八の浪 独立迷宮都市バランシエ②
②
報告を終えてすぐに食堂へ向かう。素材の査定は後回しだ。一階層分の階段を駆け上がって酒の匂いのうっすら漂う中に出ると、薄汚れた木製テーブルが並ぶ中のその奥の方に人だかりが見えた。アストとヴァンの気配はその中だ。
「お待たせ。どう?」
「ああ。案の定だ」
「そう……」
どうやら早とちりは無かったみたい。男の子、ライル君の両親が帰ってきていないらしい。詳しくはこれから聞くみたいだけれど、少なくとも彼らのパーティが迷宮に潜ったのは確実と。
ライル君はついさっきまで泣いていたようで、目を真っ赤に腫らしていた。その前には焼き菓子がいくつか。手にはジュースの入ったコップがある。すぐ横にヴァンがしゃがみ込んでいて、代表して話を聞いているようだった。
「ぼうず、父ちゃんと母ちゃんは何か言ってなかったか?」
「ひぐっ、今回は、ちょっとたくさん、ひぐ、潜る、て……」
バランシエ大迷宮は百階層まで十階層ごとに転移陣が設置されていて、一度攻略すればそこまでは一気に跳べる。つまりは、百階層以降は自力で一度に踏破するしかない。長めに潜ると言ったのなら転移可能階層の更新か百階層以降の探索だろう。
「ラムダ達のパーティって百階層は超えていたわよね?」
そうでないなら話は早いのだけれど。
「ああ。百十二階層が最高到達点だったはずだ」
「そういえば、イルシアがそろそろもう少し下の階層の依頼を受けたいって言ってたような……」
イルシアはライル君の母親の名前だ。今の女性とよく酒場にいたのを見かけるから、飲みの席で聞いた話だろう。だとしても情報としての有用性は高い。
そうすると百十二階層以降の探索、つまりは遠征をしていることになる。
「おい、誰かあいつらの探索予定聞いてないか。お前とかラムダと仲良かったろ」
「いや、俺らも数日前まで遠征してたからな」
「ギルドの連中も事情を話せば教えてくれるんじゃねぇか?」
たしかにバランシエ大迷宮の場合はギルドが探索記録を付けている。その特殊性故にであって、ついさっきした報告もその為のものだ。けれど難しいでしょうね。冒険者を狙った犯罪防止のために、そういった情報は家族やパーティメンバー以外には明かしてくれない。
「いや、前に同じようなことがあったとき教えてくれなかった。無駄にきっちりしてやがるからな、あいつら」
「そうか……」
体験談付き、となると諦める他ないわね。『智慧の館』の方も空振り。直近すぎてまだ私の権限レベルで閲覧できる領域にはない。
さて、どうしようかしら。迷宮の百階層以降となると、予定通りではなくてかつ生きてる保証がないと探しに行こうとはならない。街中の人捜しとは訳が違うのだから。このままだと判断できなくて、もう暫く様子見ってことになるだろう。
私自身そういう結論に傾きつつある。けれどそれではいけない気もしている。そうするともう少し情報がほしいところだけれど……。ああ、そうだ、忘れていた。
「遠征するならこの子のことを頼んでいた相手がいるはずよね?」
「それだ! おいぼうず、面倒見てくれたやつ、いるだろ? どこにいるか分かるか?」
「うぇ……? おじさんは、お店の準備してくるって……」
お店の名前までは覚えていなかったようだけれど、特徴からどうにか割り出せた。本当に、知っている人がいて良かった。気に掛かってはいても、命を賭ける意味が見えないのでは誰も動かないから。
「お姉ちゃん、大丈夫、だよね?」
「……ええ、きっとね」
極力自然なものになるように笑みを作る。子供は機微に聡いから。
それが功を成したのか、はたまたアストに舐められてくすぐったかったのか、ライル君の顔に笑みが浮かんだ。できることなら、この表情を崩させたくないものね。
件のお店に走ってくれた冒険者はそれから十分ほどで戻ってきた。近いだろうとは思っていたけれど、本当にすぐ近くだったみたい。その冒険者の表情には、影が差していた。
「……どうだった」
ヴァンの声が重い。
「百二十階層を目指して一ヶ月の探索だそうだ。帰還予定日からは、明日で一週間が過ぎることになる」
「一週間……」
誰の漏らした声かは分からない。諦めを多分に含んだソレは、状況がどれほど絶望的かを示している。これが三日程度であったなら、まだ希望はあった。それくらいなら浅い階層であってもズレるのは珍しくない。百階層以降なら尚更だから、物資もそれくらいの日数分は余裕をもって用意しているはず。
けれど、一週間、一週間だ。倍以上となると、現時点ですら生存していると考えるのは難しい。
思わず伏せてしまった視界にライル君が映った。齢は、十を数えるかどうかだったかしら。こんな世界だから前世の同い年より数歳分は上の精神年齢でしょうけれど、それでも、両親を失うには早すぎる。幸いなのは、生きていけるだけの繋がりはあるであろうことかしら。
彼は私たちの様子から察したのだろう。椅子の上で膝を抱え、俯いた。薄く汚れたズボンに徐々に濡れた染みが広がっていって、肩も振るえているのが分かった。
「……まあ、仕方ねぇよな」
「おいっ」
「でもよ、死んじまった方が悪いだろ。こんな子供を残してよ……」
諫めた冒険者も内心では同じ思いなのか、言い返さない。死んだ方が、死んでしまうほど弱かった方が悪い。ここは、そういう街だ。
「ソフィア……」
アストが縋るような目を向けてくる。けれど、私も他の面々と同じ判断だ。もうライル君の両親は、そのパーティは、生きていないだろう。仮に今現在生きていたとしても、百十階層以降に行くまで最低でも一週間はかかってしまう。私たちでも二日はかかるだろう。
どうやって諦めさせるべきかしら……。アストの気持ちは分かる。分かるから、難しい。きっとアストも頭では理解しているのだろうし。
「……僕さ」
アスト?
