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銀幕紙芝居 〜猫たちの時間6〜  作者: segakiyui
2.奴
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1

 世界はいきなり全てが輝きを増した。いや、これほどまでに世界が美しいとは今の今まで気づかなかったというべきか。

「おお、晴れ渡る空よ! 雲よ!」

 空中に浮かび手を広げて大声で叫びたい。

 何せ、今日は百合香とデートだ!

「金?」

 だが、俺のそんな気分とは正反対のうさん臭そうな顔で、『牛乳ビン底』眼鏡の後ろから俺をねめつけた宮田は、むっつりと唸った。

「ジーパン一本分の金を貸せ、だと?」」

「ああ!」

 上機嫌で笑いかける。矢でも鉄砲でもレイルガンでも持って来い!

「バイトして必ず返すよ!」

「返すよ?」

 宮田は眉を寄せた。

「女だな」

 どきりとする俺に、にんまりと嫌らしい笑いを浮かべ、

「やっと夜明けが来たんだね、滝くん」

「そうだ、明けない夜はない! 春が来ない冬はない!」

「一日終えりゃ日は沈むけどな」

「ほっとけ!」

 で、どうなんだ貸すのか貸さないのかと詰め寄ると、

「舞い上がってるお前を見るのは気持ち悪いから貸してやる」

「何だそれは」

「要らないのか」

「要る!」

 とまあ、そんな風なやりとりをして、何とか宮田から金を借り、新品のジーパンを一本、格安で手に入れて意気揚々と朝倉家に戻ってきた。

「これでお茶の一杯は飲めるだろうし」

 財布に残っているはずの金額を必死に算出していて我に返る。

「あ…一応、周一郎には話を通しとかなくちゃな」

 宮田に返金するために始めるアルバイト、つまりはここと掛け持ちになる。本来の雇い主に話をしておくのは、それこそ礼儀というものだろう。

 まっさらのジーパンを履いて足取り軽く、周一郎の部屋に向かう。

「…どうぞ」

 ノックの音に、上品で隙のない返答が戻ってきた。誰か部屋に居るらしい。よそ行きの取り澄ました周一郎の声は、最近そういえば聞いていなかった気がする。

「…滝さん」

 入ってきたのが俺だったということが、周一郎には意外だったらしい。だが、俺は俺で、驚きを含んだ声をかけてきた周一郎の側に立っていた男にびっくりした。初夏へと向かうこの季節に、冗談みたいな黒づくめの背広、周一郎との距離がひどく近い。まるで寄り添ってでもいるようだ。

 相手は商談の真っ最中だったのか、苛立たしそうな気配を満たして、鬱陶しそうに振り返った、その瞬間。

「あ!」「あああ!」

 俺達は同時にお互いを指差して声を上げた。人懐っこい顔立ち、見慣れた動き、紛れもなく俺がこけたのに大笑いしやがった奴だ。

「知ってるんですか?」

 興味深そうにサングラスの奥で目を光らせた周一郎が問いかけてくる。

「あ、ああ、まあ」「ええ、少しは、その」

 居心地悪くもぞもぞしてしまうのも同じなら、言い訳がましい曖昧な相槌の打ち方もそっくり、だが立ち直りは相手の方が早かった。

「英です。お話はよく伺っています。どうぞよろしく」

 そつのない仕草で俺に手を差し出す。お人好しそうな笑みが顔中に広がって、まるで鏡写しの自分の複製を見ているような気持ちで握り返す。

「こちらこそ、で…」

「ところで滝さん」

 お前は誰なんだ?

 そういう問いを見事に周一郎が遮った。

「一体何の用ですか?」

 机の上の書類に目を通し始めながら尋ねる。

「大学へ行っているとばかり思っていたんですが」

 まるで保護者のような口ぶりに少々カチンとくる。

「いや、ちょっとバイトを始めようと思って」

 思わず前置きなしに口に出してしまった。びくっと無言で周一郎が顔を上げ、続いてそんな仕草を自分がしてしまったのに腹を立てたように冷ややかな視線で俺を射抜いた。

「辞める、ということですか」

「辞めてどこ行けって言うんだ?」

 ふて腐れた。

「そうじゃなくて、三千五百円で全部賄うのはちょっときつくなってきたから、小遣い稼ぎに出ようかと」

「足りないなら高野に言いましょう、幾らほど…」

「よせよ」

 側に居る英が面白そうに見ているのに気づいて苛立った。

「俺は週給三千五百円で雇われてるんだ。それ以上せびる気はない。ただ、別のバイトを始めるから筋を通しておこうと思ったんだ」

 もちろん、こっちの仕事に差し障りがないようにはするぞ。

 言い切ると、周一郎が一瞬惚けた。

「そう…ですか…」

 柔らかく息をついて妙に幼い顔になったが、すぐに気を取り直して淡々とことばを継ぐ。

「わかりました。僕の方は構いません」

 問うように微かに首を傾げ、俺の方を優しく見やった、と思ったのはたぶん気のせいなんだろう。次の瞬間、周一郎は俺と話していることにも興味を失ったように書類を取り上げ、隣を振り仰いだ。

「英、この海部運輸の海外ルートだが…」

 サングラスに陽射しが跳ねて表情は全く読めなくなった。

「…じゃ、そういうことで」

「はい」

 俺の声に一瞥を投げ、周一郎は軽く頷いた。それが如何にも間に合わせな感じで、くるりと背中を向けた俺は思わず荒々しくドアを閉めてしまった。ばんっ、といううっとうしい音が響いて、我ながらうんざりする。

(何に苛ついてる?)

 自分に尋ねるまでもなく、英の能天気な笑みが脳裏を過る。

「…だよな…」

 周一郎の仕事に噛んできた男、俺そっくりなのに、俺以上に周一郎に役立ちそうな人間というのが苛々の原因だろう。

「…海部運輸…?」

 ふと小耳に挟んだ名前に眉を寄せる。

「何する気なんだ、あいつ…?」

 その名前に絡む不愉快で切ない記憶を思い出したとたん、もう一人の女の顔を思い出した。

『滝くん』

 にっこり笑いかけてくれる愛らしい笑顔。

(百合香)

 俺もその笑顔に応えてにっこり笑った、その視界に時計が飛び込んでくる。

「え…?」

 一時三十五分。ごぼごぼっと不気味な音がして、身体中の血がどこかに流れ落ちていった。

「やばいっ!」

 階段を駆け下り最後の数段を転げ落ち、部屋に飛び込み財布を引っ掴み部屋を飛び出し、いつものように静かに頭を下げて見送ってくれる高野の前を、埃を巻き上げて駆け抜けた。


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