午前0時の鐘の音が鳴り終わる前に
午前0時。
とある世界の御伽噺の中でお姫様になった御令嬢の誰もが知る有名なお話。
――と、まぁ。この世界にはそんなお話、ないんだけど。ただ、そんなこともリアルにあり得はする様な世界に転生したのは、今から17年前のことだ。
この世界に生を受けた私は、違う世界で生きていた記憶を持ったままだった。だからといって、何かチートな能力とか、前世の記憶から役立つ様なスキルを持っている訳でもない。ごく普通の人だ。
――ごく、普通の。
幼い頃、意味不明な言葉を発していた私に、両親は心配して、毎日の様に神殿に連れて行っては、神に祈っていた。少しずつ歳を重ねる度に、前の記憶のせいであると理解していった。時々、ごちゃまぜになるのだ。前の記憶と今の記憶が。
毎日通っていると、神殿は最早、第二の実家みたいな感覚になっていた。神官様も今や家族同然だ。
「オリヴィア。君、そろそろ神官の勉強を始めないかい?」
そう言い始めた神官長イシュメルは私の両親の友人でもある。私にとって叔父のような存在だ。彼には息子がいた。未婚なので正確には養子なのだが。
「テオドールも先週から本格的に始めたんだ」
「そう……だから最近、テオに会わないのね」
ここに通い始めてから同じ歳の彼――テオドールとはよく一緒に遊んでいた。いわゆる幼馴染みだ。
幼い頃、彼の神聖力が強すぎて、神殿に預けられたらしい。実の両親は既に他界して一人だったこともあって、神官長イシュメル・ハンネスの養子に入り、彼はテオドール・ハンネスになった。
時を同じくして、意味不明な言葉を喋る私が神殿に通う様になり、そんな私を少しも気持ち悪がらず、ずっと側にいて、理解しようとしてくれたのがテオドールだった。
彼の隣はいつも居心地が良かった。
そんな私たちも、もうすぐ18歳だ。この世界では成人として扱われる。皆、何かしらの職業に就き、生計を立てていく。
私の家はいわゆる爵位持ちで。この辺りを領地としているエイベル子爵家である。私が幼い頃、手がかかったため、一人っ子だ。
今思えば、両親には申し訳ない。こんな私を見捨てずにずっと愛してくれている。
「ねぇ、イシュメル」
後ろに束ねた綺麗な銀髪をサラリと靡かせ、優しい瞳を私に向ける。
「神官になるのは……ちょっと考えるわ」
イシュメルは少し寂しそうに『そう』と一言いうと目を伏せた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン………
突然、鳴り響いた鐘の音に二人は空を見上げた。
この世界の時計の概念は前の世界と同じだ。ただこの世界では、午前0時と午後0時に12回の鐘が鳴る。神殿の大神官様いわく昼と夜のリセットをするためらしい。
今は昼間。午後0時の鐘の音だ。
昼休憩を取るために神官や神官見習いが神殿から出てくる。その中に見慣れた顔を見つけた。彼も、こちらを見ると無表情だった顔をぱぁっとほころばせた。
「リヴィ!!」
手をブンブン振る彼にニッコリと微笑むと、彼は重々しい書物を脇に抱え、階段を駆け下りてきた。
「来てたのか!」
「うん。お疲れ様、テオ」
「父上、リヴィに話してくれた?」
逸る気持ちを抑えきれないテオが返事を急かす。
イシュメルは優しく目を細め、笑った。
「ちゃんと言ったよ」
「ねぇ! リヴィも僕と一緒に神官になろうよ!」
「うーん」
返事を濁すと、しゅんとしたように肩を落とす。
上目遣いで懇願するように、その目を瞬かせた。
「私ね、やりたいことがあるの」
「やりたいこと?」
「うん」
ずっと考えていた。
この世界に来て、自分がしたいこと。
“やりたいことがある”と言ったのだが、実は――もう既に始めている。
テオも、イシュメルも、両親でさえも知らない、私のもう一つの顔。
それは――
「エミリア!」
「お嬢様! お帰りなさいませ。今回も絶賛していただけましたわ! さすが、お嬢様です!」
「うふふっ。自信作だったの! 嬉しいわ」
エイベル家の屋敷に戻ると、侍女のエミリアが私の帰りを待ち構えるようにソワソワと行ったり来たりしていた。エミリアは私が小さい時から付いていてくれた侍女で、私の密かな才能を見出してくれた発掘者だ。
そして、今は一番の協力者でもある。
幼い頃から頭の中には前の記憶が溢れ返り、どうしようもなかった時、字が書けるようになったのを期に、頭の中の事を吐き出すように書きなぐっていた。お陰で私の書棚は、本と見せかけた私のメモの様なものでいっぱいになっていたのだ。
ある日、その書棚を清掃していたエミリアがそのうちの一冊をたまたま落とし、目にしてしまった。読書が趣味だったエミリアは、その内容に釘付けになった。
