これで終わりだ
ロイグは駆け足で現場となる酒場へと向かった。
たどり着くと、化粧をしたターナにそっくりの少女が酒場へと入ってゆくところだった。
遠くでモンスター侵入を知らせる鐘が響いている。
あれがナファートのご落胤か。そう言われてみると、ターナよりも気品があるような気がしてしまうので不思議なものだ。
すぐにターナが現れた。
ターナは酒場と、これから現れるであろう馬車に集中していた。
ロイグはよそ見をしながら軽くターナにぶつかる。
「おっと、すまねぇな嬢ちゃん」
「いえ」
おじさん呼ばわりされたくないので、ロイドは素早くターナから離れた。
上手くいった。ターナに見られないように、ロイグはニヤリと笑った。そのまま、酒場に近づく。
酒場の用心棒に軽く手を上げて、入り口をくぐった。
馬の足音と共に、店の前に馬車が止まった。
馬車からナファートが降りてきて、ターナが話しかける。馬車が去った。
「モンスターだ!」という声が響いて、いくつもの悲鳴が上がった。
酒場の用心棒たちは、店の外で騒動が起こっていることと、人々と騎士に遮られてモンスターが見えないために、どうすればいいのか混乱している。
「ナファート様を守れ!」
騎士が叫ぶ。
「さぁ、我々は店に避難しよう。なに、彼らがいれば大丈夫だ」
ナファートがターナを促して、酒場に入ろうとする。
ここだ。
ロイグは飛び出して、ナファートに体当たりをした。
一拍遅れて、右腕に鋭い痛みが走る。
「ぐおっ」
「ナファート様!」
騎士の誰かが叫んだ。
どこかで爆発の音が聞こえた。
ゼルのやつはしくじったのか?
「なんで邪魔を……」
ターナが悲しげに呟いて、懐に手を入れた。しかし、自分が取り出したものを見て、驚愕の表情になる。
ターナが握っているのは、やや大きめの石だったからだ。
「物騒な爆弾は、盗ませてもらったぜ」
「なっ」
ロイグは、先程ターナとぶつかった時に、ガリン火薬の爆弾と拾った石ころをすり替えていた。
最近は使っていなかったロイグの得意技だが、久々でも問題なく成功した。
ロイグが横目で見ると、騎士の四人はまだモンスターに手間取っていた。
「くそ」
ガリン火薬は衝撃を与えると爆発する。爆弾を盗んでから気が気ではないロイグは、さっさと爆弾を捨てたかった。
ガリン火薬は、水に濡れると爆発の威力が大幅に減少する。隙を見て水路に放り込みたいのだが、状況がそれを許さない。
「面倒ですね」
剣呑な目つきでロイグを見るターナ。その目を見て、ロイグは彼女の考えていることがなんとなく分かった。
たとえ爆弾を盗まれても、衝撃さえ与えれば爆発はさせられる。
遠くで爆発が起きたが、ノーズがやってくる気配はない。ガリン火薬が爆発することを警戒しているのだろう。だが、このまま爆発が起きなければ調べにやってくるかもしれない。ノーズがゼルから逃げおおせていればだが。
「はっ!」
ターナがパンチを放ってくる。なかなか鋭いが、モンスターほどではない。ナイフを使わないのは、ロイグの血がかかってガリン火薬の威力を殺さないためだろう。
ロイグは大きくかわしてターナを牽制する。右腕からは血が流れているが、なんとか剣を抜いて構える。
ナファートは起き上がって、酒場の方へと避難していた。しかし、ターナとロイグが気になるのか、入り口付近で様子を伺っている。
引っ込んでてくれ。そう言えたら楽なのだが、流石に貴族にそんな口は聞けない。
ロイグが離れればターナはナファートを狙うだろう。だからロイグは、ガリン火薬を懐に忍ばせたまま、ターナに相対しなければならない。
ロイグの願いは、ターナが暗殺を諦め、この場から立ち去ってくれることだ。
ノーズがやってくれば、均衡は崩れる。二人でかかられては、ロイグに防ぎ切る自信はない。
逆にゼルがノーズを捕らえてこちらにやってきたとしても、状況を理解してもらえるか不安だった。
騎士たちがモンスターを倒してこちらにやってきても、ロイグとしては嬉しくない状況だ。それでターナが逃げてくれればいいが、万が一彼女が捕らえられれば、極刑は免れないだろう。
どうしてこうなった? 今日一日に起きることを把握して、そこそこいい感じに対応したはずなんだが……。ロイグは自嘲する。刻の女神様も、もっと使えるやつに一日を繰り返させればよかったのにな。
「モンスターがそちらに行きました! ナファート様!」
均衡は唐突に破られた。
またしてもロイグの想定外の出来事だ。駆けつけてくるのはノーズかゼルか騎士かと考えていた。まさかモンスターだとは。
マジでクソの役にもたたねぇな! 騎士様たちはよぉ!
