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銀幕紙芝居 〜猫たちの時間6〜  作者: segakiyui
2.奴
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2

 走れ走れ走るんだ、何のために俺に二本の脚がある、こういう時に使うためにあるんじゃないか、そうだこけるためでも躓くためでも噴水に飛び込むためでも電柱にぶつかるためでも壁に…、

「どぐわっ!!」

 通り抜けようとした改札口に上着を引っ掛け、振りほどき損ねてブザーを鳴らしながら転がる。

「あだっ、たったったっと、う、しちゃ、られないっ!」

 跳ね起きて発車寸前、閉まりつつある電車のドアに係員の制止を振り切り飛び乗る。がこっ、と恨みがましく音をたてて合わさったドアの前でほっと一息、何だ俺でもやろうと思えばやれるんじゃないかと安堵したとたん。

「?」

 ぐい、と上着の裾を引っ張られて振り返る。

 ドア。

 きっちりと閉まったドアがあるだけ。

「??」

 左右から交互に振り向く俺の上着を、なおもぐいぐい引っ張ってくるような奴が立つ隙間なぞない。もしや霊とゆーれいとかオカルト的なそれかとぞっとして見下ろして、もっとぞっとするものを見つけてしまった。

「…よしてくれ」

 閉まったドアが嬉しげに見えるのは被害妄想だろう。けれど、そのドアががっちりと喰い締めているのは紛れもなく俺の上着の裾、かなり深く挟まっていて、きっと外からも俺の上着が見えるはずだ。

「おいおい…」

 確かこちらのドアは開かない。終点までずっと開かない。ちなみに終点は他県に繋がっていなかったか。

「っ、っと、とお、っ、っと、とおお!!」

 人目も気にせず引っぱり暴れじたばたしたが、百合香と待ち合わせた場所の駅まではもう目の前だ。

「さ、財布はえーとこっちか。後ポケットに入ってるのは」

 慌ただしくポケットを探り,中身を抜き出す。幸いにドアの外の部分には大事なものは入っていない。

「まだそんなに着てないんだぞ? まだきっと寒いぞうん」

 泣きそうになりながら、それでも急いでボタンを外し、一気に両袖を抜いて脱出した。目の前で開いたドアにダッシュ、こっちもかろうじて閉まるまでに境界を抜け切る。薄いTシャツ1枚とジーパンで、5月にしては寒々とした雨の気配濃厚な気候に踏み出す。

「、っはーっくしゅっ!」

 こちらの駅の改札を抜けたとたん、派手なくしゃみをやらかした。背後ではぷっっしゅうと気の抜けた音をたてたのんびり加減で、俺の上着をくわえたままの電車が気持ち良さげに遠ざかる。

