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銀幕紙芝居 〜猫たちの時間6〜  作者: segakiyui
3.猫
19/48

2

「…ごめんね、滝くん」

 ハンバーガーショップから離れていく俺の隣をとぼとぼと歩きながら、百合香が項垂れた。

「いいよ、仕方がない。いつか馘になる運命だったんだ」

 アルバイトは終った。二度と来なくてイイから、て言うか、二度と顔を見せてくれるな金輪際できたら客としても。主任はほとんど俺を見ないままに言い放ち、さすがにちょっと傷ついた。

 それとなく察しているのだろう、百合香はしょんぼりと沈んでしまっているばかりか、俺を独りにしておけないとか、私のせいだものとか、つまりは帰りたくないと言い続けていて、ちょっと持て余す。

「さて、どうするかな」

「どうしても……いい」

「ひ」

 ぽつりと百合香が応じて、たぶん内臓の幾つかが外宇宙にテレポートした。

(こ、怖えええ)

 泣きたくなる。女の怖いところはこういうところだ。いきなり過激なことを口走るくせに、きっと自分が何を約束しようとしているのか全然考えてないんだ。もし、こっちが真に受けて本気で狸になったらどうする気だ。月夜でもないのにぽんぽこぽんぽこと踊り狂ってだなあ……あれ?違うな?月夜に踊るのは狼だっけか?

「……とにかく、家まで送るよ」

「家は嫌。独りになりたくない」

 いやいやと百合香は小さく頭を振った。可愛らしくて頼りない仕草、絶対独りで置いとけない、けれど、俺だって絶対二人っきりで居たくない、第一自制が保たないに決まってる。ぽんぽこ月夜に踊ってるぐらいならまだしも、指先に触れて、柔らかい腕に抱えられて、潤んだ瞳に見上げられて、熱っぽく吐息をつかれたら、俺の自制は蜘蛛の糸だガラスの花だ割れる寸前のゴム風船だ、彼女いない歴二十数年を甘く見るなよ。

「…滝くん」

 ふいに百合香が立ち止まった。

「え」

「私」

 隣でじっと俺を見上げて、ゆっくりと睫毛を伏せていく。

(ひえええええ)

 慌てるうろたえる息を呑む。こういう時には応じた方が傷つかないんだろうか、応じない方が傷つかないんだろうか。誰か恋愛手引書を完成させてくれ、俺は絶対買う。

「滝くん……私が嫌い?」

 切なく囁く。絶句している俺を、薄く開いた目で射抜く。捕まる、ような、気が、する。

「あの…その、子の、お父さん…」

 思わず口走った。びくりと百合香は震え,見る見る瞳に涙を溢れさせた。

「……酷い…」「ご、ごめんっ!」

 はっとして必死に謝る。

「ごめん、ほんとっごめんっ」

「私…私……っ」

 涙を零れさせながら、今にも崩れそうに百合香は俺の腕の中へ身を投げてくる。

「わたし…っ」「ごめんっ」

 悪気はないんだ、そう言いかけて口を噤んだ。

(違う)

 本当は引っ掛かった。悪気じゃないにせよ、百合香に罪はないにせよ、引っ掛かった。今俺の腕の中に何のためらいもなく身を任せてくる百合香に、浮かれている想いが一瞬ぎゅっと縮こまった。

(きっと前にも)

 君はこうやって誰かの腕に身を任せていたんだろう?

(じゃあ、今のこの俺は)

 一体百合香にとって『何』なんだろう。

 脳裏を掠めたのは周一郎の側に寄り添う英の姿。

(俺じゃなくてもいいんだよな? 周一郎も、きっと百合香も)

 突き放せばいいんだろう、俺のことはどう考えてるのか、と。はっきり尋ねればいいんだろう、今こうやって甘えてくるのは、この先も許してくれるってことなのかと。

 百合香は俯いたまま俺の顔を見ない。それが全ての答えのような気がした。ゆっくり唾を呑み込み、そっと百合香の肩を抱き直す。軽く震えた百合香がどこか観念したような表情で顔を上げる。こんな顔を見たいわけじゃないって、百合香はいつかわかるんだろうか。

(大事な奴には笑ってて欲しいよな)

 周一郎の冷めた表情がまた脳裏を過って苦笑した。

「…そういうことだ」

「…え……っ」

 百合香が眉を寄せて次の瞬間固まる。俺はそっと静かに、百合香の滑らかな頬に唇を当てた。小さな赤ん坊にするように。

「…ごめんな」

 もう一度謝る。

「俺にできるのは、こんな程度だ」

「…」

 震えた百合香が静かに目を開ける。潤んでいても明らかにそれとわかる微笑を浮かべ、百合香はそっと指先で頬を押えた。

「城本?」

「……捨て猫ね、私」

 低く呟かれてどきりとする。

「それも『優しさ』でしょ、滝くん」

 くすり、と笑った声が妙に細く響いた。

「女に示すには残酷」「え」「いいの、もう」

 百合香は指先で目元を拭った。俯き、ぎゅ、と俺の手を抱え、大きく一歩足を踏み出す。

「散歩、しましょ」

「…うん」

 保護を求めるように腕を抱く力の強さ、それと裏腹にことばは軽く。

 散歩なんてしていない。百合香はどこへも帰れない。どこへも帰れない者は散歩なんてできない。当てもなく、倒れるまで彷徨うだけだ。

 その心細さを,俺は知っている。

(どうする…?)

 一晩中歩いていることは、妊娠中の百合香にいいわけがない。かといって、俺が戻る場所は人の家だ。

(けど)

 周一郎もまた、わかってくれるんじゃないだろうか、どこにも行き場がない辛さを。一部屋一晩ぐらいなら、貸してくれる気になるかもしれない。

「…城本」

「…何?」

「俺の下宿先に来るか?」

「………うん」

 ためらった声は甘く濡れた。


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