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伸ばした手は?

 ……ハイデマリー様からいきなり閉じ込められたんだけど。

 でも、ローデリヒ様の護衛がやられた、という事は、たぶん相当な実力者なんだろうと思う。ハイデマリー様だけ向かわせた形になってしまったけれど、彼女だけでなんとか出来る相手なのだろうか?


 かといって、私がなんとか出来る訳がないのだけれど。元々戦闘向きの能力でもない上に、私の腕の中にはアーベルがいる。お腹の中にも赤ちゃんがいる。

 私が動くという事は、この子達も危険に晒してしまう事。


 何も出来ない無力感に襲われそうになるが、私はグッと堪えてお風呂場の扉を開けた。お風呂場の壁面に嵌め込まれている燃え盛る炎のような色をした宝石――炎の魔石を力ずくで取り外す。これと透き通るような海色をした宝石――水の魔石を一定の温度で掛け合わせることで、温水シャワーになるのだ。

 炎の魔石は単体では炎が出てくる。宿屋のシャワー用の魔石なので、本職達から見るとクズ魔石と呼ばれる部類。威力には期待はあまり出来ないが……ないよりもマシ。水の魔石もついでに拝借した。


 お風呂場には小窓が1つ。人間が通れるような大きさではない。……と、なると出入口は洗面所の扉1つのみ。完全に行き止まり。ハイデマリー様が防ぎきれなかったら、かなりピンチになる。一旦この洗面所から出なければいけないけれど、出た後もこの部屋からの脱出も難しい。


 部屋の扉から共有廊下に出るか、部屋のベッド側の窓から外に出るか。ベッド側の窓は人間が出られるだけのサイズはあるけれど……、む、無理だ。丈の長いドレス姿で出来る気がしない。

 速攻で却下して、やっぱり部屋の出入口から抜けるしかないよなあ、と結論付けた。


 部屋の前が騒がしいのがこちらにも聞こえてくる。

 離宮への道中を襲った事といい、ココシュカの街まで来た事といい、随分としつこい。そして、そこそこ規模のある集団。エーレンフリート様が反乱を起こした事を考えると、キルシュライト王国の王族狙いの可能性が高い。


 ……となると、国王様は勿論、王太子のローデリヒ様、直系のアーベルが一番狙われている可能性が高い。そして、お腹の子供も。


 結界が破られたらしい。私の頭の中に沢山の人の声が伝わってくる。現実に響く罵声と共に。

 一気に頭の中に流れ込んできて、脳が処理しきれずに貧血を起こしたみたいにクラリ、と平衡感覚を失った。必死に足を踏ん張って堪える。


 ハイデマリー様が必死で食い止めているのだろう。侵入者達の声が呻き声と、恐怖の悲鳴に変わっているから。


 でも、心の声が聞こえるから、分かってしまうのだ。

 ハイデマリー様が相当無理をして、ここを防衛している事を。

 ハイデマリー様の能力に、反動が大きい事を。

 そして、もう少しで彼女が動けなくなる事を。


 ローデリヒ様が言っていた。

 ―― 「アーベルが来たから、最悪の未来は回避出来ている……。いや……、未来のアーベルが来なければ、この先の未来を変えられないのだろう」と。


 道中襲われて、反乱も起きて、こうして護衛がやられて追い詰められて、攻め込まれていて。

 この状態で、まだ最悪の未来を回避しているの?


 ピトリ、と温かい手が私の頬にくっつく。思考の海に溺れていた私を引き上げたのは、状況が全く分かっていなさそうなアーベルだった。ローデリヒ様譲りの海色の瞳をキラキラと輝かせている。