「僕、ラムダとイルシアによく、おやつ貰ってたんだ。クズ魔石だったけど……凄く、嬉しかった」
人の良さそうな二人の顔が浮かぶ。百階層越えとなると十分な実力者だ。そういった冒険者には珍しく、柔和な雰囲気を纏った二人だった。
そういえばこの街に来てすぐのころ、今いる宿を紹介してくれたのも二人だったかしら。多少値段は張るけれど、紹介が必要な分安全性の高い宿だ。清掃も丁寧だし、気に入っている。
二人以外も気の良い人たちだった。同じ仕事を受けたり、帰還のタイミングが重なったりしたときは時折、食事の席を共にしていた。人付き合いは相変わらず面倒に思うけれど、けれど、彼らとの時間は楽しかった。
「……探しに行きましょう」
ヴァン達がギョッと目を見開いたのも無理はない。私自身、馬鹿げた提案をしている自覚はある。誰も賛同してくれなくても仕方がない。
「馬鹿か! 百十階層以降だろ? あの辺は密林型だ、生きてるわけねぇだろ!」
「気配の読みにくい植物型や昆虫型、瞬発力と探知能力に優れる猛獣型、毒を使う魔物も多い。一つの判断ミスが命取りになる環境、知ってるわ」
「そうだ。しかも探索予定期間を超過している。まともな精神状態を保てているとは思えん」
これが洞窟型のエリアなら、まだ望みはあった。迷宮型ほどではないけれど、密林型に比べれば安全の確保がしやすい。
「あそこは確かに食料の確保はしやすいけど、限度がある。あんたなら、物資が尽きた場合の生存率の資料も見てるでしょ?」
「ええ。三日分の予備物資があったと仮定したなら、今でだいたい二パーセントってところね」
「そこまで分かってて、どうして……!」
周囲の冒険者たちから伝わってくるのは、困惑。この街ならあって然るべき嘲りの色がないのは、それなり以上に知った仲だからかしら。いいえ、違う。彼らも本心ではラムダ達を助けたいのだろう。
「どうして、って、分かってるでしょう?」
「そんなもん! ……そんなもん、分かってるよ。俺だって、あいつらには世話んなった。文字の読み書きを教えられてなかったら、資料室も使えず、とっくにおっ死んでたろうぜ」
「……私も一度、助けられた」
思いは同じ。だから、一人が漏らせば、堰を切ったようにみんな彼らへの思いを口にする。
「あの時金貸してもらえなかったら、今ごろ違法奴隷にされてたろうな……」
「俺は新人の頃に色々教わったな……」
「私、イルシアがいなかったらとっくに折れて引退してたと思う……」
本当に、多くの人を助けてきたのね。
「俺は行くぞ」
「ヴァン……。いいのね?」
「ああ」
彼もAランク。心強い。
私たちだけでも行くつもりだったけど、人手はあるに越したことはない。
「ヴァンが行くんなら、パーティメンバーの私らが行かない訳にはいかないよね」
「マジか。しゃあねぇな。なら俺らも参加するぜ」
「は? 馬鹿かお前ら。そんな無意味なことするわけ……て思ったけどよ、俺まだ借りた金返しきれてねぇんだよな。こういうのはキッチリ返しとかねぇと後が怖えんだよ」
アストと顔を見合わせ微笑む。これはアストが作った流れだ。
続けていくつも協力すると声が上がった。知り合いにも声をかけてくれるみたい。どれだけの人数が力を貸してくれるかは分からないけれど、十分だ。
ここからは、時間との戦いね。まずはもっと詳しい情報を集めないと。探索範囲も絞る必要があるし、一度資料室に向かおう。それから会議室も抑えないと。こんな所じゃ、色々とやりづらい。





