昨日は最悪の一日だった
よろしくお願いします。
ガシャンガシャンと何かが割れる音でロイグは目を覚ました。
「うるせぇ!」
おいおい、今朝もかよ。勘弁してくれ。
最悪の目覚めに、ロイグは頭を抱えた。
昨日は最悪の一日だった。ロイグは食器の割れる音から逃れるように昨日のことを思い返した。
昨日も、今朝と同じように隣の家の住人の喧嘩によって起こされた。ただの怒鳴り合いならロイグも慣れたもので、たいして気にせず眠っていられるのだが、昨日は食器が割れる音が響いていたせいで再度の眠りにつけなかった。
しばらく経つと朝の静寂が戻った。仕事前にもう一眠りしたかったのだが、妙に目が冴えてしまい眠れなかった。
睡眠不足でイラつきながら、ロイグは仕事へ向かった。ロイグの仕事は警備兵である。普段は街の巡回と警備による治安維持を行い、街にモンスターが侵入した際には率先して現場に駆けつけ、退治する。
一応貴族のお抱え兵士ではあるが、兵士としての位は最底辺である。
冒険者崩れや引退の近い兵士がやるような仕事なので、中年から老境にさしかかった年代の者が多い。ロイグも最近徐々に衰えを感じ始めた四十代のむさ苦しい男である。
警備兵の日給は、銀貨一枚。何も起きなくてもこれはもらえる。銀貨一枚は朝昼晩食事をすればなくなってしまうくらいの端金だ。それとは別に、モンスターとの戦闘に参加すれば銀貨三枚、そこで活躍をすれば銀貨が追加で二枚もらえる。
ちなみに、街の警備の仕事をサボるとその日の全ての給金がもらえなくなるので、皆そこそこ真面目に警備の仕事も行なっている。
モンスターは、三日に一度くらいの頻度で侵入してくるので、警備兵もそれなりに生活はできる。だが、冒険者のように一攫千金は望めない。騎士や上位の兵士のように栄誉はない。
そこそこ腕に覚えがあれば、まぁ食べていけるくらいのくだらない仕事だ。ロイグはそう考えている。
ロイグはもう長い間、警備兵として生きている。
ロイグは出勤の途中で同僚のゼルに出会った。警備兵としては珍しく若めの青年である。警備兵の出勤する曜日と時間はローテーションで決められており、ロイグとゼルは同じローテーションの担当のため、そこそこ仲良くしている。
いつも楽しげにしているゼルだが、昨日は特に浮かれていた。
理由を聞くと、行きつけの酒場の看板娘とデートの約束を取り付けたとのこと。聞くんじゃなかったとロイグは後悔した。
その看板娘のことが、少しだけ気になっていたのだ。もっとも、ロイグは店に通う以上の行動を起こしていなかったのでどうなる可能性もなかったのであるが。
ムシャクシャしながら警備をこなした。担当の時間は昼過ぎぎまでで、もうすぐ交代という時になって鐘が打ち鳴らされた。これは、モンスター侵入の警報である。
耳を澄ますと鐘と鐘の合間に「西門! 西門!!」と叫ぶ声が聞こえる。
いつもならば、稼げるぞ! と喜ぶところであるが、今日の仕事はもう終わりだという気分になっていたので腹が立った。
警備兵がモンスター討伐に参加するかは任意だが、金のために近くにいれば向かう者は多い。侵入地点から近いところにいたこともあり、ロイグとゼルはすぐに対応に向かった。
侵入したモンスターは、全部で五十匹ほどで、狼型モンスターのグレイウルフと人型トカゲモンスターのトカゲ男の二種であった。
街に侵入してくるのは大体この二種である。グレイウルフは素早さと噛みつきを武器にするモンスターで、一体一体はさほど脅威ではないが、群れで行動することが多く、警備兵が最も戦う機会の多い相手だ。
トカゲ男は、大きさは成人男性の頭ひとつ小さいくらいの二足歩行をするトカゲである。数は少ないが、同種のモンスターで連携を取って、鋭い爪と噛みつきで襲ってくる。オスメスの個体差はパッと見では分からないが、なぜか全てがトカゲ男と呼ばれている。