エミリアの親戚が出版社勤務だったため、試しに読んでもらうことなり、手直しされ、トントン拍子に本となって、出版された。
そう、私は今をときめくそこそこ有名な作家だ。
最初の頃は、知っている童話を片っ端から思い出して書くという感じだったのだが、最近は、年相応の恋愛小説なんかも書いている。
題材は前世の人生だったりするのだけれど。それに大したことは何もない。平凡な人生だ。こんなの誰が読むんだろ?とも思ったが需要はあるらしい。あちらの世界で平凡でも、こちらの世界では新鮮に映るのだ。
最新作は午前0時の鐘が出てくるあの物語を題材とした恋愛小説だ。
この世界で『午前0時』といえば、神殿の鐘の音は切り離せない。だから舞台はお城ではなく神殿。そして、恋のお相手は王子ではなく神官だ。
「今回のお話、とても切なかったです……」
ウルウルと瞳を潤ませ、両手を胸の前で組み、口をへの字に曲げるエミリアに苦笑いする。
「18歳の誕生日の鐘の音が鳴り終わる前に愛する人からのキスを貰えなければ、消えてしまうなんて」
エミリアはポケットからハンカチを取り出すと、その場面を思い出したかの様に涙を拭き始める。
「続きが早く知りたいです! お嬢様、すぐに執筆を始めてくださいませ!」
ハンカチをポケットにしまうと、テキパキとお茶の用意を始める。執筆が捗るようにと、いつもお茶や軽食を用意してくれる。とてもありがたい。
――でも。
あの物語に続きはない。
何故なら、あの物語は――“私の物語”だからだ。
前世の色々な記憶と共にこの世界に転生された時のことも思い出した。神様にこの世界で生きるための条件を出されていた。
それは18歳の誕生日の終わりまでに愛する人からキスを貰うこと。それが叶わなければ私は――この世界から消えてなくなってしまう。どこかで聞いたことがあるようなお話みたいだけれど、これは今、私の身に実際に起こっている現実なのだ。
今、私は17歳。もうすぐ誕生日。今から愛する人を見つけられるとは到底思えない。私はもう諦めていたのだ。だから、この世界で悔いのないように生きようと。
前世での記憶もあるから、もう充分すぎるくらい生きた気がするし、この世界に来てから余分に18年も生きられたと思えば、大往生だ。
そして、最後にと選んだのが“私の物語”の執筆。
私の最後の新刊が出版された。
神官と平凡な町娘の恋の物語。
「おい、読んだか?」
「何を?」
神殿では神官見習いたちが皆、どこかソワソワしている。その様子にテオドールは首を捻った。
「オーリー・E・ヘニングの新刊だよ!」
「誰? それ?」
「お前、知らないのか? 有名な作家だよ」
「へぇ……オーリー、ねぇ」
――リヴィも、別の愛称は“オリー”だな。
何でもない時にまでオリヴィアのことを考えてしまうなど自分は重症だな、と苦笑いした。
「それが、どうかしたの?」
苦笑いを隠す様に質問すると、待ってましたとばかりに説明を始める。どうやら、その小説は、神殿が舞台で、神官と町娘の切ない恋物語らしい。街では神殿と神官が一気に流行りだし、神官が街をあるけば、すぐに声がかかると浮ついていた。
オリヴィア以外に興味のないテオドールは片眉を上げて肩を竦めた。――何のための神官だよ? と不純な思考に呆れる。
「テオ、お前も読んでみろよ」
「えぇ……興味ないよ……」
「まぁそう言わずに。お前の幼馴染みのオリヴィアちゃんも好きなんじゃないか?」
「えっ?」
“オリヴィアが好き”という言葉につい反応してしまう。ガバッと上げた顔に、イタイものを見るような視線が向けられた。
「女のコたちは好きらしいぞ、こういう話」
「へぇ……」
本をぐいっと半ば強引に“貸してやるから”と押し付けられた。自室に戻ると、机に今、借りたばかりの本を置き、その表紙を眺めた。
『午前0時の鐘の音が鳴り終わる前に』
その本の題名。
いつかどこかで聞いたことがある響き。
いつだったか……どこだったか……
『お姫様の魔法はね、午前0時に解けちゃうの』
――あれは……リヴィが話していた物語だ。
ハッとしたテオドールはその本を手に取ると夢中で開き、読み進める。一気に読み終わると、背表紙をバタンと閉じた。その背表紙には、片方しかない女性ものの靴が描かれている。そして、その絵の下には、“オーリー・E・ヘニング”と作者のサインが入っている。
――オーリー・E・ヘニング。
オリヴィア・エイベル・ヘニング。
“ヘニング”の意味は――“優雅である”。
テオドールは、息を呑んだ。
自分は“優雅である”という意味の名をもう一つ、知っている。
