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智慧の魔女の放浪譚〜活字らぶな黒髪少女は異世界でのんびり旅をする。精霊黒猫を添えて〜   作者: 嘉神かろ


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八の浪 独立迷宮都市バランシエ⑤

 叫ぶと同時に魔導を起動。金属混じりの氷でできた無数の槍が魔物達だけを貫いて、あとを追う(いかずち)を受け止める。


「今よ!」


 一瞬ばかり呆気にとられてはいても流石は歴戦の猛者達だ。即座に武器を握る手に力を込めて、生き残った魔物へトドメをさす。

 ならば私のすべきは、未だ健在の女王を討つこと。彼女は無機質なまま、前方に降り立った私へと巨大なキョウ(かく)を掲げ威嚇してくる。キョウ角には魔導的な猛毒、魔毒の気配。その背後には蜘蛛の糸で雁字搦めにされ、巣に吊されたラムダ達の姿があった。生きているかは、分からない。糸自体の発する魔力が邪魔をしていて、魔力視でも確認できない。

 その魔力を見る目にはクイーンアラクニアが再びフェロモンを発し、魔物達を集めようとしている様子も映っていた。

 あのフェロモンは時間をかけるほどに広がり、魔物達を呼び寄せるだろう。本来であればその拡散を止めるのが定石なのだろうけれど、そこまでする必要は無い。


「救出の準備を」


 (はす)に立ち、修理を経てより一層馴染んだ杖を構え、私を不老たらしめる莫大な魔力を通す。女王が一歩後ずさって、後ろで息をのむ音が聞こえた。

 逃走の姿勢に入ろうしているのだろうけれど、逃がしはしない。ここで逃がせば、今後ここにいる誰かが犠牲になるだろう。獲物を奪った相手に執着するのがこの魔物だ。


 魔導なら手っ取り早い。名剣と言われる類いでも簡単には傷つけられない甲殻も、私の魔導ならば容易く貫ける。けれどそれだと後ろのラムダ達も巻き込んでしまうかもしれない。

 だから、距離を詰める。


 足に力を込め地面を蹴れば、眼前に真っ赤な複眼。クイーンアラクニアは当然のように反応して鎌のようになったキョウ(かく)を振り下ろす。Bランクの前衛でも受けるのが難しい速度だけれど、これをいなせないなら接近戦なんて魔導師の定石を大きく外れた選択はとらない。

 杖に沿わせ、少し押し込みながら軌道を逸らす。その流れのままに円を描き、キョウ角を押さえつけながら横っ面を殴りつけた。


「嘘だろ……」

「Sランク候補は伊達じゃねぇな……」


 私の倍ほどある体高の巨体が吹き飛び木々をなぎ倒す。スズさんなら今の一撃で終わっていたのだろうけれど、まだそこまでは辿り着けていない。

 何にせよ、これで魔導が撃てる。


 杖を正面に掲げると、現れたのは大きな魔法陣。光と闇の魔導を組み合わせたこれは、以前なら魔石と魔法陣による二重の補助を必要としていたものだ。


 藻掻くように起き上がって背を向けられた。なりふり構わない逃走の構えね。それしかあの魔物に生きる道が無いのは確かだけれど、無理よ、凍らせたから。


「『虚無(イネイン)』」


 放たれたそれは黒という結果のみを後に残してクイーンアラクニアへ迫る。必死に藻掻いているようだけれど、そのくらいじゃ抜け出せない。正を打消しあらゆる物質を無に帰す虚無の影は、ただ、無慈悲に、全てを飲み込みながら大蜘蛛の頭部を貫いた。


 密林に再び静寂が戻る。あれほど大量にあった虫たちの気配はもうなく、頭の殆どを失った蜘蛛の女王は地に伏したまま動かない。


「ふぅ……」


 クイーンアラクニアの命の気配は、確かに消えたみたい。これでもう危険は無いはず。

 ラムダ達は――


「おいっ、ラムダ、イルシア! しっかりしろ! ガキが待ってんだろ!」


 二人はまだ生きてる! 他のメンバーは?

