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3.借りた本と進路

◇◇◇



その日、意外な訪問者があった。


昼休みが始まるチャイムが鳴って、クラスの女子達と勉強の気晴らしにドッチボールでもするかなんて話をしていたら、教室の入り口がざわざわするから視線を向けると、福島が立っていた。


「…………」


ドッチボールをしようと言っていたメンバーが全員一瞬黙り込んだ。呆気に取られたんだ。


だって福島が顔面怪我だらけだったから。


絆創膏に、青アザ。


「あれ……喧嘩でもしたのかな」


「こわ……」


友達の呟く声が聞こえた。


「宮崎」


何故か名を呼ばれた私ではなく側にいる友達がビクッとした。

福島はクラス中の視線を奪っておきながら気にした様子も無く私に近寄ってきた。

間近で福島の顔を見ると、目の上も腫れているのが分かった。傷も痛々しく、絆創膏に血が滲んでいた。


「福島……どうしたの、その顔」


「……ちょっとな。そんなことより、ちょっと話があんだけど」


話?何だろう。

何、と声が出かかったところで友達が私の腕を組んできた。


「宮ちゃんに何の用?暴力は許さないよ」


「先生呼ぶよ!」


ぎょっとしてしまった。この友達は福島から私を守ろうとしているようだ。意外だ。福島のことを怖がる人が多いのに何て強い友だろう。


友達のそんな態度に福島は明らかに不機嫌になり舌打ちをした。


「殴らねぇよ。何決めつけてんだよ」


不穏な空気だ。良くない、良くない。このクラスは平和なクラスなのだ。


「大丈夫、大丈夫!皆は先に校庭行ってやっててよ!」


皆に笑顔を見せてそう言うと、福島の背を押した。


「さ、行こ行こ!廊下に出ようか、福島」


「いてっ!」


そんなに強く背を押した訳でもないのに福島が過剰に反応した。


「えっ!ごめん!もしかして、背中も怪我してるの?」


「…………」


特に怒鳴られることもなく廊下に歩み出したので、私も福島の後について教室を出た。


福島が向かったのはこの間少し話をした屋上に続く階段だった。



「あー、のさ」


とても言いにくそう。視線が合わず、頭をガシガシとしている。


「うん?」


「本……なんだけどさ」


「ああ、本?読んでくれたの!?」


まさか福島の方から本の話題を持ち出してくれるとは思わず、嬉しくなってしまった。


「いや……途中までしか読んでなくて、それで……その本を川に落としちまって……」


「え?」


「お前の本なのに、悪かったな。今、金無くて、また今度買って返すから」


福島が謝っている。

悪かったなって、謝っている。


驚きだ。

あんなに私が幼馴染みに謝ってと言っても謝ってくれなかったのに。

いや、驚きを通り越して、感動すら覚える。


「良いよ。態とじゃ無いんでしょ?」


「ああ……」


「やっぱり福島は良いヤツだ。人にちゃんと謝罪も出来るヤツだね」


「…………」


福島が照れている。恥ずかしいのか横に背けられた顔が赤い。何か、面白い。


「本も新しいの買わなくて良いよ」


「そう言う訳には……」


「それより途中まで読んでくれたんだ!?どう?面白かった?」


「ああっ!?いや……結末分かんねぇまんまだし、何とも……」


「ほんと!?じゃあ図書室行こ!」


「はあ!?」


さっき背中を押したら痛がったので、この調子だと他も色々怪我しているかもしれないと思い、制服の裾を持って図書室まで引っ張って行った。有り難いことに図書室は三年の教室と同じ階にあるので直ぐ着いた。

福島は「ちょっと!」「おいっ!」とか何とか言っていたが、私の手を振りほどくこともせずにちゃんと着いてきた。


「あの本、何年か前になんちゃら新人賞を受賞してるから図書室にもあると思うんだ」


「なんちゃら……?」


「詳しくは覚えてない」


図書室の常連では無いけれど何度か利用はしたことがあるので、本の場所を検索してから本棚まで福島を連れて行った。


「あった、あった!」


本を見つけて福島に「はい」と言って差し出した。


「は?」


「続き読んでみて」


「えぇ……」


本を受け取ろうとしないので、本を福島の胸に突き出した。


「いてっ!」


「あ、ごめん」


ちょっと本で突いただけなのに。


「そんなに怪我しているの?大丈夫?」


「……何でもねぇよ」


どうやら怪我について言いたくなさそうだ。触れないのが良さそう。


「これ、どうすりゃいいんだよ」


「借りて読むの」


「借りる!?本なんて借りたことねぇよ!」


「大丈夫。私が借り方教えるから」


貸出カウンターまで連れて行って、借り方を教えた。図書委員の生徒も図書の先生も、福島に驚いていた。そしてちょっと怯えていた。


「これは学校の本なんだから、今度は川に落とさないように気をつけてね」


無事に貸出手続きを終え、図書室を出た。


「マジで読むのか……」


図書室に来てから貸出手続きをしている間もずっと困惑したような表情を浮かべていた。

嫌だったかな?

