シーシュポスの岩から
こんな神話をご存知でしょうか?
神々を二度も欺いた男シーシュポスは罰を受ける事となり、
彼は山頂まで大岩を運ぶよう命じられます。
大岩を山頂まで運ぶと、岩は重みで底まで落ちてしまい、
シーシュポスは永遠にこの苦行を繰り返さなくてはいけない。
これはギリシャ神話ですが、日本にある「賽の河原」と似ていますよね。
賽の河原もまた同じことを延々と繰り返すお話です。
両方の話に言える事ですが、果てのない徒労……無駄な努力に見えます。
しかし、ここからも学べる事があると僕は思うのです。
では、このシーシュポスの岩の話を分析してみましょう。
1.シーシュポスは2度も同じ過ちを犯したため罰せられます。
2.岩を山頂まで運んでも落ちると分かっている事を繰り返します。
3.意味も希望も無く、無駄な時間が永遠に続く。
こうやって分析してみると、
自分に重なる部分が少し見えてきませんか?
学校や職場でひたすら同じ事を繰り返し、時間を浪費する。
そこに意味は無く、希望も無く、自身に無関心で繰り返す。
少なからず思い当たる人はいるのではないでしょうか。
それでは、ここからが本題です。
この神話から学ぶべきは【捉え方を変える】という点です。
これでは伝わらないと思うので、1つ1つ解説します。
1.シーシュポスは大岩を山頂まで運んだ時に【達成感】を得ます。
2.大岩が転がり落ちる時、彼は山頂でそれを眺め【休息】を取れます。
3.山を下る彼は大岩を持っていないため、重さからの【解放感】を得ます。
4.山頂まで辿り着いた時の達成感を再び感じたいため【やる気】が湧く。
無意味な地獄に思えたこの話も、
視点を変えるだけでここまでポジティブなものが見えてきます。
登山が趣味の人はこれに近いですよね。
登山家は山に行く度に達成感・休息・解放感・やる気を毎回得ているのです。
あ、山頂で休息中は素晴らしい景色による【感動】も得られますね。
無意味な行動を取り続ける事を肯定している訳ではありません。
一見無意味に思える出来事も、捉え方次第で幸せを感じられるというお話です。
世の中は楽しい事ばかりではないですが、
つまらない作業からも学べる事は沢山あります。
それを皆さんにも知ってもらいたかった。
仮にシーシュポスのような現状を変えたいと願うなら、
今やっている事と真逆を意識をすればいいのです。
もちろん努力は報われない事の方が多いです。
ですが、実行しない限り永遠に変わりません。
本当に変わる事を願うなら、行動あるのみです。
失敗しても、上記のようにポジティブに捉えればいいんです。
案外失敗しても大抵の事はやり直せますから。
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