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今日も最悪の一日だ

 ガシャンガシャンと何かが割れる音でロイグは目を覚ました。


「……」


 またか、と思う。


 隣に住むカップルが、二日も連続で投げられる量の何かを持っているとは思えない。ロイグが住んでいるのは、貧乏人が集まる地域なのだ。

 であれば、また繰り返しの一日が始まったと思って良いだろう。

 右腕に怪我もなく、財布もある。財布の中身は銀貨五枚。もはや間違いない。


 ロイグは、自分が同じ一日から抜け出せないことを認めるしかなかった。


 最悪だ。本当に最悪だ。

 仕事は危険な割に稼ぎは少なく、ほとんどその日暮らし。夢も目標も目的もなければ、楽しいことだってほとんどない。

 酒を飲んでいる時は全てを忘れていられるが、二日酔いによる翌日の後悔とセットで、金のことも気にすれば好き放題に飲んではいられない。

 ロイグは自分の人生に何の希望も展望も抱いていない。そんなどん詰まりの一日を繰り返して、一体何になるというのか。


 ロイグの自暴自棄な一日の繰り返しが始まった。最初のうちは、仕事後に領主の命令でも閉まらない場所にある酒場を探して飲んだくれていた。

 しかし、そのうち仕事をサボって昼間から飲むようになった。

 だが、手持ちの金が少ないため、全財産をかき集めて昼前から飲み始めても、夕暮れごろには素寒貧(すかんぴん)になってしまう。

 繰り返しが始まる前の日に酒を飲んでいなかったため、朝になれば酒が残っていないというのがせめてもの救いであった。

 どうせ返す必要もないので、ゼルや他の数少ない知り合いに借りて夜まで飲んだとしても、なぜか金を貸してくれた相手の顔がチラついて罪悪感が拭えない。

 さらに、ロイグ自身も意外だったのだが、犯罪に手を染めるのには強い抵抗があった。金を盗んでも、女を襲っても、誰かを殺したとしても、翌日まで逃げ切れば無かったことになる。そう思っていても、実行には移せなかった。


 そのうち、酒に酔えなくなってきた。

 飲んでいても楽しくない。いや、何もかもが楽しくない。家にこもって出歩かなくなった。

 一日がとてつもなく長く感じられるようになった。そして、その一日が終わってもまた同じ一日が始まる。

 地獄じゃねえか。

 ロイグは次第に、涙を流しながら眠りにつくようになった。


 ガシャンガシャン。

 相変わらず目覚めは最悪だ。

 何度一日を繰り返しても、この目覚ましは変わらない。

 その日はふと、何が割れているのか気になった。

 十中八九、食器だとは思っているのだが、それを確かめたことはない。

 好奇心に抗えなくなり、ロイグは外に出た。


「あ、危ないだろ!」


 隣のボロ小屋から男が飛び出してきた。男の頭を掠めて皿が飛び、壁に当たって砕ける。


 やはり食器か。ロイグの好奇心は満たされたが、今度は状況に興味が湧いた。

 すんでのところで皿を避けたのは、ガリガリの体躯にくすんだ金髪の優男だ。

 そんな優男を追いかけて、ボロ小屋から小太りの女が飛び出してくる。その手には、貧民街には不釣り合いな立派なガラスの花瓶を持っている。

 

「お前、それは思い出の――」

 

 優男の静止も聞かず、女は花瓶を投げる。しかし、重かったのだろう。全く優男に届くことはなく、地面に落ちて砕けてしまう。

 

「あ……!」

 

 女は青い顔をして言葉を失う。反対に、男は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。

 

「そうか! 思い出も砕けちまって、俺たちの関係ももう終わりだな! やってられるか!」

 

 そのまま優男は踵を返して、どこかへ去ってしまった。

 女は地面にしゃがみ込み、嗚咽する。


 ロイグは全くの他人事で野次馬をしていたのだが、女の様子に流石にそのまま家に戻るのははばかられた。

 周りの家の奴らは何をしてるんだ、この騒ぎで誰も顔を出さねぇ。自分のことは棚に上げてそんなことを考える。

 そして思い出した。カップルの家の隣は、片方はロイグが住んでいるが、もう片方は空家である。その三件だけが密集して建っていて、他の家は少し遠い。

 

 俺しか気になる奴がいねぇのか! 何て声をかけたらいいんだ、クソ! と心の中で毒づきながら、なるべく優しい声が出るように心がける。

 

「あー、姉ちゃん、大丈夫かい?」

 

 小太りの女はぱっと顔を上げた。涙と鼻水にまみれているが、嬉しそうな顔をしていた。

 しかし、声をかけたのがロイグだと分かると、表情を歪ませた。

 

「誰よアンタ……ってあら、お隣のロイグさん」

 

 自分の顔と名前を相手が知っていたことに驚く。

 

「俺を知ってるのか」

 

「そりゃそうでしょ。お隣さんだもの」

 

 ロイグは少しだけ恥ずかしくなった。自分はこの女の名前も、優男の名前も知らない。顔も今日初めて見たような気がする。どれだけ周囲に興味がなかったか、見せつけられているような気がした。

 

「悪いな。俺はアンタの名前を知らないんだ」

 

「それはそうよね。名乗ってないもの」

 

 何だよ! 聞いてねぇのか!


