筋肉
「ん? 最後?」
グイーは不思議そうな表情で筋肉を魅せるポーズをきめた。ロイグは無視することにした。
「ええ、俺は死ぬんですよね、一日の繰り返しを終えて」
「……いいや、終わらないが?」
「はぁ?」
「ん?」
話が噛み合っていない。
「貴族のナファートは救いましたし、ターナも暗殺に手を染めることはなかった。少なくとも今は。カミサマ的にも満足でしょう?」
ロイグがなんとなく感じていた、繰り返しを終える条件は満たした。
「ナファート……? ターナ……? 担当じゃない人間のことはよく知らないな。フンっ!」
いちいちポーズを挟むのはやめて欲しかったが、今はそれどころではない。
「知らない? 俺の一日を繰り返させていたのはグイー様ではないのですか」
「いいや、それは私だ! ふふふ、意外かな? 私は今でこそ筋肉に魅せられているが、姉と同じような力が無いわけじゃないんだ!」
「さすが神」
意味分からん。とは、なんとか口に出さずに済んだ。
「それでは、何が繰り返しを終わらせたのですか」
「ノーだ! まだ終わってなどいないぞ!」
いける! 終わってない! もっとだ! と叫びながらスクワットをする神。
「終わってない?」
ロイグは目の前の神の奇行を気にするのをやめた。ゼルの行動も似たようなところがある。ほんの僅かにではあるが。
「そうだ。何も終わってないぞ、ロイグ」
「では、俺はまだ死んでいない?」
「いいや死んだ! 死んだが、朝になれば生きている! そういうことだ!」
「そう、ですか」
ナファートやターナを救えたが、心残りがないわけではない。また一日を繰り返すならそれをやり直せるということだ。
しかし、繰り返す一日に対してのロイグの認識は根本から否定された。
「それじゃあ、俺はどうすればこの一日を終わらせられるんですか」
グイーは筋トレを止めた。
ロイグに向き直り、まじまじと見つめる。
グイーはロイグを縦に二人重ねたぐらいの大きさがある。
そんな大男に見つめられ、ロイグは自然にひざまずきそうになった。
やはりこの男は神なのだ。
「ロイグ、君は日々を楽しく生きているか?」
突然の問いかけにロイグは答えられない。
「ちなみに私は楽しいぞ! 筋肉は最高だ! ……おっと、それだけじゃないな」
グイーがポーズをとらない。ロイグは困惑した。
「私が担当する人々を見守り、導く。人々は私の思い通りには動いてくれないが、それがいい。見守っている人々には、なるべくなら楽しく幸せに生きてほしい。私にできることは、少し力を貸すことくらいだ」
何を言っているか、全てが理解できたわけではないが、ロイグはなんだか嬉しくなった。
神は、俺たちのことを見守っている。
「この街の私が担当する人の中で、一番つまらなさそうだったのは、君だよロイグ」
そんなことはない、とは言えない。実際に、繰り返しの一日が始まる前のロイグは、日々をただやり過ごして、先の見えない未来に焦りを感じていた。
稼ぎも少なく、自分の行く末をを無邪気に信じられるほど若くもなく、警備兵に必要な戦闘力は、ゆっくりではあるが確実に衰えてゆく。
齢が四十を超えてから、それらを意識しないわけにはいかなくなった。
「君が今思っているような気持ちは、誰にでも多少はあるものさ。その中でも、君は少し囚われすぎているな」
ロイグは小さく頷いた。
「繰り返す一日を終える解決策はただ一つ! 筋肉を鍛えるんだ!」
白い空間を揺るがすほどの大音声。ロイグの耳は筋肉という言葉に貫かれた。
「うるさっ」
「違った。すまんすまん。筋肉は全てを解決するが、君にはどうも向いていないようだな」
グイーの声が大きすぎて、ロイグの耳はしばらく筋肉という言葉が暴れ回っていた。
「……そりゃどうも」
「君に知ってほしかったんだ。一秒、一分、一時間、一日。そこにどんな意味を持たせるかは自分次第だってね」
「俺次第」
「そう! 君は繰り返す一日を通して何を思った? 何を考えた? 最初の頃と今とで、何か変わらなかったか?」
変わった。最初の頃は意味もわからず繰り返される一日に絶望し、自暴自棄になっていた。
だが、最近は少し違っていた。
ラウラやウジェの話を聞いて、少し満足な一日を過ごせた。二人の問題を解決したときは、喜びがあった。
そんな日々の中で、救いたいと思った。ナファートやターナを。繰り返しが終わるのではないかという打算もあったが、他人に興味を持ち、他人のために動いたのは久々だった。
「解決策は、ロイグ、君が最高に満足な一日を送ることだ」
「満足な一日?」
「そう。それだけだよ」
誰かを救うとか、原因を突き止めるとか、そんな必要はないのか。
「ははは!」
右も左もわからず、色々なことを試してみたがそんなことでいいのか。笑いが止まらなくなる。
答えは自分の中にある、そういうことか。
「ん? 待てよ」
「どうした?」
「前回俺は結構満足してなかったか?」
グイーがそっぽを向いた。
「してたね。してたけど、あれは駄目だ。絶対にダメだね」
「理由は?」
はぁーとグイーは大きなため息をついた。
「君が死んだだろ? それじゃあ私が満足できないんだよっ」
「え?」
思わず吹き出してしまうロイグ。
「結局俺の満足関係ないじゃねぇっすか」
ぶはははは! とロイグの笑いが響く。ロイグは随分と神に対して気安く話しかけているが、そんな状況がますますロイグの笑いを大きくした。
「いや、あるよ。全くある。今回はたった一度だけの私のワガママってやつだ。次に君が満足して死んだら、もう、一日は繰り返さないと約束するよ。不本意だけどね」
「なんで神様がそんなワガママを?」
「担当する人間には幸せになってほしいからさ。そして筋肉を鍛えてほしい」
「筋肉を鍛えるかは分からないが、グイー様の言いたいことは分かったよ」
ロイグだって死にたいわけではない。満足できる一日を終え、今日はいい日だったと眠りにつきたい。
そして、昨日はなかなかいい日だったな。今日もいい日になるといいな、と翌朝目覚めたい。
「やってみるよ。自分が満足できる一日を過ごせるように」
「自分が生きてこそ、満足があるってことを忘れないでくれよ」
ニカッと笑うグイーにロイグは笑顔を返す。
今日がいい日になるように、最大限に足掻いてみせる。
グイーが手を振って、ロイグの意識は途切れた。