ロイグの新たな一日
目が覚めた瞬間から、新しい一日が始まったことが分かった。
理由は、痛みであった。
骨折と、酷い二日酔い。右腕と頭の痛みが、ロイグの寝起きを最悪なものにした。痛みまみれで目覚めることは最近なかったため、昨日が終わったのだとハッキリと分かった。
「うごごごごご」
しかし、寝床の中でうめくことしかできないロイグに、新しい一日がやってきたことに対する喜びはない。
この苦しみから逃れられるなら、もう一度昨日をやり直したいくらいだった。
寝床から抜け出せずにいると、家の扉がノックされた。
「誰だよ、朝っぱらから……」
ずるりと寝床を抜け出すと、扉を開く。
「おはよう、ロイグさん」
扉の前にいたのは、ウジェとラウラであった。
「ああ、おはよう」
とりあえず挨拶を返したが、二人が何をしに来たのか皆目見当もつかない。
「朝早くからごめん。でも、ロイグさんは昨日はこの時間に家にいたから。今大丈夫? って、腕どうしたの?」
「時間も腕も大丈夫だ。気にするな。で、何の用だ?」
二人に喧嘩をしている雰囲気はない。それどころか、腕まで組んで仲睦まじい様子だった。少しだけロイグの頬が緩む。自分のやったことは無駄じゃなかったと、二人が教えてくれているようだった。
「これ、どうぞ」
ラウラが差し出したのは、花を挿した小さな花瓶だった。
街中に咲く素朴な花で、ロイグもなんとなく見たことがあるような気がするが名前は知らない。
花瓶は、二人が大事にしていた大きな花瓶を、小さくしたようなデザインだった。
「昨日、ラウラと二人で摘んできたんだ。俺たちの原点を思い出そうと思ってね」
「それもこれも、花瓶を守ってくれて、私たちを仲直りさせてくれたロイグさんのおかげよ」
ロイグはなんと言っていいのか分からずに立ち尽くした。
「ロイグさん?」
「迷惑だったならごめんなさい。花は持って帰るわ」
「待ってくれ。花はありがたく受け取るよ。驚いてなんて言っていいのか分からなかっただけだ」
ロイグの言葉に、ウジェとラウラは微笑んだ。
「そうか! よかった。ロイグさんには花よりお酒とかの方がいいんじゃないかって俺は思ったんだけどね」
「正直、そっちの方が嬉しいな」
三人で笑い合う。
「花なんて初めてもらったからな。しっかり飾らせてもらうよ」
「あまり仕事前に邪魔しても悪いから、そろそろ帰るわね」
「それじゃあ、ロイグさん」
ラウラとウジェは二人仲良く帰って行った。
これは、朝からおっぱじまるかもしれないなぁ、とロイグは下世話なことを考えていた。
家の入り口でニヤニヤしていると、ウジェが戻ってきた。
「どうしたの、ニヤニヤして」
「あ? な、なんでもないぞ」
流石に口には出せないのでごまかす。
「ロイグさん、昨日俺の絵の腕を褒めてくれたよね」
「ああ、上手かったな。それに助かった」
ゼルがノーズを捕らえることができたのは、ウジェの描いた似顔絵のおかげだ。
「ありがとう。ロイグさんの言葉のおかげで、もう一度筆をとってみようって決心できたんだ」
「そうか、そいつはよかったな」
「うん、それだけ言いたかったんだ。それじゃ、仕事頑張って!」
「おーう、ありがとなー」
二人と話しているうちに、二日酔いの苦しみは薄れてきた。腕は痛むが仕方がない。
花瓶を置く場所に迷ったが、家に帰ったら最初に目に入る場所にした。
ほのかな花の香りを感じて、悪くないなという気分になった。
二人と話していると、いい時間になっていた。ロイグは左手でなんとか準備をして、詰所へと向かった。
「よう、ゼル」
「……おう、ロイグ。おっす」
ゼルは青い顔をしてテンションが低い。その理由はロイグには一目で分かった。
「ははーん、ゼル、お前二日酔いだな? あん?」
「うるせー」
「人の金でバカスカ飲んだバチだな」
「ロイグが好きに飲んでいいって言ったんだろ」
それはその通りだ。
「そうだったか? お陰様で素寒貧になっちまった。金貸してくれ」
財布があれば少しは金が残っているのだが、それは昨日無くしてしまった。