ロイグは携帯している剣を抜き、怒りに任せてモンスターを倒した。この分なら、追加ボーナスが出るくらいの活躍ができるなと油断したところで、グレイウルフに噛み付かれ、右腕を負傷してしまった。利き腕を怪我したため、他の警備兵に後を任せて前線から引いた。モンスターの襲撃は激しかったが、ロイグの治療が終わる頃には戦闘は落ち着いていた。
活躍が足りず、ボーナスは無しだった。
引き継ぎが終わる頃には日も暮れかけていた。
しっかりとボーナスをゲットしたゼルから、「今日の戦いは激しかったから、隊長が酒を奢ってくれるらしいぞ」と言われ警備兵御用達の酒場へと向かった。
安酒を三杯ほど飲んで、ようやくムシャクシャがおさまってきてこれから盛り上がるぞ! というタイミングで、今夜は酒場を閉めるよう領主からの命令があった。
この店だけでなく、一帯の店に同じような命令が下ったらしい。
近くで貴族が殺されるという事件が起きたため、捜査を行うからという理由だった。
釈然としないが、領主には逆らえず宴会はお開きになった。
しかも、そのタイミングで隊長が「奢るのは最初の一杯だけ」と言い出したため、二杯目以降の酒と食事の代金は支払う羽目になってしまった。
ゼルと飲み直そうとしたが、近くの酒場は同様に店を閉めており、ロイグは色街へと繰り出すことにした。
ゼルは看板娘に悪いからと帰ってしまった。
一日で溜まったストレスをどこで発散するか店を物色していると、少女とぶつかった。色街には似合わない、貧しげで幸の薄そうな少女の様子を見てロイグは気持ちが萎えた。
色街では夢を見させてくれ。そう思いながら、ようやく入りたい店を見つけたタイミングで、財布を無くしていることに気がついた。
しばらく探すも見つからず、すごすごと家へと帰った。
右腕の痛みと財布を無くした不運から目を背けるように、ロイグは布団をかぶって眠ってしまった。
それが昨日一日の出来事だった。
そしてまた今日も、食器の割れる音に起こされた。
いちいち昨日のことを思い返すんじゃなかった。ムシャクシャする。ロイグは寝床で盛大に舌打ちをした。
前日と同じようにその後は眠れず、ロイグは重い足取りで仕事へと向かった。
「よう、ロイグ」
「ゼルか。薄情な奴め」
「はぁ? いきなりなんだよ。それより聞いてくれよ。酒場の看板娘ちゃんとデートすることになったぞ」
ロイグはまじまじとゼルを見る。冗談で言っている雰囲気ではない。
「前々から怪しいと思ってはいたが、ついには色ボケしちまったのか? その話は昨日聞いたぞ」
「ロイグこそおかしくなったのかよ? 昨日は仕事が休みでロイグとは会ってないし、約束を取り付けたのは昨日の夜だし、話せるわけないだろ」
ゼルは、筋肉を鍛えすぎて脳みそまで筋肉になってしまったのだろうか。これ以上はこの話題を続けても無駄だなと判断して、ロイグは話を変えることにした。
「そういや、財布を落としちまってよ。ちょっと貸して……いや、恵んでくれねぇか」
無意識に、いつも財布を入れている場所に触れるとそこには財布の感触があった。取り出して中を覗くと、銀貨五枚が入っている。昨日の朝持っていたのと同じ金額だった。
「おいおい、新手の詐欺か? 財布持ちながら財布落としたって、騙されるやついるのかよ」
「いや……」
本当は落としていなかったのに、酔っていて気が付かなかっただけなのか? それにしては銀貨の枚数が合わない。昨日は酒場で稼ぎ以上の金を使っていた。
「おい、どーした。……ちっ、ダメだこりゃ」
ゼルの不審げな視線にもロイグは気が付かない。
ロイグは無意識に右腕で財布を取り出したのだが、グレイウルフに噛まれて負傷していたはずなのに痛みがなかった。そういえば、朝から痛みを感じていない。治療したとはいえ、一晩で完治するような怪我ではなかった。
巻いたはずの包帯もなければ、傷跡すらなかった。
夢を見たのか?