でも嫌だったらハッキリと「嫌」とも「うるせぇ」とも福島なら断る様な言葉を吐いただろう。それが無かったと言うことは、多少なりとも本に興味を持って貰えたと言うことではないだろうか。


「じゃあ私は校庭に行くから!また感想聞かせてね!」


「はあっ!?」


福島が焦ったような声を出していたけれど、構わずクラスの女子達と約束していたドッチボールに参加すべくその場を立ち去った。

心なしか気分が良く、階段を下りる足取りが軽かった。




◆◆◆



図書室の前にポツンと取り残された。


俺が図書室で本を借りるなんて、自分でも信じられない。

この本を持ったまま廊下を歩き、教室に戻ったらどうなる?不良仲間に何言われる?どう思われる?

でかい本じゃないしポケットに入らないだろうか。

……入った。窮屈そうだけど、入った。

そのまま手も突っ込んで廊下を歩いた。本を入れた右側のポケットは親指しか入らないけど。


ダボダボのスボンで良かった。ポケットの膨らみが分かりにくい。


「おい、福島」


廊下で担任に声を掛けられる。


「あ?」


「ポケット、何か入れてるのか?」


ドキッとする。全然膨らみが分かりにくくなって無かった。


「タバコじゃないだろうな?」


「はあ?ちげーし」


タバコなんて持ってねぇっつーの!貧乏ナメんなよ!


「ちょっと見せてみろ」


素早い動きで簡単にポケットの入り口をぐいっと広げられた。ボコられたせいで体が痛くて抵抗出来なかった。


「……タバコより驚きの物が入ってるじゃないか」


「うっせーな!クソセンコー!」


最悪だ。見られた。


「どうしたんだ、この本」


「言っとくけど盗んだものでも奪ったものでもねーからな!そこで借りたもんだからな!」


必死に図書室を指差し、怒りながらも恥ずかしさが相まって早口になってしまった。指差した向こうの図書委員と先生がビクッと肩を跳ねていたが、必死にコクコクと頷いて俺の言葉を肯定してくれた。

そのまま怒りが収まらずに担任に背を向けると、どしどしと足音を立てて教室に戻った。背中に担任の呟く声が微かに聞こえたが、ハッキリとは聞こえなかった。


「……宮崎パワー、凄いな」




教室に戻るとクラスの女子が怯えたように俺を避ける。担任のせいで怒りが滲み出ていたせいか。いや、俺のこの怪我のせいで朝からそうだった。


「何処行ってたんだよ、福島」


「……別に」


窓際の一番後ろの席が俺の席だ。ドカッと偉そうに座ってみるが、内心はソワソワしていた。右側の親指だけ入れたポケットが気になってしまう。クラスの色んなヤツからチラチラと見られている。怪我のせいだと思うけど、もしかしたらポケットの中身がバレているのではと落ち着かない。


本を右側じゃなくて左側に入れれば良かった。

せっかくの窓際の席。窓側の左側のポケットであればこっそり鞄に本を仕舞えたのに。帰るまで隠し続けることになりそうだ。



窓の外からは校庭で遊んでいる生徒の賑かな声が聞こえてくる。チラッと視線を向けると、宮崎のクラスの女子達がドッチボールをしていた。


俺はこんなに本を隠すのに必死になっているのに、その本を無理矢理借りるよう手続きし押し付けてきた当の本人は楽しそうにしてやがる。何か、ムカつく。


しかし、何故中学生にもなって女子がドッチボールなんだか。うちのクラスの女子は幾つかのグループに分かれて集まって喋ってばかりなのに。


(仲が良いんだな……)


クラスの女子皆でドッチボールなんて、このクラスでは考えられないな。

あいつの周りは平和だ。

あいつの周りにいる友達も、今日俺に堂々と意見してきた。勝手に決めつけられたのはムカついたが。


変な女に捕まって付きまとわれ、挙げ句ボコられた俺とは全然違う。


笑い声が羨ましく、そして眩しく感じた。





本の貸出は一週間。


読み慣れていない俺には一週間は短い。それでも頑張って読んだ。別に延長手続きをしてまた借りたら良いのだろうが、その延長手続きをするのも恥ずかしい。それを言ったら返却の為に図書室を訪れなければならないのも恥ずかしいが。


「やっぱりここに居た」


屋上前の廊下で昼寝をしていたら、また宮崎がやって来た。


「…………」


俺、またイビキかいてたか?


