八の浪 独立迷宮都市バランシエ③
③
二時間後、転移可能な範囲の最下層である第百階層には、三十を超える冒険者たちが集まっていた。私たちを含めて計九パーティ。各々がBランク上位以上の力をもった実力者だ。
協力してくれたのは彼らだけじゃない。百階層以降の捜索にはついていけないまでもと、物資の調達に走り回ってくれた人たちが大勢いた。まさかあれほどの人数が協力してくれるなんて思わなかったから、正直、驚いてしまった。ラムダ達の人徳ね。
もちろん、商機だって足下を見てくる人たちもいたけれど、そういう人たちは今後それ相応の扱いをするだけだという意見で一致している。
「各自、自分たちの担当範囲は頭に叩き込んだかしら?」
「おう、バッチシだ!」
今回は時間との勝負。少しでも効率よく、かつ広範囲を捜索するために事前に範囲を絞り込んでおいた。高ランクばかりだとこういった話も早くて助かる。腕っ節が優先されがちな冒険者ではあるけれど、上に行くほど相応の学が必要になってくる、というか学がないと生き残れないから。
「打ち合わせ通り、私とアストが先頭に立って索敵を行うわ。Bランク組は無理のない程度に付いてきなさい」
Aランク組は、遅れられたら困るけれど。
「それじゃあ、出発よ」
迷宮の中にありながら太陽の光の降り注ぐ中、うっそうと茂った深い緑の中に向けて走り出す。初めは少しゆっくりめ。下位パーティの様子を見ながら徐々にペースを上げていく予定だ。
今回の捜索期間は十日。最下層担当の往復時間を考慮して少し長めに設定はしてあるけれど、それでも十分な時間があるとは言えない。
まずは規定のポイントに各担当パーティを送り届け、それから順次捜索を開始する。階層の広さや得意分野ごとに役割分担はしたから、無理なく探索しても予定範囲の捜索には問題が無いはずだ。ただそれは、ラムダ達の生存を考慮しなければの話。
――まだ余裕がありそうね。
「もう少しペースを上げるわ」
「マジか。索敵は大丈夫か?」
「まだまだ余裕があるから安心して」
ヴァンに返してすぐ、地面を蹴る力を強める。実際、普段この辺りを通過する時よりはゆっくり行ってるし、余裕は残ってる。それにこの人数だ。魔物達も迂闊には近寄ってこない。注意すべきは、進路上に偶然いる魔物。
「前方にスミロデアが四。アスト、お願い」
「りょーかいっ」
待ち伏せて急襲するタイプのサーベルタイガーのような魔物だ。先に気付いてしまえばさほど怖くはない。
「ただいま。この先しばらくは戦わなくてよさそうだよ」
「ありがとう」
ならもう少しだけペースを上げようかしら。
「スミロデアってBランクだよな? 今の一瞬で?」
「このペースで索敵が間に合ってる時点で次元が違う。今は考えるな」
……この様子だと今のペースを保った方が良さそうね。
上げるなら、Bランク組の離脱した後、百十階層以降かしら。
三日目の朝は百十一階層の入り口で迎えた。守護者の部屋を抜けたところにある安全地帯だ。そこでたき火を囲み、味の薄い朝食を口に運ぶ。
概ね予定通りのペースではあった。Bランク組は既に全パーティ離脱済みで、残ったのはAランク以上のパーティばかり。個人ではBランクという者も残ってはいるけれど、彼らもここで離脱する。
予定通りのペースではあるのだけれど、私を含め、各々が纏う空気は重い。
「今のところそれらしい痕跡はなし、か」
音にならない溜め息が聞こえた気がした。
「上のやつらからも連絡は無い。生き残ってるとしたら上層だと思ったんだが……」
同感ね。帰還途中であっただろうことと、迷宮の難易度推移を思えば、それが一番希望的な観測だった。難易度は基本、グラデーションするように上がるけれど、十階層を区切りにある程度跳ね上がる。急激にと表現するには大げさだとしても、生存率には明確に有意差が現れる程度ではあった。
体を擦り付けてきたアストの瞳には不安げな色が宿っていて、アメジストの輝きに陰りが見えている。無言のまま頭を撫でてやり、その手に隠すように静かに、しかし深く息を吐いた。
……この空気は良くないわね。沈み込みそうな思いを保存食といっしょに飲み込んで立ち上がり、手を鳴らして注意を引く。
「依頼受注を見越して長期滞在を目標にしていた可能性もあるわ。まだ生きていると信じて、捜索を続けましょう」
「ああ、そうだな。まだ一週間ある」
ヴァンも私も口ではこう言ってるけれど、生きている可能性がほとんど無いことは分かっている。それでも今は信じるほかない。ネガティブな状態で捜索をしてはまた別の死者が出る可能性が高まってしまうのだし。
「ここからは更にペースを上げるわ。大丈夫でしょう?」
「了解だ。了解はしたが、こりゃ嬢ちゃんって呼びづらくなるな?」
「あら、別に気にしなくていいのよ?」
ここはヴァンに乗っておこうかしら。
「そうは言ってもよ、こうも実力差があるのを目の当たりにしちまったら、こう、負けた気がするっつうか……」
「それを言ったらあなた、この間の飲み比べでも私に負けてたでしょう?」
「あ、あんなん勝てるわけねぇだろ! 一人で樽いくつも空けやがって!」
あれは良い小遣い稼ぎになったわね。
「だったら適当なところでやめたら良かったのに。そうしたら、あとで奥さんに怒られずに済んだんじゃない?」
奥さんというか、幼なじみらしいのだけれど。ギルドの食道で給仕をしている可愛らしい女性で、よく夫婦漫才を繰り広げている。どちらかといえばヴァンが尻に敷かれている様子なのだけれど、まあ、いつになったら付き合うかは冒険者たちの賭けのネタだ。
「ぐっ……。てかまだ嫁じゃねぇっつってんだろ!」
「まだね?」
「あっ、いや」
あらあら、顔を赤くしちゃって。早くプロポーズすればいいのに。
「口でもソフィアに負けたね?」
「あ、アスト、てめぇニヤニヤしやがって! おめぇらもだぞ! 戻ったら覚悟しやがれ!」
危険ばかりなはずの迷宮の奥深くに笑い声が響き、今だけ、軽い空気で包まれる。さっきまであった重く淀んだ空気は薄まって、各々から無駄な力が抜けたように見えた。
ヴァンに目配せをすれば、彼は一つ頷いてすぐに視線を逸らす。本当に気の利く男だ。件の幼なじみにもこの機転を利かせれば良いのだけれど。あちらも待っているだろうし。
まあ、いつ死んでもおかしくない仕事だ。踏ん切りが付かないのも分からなくはない。ただ彼は私より半周ほど年上、三十代の半ばだ。相手は妖精種の血が入ってるらしいからまだ若々しくはあるけれど、そろそろはっきりして欲しいところではある。
「今は俺よりラムダたちだろうが! ほら、さっさと出発すんぞ!」
「分かった分かった、そうムキになんなよ。くっく」
さて、気を引き締めよう。さらに濃くなった緑の匂いに感覚を惑わされ、物理的に視界の遮られる中、厄介な魔物達の気配に紛れたラムダ達のそれを見つけ出さないといけないのだから。





