時の女神の思し召し?
「はっ?」
目覚めた。
今回は、痛みも衝撃も感じることはなく、一瞬にして死んだのだとロイグは理解した。
直前に、少女が地面に投げつけたもの。
ガリン火薬を利用した爆弾だろうと、ロイグには見当がついた。
携帯できる爆弾では、大した威力が出ない。最初の爆発は、そういった爆弾によるものだろう。しかし、ガリン火薬を使って作られた爆弾は桁違いの威力がある。
一時、警備兵にも配備されるという話があったが、火薬自体が貴重なこと、取り扱いが難しいことなどを理由に計画は頓挫した。
地面に投げつけただけであの大爆発だ。衝撃を与えるだけで爆発するのだろう。取り扱いを誤ればどうなることか。
そんなものを警備兵が持っていたら、モンスターにやられるよりも爆発で死ぬ者の方が多くなりそうだ。
幸の薄そうな少女がなぜそんなものを持っていたのか。どこで手に入れたのか。なぜためらいもせずに使ったのか。
寝起きのロイグの頭には、疑問しか浮かんでこない。
そして答えは出ない。
ガシャンガシャンと食器の割れる音が聞こえてきたので、ロイグは外へ出た。
ラウラとウジェを素早くなだめて、今日はどうするか思案する。
考えの大半を占めるのは、やはり幸の薄そうな少女のことだ。
彼女は何者なのか?
鮮やかにロイグの財布をする腕前もさることながら、ロイグの腕から容易くすり抜けたこと、貴重で危険な爆弾を持っていることなど、謎しかない。
そんな少女にそっくりな少女との関係も気になる。
ロイグは決めた。幸の薄そうな少女のことを調べよう。
何かに集中すると他のことが疎かになるのはロイグの悪い癖だ。
城壁の亀裂のことをすっかり忘れて、ロイグは酒場の立ち並ぶ一帯へと向かった。
事件が起こる時間は大体把握できた。だが、ラウラたちを和解させてからすぐに酒場街へと向かったため、かなり待つ羽目になってしまった。
これまでは爆発物がないか調査していたのだが、いくら探しても見つからないことは明らかになった。爆弾が仕掛けられていたのではなく、少女が持っていたのだ。道理で、あれだけ探しても見つからないわけである。
仕方ないので、ロイグは前回少女が入っていった酒場の用心棒に声をかけて、最近変わったことがないか尋ねてみた。その店は貴族もやってくるので、用心棒が常駐している。
分かったことは、今日はいつもより用心棒の数が多いということぐらいで、その理由を本人たちも知らなかった。
もしかしたら、爆発の直前にやってきた馬車と関係があるのだろうか。あれだけ高級な馬車なら、貴族かそれに類するお偉いさんが乗っていそうだ。そんな偉い人物が来るとなれば、店が用心棒を増やしていても不思議はない。
ふむ。なるほど。
水路の脇に設置されているベンチに座り、ロイグは考える。
スリの少女は、そのお偉いさんを狙ったというわけか。ロイグは自分の想像力に感心していた。
俺の察しの良さはなかなかのものだな。
例の店が見えるそのベンチは、考え事にはうってつけの場所なのかもしれない。
ロイグの脳裏にはさらなる天啓が舞い降りた。
お偉いさんか、あるいはスリの少女か。
そのどちらか――あるいは両方――を救うのが自分に与えられた使命なのではないだろうか。
そのために自分は同じ一日を繰り返しているのではないだろうか。
広く民間で信仰されるザナエル教には幾人のもの神がいるとされている。その一柱に時の女神ザリーズがいる。
時の女神ザリーズの思し召しかもしれない。
それならば、全く無関係のロイグが巻き込まれて、お偉方かスリの少女を救わなければならないという状況も納得できる。なにせ、ザリーズは悪戯好きの女神として知られている。
時を操ると言われるザリーズなら、一日を繰り返させることも可能なのではないだろうか。そして、無関係なロイグの一日をあえて繰り返させることで巻き起こる出来事を眺めているかもしれない。
貴族と少女と警備兵の自分。女神に寵愛されるとしたら、前者二人のどちらかだろう。
第一、ロイグは敬虔深くもなければ、神を信じてもいなかった。ついさっきまでは。
今では少しだけ神を信じる気になっている。
ベンチでそんなことをつらつら考えていると、鐘が打ち鳴らされる音が聞こえた。続いて、聞き取りにくいが「西門付近にモンスター侵入!」という叫び声が聞こえてきた。
ロイグは城壁の亀裂を放置していたことを思い出した。
モンスター侵入の警報が聞こえてきても、通りを歩く者たちに特別反応はない。この辺りまでモンスターが侵入してくることはほとんどないし、もしそうなった場合は警備兵だけでは手に負えなかったとして騎士団が出動する。
その前に市民には避難するよう指示が出されるので、モンスター侵入の警報ぐらいではいちいち反応していられないのだろう。しっかりと人々を守っている警備兵の給料をもっと上げてくれればいいのに。そんなことを思う。
今頃ゼルはモンスターをなぎ倒しながら、仕事をサボった俺に文句を言っているだろうな、とぼんやりと思いながらロイグは待った。
それからすぐに、スリの少女にそっくりだが、雰囲気のまるっきり違う少女が固い面持ちで店へと入っていった。
その少女を追いかけるように、幸の薄そうなスリの少女がやってくる。
さらに、馬車が。
役者は揃った。ロイグはそう考えた。考えてから、困ってしまった。