ゼルはロイグを哀れそうに見た。
「後先考えて金を使えよな。治療費だってただじゃねぇだろ」
正論なのだが、ゼルに言われると腹が立つ。
「ほら」
銀貨一枚が差し出された。
「サンキュー」
憎まれ口を叩いているが、ゼルはロイグの怪我の具合を見て、治療費分くらいは貸してくれたらしい。
警備兵は負傷者が絶えないので、治療費は大半街が負担する。金がなくて治療しない者が多くなれば、その分人手が減ってしまうからだ。
「そういえば、昨日の女の子……ターナだったか? あの娘っ子を警備兵にするとか言ってたよな」
ロイグは一瞬言葉に詰まってしまう。
「ああ、そうだな」
ターナは詰所に来るのだろうか。ロイグの財布をすったのがターナだとしたら、その可能性は低いだろう。
だが、それは彼女自身が選択した生き方だ。ロイグにどうこう言う筋合いはない。
財布とその中に入った端金くらい、餞別にくれてやろう。ロイグはそう自分に言い聞かせた。
「同僚が増えるな。楽しみだ」
繰り返された昨日を経ても、ゼルは変わらない。それがなんだか面白い。ロイグに全てを変えられるわけではないことを教えてくれる。
もっとも、ゼルに変わって欲しいとは思っていないのだが。
「遅れちまう。そろそろいこうぜ」
少し早足で、ロイグとゼルは詰所へと向かった。
「遅いですよ」
「なっ、おま」
ロイグは目を見開いた。
警備兵の詰所には、ターナがいた。
まさか本当に来ているとは。
「おー、ターナちゃん。今日からよろしくな」
「ええ、ゼルさん。よろしくお願いします」
ゼルとターナは、昨日の酒盛りで打ち解けたようだった。
「あ、おじさん。えーと、ロイグさん?」
なんで疑問系なんだと思いつつ、ロイグはターナを見る。
「これ、酒場に忘れてましたよ」
ターナの手にあるのは、ロイグの財布だった。
「忘れて……?」
「はい。忘れてました」
ぶはっ! とロイグは吹き出してしまう。
繰り返す一日のなかで、ロイグが財布を失うのはターナにすられていたからだった。
今回もそれだと思ったら、まさか忘れていただけだとは考えもしなかった。しかも、その財布をターナが届けてくれた。
「わりぃな。ありがとよ」
「いえ、別に」
ついでですからと、ターナは小さくつぶやいた。
「すまなかった」
「……いえ」
その謝罪だけで、ロイグの考えていたことが分かったらしい。
「信用がないのは分かってます。これから、自分の行動で信用してもらえるように頑張ります」
しっかり覚悟を決めているんだな。ロイグの鼻の奥がツンとした。
「お、ロイグ。新しい隊員を推薦するんだって? ……なに泣いてんだお前」
酒を一杯しか奢ってくれないケチな隊長がやってきた。
「うるせー! 俺は泣いてねぇぞ!」
やいのやいのと騒いでいるうちに、ターナの入隊が決まっていた。
その後、ターナに仕事を教えようとしたら「ロイグは医務室に行け」と言われてしまった。
ターナは、ゼルが面倒を見るらしい。
それなら安心だろう。
医務室で、怪我したらすぐに来いと怒られなが、ロイグは治療を受けた。治るまでにはしばらく時間がかかるらしい。
こればかりは仕方がない。
詰所に戻ると、ゼルとターナも仕事を終えて帰ってきていた。
「ロイグ、残念だっだな!」
ジャーンと口にしながら、ゼルが銀貨六枚を見せつけてくる。
モンスターが侵入し、さらに大活躍だったようだ。
「ターナちゃんもボーナスもらったぜ」
通常の勤務で銀貨一枚、モンスターが侵入してきて戦闘すれば追加で三枚、さらに活躍すれば追加で二枚。
警備兵の初日で、ターナはモンスター相手に活躍したようだ。
ちょっと悔しかった。ロイグは、戦闘に参加しても活躍ボーナスを手にできることは稀だ。
「俺も腕が治ればそれくらいは余裕だ」
「ロイグがそんなこと言うなんて珍しいな」
ゼルの呟きにロイグはハッとした。たしかに、近頃は誰かの活躍の話を聞いても特に何も思わなかった。
今は、少しだけターナに対抗心を燃やしている。
