Ⅰ
翌日。昼過ぎに、千伽が訪ねてきた。
何の予告もなしに幼馴染が現われるのは、今に始まったことではない。離宮での歓待も慣れたもので、茶とともに季節の花と茶菓子を盆に添えた司旦が速やかに室に入ってくる。白狐と千伽は既にあれこれといつもの雑談に興じていた。
「何だ、時化た面してんなぁ」
二人きりのときより幾分真面目な顔をする司旦は、千伽からの挨拶代わりの軽口を鼻で笑って受け流す。何も言わず隅に控える近習を一瞥し、茶碗に手を伸ばした白狐は、幼馴染の話の先を目線で促した。
千伽が運んでくる話の種といえば、最近あんなことがあったこんなことがあったという本人の身近なことから、都や他の省の時流に乗った噂話まで多岐に渡る。性質上、中にはあまり上品でない話題も少なからずあるが、外に出る機会の乏しい白狐にとって千伽は希少な情報源であったし、何より友達と話すのは楽しい。
「──それでな。涼家の当主は対価として、また南蛮から風変りな植物を仕入れたらしい。人が乗れるほどの馬鹿でかい蓮だと」
「人が乗れる? まさか」
「本当さ。上手く根付けば、お前が都に戻る頃には花も咲いているんじゃないか。見たいなら私から頼んでおいてやるぞ。庭に変なもんばっか作る酔狂だが、悪い男じゃない」
千伽が自身の義父について語るのが、白狐にはおかしかった。涼家当主の娘は千伽の新妻である。女遊びに見境がないのは相変わらずだが、妻の実家との仲は悪くないらしい。
「きっと涼家の御君も、あなたに酔狂とは言われたくないでしょう」
「情趣がないよりはましさ。それで、お前は最近何か面白いことでもあったか?」
水を向けられ、曖昧に笑う。つまらない人間になってくれるなよ、と暗に言われたようだった。そういえば昨夜、司旦と蛍を見に行ったんです。それくらいしか話題の手持ちがない白狐に、千伽はふうんと面白くもなさそうに頷く。
「ああ、思い出しました。そこで不思議な人と出会ったんです。どこかの貴族の娘だと思うんですが」
昨夜の一件の一部始終を話しながら、これは如何にも千伽の好きそうな事件だなと白狐は思った。案の定幼馴染は打って変わって訳知り顔で「へえ」と相槌を打ち、何かを考えている。長い指で何度か顎を撫でる、その仕草にやたらと色気があった。
「そりゃあ白狐、冴家のとこの娘じゃないか」
「え? 冴家、ですか」
思わぬ名前に、目を瞬かせる。この避暑地の領主でありながら、白狐は冴家とまともに交流を持ったことがない。せいぜい都の公式な行事で顔を合わせる程度である。
「確かに、それなら冴省のこの辺りに居ても不思議ではないかもしれませんが……」
それにしても、伴の一人くらいつけるのが普通だろうに、こっそり抜け出してきたのだろうか。かつての白狐と千伽のように。
千伽は窓の外を見るような顔で、日除けに垂らした布を見透かす。
「ここよりちょっと北に行ったら冴省の荘園があるだろ。一人で歩けない距離じゃない。きっと、そこの三女だな。名前がないから三の姫と呼ばれている娘だ」
「あなたはよその家の娘の数まで把握しているんですか?」
呆れて言えば、いやいやと千伽は笑って首を振る。
「そうだと言いたいところだが、あれは最近じゃちょっと有名な奴なんだぞ。そうか、お前には話していなかったか」
茶を一口含んで、千伽は話し出す。「丁度、先月の初めだったかな」
白狐がこの離宮で安穏と過ごしている間に、都ではちょっとした事件があったらしい。
「朏家の長子が、今度四人目の側室を娶るっていう話が出回ったんだ。その相手が冴家の三の姫でな。まだ成人していないからすぐって訳じゃなかったんだが、あの様子からして縁談話自体はかなり前から決まっていたんだろうな。冴家の女は色白で美人揃いだし」
冴家が貫く中立という立場は、実直な戦略によって固められている。血筋によって美女が多く生まれるというのは、北国により土地に恵まれない冴家の数少ない武器だった。娘たちが成人しない内から次々と嫁ぎ先を見つけて取り入っておくというのも、今更驚くようなやり方ではない。
「しかし三の姫本人は自分の縁談が進められていることを全く知らず、たまたま都に滞在していたときに風の噂で聞いたんだと」
「それは、心証が良くないでしょうね」
貴族にとって婚姻の多くは親同士が決めるものだ。傀儡として政治の道具にされる女ならば尚更、家の決定に口出しする権利を持たない。
とはいえ、自分の一生を左右する縁談のことを人伝に聞くのは少なからず不愉快だろう。幼子ではあるまいし、年頃まで何も知らせずにいたのなら、冴家の当主の方に問題があるように思える。白狐の考えを読み取ったよう、千伽が頷く。
「父親が妙に過保護だったのかもしれんな。三の姫は正妻の子の中では末っ子だと聞くし、甘やかされていたんだろう」
「そういうものでしょうか」
「で、自分の嫁ぎ先が朏家だと水面下で決められていたと知った三の姫はどうなったと思う」
「どうなったんですか?」
「ブチ切れた」
