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「お由宇〜」
「はぁい……あら、ルト」
「そっちか?!」
言っとくけど、尋ねてきたのは俺なんだからな俺俺俺!
ついさっきまで『俺』か『英』かなんてことを考えてたせいで、思わずわあわあ主張してしまったのを、
「わかってるわよ、お入んなさい」
これもまたいつもと同じ動じない顔でお由宇が頷く。
あら、ルト、もないもんだ、結局俺を無視してんじゃねえか。
ぶつぶつ言いながら入った俺を、今度は逆にまじまじとお由宇が見つめる。
「…どうしたの、その格好」
「そこか!」
また突っ込んでしまった。
「どうせ俺には似合わねえよ、悪かったな、ジーパンじゃなくて。悪かったな、確かにこれは俺のじゃねえよ」
「どうしたのよ、一体」
くすくす笑いながらお由宇はいつもの場所に招いてくれる。俺が来るのを知ってたのかと言いたいほど素早く出されたコーヒーをまず一口、ルトも初めてきたはずなのに、平然とソファの上に飛び上がり上品に座ってお由宇を見た。
「それで?」
お由宇が自分のカップを取り上げながら、そのルトに微笑みかける。
「今日は何の用?」
「だーかーら!」
どうして俺じゃなくてルトの方を向いて話すんだっ!
「え? だって、用があるのはあなたじゃなくてこっちでしょ?」
白い指でルトを指す。ルトもまた、可愛らしくにゃああん、と鳴いてみせる。
「きっと急ぎの用なのよ、ねーえ」
まるでお由宇は小さな子どもに話しかけるように小首を傾げてルトににっこり笑いかけた。
「一人で放っておけなかったぐらいだもの、ねーえ」
「一人じゃないぞ」
思わず口を挟む。
「あいつの側にはちゃんと英がいる」
「…誰?」
「英京悟……このジャケットの持ち主だ」
いや、もちろん、それ以外の特性はある。けれど今は言いたくない。
「あなた、ジャケットに負けたの」
呆れ返った顔でお由宇が突っ込み、
「違うっっっ!」
最大音量で否定してしまった。
「あらあら」
やっぱり驚いた顔一つ見せず、お由宇が肩を竦める。
「どうしたのよほんと、いやに熱くなっちゃって」
「う」
「まあ話してみなさいって。その人は誰なの? 何をしてるの?」
何をしたの、じゃないところが堪えた。
ぼそぼそと英について説明をする。周一郎の仕事相手で、微妙に俺と被る感じのキャラクターで、周一郎もいつもとは違って懐いてるみたいで。
「しかもだな、あいつが無防備に寝てるところへ近づいたのに、周一郎は全く起きなかったんだぞ!」
どうだ、と決めてみたつもりだったが、お由宇は馬鹿馬鹿しいと小さく呟いた。
「ばかばかしい?」
「気に入らないなら、面白いわね? ってところ」
「何が面白いんだ」
俺か。俺がしょげててみっともないところが面白いのか、けど待てよそんなのいつものことだから今更面白いも何もないだろう、そんなことを面白がってるなんて、お前もよっぽど暇なんだな、どうだ!
と言ってやりたかったが、どうせ口では勝てるわけがないので黙ってコーヒーを飲んだ。
「面白いわよ、とっても。よくもまあそこまで信じる気になったわ、ねーえ」
とこれまた、お由宇はルトに話しかける。
「だから! 話してるのは俺! だから!」
「わかってるわよ。けれど、一つはっきりさせときましょ、何がそんなに腹が立つのよ?」
「え…」
何がって。
思わず口ごもる。
「周一郎が他の人間に心を開いていくのが嫌なの?」
「そういうわけじゃ……あるのかな……?」
俺の前でだけ仮面を外す意地っ張り。俺が特別。ドジで厄介事吸引器の俺が、あいつにとっては特別な奴。
そういうのがちょっと、いやかなり嬉しかった、のかも知れない。
そういうのをなくしてしまったのがちょっと、いやかなりがっかりして淋しかったのかも知れない。
「うーん…そうか…」
ここは一つじっくり考えてみる。
「けど…その方があいつによっては楽、なのか」
「……」
「俺だって、いつあいつから離れなくちゃならなくなるか、わかんないもんな。考えてみりゃ、俺以外にもいろいろ話せたり愚痴言えたり昼寝できたりした方がいいよな」
お由宇がこっくん、と妙にゆっくりコーヒーを呑み込む。
「…だよなあ」
俺は頷いた。
そうだ。独りで傷ついて全てに心を閉ざしていくよりずっといい。
そもそも俺があいつの側に居ようとしたのは、優しいくせに強がって、緊張し続けて暗闇ばかり見ているのが辛そうで痛そうで、誰かが居ることで少しでも気が緩むならと、それだけのことだったのだ。
「……ちょっと考え違いしてるけど」
お由宇が微妙な笑みを浮かべた。
「相変わらずとことん前向きね」
「考え違い?」
「そう。英さん?の部屋が二階になぜあるのか」
「え?」
「なぜ周一郎が目を覚まさなかったのか」
「? 周一郎が英も信用してるからだろ?」
「あのね、」
「な〜〜あ〜〜〜う〜〜」
「うぉっ」
溜め息まじりにいつものように解説してくれようとしたお由宇が、オカルト映画も真っ青のおどろおどろしい鳴き声に口を噤む。真隣に居た俺は全身にたった鳥肌に思わず身構えてしまったぐらいだ。
「な、なんだよ、ルト、お前一体」