「いいか、ターナ。モンスターなんて意外と楽勝だと思ったかもしれないが、油断すればやられる時は一瞬だ。忘れるなよ」
「はぁ……」
牽制しつつ教訓を語ったが、全く響いていないようだった。
「よーし、飲みにいくぞ!」
ゼルの号令で、詰所にいた警備兵全員のテンションがぶち上がった。
「ターナちゃん歓迎パーティーだ!」
「よし、俺が奢ってやろう!」
「さすが隊長!!」
絶対に一杯だけだろうな、とロイグは密かに思った。
「うぃ〜」
パーティーは盛り上がり、終わった。
なんと隊長が全額払ってくれた。一杯目以降は安酒をちびちび飲んでいたロイグはブチ切れそうになった。
それでもだいぶ酔いが周り、ふらふらと帰り道を歩いてゆく。なぜか後ろにはターナがついてきていた。
「おい、ターナ。お前も早く帰れよ」
「はい。帰ってます」
「あ?」
「私もこっちの方向なんですよ」
「おお、そうなのか」
二人はしばらく無言で歩く。
どこかでターナが別の道に去ってゆくと思ったが、その気配はなかった。
「ロイグさんに、助けられちゃいましたね」
「昨日も言ったが、俺の自己満足だから気にしなくていいぞ」
「それでも助けられたことには変わりないですから。こうして仕事まで紹介してもらって」
「上手くやっていけそうか?」
「はい」
それならばよかった。まぁ確かに、ターナは警備兵たちに可愛がられそうだし、戦闘面でも問題はない。
ロイグよりもよほど上手くやれそうだった。
「この恩はいずれお返しします」
「あんま気にすんな」
唐突に、ロイグの脳裏にとんでもない考えが降りてきた。
ターナのやつ、まさか俺の家に来る気じゃないだろうな。
恩を返すってまさか、身体で返すという意味では……。
「お、おい」
「はい?」
ロイグは立ち止まってまじまじとターナを見た。
酒が入っているからだろう、少し上気した頬に潤んだ瞳。
昨日は幸が薄そうな少女という印象だったが、表情が明るくなったためかその印象は全く変わり、一人の魅力的な女性がそこにいた。
「じ、自分を大事にしろよ」
ロイグの精一杯の抵抗にも、ターナは不思議そうに首を傾げるだけだった。
「よし、帰るかー」
明るくそう言って、ロイグは歩調を早めた。
もうすぐ家に着く。ターナはまだ付いてきている。
俺も覚悟を決めるか……。謎の決意をして、ロイグは自分の家の前に立った。
「俺の家はここだ」
「ああ、そうなんですね」
鍵を開け、扉を開く。ごくりと唾を飲み込んで、ロイグは振り返った。
ターナはいなかった。
なぜか彼女はウジェたちの家の前に移動していた。
「ロイグさんの家の二軒隣だから、この隣のその家ですね」
「は?」
「隊長の紹介で家を借りたんですけど、場所はロイグさんの家の二軒隣って聞いてたんです。案内ありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
ターナはそう言うと、頭を下げてその家に入っていった。
全てはロイグの勘違いだったわけだ。
ロイグはフッと笑い、家へ入り、布団をかぶって「あーーー!」と叫んだ。
しばらくして落ち着いて、ロイグは横になっている。
ラウラ、ウジェ、ターナ。近くにこんなにも知り合いが住んでいる。たった一日で多くのことが変わった。
明日も楽しい一日になりそうだ。
ロイグは今日に満足して眠りについた。
そして夢を見た。
マッチョの大男が、グッとサムズアップして、「マッスル!」と叫ぶ夢だ。
夢の中のロイグは、なぜかそのマッチョに感謝をしていた。
よくわからない夢だったが、ロイグは幸せだった。
明日もいい日になるだろうか。いや、きっといい日になるだろう。
いい日にすると決めたのだから。
了
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ローファンタジーも連載しています。現在書き溜め中です。
『砕魔学園にかける青春』
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