「……だいじょうぶ」


 小さく呟く。アーベルを落ち着かせる、というよりは自分の為に言ったような言葉だった。自分を奮い立たせる為に。


 無意識に手を握り締めていたらしい。炎の魔石が手のひらにくい込んで、くっきりと跡が付いていた。細く息を吐いて、全身に入っていた力を抜く。

 大丈夫。私は、戦う為の力はほぼ持っていないけれど――、誰も私の隣に並び立てない、貴重な能力があるのだから。


 扉の陰に隠れて息を殺す。洗面所の扉が開くのが、スローモーションに見える。タイミングは分かっている。能力で伝わってくるから。

 私に後頭部を見せた瞬間――、炎の魔石を握り締めたまま、ぶん殴った。


 殴った瞬間、炎の魔石から火が吹き出る。やっぱりクズ石と呼ばれるだけあって、小規模。それでも髪に燃え移って、腐ったような酷い悪臭が広がる。


 2人目も同じ調子で上手くはいかなかった。一瞬の隙は見せたものの、立て直すのが早くて私を無効化する為に拳を振りかぶる。


 けれど、その拳は私には届かなかった。

 侵入者の拳が、腕が、ありえない方向に捻れる。普通の骨折のような捻れ方ではない。湾曲している。


「貴方達の相手はわたくしよ?勝手にどこかに行ってもらっては困るわ」


 こちらへ真っ直ぐと腕を伸ばし、手のひらを侵入者へと向けるハイデマリー様が、非常に悪い笑みを浮かべていた。だが、いつものような気位高い雰囲気ではない。顔色は青を通して土気色になっている。大粒の汗が彼女の額に滲んでいて、はっきりとした顎のラインを伝って滴り落ちていた。


 部屋の中は酷い惨状だった。

 あちらこちらに血飛沫のようなものが散っている。先程まで座っていた椅子は、木が折れずに侵入者の腕のように捻れていた。床に伏している侵入者達も、ありえない方向に四肢が向いている者もいる。


 これが、転移魔法。

 空間を無理矢理捻じ曲げたような、有様だった。

 化粧をしていても、土気色が分かるくらいだ。きっと相当無理をしているのだろう。気力だけで立っているのではないだろうか。

 大きい力には、相応の代償が必要。ハイデマリー様の力もおそらく魔力を沢山使うのだろう。


「……行くわよ。少しでも、人の多い場所に行った方が、……警備隊にも会えるはずだわ」

「……は、はいっ!」


 反射的に頷く。ハイデマリー様は扉に向かおうとしたが、足元をふらつかせた。先程の不自然な言葉の切り方。抑えているらしいが、肩で息をしている。


「……貴女は先に――」

「行きますよ。ハイデマリー様」


 行ってくれ、という言葉は言わせなかった。片腕でアーベルを抱えて、片方の手はハイデマリー様の手を握る。

 部屋から出て、続いていた廊下には護衛だった人らしき体が転がっていた。振り返る余裕もなく、やや早歩きで宿屋を出る。私達の、特にハイデマリー様のボロボロのドレス姿に、街路を歩いていた人々の視線を集めたのが分かった。


「警備隊って、確かココシュカの街の門のところ、でしたよね?!」


 宿屋から出て一瞬方向どっちの方向に進めばいいのかと、足を止めてしまった。ハイデマリー様は空いた方の手で、ココシュカの中心部を指差す。


「いいえ、違うわ。本部はあっち」

「ありがとうございます!」


 足元が覚束無いハイデマリー様を半ば引き摺るようにして、示された方角へ向く。アーベルも抱えた身重の体なので、この速度だったら、逆に警備隊が不審者として私達を囲む方が早いかもしれない。


