隣国の――国王の行く末?(他)
パタン、と軽い音をたてて扉が閉まる。
先程まで滞在していた来訪者達の足音が完全に聞こえなくなってしばらくしてから、たっぷりレースが使われたパステルカラーのドレスを身にまとった少女は、ずっとにこにこと微笑んだ顔を一変させた。憤怒の表情に。
「ルーカス。聞いたかしら?」
「ああ。聞いたよ」
すぐ隣にいた青年は、少女を見下ろして顔を歪める。彼のアメジストのような瞳の輝きは暗かった。
「『私は大丈夫だから心配しないで』、ですって!絶対無理してるわ!」
「あのアリサが健気な事を言うなんて……、相当弱っている気がするよ……」
青年――ルーカスは血管が浮かぶ程手のひらを握り締める。つい先刻までいた金髪碧眼の王太子を脳裏に思い浮かべた。真面目で非常に優秀だとは隣国の王太子であるルーカスも充分に知っている。
本来ならばアルヴォネン王国と同じく、一夫多妻制なのに妻は現在王太子妃一人のみ。
若いからそこまでは子供をせっつかれていないのだろうし、既に跡継ぎはいる。本人に浮ついた噂はない。
どこからどう見てもいい男だ、とルーカスは思いかけて――いや、男が男をいい男と称するのは気持ち悪いものがあるなと内心撤回した。
傍から見ればいい夫に見える。ある意味理想の王子様と言えるかもしれない。
ただし、アリサの夫でなければ……という言葉がその前に付いてしまう。
ルーカスとティーナの幼馴染みのアリサは活発な少女だった。だが、彼女自身が持つ魔法の属性により、次第に心を閉ざすようになってしまっていった。
ルーカスとティーナはそれを歯がゆい思いで、傍で見ているしかなかった。
ルーカスは自分の父親の暴走を止められることは出来なかったし、ルーカスと婚約するまでほぼ何も知らなかったティーナは無知だった過去の自身を恥じた。
アリサがいた時も、ルーカスは水面下で動いていた。でも、やはり父親である国王を動かす事は出来なかったし、ルーカスが事態を察した頃には既に、国王はすっかり人間不信になっていた。
それも実の息子の意見すら聞けないくらいには。
勿論、それはアリサだけが悪いわけではない。
処刑されたうち数人は既に国王を欺く計画も立てていたし、横領や賄賂は当たり前という裏の顔もあった。
内心、前々から国王を舐めきっていた人間達なのである。事が明らかになったのがアリサの能力というだけで、自業自得ではある、とルーカスは非情だが思っている。
敵に対してはとことん冷たくなれる性格だった。
アリサは自らの業だと背負い続けているのだから、中々に難儀な性格をしている。諍いの芽を摘んでいたのは確かなのだから。正しい行いをしたとでも胸を張っていればいいのに。
……圧政に変わりはないが。
流石に国が傾く前に事を収束させることが出来て、ルーカスは一応安堵している。アリサがキルシュライト王国に嫁ぐという不本意な終わり方だったが。
だから、基盤をしっかりと整えて、彼女を連れ出しにきた。
アリサの男に対する恐怖を知っている身としては、一刻も早く迎えに来たかったが。
ルーカスは彼女が酷い目に合わないように、彼女自身も鍛える方針をとった。スパルタで護身術を叩き込んだのは、アリサの為だった。決して姑のようにネチネチと甚振っていたわけではなかった。
ティーナの手を引いてソファーに座らせ、ルーカス自身も柔らかいクッションに身を沈める。アメジスト色の瞳を疲れたように閉じた。
アルヴォネン王国の国王であった父親の、呆気なく終わったその統治の最期がまぶたの裏に浮かぶ。
アリサがいなくなってから、ルーカスの父親は酷く弱くなった。誰が味方で誰が敵か、目に見えて分かる判断基準等ない。
少しの猜疑心がどんどん肥大していく様を、国王は自覚していたはずだ。
そして、自身が止まるに止まれない程、人を信じる事が出来なくなった事を分かっていた。
