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「…ごめん」「ううん」
百合香が隣で首を振る。
「…ほんと、ごめん」「……うん」
二度目の謝罪に百合香が小さく笑った。
「ねえ、滝くん」
「ん」
「岡崎くん、覚えてる?」
「ああ、あの美容師志望の奴な。ハリウッドのヘアメイクはオレに任せろとか言ってた奴」
「彼、今、小塚町に店を持ってるのよ」
「店? 凄いな」
俺らの年齢で店持ちなんて、何をやらかしたんだあいつ。思い込みのなせる技か、イメージトレーニングの成果か。
「それからねえ、坂田くん、サラリーマンになっちゃったよ」
「小説家志望だったよな?」
「そうそう、小説の未来はオレが背負う!とか言ってたけど」
それから、田川くんはねえ、家を継いで酒屋さんになって、大平くんは今は地方公務員で、西ちゃんはヨーロッパで。
百合香は指折り数えるように次々と懐かしい名前を夢見るように上げた。
中学時代。無駄に気負ってて無駄に落ち込んでて無駄に夢ばっかり膨らませて、けど、どれもとんでもなくかけがえなく大事で、大人なんかにはわからない、周囲の誰にもわかってもらえない願いとか理想とかに必死に辿りつこうとしてて。
きっと無駄どころじゃなかったんだ。一つ一つがあまりにたくさんのことで一杯でぱんぱんになってるから不格好になってただけで。
それが歳をとり、大人になって、少しずつ削ぎ落とされて整理されてまとまってくる、手がつけやすい形に、何とか満たされそうな願いに。そうして皆、今は俺の知らないどこかで、あの頃の気持ちを含ませたまま、それぞれの生活を頑張ってる。
もう会えないかもしれない、けど、一度は手を握ったり肩を叩いたり笑い合ったりするほど、近くに居た仲間が。
(出逢って、別れて…別れて、出逢って)
ふと、その仲間達の中に紛れ込むように、周一郎の後ろ姿が浮かんだ。
中学時代の周一郎?
(やっぱりむかつく奴だったんだろうな)
頭が切れて妙に鋭くて冷ややかで、なのにここぞという時にがっちり女の子の視線を攫っていくような、教師からも一目置かれて何となく曖昧に絡まれたりしちゃうような。
(いつかあいつとも別れていく)
斜め後ろを振り返る周一郎の視線を感じたと思った矢先に、遮るように英の顔が浮かんで微妙な気持ちになった。
「…くん? 滝くん?」
「えっ」
遠くから声が聴こえて我に返った。
「あ、ごめん、聞いてなかった!」
(しまった!)
貴重なデート時間を何を考えて過ごしてる、と慌てて百合香を見下ろす。
「ごめん、何だっけ」
「いいなあ」
「は?」
「滝くん、幸せそう」
「しあわせ…?」
また小さく溜め息をついた百合香を訝りながら見つめる。
「何かそれって」
城本は幸せじゃないみたいだよな?
そう言いかけた矢先、
「う」
「城本?」
「ごめ…」
ふいに口元を押さえた城本が見る見る青ざめた。
「吐きそうなのか?!」
慌てて周囲を見回す。近くに一昔前風のカフェがある。古風なガラスの嵌まった木の扉、百合香を引きずるように引っ張って飛び込み、ぎょっとするウェイトレスに叫ぶ。
「トイレどこっ!」
「あ、あちらに」
「どうも!!」
百合香を抱えてトイレへ突進し、女性の方へ突き出すと、彼女が口を押さえつつ扉の中へ飛び込んでいった。
「えーと…」
店中の視線が微妙に痛い。突然飛び込んできたカップルの一人が、明らかに今にも吐きそうな顔でトイレに駆け込んだとなれば、さすがに俺でも考える。
(そうか)
「あの…」
ウェイトレスがそっと俺を伺うのに、
「すみません、えーと、コーヒー、一つ」
「かしこまりました」
一旦引き下がったウェイトレスと入れ替わるように、百合香が出て来て、俺に向かって弱々しく笑った。
「大丈夫、じゃなさそうだよな?」
「…うん」
「少し休んでいこう」
「………うん」
席についた俺の前にコーヒーを置き、百合香が注文したミルクティも届けられる間に、俺はもう一度胸の中で呟いていた。
(そうか)
瞳に映った翳りも、切なそうなことばも、さっきとは全く違った意味合いで俺の心を波立たせる。がっかりしなかったとは言わない。いやかなりがっかりしてる、してるけれど、目の前に俯いて座っている百合香が、打って変わってハンカチをきつく握りしめて黙り込むのを見ている方が辛かった。
コーヒーを一口。続いてもう一口。また一口。
百合香はミルクティに口をつけない。
気分がまだ悪いのか、それとも体を大事にしているのか。
それなら、なぜミルクティを頼んだのか、目の前に座っている俺みたいに。
「……あのさ」
ぼそりと呟いた。
「もし、よかったらさ」
父親が誰か聞いてもいい?
いや、それはあんまりだろうな、やっぱり。
どういう事情か聞いてもいい?
いや、話せるんなら最初から話しているだろうし。
「……えーと」
「………」
くすん、と小さく鼻を啜られて溜め息をついた。