「あたしたちは越してきた時に大家さんに聞いたのよ。お隣のロイグさんは警備兵として街を守る立派な仕事をしてるって」


 大家って、毎月集金に来るあの守銭奴ジジイのことか? あの爺さんが、俺のことをそんな風に言っていたのか。立派な仕事、ねぇ。

 そういえば、この家を借りたのは警備兵の隊長のツテだった。


「とりあえず立ち上がれよ。汚れちまうぞ」


 服も顔も十分に汚れていたが、そう声をかけてロイグは女を立たせた。


「ありがとう。あたしはラウラよ」


「どういたしまして。そんでラウラさんよ、一体何があったんだ」


 ラウラは一瞬無表情になると、くしゃくしゃと顔を歪ませた。

 なかなかひでぇ顔だな……とゲンナリしたロイグは、次の瞬間には大慌てをすることになる。

 ポロポロと大粒の涙をこぼしたラウラは、またしても嗚咽し始めた。

 

「おい、おい姉ちゃん。落ち着け。な?」

 

 ラウラの鳴き声は大きくなってゆく。


「なんか拭くもの持ってくるからよ」


 とりあえずこの場から立ち去って、そのまま逃げよう。背を向けたロイグは服が引かれるのを感じた。振り向くと、服の裾をラウラがしっかりと握っている。


「ちょっと、ちょっと話を聞いてぇええ」

 

 涙と鼻水混じりにそう言われ、流石に振り解いて逃げることはできなかった。


 喋る喋る。このまま放っておいたら、ラウラが喋っているうちに日付が変わって、今日の朝に戻るのではないかとロイグが思うほどだった。


「よし。よーくわかった。わかったから」

 

 永遠の責め苦かと思われたが、まだ仕事に行くくらいの時間にしかなっていない。軽く絶望した。


「すまんが俺はこれから仕事なんだ。警備兵の仕事も大変なんだ……」


 そういうと、ラウラはスッキリした顔で


「あら。もうそんな時間? ちょっと話し足りないけど、仕方ないわね。お仕事頑張って」


「お、おう」


 最近は警備兵の仕事に行かないことが多かったが、今回は言い訳にしてしまった以上仕事へ行くことにした。

 仕事前から一日の終わりぐらいの疲労感があったが、どこかスッキリしている自分にも気がついて、ロイグは苦笑した。


「よう、ロイグ。なんか疲れた顔してるな」

 

 ゼルと会う。


「まぁな。お前は浮かれてるじゃねぇか」


「お、分かるか!?」


 嬉しそうに酒場の看板娘をデートに誘えたという話をするゼルであったが、ロイグは全く聞いていない。

 何度も聞いたので、その話は聞かなくても内容を完全に把握している。

 ゼルの話を聞き流しながら、ラウラに聞いた話を思い返してみる。


 ラウラの恋人の名はウジェ。彼は元々、給仕にいい男を揃えた、女を相手に商売する酒場で働いていたらしい。

 ウジェはなかなかの人気を誇る給仕であったが、ある日たまたま店に来たラウラに一目惚れをして、猛烈に口説いた。

 最初は相手にしていなかったラウラも、ウジェの熱意にほだされて付き合うようになった。しかし、ウジェの仕事は恋人がいるとマイナスに働くことの方が多い。

 ウジェは仕事を辞めて、ラウラと暮らすようになった。

 最後にラウラが割った立派な花瓶は、常に花でいっぱいの華やかな暮らしをしようという約束で、かなり無理をして買った代物らしい。最近は花が飾られていることはなかったようだが。

 ウジェが女と会うようになったことが喧嘩の原因だそうだ。最初はただの口喧嘩程度だったが、次第に激しく言い合うようになっていった。しかも、ウジェは働いてもいないのに、ラウラが見かけるたびに違う女といたようだ。

 昨夜、ラウラが眠ったことを確認してから、ウジェは家を出た。実際はラウラは眠っておらず、怒りを募らせながらウジェを待っていた。

 そして、普段ならばラウラがまだ起きていない時間にウジェは帰ってきた。ラウラに秘密で何をしていたのか。

 問い詰めると喧嘩になり、頭に血がのぼったラウラは食器を投げた。


 大した話じゃねぇな。それがロイグの正直な感想であった。

 まぁ、話すことでラウラが多少なりともすっきりしたならよかったが。


 その後ロイグはいつも通りの一日を送った。

 一日が終わる時、ラウラの話を聞いて彼女の気を晴らし、スッキリした彼女の顔を思い出した。

 涙と鼻水にまみれていたその顔を思い出して、ロイグはいいことをしたなと言う気分で、少しだけ満足して眠りにつくことができた。

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