国王なのだから、アリサが欲しければ徹底的にキルシュライト王国からの縁談も、マンテュサーリ公爵家も拒否すれば良かったのだ。でもそれをルーカスの父親はしなかった。
恐らく、この状況が不味いものだと、アリサを解放しなければならないと、どこかで悟っていたのだろうと思う。
ルーカスが国王に退位を勧めた時、国王の目の下には隈が出来、顔色は青白く、肌はボロボロになって疲れきった幽霊かのような姿をしていた。
そこに、かつての穏やかな雰囲気を持つルーカスの父親はどこにもいなかった。
ルーカスの退位して王都の外れにある、王家直轄地の長閑な別荘に移住しないかという提案に、どこか安心したように脱力して、黙って頷いていた。
国王としてのルーカスの父は可もなかったが、不可でもなかった。父の名前を汚さずに退位が決まった事に、思うところがないではなかったが、肉親の情はあるので、これが一番穏便で良かったのだろうと納得している。
だから、今は王太子を名乗っているが、ルーカスは近いうちに国王として即位する。一人だけ不安要素はあるが、これならばアリサが帰ってきても、少なくとも利用されることはないだろう。
ティーナがルーカスの胸にしなだれ掛かる。ルーカスはその重みでまぶたを開いた。ティーナの銀髪を甘やかすようにゆるく手すく。
「わたくし達の計画も失敗に終わってしまったのだし……、残りの滞在でアリサをどうやって連れ出すつもりなの?ルーカス」
「取り敢えずアリサに僕達がいるのは伝わっているからね。邸は壊したから、今王太子妃の部屋にいるみたいだ。そちらの方から結界の気配を感じる」
ルーカスは天井を仰いだ。正確には、キルシュライト王城の上階。王太子達がいる方向だ。
「どうするの?アリサはこのままだとずっと結界内だわ」
「アリサが自分から出てくれればいいのだけれど……」
「難しいわ……。アリサはキルシュライトの王太子に満足に外に出してもらえていないのかしら……」
「あの邸の塀を見るとその可能性はとても高いね」
あの白亜の塀は何人たりとも入れないと同時に、何人たりとも外に出さないような造りだった。
「明日は絶対会えるのだし、明日までに幾つか案を考えておこう」
「ええ。わたくし達の計画を一度邪魔をしたからって良い気にならないで欲しいわ。……どこの誰だか分からないけれど」
「捉えた襲撃者はキルシュライト側に引き渡してしまったから、直接聞くことは出来ないからね」
艶やかな黒髪を乱暴に崩して、ルーカスは小さくポツリと呟きを落とした。
まあ、誰だか少しだけ予測は出来るけど、――と。
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待ちに待った翌日。
体調はすっかりと元通りになった。時々悪阻がまだ襲ってくるけど。
でもせっかくルーカスとティーナと会える日なのだ。一応ローデリヒ様が安定期まで妊娠の公表は控えたそうだったので、ルーカス達には言わないことにした。
流石に私の一存で決められる話じゃないからね。
私は普段着とは違い、シンプルなデザインのパステルカラーのドレスを身に纏う。アクセサリーもそれ程華美なものではないけれど、たぶん使われてるダイヤモンドとかは大粒なのでかなり値段はしそうだけれど。
一応元公爵家の令嬢なので、これくらいのアクセサリーは昔から身につけていた。
だからどうって事はないのだけれど、……前世の一般庶民としての記憶が邪魔をしてくる。
アクセサリーが高価すぎて、付けるのが怖いと。
生まれや周囲の環境による常識の刷り込みって、怖いな……。ダイヤモンドが沢山連なっているイヤリングとか落としたらどうしよう、なんて思ったことすらなかった。
遠い目になりながら支度を終えると、既にイーナさん達におめかししてもらったアーベルが、私の姿を見つけるなり元気よく声を上げた。
「あーたま!」




