幽霊は何故怖い(-ω- ?)vo2 呪いと生霊と私
前作への評価、感想ありがとうございましたm(_ _)m
単体でも読めますが、よろしければ、前作と合わせてお読みくださいm(_ _)m
変な副題で申し訳ありませんm(_ _)m
別に呪詛に放った生霊を部屋で待ちながら、Yシャツにアイロンを充てつつ毒入りスープを作ってる訳ではありません(これがパロディだとわかる貴方はアラフォー以上ですσ(´Д`●)
さて、私は別にこの程度の低いパロディを書きたくて、本作を書き始めた訳ではありません、無いったら無いんですo(*`ω´*)o
いい加減、呆れられそうなので真面目に行きますが、前作、幽霊は何故怖い(-ω- ?) に感想を寄せて下さった親切で心暖かい皆様のコメントを拝読して、説明不足や認識が不十分だと感じまして、補完的な内容として、日本における生霊と呪いについて考察していこうと思います。
言い訳になりますが、この分野において私は専門家ではないため、あくまで私の知る範囲での認識に基づいて私見を元に考察していきます。
さて、前作では丑の刻参りを出しましたが、呪いの作法としては対象の名や髪などの体の一部のいずれか両方を用意し、次に祝詞を上げ呪詛を放ちます。
祝いと呪いは共に祈りを捧げることに由来します。
大いなる自然に感謝を捧げれば祝いとなり、契約のもと(何か)を使役して(害意)を発露すれば呪いとなります。
菅原道真公は現界での怨みを捨て神に祀られた反面、その怨みが怨霊菅原道真を産み出しました。ここから考えられることは、強力な感情は本体を離れて霊を形成すると考えられていたと言うことです。
こうした生霊は時として産み出した本人にも害をなします。
呪いとは違いますが熊野の起請文などは誓いが破られると烏が死にますね、呪いにおいては其を返されれば、呪詛は自分に戻ってきます。
発生してしまった力が野放しにならないようになっているのは面白いですね。
こうした呪いのルールは、つまるところ防衛側の理屈から産まれたと考えます。
政争に明け暮れた宮中においては誰もが蹴落とした政敵の怨みに怯えていたわけです。藤原道長の晩年は自らが貶めた者たちの影に怯え続けるものであったそうですしねf(^_^;
キリスト教圏におけるモンスターと同じように英雄譚で討伐されるものではなく、より身近な存在となれば、明確な対策が必須なんですね、ドラキュラにニンニクみたいな(笑)
まぁ、前作のコメント欄で書いて頂きましたが、やはり人間が怖いということですね。
どうしようもない理不尽な自然の脅威は畏れを抱くものの、それは崇拝へと変わりますが、同じ人間の怨みは同じ人間でありながら見えず、対処が難しい、故に怖いのですね。
何時の時代になっても人間同士のコミュニケーションが全ての初まりであり、全てと言うことなのかもしれません。
お読み頂きありがとうございますm(_ _)m