表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイ

シーシュポスの岩から

作者: ウナ

こんな神話をご存知でしょうか?




神々を二度も欺いた男シーシュポスは罰を受ける事となり、

彼は山頂まで大岩を運ぶよう命じられます。

大岩を山頂まで運ぶと、岩は重みで底まで落ちてしまい、

シーシュポスは永遠にこの苦行を繰り返さなくてはいけない。




これはギリシャ神話ですが、日本にある「賽の河原」と似ていますよね。

賽の河原もまた同じことを延々と繰り返すお話です。


両方の話に言える事ですが、果てのない徒労……無駄な努力に見えます。

しかし、ここからも学べる事があると僕は思うのです。


では、このシーシュポスの岩の話を分析してみましょう。



1.シーシュポスは2度も同じ過ちを犯したため罰せられます。


2.岩を山頂まで運んでも落ちると分かっている事を繰り返します。


3.意味も希望も無く、無駄な時間が永遠に続く。



こうやって分析してみると、

自分に重なる部分が少し見えてきませんか?


学校や職場でひたすら同じ事を繰り返し、時間を浪費する。

そこに意味は無く、希望も無く、自身に無関心で繰り返す。

少なからず思い当たる人はいるのではないでしょうか。


それでは、ここからが本題です。


この神話から学ぶべきは【捉え方を変える】という点です。

これでは伝わらないと思うので、1つ1つ解説します。



1.シーシュポスは大岩を山頂まで運んだ時に【達成感】を得ます。


2.大岩が転がり落ちる時、彼は山頂でそれを眺め【休息】を取れます。


3.山を下る彼は大岩を持っていないため、重さからの【解放感】を得ます。


4.山頂まで辿り着いた時の達成感を再び感じたいため【やる気】が湧く。



無意味な地獄に思えたこの話も、

視点を変えるだけでここまでポジティブなものが見えてきます。


登山が趣味の人はこれに近いですよね。

登山家は山に行く度に達成感・休息・解放感・やる気を毎回得ているのです。

あ、山頂で休息中は素晴らしい景色による【感動】も得られますね。



無意味な行動を取り続ける事を肯定している訳ではありません。

一見無意味に思える出来事も、捉え方次第で幸せを感じられるというお話です。


世の中は楽しい事ばかりではないですが、

つまらない作業からも学べる事は沢山あります。

それを皆さんにも知ってもらいたかった。


仮にシーシュポスのような現状を変えたいと願うなら、

今やっている事と真逆を意識をすればいいのです。


もちろん努力は報われない事の方が多いです。

ですが、実行しない限り永遠に変わりません。

本当に変わる事を願うなら、行動あるのみです。


失敗しても、上記のようにポジティブに捉えればいいんです。

案外失敗しても大抵の事はやり直せますから。



挿絵(By みてみん)

こちらのエッセイが気に入った方はマイページから他のエッセイもどうぞ。

他に5作品ありますが、4作品はエッセイ日間1位になっています。

何かの役に立てば幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。「みてみん」のほうでこっそりとイラスト拝見している者です。 シーシュポスというと、こないだカミュのエッセイ? の文庫本を見かけましたが、買わずに帰ってしまった私です(なのでど…
[一言] 確かに捉え方を変えてポジティブに考えるのと考えないのとでは、その後の幸せ度が雲泥の差でしょうね。 それに、特にシーシュポスの岩の場合、何も考えずにただ解放されたいだけだと、いざ解放されて何も…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