「置いて行きなさい。わたくしは足でまといだわ」


 ハイデマリー様も同じ事を思ったのだろう。冷静に告げて、私が握った手を引き抜こうとする。


「……置いて行けませんよ」


 ハイデマリー様はおそらくもう限界だ。次に襲われた時に対処は出来ないだろう。

 私とアーベルが主に狙われていたとしても、国王様に一番近い側室も敵が易々と見逃す訳がない。離れようが、一緒にいようが、私達は危険なのである。


 そして、何よりハイデマリー様自身がこれからどうしよう、という不安と恐怖を抱えていたから。

 どうしても、置いて行けなかった。


 石畳を踏む足に感覚はない。足が恐怖で冷えきってしまっている。ここから警備隊までどれくらいの距離があるのだろう。


 街中でも私達の存在は異質なのか、向かう先の人混みが私達を避けるように綺麗に2つに分かれていく。

 ――凄く凄く目立つわけで。


「いたぞ!!」


 逃がすな、殺せ、出来るなら捕らえろ、と沢山の声が襲いかかってくる。

 前からローブを纏った人達がこちらへと駆けてくる。手に鋭利な刃物を持ったまま。事態を察した街の誰かが、つんざくような悲鳴をあげた。


 徐々に混乱が伝播していく。

 どうして、怖い、置いて行かないで、痛い、死にたくない、襲われる、怖い、何が起こって、動けない、痛い、なんで。

 一気に流れ込んでくる。先程の比じゃない。どれが気持ちで、どれが口に出した叫びかも分からない。車酔いにも似た吐き気と共に、その場に蹲った。


 こんなところで、止まっている訳にはいかないのに。


 死神がこちらににじり寄ってくるかのようだった。

 足に力が入らないまま、後ろへとズリズリさがる。そんなの微々たるもの。相手との距離はどんどん縮まる。

 私達に近づいてくる襲撃者は、短剣を振りかぶった。


 そして、そのまま前のめりになって倒れる。


「――ま、間に合った、か?」


 馬の動きと共に揺れる月光のような金の髪。真っ白の肌に汗が伝う。穏やかな海の色の瞳には、焦りが浮かんでいた。


「ロ、ローデリヒ様……!」


 視界が滲む。鼻の奥がツンと痛んだ。彼が連れてきた騎士団の人間が、街の人の誘導と襲撃者の捕縛を開始している。

 ハイデマリー様もそれを確認して安心したのか、大きく息を吐く。そして、座り込んでそのまま石畳に横になった。

 黒目がちの瞳が眠そうにうつらうつらとしている所を見ると、限界をとうに超えていたのだろう。ハイデマリー様みたいな人が、地べたに横になるなんてよっぽどだ。


「アリサ……!」


 馬から降りたローデリヒ様が駆け寄って来る姿を見て、私はようやく一息つけたのだ。

 ずっと私の腕の中で大人しく固まっていたアーベルが、ひゅっと大きく息を吸う。


「――うあああああん!!」

「あ、アーベル?!ごめんね!怖かったよね?!」


 火のついたように泣き始める。慌ててあやそうと両手で抱き直して、私の体が傾いた。

 突然、私の下の石畳が無くなったようだった。沼にでも嵌ったみたいに呑み込まれていく。


 日が照っていると必ず出来る影が、私の影が、私を引き摺りこんでいる。他の影よりドス黒く、底無し沼のように変わっていた。


「アリサッッ!!」


 呑まれた足が引き抜けない。それどころか、動かせない。腕の中のアーベルだけでも逃そうと、私の服を掴んでいる小さな手を剥がしてローデリヒ様の方へと差し出す。


 ローデリヒ様が掴もうと私の方へと腕を伸ばす。


 届かなかった。影から黒い手が沢山伸びてきて、アーベルを引き摺り込む。


「ッ、待てッッ!!」

「危険ですッ!!殿下!!」


 ローデリヒ様が騎士に羽交い締めにされる。ローデリヒ様と触れそうだった手が、離れていく。


 あと少しで届きそうだったのに。


 目の前が闇に覆われる前に見えたのは、空を掴む手と、今にも泣き出しそうにも似た表情のローデリヒ様だった。

(おまけ)

 キルシュライト王国。首都キルシュ。

 王城の一室でゲルストナー公爵は深く溜め息をついた。


「全く、どうしてくれるんですか……」


 床に散らばった書類を拾い上げる。そして、片眼鏡を軽くあげた。ギリ、と書類を持つ指先に力が籠る。紙に皺が出来た。


「大事な書類が汚れてしまったではないですか。これではもう一度始めから作り直さなければ……」


 赤黒いインクを散らしてしまったかのような汚れ。どう取り繕っても誤魔化せそうにはない。

 部屋自体もやや荒れていた。ある意味いつも通りではあるのだが。書類の山が積み上がっているはずの机上にも、赤黒い液体が散っている。山になっているはずの書類は、床に、机上に、壁まで張り付いていた。

 そして、その上に横たわる人だった体達。


「はぁ、また残業ですかね……」


 ゲルストナー公爵は倒した反乱者達には目もくれず、神経質そうに眉を上げて、仕事の続きに取り掛かるのだった。

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