今、スリの少女がガリン火薬の爆弾を爆発させたら、ロイグは逃げられずに巻き込まれる。前回より多少遠い距離にいるが、水路の向こうの酒場にいても爆発に巻き込まれたのだ。この辺り一帯を吹き飛ばすだけの威力があるだろう。完全に逃げるタイミングを逃した。
そろそろ最初の爆発が起きる頃だ。
近づくか、離れるか。悩んだ末、自然を装って馬車に近づくことにした。離れたところで、死ぬときは死ぬ。
死んでもまた今日の朝に戻るだけだろう。おそらく。多分。そうでないと困る。
ロイグは今まで、絶対に今日をやり直せると確信して行動したことはない。結果的に同じ一日を繰り返しているが、理由も原因も分からないのだ。
それでも踏み出す。女神に背中を押されている気分で。
馬車から降りてきたのは貴族だった。ロイグも、なんとなくだが名前は知っている。
「ナファート様」
幸薄少女が貴族に近づいて恭しくお辞儀をした。
ナファート。その名を聞いて思い出した。
国の要職に就く、高位の貴族だ。この街にいたのか。
「おお、まさかそなたが……」
ナファートは、赤い髪と立派な口髭をたくわえた紳士である。身長は高くないが、姿勢が良いため大きく見えて威厳がある。そんなナファートが、今は目を潤ませて幸薄少女を見ている。
「はい、お父様。……そうお呼びしてもよろしいでしょうか」
「ああ。もちろんだとも。さあ、ゆっくり話をしよう」
二人は連れ立って店へと向かう。馬車の周りには騎士団員が四人いる。最初はスリ少女を警戒していたようだが、ナファートの態度を見て危険はないと判断したようだ。馬車も走り去っていった。
ロイグは、騎士達に自分が警戒されているのを感じた。これ以上近づいたら誰何されそうで足が止まる。
今は離れるか。そう判断して移動する前に、水路から水しぶきが上がった。
すわ爆発か!? とロイグは身構えた。
すぐに爆発ではないことが分かった。水しぶきと共に、トカゲ男が次々に飛び出してきたからだ。その数五体。
「こんなところにモンスターが!? ナファート様を守れ!」
騎士たちが即座に対応する。ナファートを守るためにモンスターの前に立ち、周囲を警戒する。
トカゲ男一体一体は大して強い相手ではないが、連携をするので数が多くなるほどやっかいだ。
とはいえ、五体ならば騎士四人で十分に対処が可能なはずだ。
しかし、周囲を行き交う人々が、混乱し我先にと逃げまどっている。街の外側に住んでいなければ、モンスターを目にすることはほとんどないので仕方がないのだろうが、邪魔になっているとロイグは思う。
誰もが我先にと逃げようとしているせいで、騎士がトカゲ男の対応に手間取っている。
騎士はトカゲ男を倒すどころか、逆に圧倒されている。
騎士様も大したことねぇな。クソ。
モンスターとの戦闘経験がほとんどないからだろうか。いや、それだけではなさそうだ。ロイグがいつも戦っているトカゲ男に比べて、今現れた五体は強い。見ているだけでそれが分かった。
俺も手助けするか。
ロイグが酒場の方を見ると、ナファートがスリ少女を店へと避難させようとしていた。
引っ込んでてくれれば安全だ。店には用心棒もいる。そこまでトカゲ男が侵入することはないだろう。
少女がガリン火薬の爆弾を持っているのが気になるが、まずはこのトカゲどもをなんとかしなければ。
視線を戻そうとしたロイグの目に飛び込んできたのは目を疑うような光景だった。
少女が、いつのまにかナイフを手にしている。そのナイフをナファートの胸元に突き入れる。
「がっ」
吐血して、崩れ落ちるナファート。
すぐにはそれに気づけない騎士たち。
動けないロイグ。
時が止まったかのような空間で、最初に動いたのは少女だった。
突然走り出す。
騎士が、ナファートが倒れていることに気づく頃には、少女は遠くへと逃げている。
少女が狙っていたのは、やはり貴族のナファートだったのだ。
周囲一帯を巻き込むほどの爆弾で誰を殺したかったのかといえば、それはナファートだった。
しかし、それは最終手段なのだろう。だから今回は、ナイフでナファートを刺した。
ロイグは自分の失態に気がついた。何も、爆弾だけが標的を殺す手段ではない。少し考えれば他の手段があることも想像できたのに、爆弾に意識が囚われていた。
少しだけ迷ったロイグは、少女を追いかけることにした。
少女はざわめく街を迷いのない走りで駆け抜ける。
息を切らしながら追いかけていたロイグは、一向に追いつけないのでそろそろ諦めようかと思っていた。
角を曲がり路地裏に姿を消した少女を追って角までたどり着いたが、ロイグはそこで立ち止まった。
「もう、もう走れん」
今回はここまでか。荒い息をととのえてから、なんの気無しに角から顔を出してすぐに引っ込めた。
路地裏にスリの少女がいた。ひょろりと細長い男と何やら話している。
街はまだざわついていて、二人の声は聞こえにくい。しかし、そのおかげでロイグの存在がバレなかったとも言える。ロイグはなんとか聞き耳を立てた。
「ターナ、よくやったな」
「……そういうのはいいので、報酬を下さい」
「そうだな」
一瞬の間。
「死ね」
低い男の声だ。
「くっ」
ロイグは思わず顔を出した。
「うおっ!」
すぐ横を走り抜けるターナと呼ばれたスリ少女。
「ちっ!」
男が懐にしまったのはナイフか。ロイグは見て見ぬ振りをした。
ヒョロ長い男は一瞬ロイグに目を向けるが、すぐにターナを追いかけて去って行ってしまった。
これからの行動に悩むロイグだったが、しばらく考えてある場所に向かうことにした。