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たとえば、この世の中なんていうものは、結局は産まれてから死ぬまでのほんの一瞬を、誰かの手に操られながらもがくしかない一つの舞台で、そこにいる俺達は台本通りのさえない演技しかやれない役者なのかも知れない。映画のスクリーンに映っている人間がその通りに人生を生きることがないように、そして、その物語が、言ってみれば全て虚像ででっちあげの一種でしかないように、この世の中なんてのも、どこまでいっても虚ろさしか返ってこないのかも知れない。
「志郎」
ぼんやりソファで考え込んでいた俺に、お由宇が夕刊を放ってよこした。
「?」
「第一面よ」
表向けると、そこにでかでかと『タジック社、内部分裂?』の白ヌキ見出しがあった。ぎくりとして小見出しを見ると『新社長は英京悟氏』とある。
中身を読み進むと、タジック社の現状から始まって、ここに至ったきっかけのロボットによる殺人事件と前社長の処理のまずさ杜撰さが明らかに語られ、それどころか、事件をもみ消そうとした会社側の裏工作までほのめかされ、対して英がどれほど正当な手法で社会責任を果たそうとしたか、朝倉財閥が英にどれほど協力を惜しまなかったかまで、俺にさえわかる明瞭さで描かれていた。
終わりに、英率いる新日本タジック社は、かつての本社が果たすべきだったコンプライアンスにも心を砕き、諸外国との貿易に関しても充実した対応を保持し、日本を代表する企業として発展していく所存であると、高らかに謳われている。
公器であるはずの新聞が、新日本タジック社の提灯持ちさながらの記事を並べるのは十分不審だが、それでも論点には穴がない。
正義という名の下、堂々白日の中の『乗っ取り』、それはかつて朝倉財閥が周一郎に引き継がれた構造に、恐ろしいほど似ている。
「朝倉財閥は、英京悟の新日本タジック社を全面的にバックアップすると表明したわ。事実上、新日本タジック社を朝倉財閥の傘下に入れる意図があると業界は見ているけれど、私はそうは思わない」
お由宇は俺の前に腰を降ろした。セミロングの髪を掻きあげる。
「今回の周一郎の狙いはかなり個人的なものよ。だからこそ、これだけ派手なやり方でタジック本社を叩いたんだから」
鬱憤ばらし、いいえ八つ当たりと言ってもいいかもね、と呟く。
「それだ!」
きょとんとした顔で見返すお由宇に続けた。
「あいつも個人的な恨みがどうとか言ってたぞ!」
「それで?」
「何のことかって尋ねたら『あなたです』って言われた」
俺が何かへましたのか、と気になっていたところだった。
「…そう」
お由宇はふんわりと甘く笑った。
「周一郎にしては一大進歩ね」
「は?」
「本音を言ったわけでしょ? あなたに」
「いや、今までもあったぞ、そういうツッコミは」
思わず鼻白む。
「俺が事件を大きくしてるとか来なくて良い時に来るとかしなくていいことをしてややこしくするとか」
「…そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「つまりね、今回の展開は……」
言いかけたお由宇が妙な顔でことばを切る。
「今回の展開は?」
「……解説するのも癪ね」
「しゃく?」
いや、だからな、俺が知りたいのはだな。
質問を重ねようとする俺に、お由宇が今度はあからさまに視線を逸らせた。
「話してもいいけど、現在5時5分23秒、24、25、26…」
「っ、行ってくるっ!」
バイトの時間を忘れ切っていた。慌てて立ち上がり、お由宇の家を飛び出す。
これ以上時給が減らされたら、もろにおまんまの食い上げになっちまう。今だって、お由宇に食費を払い込むのに精一杯で、宮田に借りた金も返せなきゃ、下宿を探す暇さえありゃしない。
愚痴を聞いていたかのように、薄曇りになっていた空がみるみる重さを増して、ついにはポツ、ポツと音をたてて雨粒が落ちてくる。
「おいおいっ」
思わず舌打ちして走り出す。
きっと神様という奴は俺に何か恨みがあるに違いない。いたいけな人間をいじめる神様なんてあるはずがないから、天上に居た頃から俺は問題児だったんだろう。
「…滝くん…」
「へ…うわっ!」
走り過ぎかけた路地からふいに呼びかけられ、体を捻った。誰かが居ると気づいて振り向こうとした矢先、道に放ってあったのだろう、コンビニのナイロン袋を踏みつけて滑り、ひっくり返って尻餅をつく。
「っ、てええっ!」
雨はすぐに激しさを増した。さっさと起き上がって屋根のある所へ駆け込まないと、再びトレパン生活だ。にしても、一体誰が、と路地を透かすと、
「城本?」
壁に寄り添い縋るように頼りなく、百合香がひっそりと立っていた。既にぐっしょり濡れていて、肩で息をしている。空気が急に冷えたせいか、路地が暗過ぎたのか、荒い息が薄白く見えた。
「よかった…間に合って…」
「…どうしたんだよ!」
出来る限り急いで跳ね起き、走り寄った。叱りつけられたみたいに身を竦める相手に、慌てて声を和らげる。
「あ、あ、怒ってるんじゃないんだ、一体どうしてこんなところに」
「どうしても……滝くんに言っておきたいことがあったの…」
弱々しく笑った唇が震える。俺に手を伸ばして何か言いかけたが、突然顔を歪め、下腹を押えて崩れた。
「城本!」
「お腹…赤ちゃん…が…っ」
「赤ん坊?!」
一瞬、また芝居かと思ったが、百合香の様子はただ事じゃなかった。蒼白になった顔に消えそうな笑みを浮かべ、涙ぐみながら俺を見上げる。
「滝…くん…」
「待ってろっ、今救急車呼ぶから!」
少し離れた電話ボックスを見つけ、俺は走り出した。




