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作者: 雉白書屋

 ……凄まじい揺れだった。まだ頭が追いついていないが、そのことだけは鮮明に覚えている。どうやら先ほど起きた大地震で、おれは床か机に頭を打って気絶していたようだ。体が揺らぎ、支えようと手を伸ばし、気づいたときにはこのような状況だ。今、ここはうまい具合に瓦礫や机が重なってスペースができているようだが、真っ暗でよく見えない。狭くて、立ち上がることはできそうにない。しかし、頭のほうに空間が続いている。骨は折れていないようなので、進めそうだが……。

 しかし、このビルはどう崩れたのだろう。前方に倒れたのか、後方に倒れたのか、それともそのまま下へと崩れたのか。よく無事で済んだものだ。おれは運がいい。いや、ほっとするのはまだ早い。まだ助かったとは言えない。気を抜かず、冷静に状況を整理しながら進もう。

 この四階建てのビルの二階から三階は塾の教室で、おれはそこで講師をしている。地震が起きたとき、おれは二階の講師室で小テストの採点をしていた。瓦礫に挟まっている白いテスト用紙が何枚かぼんやりと見える。試しに引っ張ってみたが、まったく動かない。自分がこうなっていたかもしれないと思うと、ぞっとする。

 テスト用紙に書かれている氏名は……見えない。その部分は瓦礫に挟まれて潰れてしまっている。そうだ、生徒たちは無事だろうか。地震が起きたのは、確か午後八時近くだったはず。生徒たちは帰り始める頃だが、何人残っていただろうか。Aクラスを始めとし、中学受験に熱心な生徒たちは自習室に残っていただろう。

 もっとも、今は自分のことで精一杯だ。生きていることを祈りながら、おれは瓦礫でできたトンネルの中を這って進み続けた。運が良ければ、外に繋がる穴が見つかるかもしれない。


 しかし、狭い。瓦礫同士や机に椅子、コピー機などが重なり形成されたトンネル内では、立ち上がることは不可能で、せいぜい腰を浮かせるのが精一杯だった。まるで掃除機の紙パックの中にいるようだ。掃除機に吸い込まれ、混ぜ合わされたゴミの中を動く虫はこんな気分なのだろうか。

 暗く狭い中、時折瓦礫に挟まれた紙が体に触れ、音を立てた。目を凝らすと、ぼんやりと白いものが先のほうに点在しているのが見えた。おれはしめ縄に付けられた紙垂や、駅構内のトイレに落ちているトイレットペーパーを想起した。おれは押しつぶしながら少しずつ前に進んだ。

 その最中、音が聞こえた。電気がショートしているのか、それともネズミか。いや、違う。この音は……。

 おれは音の出どころをを探った。すると、瓦礫に僅かな隙間があるのに気づいた。おれはそこから隙間の奥を覗いた。


 ――カリカリカリカリカリ。


 おれは驚きのあまり声を上げそうになった。  

 あれは生徒だ。穴の中にいるその生徒は、おそらく机と一緒に押し込まれたのだろう。完全に逆さまの状態になっていた。それにもかかわらず、彼は椅子に座り、机に置いたテスト用紙を手で押さえ、問題を解いているようだった。

 もっとも、今はどこが上なのか下なのか、その感覚も定かではなく、もしかしたら彼が正しい位置にいるのかもしれない。それにしても、凄まじい集中力だ。おそらく彼はAクラスの生徒だろう。Aクラスは塾内の成績上位者を上から十人集めた特進クラスだ。おれはさすがだと感心しつつ、邪魔してはいけないと思い、声を出すのを堪えた。その自分もまた、ここの空気に染まっているのだと感じた。

 カリカリと鉛筆やシャーペンが紙を擦る音が他の場所からも聞こえた。おれは先へ進みながら、その音の出どころと思われる瓦礫の隙間を可能な限り覗いた。

 音の主はやはり生徒たちだった。中には頭を潰され痙攣しながら手を動かしている生徒もいたが、皆、動じていない様子だった。

 おれは涙を堪え、彼らに心からのエールを送った。今だけだ。今はつらく苦しいかもしれないが、中高一貫校に入れば高校受験は免除される。自分が選んだ学校に入れば、どんなにつらいことがあっても乗り越えられる。そこにいるのは全員が頑張ってきた子だ。だから、いじめなんてたぶんない。志望校に必ず合格して、その制服を着て塾に遊びに来てくれ。楽しいこと、それに悩みも聞かせてくれ。先生も子供のとき、つらかった。第一志望の学校に受からず、もっと頑張っておけばよかったと泣いた。だから大学受験こそはと思って必死に頑張ったんだ。今のみんなみたいにずっと机に向かって、そう、塾と学校や図書館の自習室、家でも机に向かってずっとカリカリカリカリカリカリ…………。


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ…………


 ああ、聞こえる。あの時の音が聞こえてくる。


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ…………


 どれだけ這っても。


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリ…………


 脳に書き込む音が。


 カリカリカリカリカリカリカリカリ…………


 懐かしいなぁ。


 カリカリカリカリカリカリカリ…………


 誰かに認めてもらいたくて。


 カリカリカリカリカリカリ…………


 見つけてほしくて。


 カリカリカリカリカリ…………


 おれは書き続けて。


 カリカリカリカリ…………


 掻き続けて。


 カリカリカリ…………


 ああ、もしかして、ここはもう


 カリカリ…………


 地獄の一つなんじゃないだろうか……


 カリ…………










「――先生、この間倒れて病院に運ばれたらしいよ」

「えー、マジ? なんで?」


「さあ、心臓がなんか、急性心膜なんとかって、他の先生が言ってた」

「へー、死んだの?」


「さあ? 知らない。うちのクラス担当じゃないし」

「そう」


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ…………

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