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「それなら大丈夫よ」
お由宇はあっさり言い放った。自分のコーヒーを一気に呑み下し、挙げ句に俺のカップを奪い取る。
「え、俺の」
「もう一杯入れてあげるわよ」
まだ一口しか飲んでいないコーヒーを恨めしく見やりながら、引っ掛かったところを尋ねる。
「何が大丈夫なんだ?」
「だって元々が意地っ張りだもの」
お由宇は軽く肩を竦めて見せた。
「一人で生きていくのが本来のやり方でしょ。一般論を言えば、あなたみたいに手間がかかって面倒で厄介事ばかり引き起こして物事を難しくする人間を、『側に置き続けてる』方が不思議なぐらいよ」
「…何か俺、不幸を引き寄せる狸の置物って感じがするんだが…」
それも処分しようとするといろいろ起こるんで、扱いに困って壁沿いの狭い所へとりあえず押し込められている的な。
「狸はもう少し可愛いわよ」「おい」
くすりと笑ったお由宇は謎めいた笑みになった。
「心配しなくてもいいわよ」
「ん?」
「周一郎みたいな人間は、一度信頼した人間は死ぬまで信頼し続けるわ、何があっても」
「信頼?」
脳裏を掠めたのは『マジシャン』と三日月、あのとき俺は、操られて周一郎を追い詰めたはずなのに。
「自分を殺しかけた男を信頼するか? 普通?」
「…あなたは抗ったわ」
低くお由宇は呟いた。
「理不尽な命令に命をかけて反撃したでしょ」
「でも、なあ」
「…ほんとに」
ふ、と小さな溜め息をついて、お由宇は微笑んだ。ごく稀に見せる、聖母じみた柔らかい笑みだった。
「どういうことなのかしらね」
「は?」
「あなたに繋がると、誰も彼も競ってあなたに心を委ねたがる」
「…そんなことありましたっけ」
思わずことばがおかしくなる。お由宇の言う通りなら、俺はもっともててもててもててもてて困ってるほどもてるはずだろう。
「ばかねえ」
お由宇は決まり文句をあやすように口にした。ブザーかなにか聴こえたのだろう、席を立って奥に消え、やがてトレパンと数枚の紙を持って戻ってくる。
「気づいてないのがいいところよね」
「何を?」
「そういうとこ」
「どういうとこだ」
「はい、どうぞ」
「あ、うん」
差し出されたトレパンは乾燥機で乾かされて温かい。お由宇に背中を向けて履き替えながら、ちょっと今の季節には汗ばむ気もする。でも肌触りはさらさらで久しぶりにすっきりした気がして、俺はにこにこしながら尋ねた。
「そっちは?」
「アルバイト情報」
「っ」
がっちん、と音がしたぐらい、俺が固まったのを気にした様子もなく、お由宇は背中から淡々と尋ねる。
「要るんじゃないの?」
「い、要る、要る、要ることは要るが、どうしてわかった?」
慌ててくるりと振り返る。チェシャ猫の笑みでお由宇は俺を見上げる。
「ジーパンどうにかした?」
「うん」
「他に持ってないわよね?」
「うん」
「そのトレパンが最後」
「うん」
「週給三千五百じゃ買えないわよね。アルバイトを探すのに私なら情報を持ってるんじゃないかと思った。違ってる?」
「…違ってない」
「でしょ? 別に難しい問題じゃないわ」
「………お前以外にはな」
出された紙を有難く受け取りながら溜め息をついた。
どうして俺の回りには、こう頭の回る奴ばかりが居るんだろう。どうせ居るなら、ドジを治す薬とか、厄介事を引きつけない方法とか考えてくれりゃいいのに。それとも何か、必死に考えてくれているのを上回る速度で、俺が指数関数的にドジのレベルを上げていっているのか。それで状況が改善しないのかなるほどなあ……いかん、本格的に落ち込んできた。
「…とにかく、ありがとう。早速当たってみる」
「志郎」
結局コーヒーをもらえないまま立ち上がって玄関に向かう俺に、背中からお由宇が声をかけてくる。
「あん?」
「……周一郎が信頼するのは」
「?」
思わせぶりに切れたことばに振り返る。
お由宇は一瞬ためらって、どこか眩そうな不思議な笑みで続けた。
「後にも先にも、きっとあなた一人でしょうね」