モンスターはノーズに操られているのだろうか、一直線にナファートを目がけて突進する。
ターナは動かなかった。
ロイグは衝撃に気をつけながら、モンスターに体当たりをした。邪魔をするなとばかりに振り回された爪が、ロイグの体をえぐる。
二足歩行のトカゲ男の身長はロイグより少し低い。すばしっこいが、力は弱めである。そのため、ロイグにも突進が受け止められた。
「おい! ターナ!」
「えっ」
突然名前を呼ばれて驚いたのだろう。狼狽がターナの顔を覆った。
「暗殺計画は失敗だ。今すぐ逃げろ!」
今まで暗殺計画を邪魔していた人間にそんなことを言われても、ターナは咄嗟に動けない。
その判断力じゃ、裏社会に生きるのは向いてねぇな。
「騎士たちがくるぞ」
ナファートの危機にようやく奮起したのか、騎士たちがモンスターを斬り伏せこちらへと走ってくる。
それを見て、ようやくターナはその身を翻し、走り出した。
ざくり、とトカゲ男の爪がロイグの腹に突き刺さった。
「ぐっ」
今手を離すわけにはいかない。ターナの逃げる時間も稼ぎたい。
「今日限りで殺し屋からは足を洗え! 辛くても、真っ当に生きろ!」
自分で言いながら、なんて理不尽な事を言っているんだと苦笑いが漏れる。ターナにその言葉が聞こえたのかどうか。少女は足を止めずに駆ける。
「うおおおお!」
ロイグは最後の力を振り絞って、モンスターを抱えあげ、そのまま走る。向かう先の騎士が困惑の表情で慌てて避けた。ロイグが考えていたよりも、簡単にモンスターは持ち上がり、運ぶことができた。
よかった。騎士に攻撃されていたら、爆弾が爆発していたかもしれない。
騎士の気を引いて、ターナの逃げる時間も十分に稼げたことだろう。
ロイグが目指したのは水路だった。モンスターを抱えたまま、水路の中へと飛び込む。
全く、こんな終わり方にするつもりじゃなかったんだけどな。
ノーズの泣きっ面を見ることも叶わず、ゼルに任せたためあの殺し屋がどうなったのかも分からない。まぁ、ゼルのことだ。上手くやっただろうという確信はある。爆発はしていたが。多分大丈夫だろう。
ターナはうまく逃げられただろうか。逃げ切れたと信じるしかない。自分が最後に言ったことが聞こえただろうか。真っ当に生きてほしい。かつてのロイグも通った道だ。なんとかなるだろう。足を洗おうという意思さえあれば。
ラウラとウジェの二人はしばらくは大丈夫そうだ。
次、もし喧嘩しても二人で仲直りをしてくれ。
水路から水しぶきが上がった。直後に、大爆発が起こった。
ロイグが目を開くと、真っ白な空間にいた。
爆発で目をやられたわけではない。自分の手足は見えている。どこまでも白が続き、果てのない空間だ。
静謐で清廉な空気の場所ではあるが、妙な熱気に支配されており、時折「フンフンフンフン!」と男の野太い声が響く。
「お? 起きたようだな」
野太い声の主――筋骨隆々の偉丈夫――がニカっと笑っている。
ロイグは、できることならもう一度眠りにつきたかった。
「ここは――」
「ロイグ。何が起きたか覚えているかい?」
「ああ、俺は死んだんだな」
そして、繰り返しの一日が終わったのだ。
いくら水の中で威力が減っているとはいえ、ガリン火薬の爆発を至近距離で受けて、無事ではいられないだろう。
たとえ生き残ったとしても、ターナに刺された右腕の傷と、モンスターに散々貫かれた身体から流れた血はかなりの量だった。あれでは生きている方がおかしいくらいだ。
もっとも、ロイグにはそんなことはどうでもよかった。
今気になっていることはただ一つ。
「誰だこのマッチョ」
口に出すつもりのなかった言葉がサラリと口から飛び出してしまった。慌てて口を押さえたが、相手はまるで気にしていなかった。むしろ喜んでいた。
「はは! 君にも分かるか、この筋肉の良さが!」
一言も誉めていないのだが、偉丈夫は満足そうだった。
ロイグには、目の前の男が誰なのかなんとなく分かった。
「あなたは、グイー様……ですよね」
時の女神ザリーズの双子の弟、筋肉の神グイー。一部に熱狂的な信者を持つ神でもある。ゼルはグイーの信徒でもある。
ロイグには、なぜだがすぐに目の前の存在が神だと理解できていた。
「よく知っているな! さては君も筋肉の信奉者かな?」
「残念ながら全く違います」
即座に否定の言葉が出てきた。どうやらこの空間では、嘘はつけないようだ。
「そうかい。まぁいいさ。筋肉を崇めるということは、結局私を信仰するということだからね!」
「はぁ」
目の前に神がいるということは、やはり自分は死んだのだろう。ロイグはようやく重荷をおろせたような気分になった。
時の女神ザリーズではなかったのが意外であり不満でもあったが、同じ一日を繰り返していたのはやはり神の導きであったのだ。
ロイグが不満を抱いているのは、目の前にいるかのが時の女神ではなかったからである。ザリーズは肌の露出多めの美女として描かれていることが多い。どうせ死んだのならば、マッチョよりも美女を拝みたかった。
目の前のグイーは、露出だけならザリーズ以上なのだが、ロイグは全く嬉しくなかった。直視したくもなかった。
「死ぬ前に見る最後の光景が筋肉の神さまかよ……」
ロイグの盛大なため息が、白い空間に虚しくとけた。