「それ、全部読んだ?」


そう言われて寝ながら胸の上に置いていた本の存在を思い出し、急に恥ずかしくなった。


「……読み終わったら、眠くなって寝てた」


驚く程の達成感に浸っていたら、満足感からか眠ってしまったのだ。一冊の本を読むのはこんなにも疲れるものだっただろうか。まあ、小学生の頃に読んでいた本より圧倒的に文字数は多いし、字も小さいからな。


「どうだった?楽しかった?」


起き上がった俺の隣に宮崎が座った。近いな。でも女の先輩の様な匂いはしなかった。


「まあ……」


「どこが楽しかった?」


どこ……?どこだ……?


「最後、大人になってから、昔のこと全部を仲間と笑い合って語ってるとこかな……」


読み終わったばかりなので思い出すのはラストのシーンだった。


「ああ、良いよねぇ!分かる!私も大人になったら今悩んでることとか笑えるようになるのかなって思う。私は試合中にベンチ入りのメンバーが対戦相手の投手の癖を見抜いたところ好きだったなぁ」


「ああ……あったな。それで最後の追い上げが凄かった」


「主人公が最後代打で粘ってたところもドキドキしたなぁ」


「お前、野球好きなのか?」


「好きだよ。お父さんと一緒に野球中継観てるし、球場に観に行ったこともあるよ」


「へー」


意外だ。女子で野球に詳しいのも珍しい。

でもだからこの本を買って読んだのかもしれない。


「嬉しいな。こうやってあの本の感想を言い合えるの」


「……そうか?」


「本好きな子はいるけど野球の話は興味なかったり、逆に野球は好きでも本は読まなかったりだからさ」


「……俺も本読まねぇよ」


「でも読んでくれたじゃん。ありがとう」


宮崎とは小学三年生の時に同じクラスだった以来、一度も同じクラスにならなかった。何も接点が無く、会話もした記憶がない。


「ありがとう」と言いながら向けてくれる笑顔は、あの頃と変わらない気がした。

俺がお礼を言うと「いいよ」と返してくれた時の笑顔と同じ、心を簡単に拐っていってしまうような笑顔だ。


「福島は進路どうするの?高校は行くの?」


「……うちは、貧乏だから、高校は無理だ」


「母子家庭?」


「ああ」


「じゃあ、制度を利用すれば行けるんじゃない?」


「制度?」


「確か色々と支援制度があったと思うよ。あまり詳しくないから先生に聞いてみたら?」


支援制度……。

そんなのがあるのか。全然知らなかった。

俺は勉強だけじゃなくてそういうことすらも分かっていないんだ。


「でも頭悪いから無理じゃないか」


「受験の二月までまだあるんだから、努力次第じゃない」


まだあるって、今十月だぞ。あと四ヶ月で中学三年間分の勉強は無理じゃないか……。

遠い目をしてしまう。


「大丈夫だよ。名前さえ書ければ合格出来る高校もあるらしいし」


馬鹿ばっかりってことか?不良ばっかりの学校じゃねぇだろうな。面倒ごとに巻き込まれそうな高校は嫌だな。


「お前は?S高?」


「ううん。A高」


「A高も頭良いけど、お前ならS高でも行けんじゃないの?」


「私お姉ちゃんがいるんだけど、凄く頭が良くてS高に通っているの。昔から比べられることが多くてそれが嫌でさ、お姉ちゃんと違う学校に行きたくて」


意外だった。

頭が良くて、クラス委員もやっていて、クラスの女子達にも慕われて、俺からしたら眩しい世界の人間に見えるのに、コイツにしか分からない悩みがあるのだろうか。


「ふーん。大変だな」


「ははっ。大変でもないよ。それで親から極端な虐待並みの差別をされてるとかでも無いしね。ただ、ちょっとだけ逃げたいなぁ、楽になりたいなぁ、自由になりたいなぁってだけ」