「…上着代も要るのか…」

 唸りつつぐったりした。梅雨に入れば、またひやひやとした日も出てくるだろう、いくら何でもこれだけでは厳しい。

「………うーむ」

 あの上着を終点まで探しに行く金もないのに上着の購入とか。大丈夫か俺。

 溜め息をつきつつ、『ロード』まで脚を急がせた。時間はとっくに過ぎている。これで百合香もいなくなってたら、上着一枚かけた勝負に大負けだ。

 『ロード』の扉をおそるおそる開けて店内を見回す。一巡、もう一巡、そしてもう一巡。

 いない。

 時計は一時五十三分。

「駄目か…」

 そうだよな、昔なじみと言ったって付き合ってたわけでもない男を、待ち合わせ時間を越えて待たなくちゃならない理由なんかないよな。

「はああ………」

 いそいそと近寄ってくる店員に首を振り、俺はのろのろと向きを変えた。

「よっぽど女に縁がないんだなあ……」

 というより、一瞬できかけた縁までもぶち切るほどの間抜け加減を恨むべきか。

「とにかく、まず仕事だな」

 先立つものがなければ、女も幸福な生活も手に入らないということか。もう一度深く溜め息をついて歩き出そうとした矢先、

「滝くーん!」「っ!」

 明るい声が呼びかけてきて弾かれたように振り返った。

「ごめんなさい! 遅れちゃった!」

 駆け寄ってくる百合香、見る見る近づき、薄紅の頬にあどけないほど可愛い笑みを浮かべてみせる。

 どかん。

 俺の頭に何かが直撃した。ぶっ飛んだ声で応じてしまう。

「あ、俺も今来たんだ!」

「嘘、もう帰ろうとしてたんでしょ」

「違う違う違う違う」

 唇を尖らせて拗ねる百合香。いやひょっとして俺のドジはこういうことを臆面もなく言うためにあったのか。

「ほんと、今来たとこ。帰ったかと思って心配して思い切り走ってきたから上着も……っくしょい!」

「…風邪?」

「違う違う違う違う」

 慌てて手を振り、小首を傾げる百合香に上着を失った顛末を語る。くすくす楽しそうに笑い出した百合香に、神様ありがとう! 思わず天に感謝する。気の利いた会話はできないけれど、これだけ百合香が楽しそうなら十分だ。

「もう、ほんと、滝くんたら」

 白いワンピース姿の胸元はギャザーがふんわりと膨らんでいる。その柔らかさを俺の腕にぎゅっと押しつけてくっついてきた百合香に、一瞬中身がどっかの宇宙にテレポートした。

「どど、ど、どこ、行く…っ?」

 いやむしろ、お前がどっか逝ってるぞ、今。

 自分でツッコミつつ、へらへら笑う俺を見上げ、百合香が甘い声で応じる。

「どこでもいい、かな」

 うわあ。そんなの卑怯だろう。俺を男だと思ってないからの暴言か。

「滝くんと話せればどこでもいい」

 思わず立ち止まってしまった。

「どうしたの?」

「ああ、えーとつまりその」

 すみませんごめんなさい、今いろいろと終末的なことを考えて頭がノアの洪水を起こしてて言語機能がいろいろなものに溺れて麻痺しました。なのに別口の何というか生物的なものは無駄に気力を盛り返しているというか、好きとも何とも言われていないのに、その先を想像するってのは、ほんとモテない男の悲しい性だな、うん!

「ほんととってもいい天気だよな! 鯛焼きだって泳ぐよな!」

「え…?」

 きょとんとした百合香の顔に、心底言わなけりゃよかったと後悔した。

「たいやきー?」

 くすくす笑う百合香は、ほんともうどうしたらいいんだか、という顔だったが、全く腹が立たない。俺ってそんなにこの子のことが好きだったんだっけ、と密かに感動したけれど、そのくすくす笑いに合わない強さでぐっと腕を抱き締められ、熱っぽさにどきりとするより妙に不安になった。

(あれ?)

 何だろう、この感覚。俺と百合香は他愛ない冗談を言い合っていちゃいちゃしてる図、のはずだよな? なのにこの、抱き締められた腕に押し付けられた体は、あったかくて幸せそうというより、何かちょっと緊張してないか?

「…城本さん…?」

 戸惑った俺の声に、百合香は一瞬眉をひそめた。それから切なそうに呟いて、俯いて俺の視線を避けた。

「…滝くん…」

「……気分でも悪いのか?」

「………あなたなら」

「え?」

 消え入るような微かな声、思わず身を屈ませて聞き取ろうとする。

「何?」

「……あなたなら……良かったのに」

「…は?」

「私って…男を見る眼、ないのね!」

 唐突に明るく言い放って、顔を上げた百合香がふいに俺に唇を寄せる。

「うわ!」「きゃっ」

 そうだよ、こういう時に何で避けるかな俺は。急にいい匂いが間近に来て、ひんやりとした濡れたものが頬に触れて、とっさに仰け反った俺に百合香も驚いたんだろう、慌てて顔を背ける。

「…」「………」

 気まずい。お互い見る見る顔が赤くなっていくのは、照れとか往来で大胆なとかじゃなくて、きっと本当なら差し出して受け止められてのいい感じのものが、一瞬に霧散してしまったからだ。

「…行こっ」「あ、ああっ」

 立ち直ったのは百合香が先で、俺達は同時に固まってしまった周囲から逃げるように、慌ただしく脚を動かした。


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