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すぐに読める掌編シリーズ

夜の口笛

作者: 長月京子

 私は口笛が上手く吹けない。スースーと息が漏れるのみで音が出ないのだ。

だが我が家では口笛が吹けないことは幸運なことだった。


 母が大の蛇ぎらいだったせいだろう。幼い頃から言い聞かせられていたのだ。

「絶対に夜に口笛を吹いてはいけない、アレが出るから」と。


 普段おおらかな母が夜の口笛についてだけは、神経質なほどにそう繰り返した。幼い頃は母の言うアレが何者なのかわからず怖かった記憶がある。それでも、もし口笛を吹くことができていたら、きっと私は夜に口笛を吹き鳴らしていただろう。


 蛇をきらうあまりヘビと言葉にするのも嫌で、迷信にも神経質になってしまう母。今思えば可愛げのある人である。

 口笛を吹けないおかげで、私は幼少期に無駄に母に叱られることはなかった。






 私が独り立ちして実家を離れ、数年が経ったころ。

 ある夜私は不意に口笛の練習を始めた。たまたまテレビで聞いた名人の口笛が素晴らしかったのだ。楽器かと見紛う音色。口笛とはこれほどに美しい響きを可能にするものなのかと。


 母に刷り込まれた迷信がちらりと脳裏をよぎったが、口笛の練習をためらう理由にはならなかった。私は既に夜の口笛にまつわる迷信を知っていた。


 どこで誰に聞いたのか覚えていないが、今はアレの正体が蛇であることを知っているのだ。

 私は感動した音色を真似るように口笛を吹く。やはり音色が出ない。スースーと息の漏れる音がするだけだった。


 何度試しても同じだったが、私は躍起になっていた。一度で良いから音を出せないものかと夢中で練習を繰り返した。

 ある日、ぴゅうと音が出た。

 深夜の一時だった。


 なぜか突然怖くなった。何かに見られているような気配を感じた。

 じりじりと背中に感じる視線。あたりの空気がひやりとした冷気をはらんだ気がする。


 背後に何かがいる。手に汗が滲み出した。

 ぞくぞくと高まる危機感。


 私は得体の知れないおそれに耐えきれず、恐る恐る振り返る。


 「にゃお」と聞き慣れた鳴き声がした。口笛の音に驚いたのか、飼い猫がじっとこちらを凝視していた。

 私はほっと全身で息をつく。途端にすべての恐れが立ち去り、慣れた日常に戻る。


 飼い猫を招いて膝に乗せながら、私は再び口笛の練習を始めた。

 一度音が出ると次も音が出た。その夜、私の口笛は大きく進歩した。






 正月の休みを利用して、私は久しぶりに実家へ戻った。

 両親は久しぶりの帰省を歓迎し、夕食は食べきれないほどの御馳走だった。酒も入り、ほどよく酔ったころ、私は不意に両親に自慢したくなった。


 今まで息が漏れるだけだった口笛が、音色を奏でるようになったことを。

 夜に口笛を吹くとアレが出る。

 幼い頃に母に刷り込まれた言葉。今ではそれが、ただの迷信だとわかっている。母もいまさら口笛を吹いたくらいで、大人になった私を叱ったりはしないだろう。


 練習を重ねた私は、テレビの名人には及ばないながら、軽快な曲を奏でることができる位には上達していた。

 私は何気なく「そういえば出来るようになったんだ」と両親の関心を引いた。


 「何が?」と言う二人の前で、「これだよ」と得意げに口笛を披露する。

 ぴゅうという軽快な音色。音階も外さない。両親にもわかる名曲だった。






「あああっ!」


 わたしの口笛をさえぎるように、突然、母が叫んだ。


「アレが来る!」


 母の悲鳴と同時に、ふっと唐突に部屋の明かりが消えた。暗闇の中でガタガタと激震が起きる。母の甲高い悲鳴が弱くなり、ついえた。ぐちゃぐちゃと肉を貪るような音が響いている。鉄の錆びたような香りが辺りに充満していた。


 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。


 肉を咀嚼する音だけが、暗闇の中に響いている。


 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。






 母の言う夜の口笛は迷信ではなかった。

 わたしの奏でた口笛に誘われ、アレが出たのだ。


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