テオドールは部屋を飛び出すと、今ある力を最大限使って駆け出した。外はもう既に暗く闇が迫っていた。
〜・〜・〜
「お誕生日、おめでとう。オリヴィア」
「あなたも立派な成人ね」
「お父様、お母様、ありがとうございます」
にっこりと微笑んだオリヴィアは、豪華な食事を前に胸がいっぱいになっていた。
(これが私の最後の晩餐か……)
最後は笑顔でお別れしたい。
(ああ、イシュメルにも会いたかったな)
そんなことを考えていると、ふとテオの満面の笑みが浮かんでくる。
(今日、会いに行けば良かった……)
自室に戻ると、ゴロリとベッドに横たわり、天井を見上げた。見慣れた天井の模様に昔、テオが泊まりに来たときのことを思い出していた。
あの天井の模様を動物に例えて、教え合っているうちに眠りに落ちていた。このベッドで二人、仲良く手を繋いで眠った。
テオは私の話す物語を楽しそうに聞いてくれた。
あのお話もそうだ。
『お姫様の魔法はね、午前0時に解けちゃうの』
その言葉に、テオは――
ゴーン、ゴーン、ゴーン………
午前0時の鐘だ。
『僕なら解ける前に、魔法をかけ直してあげるよ』
突然、バタンッという大きな音と共に自室の扉が勢いよく開く。そこには肩を上下させ、ハァハァと息を荒げるテオの姿があった。
「何で……言わないの……」
「えっ……テオ? 何で?」
「僕じゃ……ダメ?」
「な、何の話……?」
手に持っていた本をずいっと私に差し出す。
その本に、目を見開いた。私の書いた本だ。
「“ヘニング”って、“ハンネス”と同じ意味じゃないか!」
私は大きく息を吸った。
テオは一歩一歩、近づき、私の目の前まで来た。
「勘違いじゃないなら、君にかけられた魔法を僕がかけ直してもいいよね?」
最後の鐘が鳴り終わる、その前に。
彼は、愛する人にキスを落とした。
『お誕生日、おめでとう。リヴィ』
〜・〜・〜
「ああ〜っ! お嬢様! なんて素敵な結末!」
興奮気味のエミリアにいつもの様に苦笑いする。あの本の続きをたった今、書き終えたところだ。
エミリアは我慢できずに、編集者よりも先に読んでしまった。まぁ、これは彼女の特権である。
あの日。
部屋に飛び込んできたテオに驚いたものの、自分でも知らないうちにテオに恋をしていたことに気づかされ、彼のキスによって消滅を免れた。それからは、タガが外れた彼の猛攻を受けることになるのだが、両親によって何とか止められた。
「僕は納得いかないなぁ」
エミリアが絶賛した結末に、少しムッとした表情で抗議するテオが私の部屋で当たり前の様にお茶を啜っている。テオはあの後、すぐにイシュメルを連れて、正式に婚約を申し込みに来た。
彼の神聖力は神殿でも高く評価され、あっという間に上位神官となってしまったのだ。そのため、両親も彼に何もいうことが出来なくなった。
「いいじゃない。ハッピーエンドなんだから」
「えぇ……でも、事実とは違うじゃん!」
未だ顰めた顔をしている彼に向かって、こっそりと耳打ちする。
「真実は二人だけの秘密の方がいいでしょ?」
そう言うと、ぱぁっと顔を輝かせる。
キラキラする瞳に少し引いていると、ガバッと抱き締められた。
「リヴィ。可愛すぎる! ……やめて」
「ぐっ、苦しすぎる……テオ、離して」
ギブアップを伝える様に、テオの背中をトントンと叩くがびくともしない。
「はぁー幸せ。これからは毎日、幸せにするから」
「うん……それは、ありがとう」
「ツレナイなぁ、リヴィ。僕はあのまま君が消えてしまっていたらと思うだけで、ツラいんだよ?」
確かに、そうかもしれない。
私もこんなに幸せな日々が送れるなんて思ってもいなかった。それもこれもテオのおかげだ。
「うん。本当に感謝してる」
「感謝より愛を伝えて欲しいなぁ」
ゴーン、ゴーン、ゴーン………
午後0時の鐘が鳴る。
その鐘の音が鳴り終わる、その前に。
『愛してる』
私は、愛する人に、愛を囁いた。
ご覧いただき、ありがとうございます!
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☆皆様、本当にありがとうございます☆
このお話に続く物語を連載し始めました。
『しがない主婦が異世界に転生したら、そこそこ有名な作家になりました。〜聖女様から悪役令嬢といわれているようですが、何か?〜』
https://ncode.syosetu.com/n9641hr/
思いがけず余生を延長することができたオリヴィアの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
どうぞ宜しくお願いいたします!