえ無かった。
さすがに一回で起きるとは思って無かったが、ここまで静かだと逆に怖い。静かなのはそれだけ深く眠ってるって事だ。それを無理矢理起こそうとしてるんだから、これで機嫌が悪くならない訳が無い。
今週の特撮ものが面白く、姉貴の機嫌が良くなる事を祈るばかりだ。
「姉さん、そろそろ起きないと……」
もう一度ノックして呼びかけるがまたしても無反応。代わりに聞こえてきたのは、
「漁夜~。もうすぐテレビが始まっちゃうよ~」
という浩二の楽しそうな声だった。アイツ、後でぶん殴る。
「こうなったら……」
外からがダメならば中に入って直接たたき起こしてやる!
「姉さん、入るよー」
後で無断侵入の罪に問われないように、一応入室の申請をしてからドアノブに手を伸ばす。震える指が触れたドアノブがカチャカチャと音を立てる。オレは自分の中の恐怖を押さえ込むように強くそれを握り締め、力強く捻る。姉貴は基本鍵をかけない類の人間なので、当然ながらノブは何の抵抗もなく回った。
「姉さんー、朝だよー」
ゆっくりとドアと開け、室内を覗き込む。朝の光がカーテンによって遮られているため、室内は思った以上に真っ暗だった。部屋に踏み込む前に姉貴の位置だけ確認しようと視線を動かしても、どこに何があるかすら分からなかった。なのでドアを思いっきり開いた。
廊下から漏れてくる光で魔の空間を照らし出すと、部屋の隅のほうに白い物体が横たわっているのが目に入った。はっはーん、姉貴はあそこだな。
実は姉貴、寝るときは全裸で寝る類の人間なのだ。
「姉さん、起きて。テレビ始まっちゃうよ」
そんな事を口走りながら、オレは室内に足を踏み入れた。
――-―――ピシャ
踏み入れたとたん、プールサイドを裸足で歩いたときのような音が聞こえた。それと同時に感じる、踏み出した足の靴下に水のようなものが染み込んで来る不快感。
最初、それを姉貴がこぼした酒か何かだと思っていた。だが闇に目が慣れてくるにつれ…………部屋の状況を目するにつれて、オレの中の不快感は恐怖と絶望に変わっていく。
「なんだよ…………これ……」
そう呟かずにはいられないほど、それほどに姉貴の部屋は異常で現実離れしていたのだ。
「こ、これ……」
床一面に広がっている液体を指につけ、目の前で光りに翳してみる。光りに照らされたそれは、指の先を赤黒く変色させていた。
……知っている。オレはこれを……知っている。
* * *
激しく地面を打つ冷たい雨。
闇を照らし出すかのように煌々と燃え盛る乗用車。
そして雨でも流しきる事ができないほど地面に溜まった大量の血液。
轟く雷鳴。
視界の端には、血と泥で汚れ本来曲がってはいけない方向へと曲がった左腕が、赤黒い地面に沈んでおり、
ときおり落ちる雷が、ストロボのように断続的にその地獄の光景を照らし出していた。
* * *
「うぁ、あぁ………」
思わず脳裏に浮かんだ死の記憶。オレは頭をふってその光景を脳から払う。
「ハァ、ハァ」
入口の壁にもたれ掛かりながら、喘ぐように酸素を求める。
「何だ……今の……」
体の底から泡のように浮かび上がってくる寒気と恐怖。その元凶となったさっきの光景。そのどちらにも、オレは身に覚えがない。そういう映画でも見たのかな? そんなことを考えたのは、現実逃避以外の何物でもなかった。
「……そ、そうだ。姉さん!」
オレはそう叫びベッドに駆け寄る。そこには真っ白な物体が横たわっていた。
「姉さん、いいかげんに起き……」
しかしオレの言葉は最後まで続かなかった。
目にはいった姉貴のベッドカバー。青空のように澄んだ蒼……だったはずのそれが、赤黒く変色していたからだ。