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第二話 「恥ずかしいのは、何故?」

 それから二日後の土曜日のことだ。


 この日の日中、(はじめ)はしばらく家で一人きりになる時間があった。

 特に姉の聖蘭(せいら)に関しては、親しい友人と泊りがけで旅行に出掛けて行ったので、明日の夜まで帰って来ない。創はちょうど、しばらく姉の顔を見たくないと思っていたので、都合(つごう)がよかった。


 以前までなら、こんなとき創はあちこちにスマートフォンを携帯して、気の向くままに小説の執筆を続けていた。しかし、日曜のあの事件以来、創は一文字たりとも小説を書いていなかった。


 創はリビングのソファに深く腰を下ろし、ぼうっと()りためたアニメを消化していた。楽しみにしていたアニメのはずだったが、創の心はぴくりとも動かなかった。


(……塾に行くようにしたのは、意外と悪くなかったかな)


 創はふと自分の選択した行動を振り返って、そう思った。それは、小説から遠ざかるための逃避行動のようなものだった。


 創はこれまでの習慣から、日常のふとしたときに小説のことを考えてしまっていた。すると、そのたびに姉――聖蘭(せいら)にバカにされたときの記憶がフラッシュバックして、ネガティブな感情に(おそ)われるのだった。

 だから、別の何かで気をまぎらわせる必要があった。

 そこで思いついたのが、塾に通うことだ。以前に母親――愛美(まなみ)からの(すす)めもあったことで、話はトントン拍子(びょうし)に進んだ。

 もともと創にとって、勉強は興味がないだけで、嫌いというわけではないのだ。


 ――でも、何かが足りない。


 創は自分の心がひどく(かわ)いていることを自覚していた。


『ピンポーン』


 黒星(くろぼし)家のインターホンが鳴ったのは、そんなときだった。


(……誰だろ)


 (はじめ)がリビングの入口まで歩いてインターホンのモニターを確認すると、創がよく知る大人の男性がそこに映っていた。

 銀縁(ぎんぶち)眼鏡(めがね)を掛けた彼の顔立ちは、創の父親である黒星竜彦(たつひこ)とやや似ている。


「――伯父(おじ)さん、どうしたの?」

『ハジメか? 家に入れてくれるか?』


 彼は竜彦の兄、黒星聡介(そうすけ)だ。

 創は玄関へ行き、鍵を外してドアを開く。


「よう」

「……久しぶり」


 聡介はパーカーにジーンズというくだけた着装で、リュックを背負い、紙袋を手に()げていた。夏休み以来――約二か月ぶりの再会だった。

 創は聡介をリビングに通し、お茶を出した。


「――これ、お土産(みやげ)だ。ペンギン戦隊『ペンペンジャー』の限定モデル。好きだっただろう?」


 創と同じソファでくつろぎながら、聡介は紙袋からフィギュアのパッケージを取り出して見せた。

 愛くるしい姿のヒーローのフィギュアを見て、創は半眼になった。


「それ、何年前の話? それに、元々そんなに好きじゃないよ」


 創が『ペンペンジャー』のテレビ放映を()ていたのは、もう五年も昔のことだった。


「おっ。そうだったか」


 創の言葉を受けて、聡介はフィギュアを紙袋に戻した。

 どうやら押しつけられることはなさそうだ。創は胸をなで下ろした。


「――それで、今日の『現場』はどこなの?」


 創が尋ねると、聡介はくいっと眼鏡のフレームを押し上げる。


「今日は新宿だな。夕方から『|LUV LETTERSラヴ・レターズ』の握手会で、その後はドンキーで地下ライブだ。本命は『ソルシエール』だが、『TWINCROSS(トゥインクロス)』のデビューイベントもあるから、そっちも見どころだな」


 聡介の語るペースは段々速くなっていった。いま彼が()げた固有名詞は、全てアイドルグループの名前だ。『LUV LETTERS』は、創も名前は知っているメジャーデビュー済みのグループだが、他の二つのグループは無名だ。なお、ドンキーとは日用雑貨のチェーン店の名だが、なぜか都内にはライブハウスが併設(へいせつ)されている店舗がある。


 そう。聡介はアイドルオタク――それもアイドルグループを幅広く愛する、アイドルグループオタクであった。


 聡介は横浜在住だが、週末は()しの応援のためにあちこちへ遠征(えんせい)に出掛けている。いわゆる「推し活」という活動だ。そのことは、創もよく知っていた。


「相変わらずだねぇ」

「生き甲斐(がい)だからな」


 オタク同士は引かれ合う――そんな都市伝説のような言葉がある。


 趣味を公言してはばからない聡介は、黒星家の親戚(しんせき)一同から白い目で見られていた。一方で、オタク気質のある(はじめ)とは馬が合った。

 創としても、好きなアニメや漫画の話が通じる聡介のことは、他の親戚よりも親しく感じていた。聡介はそちらの方面にも造詣(ぞうけい)が深く、創が鑑賞する作品や好みにも大きな影響を与えた。