逃げたい、楽になりたい、自由になりたい……か。


俺は何から逃げれば楽になれて自由になれるのだろうか。頭が悪すぎてそれが分からない。


「A高、お前なら受かるよ」


「ありがとう。福島も受験頑張れ」


「俺はまだ高校に行くなんて言ってねーぞ」


「それも含めて悩むのから頑張れ」


どうしてだか宮崎が向けた笑顔で晴れやかな気分になった。「頑張れ」なんて言葉、重くて他人事の様で好きじゃなかったのに、頑張りたい気持ちが沸き上がってくるようだった。生徒に「頑張れ」と言うのが仕事のような教師とは違い、嘘の無い言葉な気がして、ストンと心に言葉が落ちた。


いや、嘘の言葉なのか本当の言葉なのか、分からなくなって全てを受け入れられなくなっていただけかもしれない。自分の境遇を悲観して、諦めて、蓋をして閉ざしていた。




宮崎との本をきっかけとしたこの数日間の出来事は、俺を少しだけ変えた。


担任と何度も話をして、俺は高校に行くことにした。


宮崎とは会うことが殆ど無くなった。クラスが違うし、会う理由も無かったから。たまに廊下や全校集会とかで見掛けたくらいだ。


宮崎はA高の推薦入学で皆より一足先に合格したらしい。廊下で色んな女子に「おめでとう」と祝われていた。あいつは他クラスにも友達が多いらしい。皆がまだ受験真っ只中で自分のことでいっぱいいっぱいな筈なのに、僻まれたりせず「おめでとう」と沢山言われるのはあいつの人徳だろうか。それとも合格して縁起が良く御利益があると思われているのだろうか。それならもはや神の領域だな。




◇◇◇



明日は卒業式だ。


殆どの生徒の合格発表も過ぎ、教室に寂しさを漂わせていた。


卒業式の準備がある為、三年生はさっさと帰れと促される。教室は締め切られ、きっとこれから在校生が黒板にメッセージや絵とかを書くのだろうな。昨年私もやった記憶がある。


もしかしたらと予感がして屋上へと繋がる階段を上る。上った先の扉前の廊下を覗き見ると、やっぱり福島がいた。

でも今日は寝てなくて、しっかり目が合った。


「……なんだよ」


眉間に皺を寄せてぶっきらぼうな言い方だ。


「今日は寝てないの?」


「いっつも寝てる訳じゃねぇよ」


怒ったようにプイッと顔を背けられた。

福島も卒業直前、何か感慨にでも浸っていたのだろうか。


「福島」


「なんだよ」


「合格おめでとう」


思いがけない言葉だったのか、唖然としている。全然怖くない顔をしている。寧ろちょっと幼く見えて可愛い。


「……何で知ってんだ?」


「そりゃあ、福島のクラスで話題になって盛り上がってたでしょ?先生も凄く喜んでたし。こういう噂話は聞いてて嬉しいよね」


「……恥ずかしいって」


本当に恥ずかしいのだろう。珍しく顔を赤くしている。


福島はある時から毎日のように放課後教室で勉強をしていた。それもかなり噂になっていた。私も実際にその様子を廊下から見掛けたことがあった。それで高校を受験することに決めたんだなと思った。


合格した高校は決して名前さえ書ければ誰でも合格出来ると言う高校では無く、そこそこの成績でないと入れないところだった。


きっと努力をしたことだろう。目標を立てればそれに向かって頑張れる人間なんだ。


勉強は出来るようになったが、外見は何も変わらなかった。茶髪に眉無し、ダボダボのズボンはそのままだ。それも福島らしいかもしれないけれど。


「明日の卒業式、その髪で出るの?」


「ああ。わりぃか?」


「この間貧乏とか言ってたけど、髪を染めるお金はあるの?」


「先輩の知り合いが美容師で、いつも練習させろって言われてタダでやって貰ってる」


「ナルホド」


私達は違う高校に進む。

こうやって話すことも無くなるのだろう。


グウと私のお腹が鳴った。


「家に帰ってお昼ごはんを食べよう」


今日は半日授業。授業らしい授業なんて無くて、卒業式の練習とかだったけど。しっかり卒業式の歌の練習をしたからかお腹が鳴ってしまった。思春期の女子にとっては恥ずかしくて堪らない。開き直りたくてもなりきれない。

福島は気づかないフリをしてくれたのか、何も言わず口に手を当てて頬杖をついている。……これ、笑いを堪えてるのかな?


「じゃあね、福島。元気でね」


恥ずかしさから逃げるように立ち上がった。


「……おう。宮崎も」


トントントンと階段を下りて行く。この階段を上ることはもう無いだろう。

そのまま昇降口に繋がる階段を下りて行った。



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