何かおかしい。だが考えがまとまらず、ロイグは上の空で警備兵の仕事を始めた。
意識していないと、ロイグの記憶の中にある昨日と同じ動きをしてしまう。
ロイグがそう気がついたのは、街にモンスターが侵入したという警報の鐘を聞いた瞬間だった。
昨日と全く同じ場所じゃねぇか。
衝撃を受けているロイグに、ゼルは優しく声をかける。
「大丈夫か?」
最初は大して気にしていなかったゼルも、あまりにも様子がおかしいロイグを心配し始めていた。
「ロイグ。無理しない方がいいんじゃないか。そんなんじゃ足手まといになるぞ」
「いや、大丈夫だ。行くぞ!」
状況は理解できていないが、モンスターが現れたら急行するのが警備兵だ。金のために。二人はモンスターが侵入したという場所に急いだ。
「ぐおっ!」
油断はしていなかった。そのつもりだ。それでも、右腕にグレイウルフが噛み付くのを止められなかった。
昨日噛みつかれたのと全く同じ場所だった。
「ロイグ!」
すぐにゼルが助けに入ってくれて、ロイグは退がる。これも昨日と同じ展開だった。
「すぐに退がって治療しろ! こいつらは大群だ。治療したらすぐ戻れよ! ボーナスゲットするぞ」
「あ、ああ」
戻ればもう戦闘は終わっているだろうという確信があったが、ロイグは大人しく下がった。
右腕を治療してもらい、前線に戻ると既に大勢は決していた。
「ゼル!」
「おお、ロイグ。ちょっと遅かったな。奴ら、急に逃げていったぜ」
やはり同じ展開だった。
「二日連続でモンスター退治とはな」
ゼルはふぅとため息を吐き出した。
「腕だけじゃなくて、頭もやられたのか? ちゃんと治療してもらえよ。昨日は休みだったし、そもそもモンスターが街に侵入してくるのは三日ぶりじゃねぇか」
くそ。いくらゼルが色ボケ筋肉だろうが、モンスターとの戦いに関しては忘れるはずがない。
正しいのは自分ではなく、ゼルの方だ。本当に、昨日は戦闘がなかったのだ。ロイグは唇を噛んだ。
引き継ぎを終えると、既に日が暮れかけていた。当然ロイグにボーナスはなし、ゼルはしっかりボーナスを受け取っていた。
「おい、隊長が奢ってくれるらしいぞ。行こうぜ」
そのままゼルにひきずられるように、酒場にやってきた。
「この店も久々だな」
「……そうだな」
もはや、いちいち「昨日も来ただろ」などと確認する気も起きない。
どうせ奢りは一杯目だけだろうと、昨日よりも強い酒を頼む。
しかし、強い酒を飲もうと、三杯程度では酔えなかった。
そのうち店を閉めるように命令が下され、奢りは最初の一杯のみ。ロイグの記憶通りだった。
もはや操られるようにフラフラと色街へ向かい、幸の薄そうな少女とぶつかった。
直後に財布がないことに気がつき、落としたのではなく少女に抜き取られたのだと気がついたが、追いかける気力も湧かなかった。
ロイグは家へと戻り考える。自分に何が起きているのだろうか。
夢なのか現実なのか分からないが、同じ一日を繰り返していることは分かった。一体何が原因で、どういう意味があるのか。
鬱々と考えているうちに、ロイグは眠りへと落ちていった。