笑ってしまうような、嘘のような本当の話である。噂が事実であることを確かめた三の姫は周囲が止めるのも聞かずその足で朏家に乗り込み、刃物を取り出し門の前で威勢よく断髪して見せたらしい。
「私は誰かに嫁ぐつもりなんかない」
美しい長髪を地面に投げ落とし、唖然とする朏家の男どもの前でそう宣言したとか何とか。さすがに千伽の誇張があるのではないかと白狐は疑うが、概ね真実だという。千伽は苦笑している。
「その後は大騒ぎだよ。両家ともにな。私もその場にいなかったのが悔やまれるね。娘が都であんだけこっぴどくやっちまったんで、冴家の当主が登殿して皇帝に釈明する羽目になったんだと。まあ、朏家からしてみれば衆人環視の中で女に振られたようなもんだからなぁ。赤っ恥だよ」
冴家は冴家で面子を潰され、さぞ苦労したに違いない。白狐もつられて笑う。三の姫の無鉄砲ぶりは周囲からしてみれば大迷惑だが、その身勝手さがどこか痛快でもあった。
「だから、あんなにざんばらな髪だったんですね」
昨夜のことを思い返し、納得する。今にして思えば短くするにしても切り方が乱雑で、それを誤魔化そうと整えた痕跡もあった。きっと娘が自分で断髪した後、髪結いの女官あたりがどうにかましに見えるよう揃えたのだろう。
「それで、破談になったんですね?」
「さすがにな。三の姫がすっかり臍を枉げて、どこにも嫁がん、巫になるって言って聞かないらしい。どちらにせよあれだけの騒動になったんだから、説得したところで朏家を辱めたことは撤回できまいよ」
ははは、と千伽が笑う。元より朏家も冴家もこちらの派閥とは縁遠い家柄故、当人たちの苦労は笑いの種にしかならない。
「冴家にとっては笑い話ではないでしょう」と白狐も茶碗を口に運びながら微笑むが、正直どちらの肩を持つ気もなかった。
政略結婚というありふれたものに今更反発する三の姫も、その姫に滑稽なくらい振り回された者たちも、最終的には喧嘩両成敗に着地しそうなものである。父親が今更姫を厳しく罰することが出来るなら、出会い頭に名乗ることもせず「誰」と睨んでくるはずがないのだ。あれはどう見ても懲りていないどころか、図に乗っている。
「それにしても、少し意外でしたね。冴家の御当主が、娘の一人も御すことが出来ないなんて」
朝廷での地位を守るために美しい娘を多く産ませて次々嫁がせる冴家の当主は、堅実を通り越してやや冷血な印象すらあった。それに、磨いているのは娘の見目だけでなく中身や立ち居振る舞いまで、都で暮らしていけるよう入念に躾を行き届かせているとか。少なくとも、風の噂ではそう聞いていた。
「余程、三の姫が美しかったんだろう」千伽は盆に添えられていた葵の花を摘み上げ、くるくると回している。「あんまり可愛いんで、らしくない親心が芽生えたんじゃないか」
「へえ」
「へえ、って。お前、昨日会ったんだろう」
どうだった? 噂通りの、とびきりの美女だったか? 下卑た男の顔をする千伽に、白狐は困って眉を下げる。女の美醜を語るのは得意ではない。助けを求めた先には、司旦がいた。目が合うと、司旦は呆れて顔を顰める。
「確かに、美人だったかもしれませんが」
慎重に言葉を選ばねば、千伽に揚げ足を捕られかねない。
「俺にはよく分かりませんよ。会ったと言っても川を挟んで、遠目にちょっと話しただけですし」
ふうん。千伽は面白くなさそうだ。「お前に女を見る目があるとは思えんな」
「生憎、俺はあなたたちとは違って、ああいうお高く留まった女とは縁がないもので」
含みのある言い方で応酬すれば、千伽は軽く笑ってそれ以上は何も言わなかった。
低俗な遊びに慣れ親しんだこの男も、奴隷生まれの司旦のそれには到底敵わない。年端もいかぬ内から生きていくために男にも女にも体を売った司旦にとって、貴族の火遊びなど児戯同然である。
とはいえ、千伽に揶揄されるのはさほど不快感はなかった。一見血筋と財力を恣にしている千伽の貴族らしい尊大さは、その実、強固な理性と洞察力と、才能で固められている。実力さえあれば誰でも認めるという彼の至極単純な在り方は、朝廷では珍しいくらい理知的だった。
異民族の奴隷だった司旦がこうして会話に口を挟んでも怒らないのは──白狐を除いて司旦をまともに人間扱いするのは──千伽くらいである。
二人の軽口を見守った後、白狐は考え込むように口を開く。
「それにしても、そんなお姫様が、巫になどなれるでしょうか? ああいう場所は血筋や見た目で甘やかしてはくれないでしょう」
「さてな。それこそ神のみぞ知る、だ」
肩を竦める千伽も、実際になれるとは思っていないだろう。
三の姫は年頃の反抗心を拗らせて戻れなくなったのだろうが、将来的には大人しく結婚していたほうが幸せになれるのではないだろうか──そこまで考えて、白狐は首を横に振る。他人の幸せを勝手に決めるのは野暮であろう。自分には関係のない話だ。
「都がそんなことになっていたなんて、全然知りませんでした」
「全く、ここは陸の孤島だな。たまには外の空気を吸わねば腐るぞ」
否めない。苦笑し合って、司旦がお代わりの茶を注ぐのを待つ。