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友人の――誤魔化し?

 一瞬、恐ろしい程の沈黙が訪れた。


 誰も何も発しない。考えている事すら伝わってこない。


 私を含めて、皆の頭が真っ白になった瞬間だった。


 ローデリヒ様は私達へ呼び掛けた体勢のまま止まる。ルーカスは軽く口を開けて、何が起こったのかわからない顔をしていた。ゼルマさんも目を丸くして立ち尽くしていた。ティーナに至っては硬直している。


「とーたま!」


 一番最初に動いたのは、状況が全く読めないアーベルだった。ぺちぺちとアーベルに頬を叩かれたローデリヒ様は、ハッと我に返って反射的に声を出す。


「っ!ゼルマ!!あと他に侍女はいないのか?!」


 片手でアーベルを抱き抱えながら、ローデリヒ様が廊下へと声を掛ける。ゼルマさんが慌てて拭くものを持って、私達に駆け寄った。廊下の方からバタバタと複数の足音が聞こえてきたので、きっと増援が来たのだろう。


 ティーナは私にへばり付いたまま、ルーカスと同じような表情をしていた。目の前の現実が信じられないといったように。


 だから私の周りは未だに薔薇の香水の香りがふわふわと漂っていて、――平常時であれば好きな匂いなのだけれど、匂い悪阻になっている私にとっては非常にしんどい。

 とても吐き気を誘う匂いでしかない。距離を置きたい。


 また胃液がせりあがってきて、私は口元をおさえた。


 もう一度粗相をするわけにはいかない。


「あーたま!」


 アーベルに呼ばれて視線だけそちらの方に向く。私の方に来たいのだろうアーベルは、ローデリヒ様の腕の中でジタバタともがいていた。


「あっ、ちょ、こら!アーベル!今は母様の方に行っちゃ駄目だ」


 加減なしに思いっきり暴れるアーベルに辟易しながら、しっかりと抱き直しているローデリヒ様を見て、取り敢えず一安心。


 そのまま視線を床に向ける。ちょっと前かがみで胃の辺りを紛らわすようにさすった。もう他の所に気を向ける余裕なんて、なかった。


 ベリッとティーナと剥がされ、侍女が私の目の前に何やら高そうな陶器の壺を差し出してきた。いつか見た壺とはまた柄が違う。いや、これ使うの結構ハードルが高いんだって。


「え、ティーナ……力加減間違っちゃって、中身出たとか?」


 ルーカスはポカンとティーナと私を見比べて、明後日の方へと思考を巡らせる。何気に危ないことをサラッと言っているけど、馬鹿なんじゃないだろうか。


 私から離れたティーナは、随分と長い間固まっていたけれど、やがて状況が把握出来たのかぷるぷると震えだした。薄氷色の大きな瞳に涙の膜が張っている。


「キャアアアアアアアアアア」


 キーンと、辺りに甲高い声が響き渡った。




 ーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーー




「本当にごめんっ!!」


 お昼から早々にお風呂に入って、昼食後にまた二人とは会った。ティーナもお風呂に入ったようで、ドレスも髪型も変わっていた。香水も付けていないみたい。


 ちなみにドレスはクローゼットの肥やしになりつつありそうだった新品。私の為に作られたみたいだったけど、ドレスがありすぎてクローゼットが一杯で着る機会がなかったのだ。


 流行問わずに着れるデザインの物をあげたんだけど、似合っててよかった。侍女達がいい仕事をしてくれた。


 両手を合わせてティーナの様子を怖々と伺う。彼女は怒りよりも困惑の方が先に来ているようだった。


「確かに……びっくりしたけれど……、アリサは動いてていいの?相当身体悪いのではなくて?」


 可愛らしく首を傾げたティーナに私はどう説明したものか、と内心頭を抱えた。


 一応病気ではない。病気ではないけれど、体調は悪阻であまり良くはない。


 ――もう話していいのではないか?


 隣に座っていたローデリヒ様の気持ちが伝わってくる。思わず彼を見上げると、海色の瞳が穏やかに私を見つめていた。


 でも、安定期まで公表はしたくなかったんじゃ……。


 私の躊躇が伝わったのか、すやすやとお昼寝を始めたアーベルを抱っこしたままのローデリヒ様が口を開いた。


「実はアリサは二人目を妊娠していて、その悪阻が酷いのだ。奥方、妻が粗相をしてしまって本当にすまない」

「あ、なるほ……えっ?二人目ですって?!」


 素直に頷きかけたティーナが目を剥く。ルーカスも予想外だったのか、前のめりになった。ちなみにティーナの大きな声でアーベルがうっすらと目を開ける。


「実はね。まだ妊娠初期なんだ。安定期になるまで公表はしないつもりだったんだけど……。ティーナ、本当にごめん。悪阻で匂いとかもダメで……」


 まだまだぺったんこの下腹に手を置いてみせると、ティーナは困惑したような顔をした。


「でも、アリサは男の人が怖いのではなくて?」

「怖いよ。今でも正直苦手」


 私は苦笑した。ローデリヒ様と初めて会った一件は、私の中でとても怖い事として位置付けられている。薄暗い森の中を追いかけられ続けたのは、恐怖でしかなかった。


 でもね、と私は前の言葉を続ける。


「私、ローデリヒ様だけは慣れたいなって思ってる。私の唯一の夫で、アーベルの大事なお父さんでもあるから」


 隣の人に顔を向けると、彼の海色の瞳が眩しいものを見るかのように細められる。口元が緩く弧を描いていた。


 ルーカスが私とローデリヒ様を数度見比べて、深々と息を吐いた。前のめりになっていた体勢を戻して、ソファーに深く腰掛ける。その様子はずっと気がかりだった事が解消されたような、心の底から安堵したような雰囲気だった。