 ――いわば、聡介は創にとってオタク道の師匠であった。


 ただし、聡介は創の母親である愛美(まなみ)とは水と油のように相性が悪い。きまじめな愛美にとって聡介は、独身をこじらせておかしな趣味に目覚めた変人だ。親戚同士が集まるときには、愛美は創が聡介から悪い影響を受けないかと目を光らせていた。


(……たぶん、お母さんがいる時間を()けて来たんだろうなぁ)


 創は今日の聡介の訪問について、なんとなくそう推察(すいさつ)していた。


 最近の聡介は、(すき)あらば創をアイドルオタクの道に引き込もうとしている雰囲気(ふんいき)があった。が、創としてはその道に進む気は全くなかった。


 ――とはいえ、親愛のある伯父と(おい)の仲であることに変わりはない。

 そんな伯父だったからこそ、創は聡介に悩みを相談しようと思ったのかもしれない。


「伯父さんはさ、ためらったりとか、恥ずかしがったりとかないの?」


 聡介が語る『TWINCROSS(トゥインクロス)』のデビュー秘話を一通り聞いた後。創はそんな質問によって、自分の抱える悩みの存在を遠回しにうかがわせた。

 質問を受けた聡介は、目をまたたかせた。


「今さら、俺にそれを聞くのか?」


 質問を質問で返され、創は少々たじろいだ。……確かに、創が聡介に聞く問いとしては、今さらのものだと言える。


「だって……その趣味って、誰にでも理解してもらえるわけじゃないでしょ?」


 もじもじと創が尋ねると、聡介は首をかしげる。


「……そうか? ……まあ、親戚連中に白い目で見られているのはわかっているが……」


 聡介の認識では、推し活は今をときめく世の一大ブームであり、聡介を批判(ひはん)する親戚連中は時代に取り残されたあわれな化石たちであった。

 聡介は返事の後で「ふむ……」と片手をあごにそえて、考え込む姿勢を見せる。


 数秒後、聡介は顔を上げた。


「ハジメ。――恥ずかしいっていうのは、なんでだ?」


 それは、きわめて素朴(そぼく)な問いだった。


「――え?」


 しかし、改めて伯父にそう問われ、(はじめ)は顔に冷や水を()びせられたかのように感じた。


 恥ずかしいのは、当たり前のことだ。

 それがなぜかなんて、考えもしなかった。


 聡介の言葉は続く。


「俺は、自分がやりたいことをやっているだけだ。誰に何を恥ずかしがる必要があるんだ?」

「そ、そりゃあ……」


 創は、答えを探して言葉に詰まった。


(……あれ? 誰が恥ずかしいんだろう?)


 創にとっては当然のことを聞いたつもりだった。が、伯父の反問を受けて自分の方が間違ったことを聞いてしまったような気持ちになった。

 創の思考は、ぐるぐると頭の中で答えを探す。

 その間、聡介はお茶をすすりながら、じっと創の答えを待っていた。


「あ」


 やがて創は、それらしい答えを見つける。


「家族……とか? 伯父さんだったら――僕のお父さんとか、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんかな……?」


 創が自信なさげにそう答えると、聡介は顔をしかめた。


「……痛いところを突かれたな。竜彦はともかく、両親は俺の趣味に理解がないからな」

「そうだよね……」


 お盆や正月に親戚同士で集まったとき、聡介はよく両親――創にとっては祖父母――から小言を言われていた。ときには口論に発展するほどで、そんなとき創は聡介から隠れ(みの)代わりにされることもあった。


 コトリ、と音を立てて、聡介が湯呑みをテーブルの上に置いた。


「――だけどな、ハジメ。俺は特に恥ずかしいとは思わないぞ。別に、誰にも迷惑を掛けているわけじゃないからな」

「……たしかに」


 自信満々に述べる聡介に対し、創は神妙な顔で(うなず)いた。


「仮に俺が推し活をやめたとしよう。それによって、俺を批判してるあいつらは多少気分が良くなるのかもしれない。……が、後に残るのは、推しの供給を受けられずに抜け(がら)のようになった俺だけだ。あいつらはそれに関して、何の手助けもしてはくれないだろうさ」

「…………」


 とうとうと語る聡介の言葉には、真に(せま)るものがあった。

 まるで、実際にそんな体験があったかのようだ。――創は、そんな風に感じた。


「だからな、ハジメ。周りの言うことなんか気にするな。やりたいようにやれ。お前が大事にしたいと思うものを大事にすればいい」

「……うん」


 ここで聡介は、創が具体的に何に悩んでいるのかを聞いたわけではない。ただ、自分の経験と考えから言えることを、言葉にして語ったに過ぎない。

 しかし、それは偶然にも、創の置かれた状況にある程度マッチしていた。


 聡介の語った言葉は、真綿(まわた)が水を吸うように、渇いていた創の心に()み渡った。


(――やりたいようにやる、か……。今すぐには、難しいかもしれないけれど……)



 小一時間ほどが経ち、聡介が「現場」に向かう時間になった。

 ソファから立ち上がりつつ、聡介は創に声を掛ける。


「――今日のライブ、一緒に行くか?」


 創は、にっこりと笑って首を振る。


「やめとく」

「そうか……」


 聡介は誘いを拒否され、(さび)しそうに家を出て行った。


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