 冒険者たちに囲まれていて見えない。その内に割りこめば、ボロボロの装備で横たわる五人の姿があった。三人は、手遅れだったみたい……。


「おい嬢ちゃん! あんたなら治せるよな!?」


 ヴァンの必死な形相へは頷き返せないままに、ラムダとイルシアの横で膝を突く。弱々しい呼吸は乱れ、茶と青の目が虚空を見ている。おそらく殆ど何も見えていないだろう。声が聞こえているかも怪しい。半死人と言っても過言ではないくらいの状態だ。

 いや、望みはあるはずだ。他の三人は外傷が死因。腰から下が無かったりお腹に大穴が空いていたりしているのを見るにほぼ即死だったのだろう。けれど二人にはそこまでの傷はない。一番酷くて、ラムダの左腕がない程度だ。


 血は止まっている。失血だけなら何とかなるけれど、もし毒が回っていたら……。

 二人の体へ手を当て、魔力の流れを確認する。やっぱり、毒自体は受けていたみたい。クイーンアラクニアの魔力が残留してる。でも、流れ自体は正常。弱々しいけれど、魔力の毒さえどうにか出来れば――いや、待って、これは……。


「内臓が毒でボロボロになっているわ。もう、助けられない……」

「……っ!」


 ヴァンは何かを言おうとして、俯く。気持ちは、よく分かる。


「アラクニアの魔毒自体は解毒できるけれど、二人の体が耐えられない。体の再生を優先すれば毒の魔力も活性化して崩壊が早まる。かと言って同時に行うと、魔力を生み出す魂に莫大な負荷がかかってしまうわ」


 クイーンアラクニアほどの魔毒を打ち消すには、相当な量の魔力が必要になる。直接魔力を注ぐ必要のあるこの治療はパンパンに膨らんだ風船へ更に空気を入れるようなもので、魔力の源泉である魂への負荷は計り知れない。

 さらにこの毒は体細胞の過剰分裂を促し自己崩壊させるもの。近しい仕組みの魔術的な治療は魔毒自体を強める結果にもなる。つまり、魂に注がなければならない魔力量も増え、ただでさえ大きな負荷が指数関数的に増大してしまう。

 

「魂に負荷がかかると、どうなる……?」

「魂が崩壊して心のない肉人形になってしまうでしょうね。最悪、肉体まで連鎖して塵になるわ」


 全てが遅すぎた。あと一日早ければ、或いは。そう考えてしまう。

 私にもっと力があれば、知識があれば、どうにかできたかしら、なんてことも思ってしまう。

 いいえ、分かっている。それは出来ない。魂は神の領分だ。仮に出来ることがあるとすれば、スズさんに祈ることくらい。

 それも無駄だと知っている。同情だけで神が動けばどうなるか、それを知らない筈がない。かつて私が感情に任せ、短慮にはしったが為に滅びた村があった。彼女が動いたなら、村一つで終わるとは思えない。人の欲は、業は、より多くを求めて暴走する。どんな手段が実行されるか、分かったものではない。王都エルデンを襲ったスタンピードも、そうした人の業が引き起こしたものだった。


 地に突いた手が知らぬ間に土を掴んだ。

 助けられなかった。その事実が、私たちに重くのしかかる。


 誰も何も言わない。最後に見せられた僅かばかりの光明は、ただの幻想だった。仕方の無いことだと分かってはいても、それが立ち上がる力となることはない。


 不意に、ラムダの目に光が戻った。殆ど消えかけの瞳は一度私を見て、それからすぐ横に横たわるイルシアへ向けられる。


「……ぇ、を」

「手?」


 返事はない。再び光の消えかけた目を、ただイルシアの方へ向けるばかりだ。

 たぶん、彼女の手を握りたいのだろう。力の入っていない二人の手を重ねてやる。


「あぃ、が、……」


 もう息をすることも難しいのね……。でも、礼を言われたのは分かった。

 心なしか二人の表情が柔らかくなったような気もする。二人は、もう最後を受け入れているのだ。


 イルシアが誰もいない方向へ視線を向けて、ゆっくりと口を開く。


「息子、を、頼み、ます……」


 振り絞ったような声で、懇願するように。

 実際、最後の力だったのだろう。それから二人の息はどんどん浅くなっていった。私の目に映る魔力の光も、もはや線香に劣るほど。

 

 それから間もなく、二人は息を引き取った。静かな、本当に静かな最期だった。



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