「アリサは、ここで幸せを見つけたんだね」

「幸せ……」


 ゆっくりと飲み込むようにその言葉を口にする。

 アルヴォネン王国で何もかも諦めきっていた時とは違う。

 キルシュライト王国で歩み寄りさえせずに仮面夫婦に徹していた時とは違う。


 可愛いアーベルが産まれて、夫であるローデリヒ様の人柄を知って、お互いが距離を縮めていこうと前を向くことが出来た。二人目の子供もお腹の中にいる。


 本当に私は、恵まれている。


「ええ。私、幸せだわ」


 自然と頬が緩む。

 ローデリヒ様が求婚してくれなければ、今はなかった。彼は私の進む道を照らしてくれる道標だった。


「そう……。アリサは今幸せなのね……」


 ティーナはほんの少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「アリサは元気で動き回っている方が、わたくしは素敵だと思うわ。ずっと昔のアリサに戻って欲しかったのだけれど、それを成したのがわたくしでない事がちょっとだけ悔しいわ」


 一拍おいて、ティーナは続けた。憑き物が落ちたようなスッキリとした表情で。


「でも、わたくし達には出来ない役割だったのね。きっと」


 私は慌てて首を横に振った。アルヴォネンにいた時、ティーナ達にはとても救われたんだ。


「ううん。ティーナも私の事を思ってくれてて、私はずっと助けられてた」

「でも、わたくし達では明るい未来を示すことが出来なかったわ」


 私は言葉に詰まった。確かにあのままでは一生修道院にいただろう。自責の念だけで生きていた可能性だってある。


 何も言えなくなる私に、ティーナはふふっと無垢な少女のように微笑んだ。


「だからね。わたくしは嬉しいの。アリサが幸せになってくれる事が」

「ティーナ……」


 ティーナがテーブル越しに華奢な白い手を伸ばしてくる。私も手を伸ばして握り締めた。


「わたくし達はお友達よ?お友達が幸せになると、わたくしも幸せだわ」

「……うん。私も、ティーナが幸せだと嬉しい」


 私の言葉に、ティーナは可愛いらしくはにかんだ。


「……さて、久しぶりに友人に会ったら二人目を妊娠しているなんてめでたい事があったわけだし……」


 私達の話が一段落した所で、ルーカスが懐からメモ帳とペンを出して何やら書きつける。そして親指の腹を噛んで、血判を押した。


 具体的に何を考えているのかは分からないけど、ルーカスの誤魔化そうという意思だけは伝わってきた。


「まだ発表していないから、非公式なものになるけど、僕達からの気持ちだよ」


 そうして差し出されたメモをローデリヒ様が受け取る。私も覗き込むと、そこにはかなりの額のお金の値段が記載されていた。小切手みたいなもの。


 具体的に言うと……、邸一個買えて、それに見合うだけの使用人を雇えるくらい。規模は……、ついこの前まで住んでいた所と同じくらいの邸だ。

 これは完全に邸の損害の賠償と怪我人への見舞金だろう。


 ローデリヒ様も気付いたらしく、眉を寄せてルーカスに問いかけた。


「これって……」

「まあ、また公表されたら公式にお祝いの品とか贈るよ。楽しみにしていて」


 いけしゃあしゃあと笑顔で言い切ったルーカスだったけど、祝い金と題して賠償金を払ってくるなんて……。


 まあ、私もティーナのドレス汚してるし、これが公になったら王太子妃としてどうなの?って言われそうだし……。ローデリヒ様がティーナのドレスを弁償しようとしたけれど、「自分がドレスを贈るから問題ない」とか言ってルーカス断ってたんだよね……。


 これ、完全に屋敷破壊した事を揉み消すつもりだ。


 アルヴォネンの王太子夫妻がキルシュライトの王太子夫妻の住んでる屋敷を破壊したなんて事が表に出れば、国際問題は免れない。


 ローデリヒ様もその事が分かっていて、大人しくそのメモを受け取った。そちらの方が損害が少ないし。


 ちなみに血にも魔力は含まれるし、魔力は前世の指紋のように誰とも被ることはないので、ルーカスのメモの効力は確実だったりする。


「そちらが未公表の話を教えてくれたから、僕も一つまだ未公表の話を教えるよ」

「何?」


 もったいぶって前置きをしたルーカスに、どうせ大したこと無さそうだなって思いながら先を促す。ルーカスにも伝わったらしくて、「酷いなあ。大事なことなのに」と苦笑しながら軽い調子で続けた。


「僕、近いうちに国王になるよ」

「……それって大丈夫なの?」

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