1 僕と彼女と雨と死と
「みんな雨が降ると嫌がるよね。なんでだろう」
赤い傘の軸部分を肩に乗せ、彼女が退屈そうに呟きを漏らす。声音は平坦で、情緒の欠片もない。
僕もまた、彼女に負けず劣らず退屈しきっていた。
僕は超能力者ってわけじゃないんだけどね、二分後のふたりが見えるよ――……
彼女が、
「私たちには関係ないね。だってどうせ死んじゃうしさ」
と言い、
それを聞いた僕が、
「最悪だ」
と返す。
ちゃんと分かっているんだ。
だって彼女はいつも、会話のオチに『どうせ死んじゃうしさ』をもってくるのだから。
捻りがないんだよな。
分かり切っているけれど、僕は親切だから、退屈しのぎに雑談に付き合うよ。
――みんな雨が降ると嫌がるよね。なんでだろう――か。
「明日のことを考えるからじゃないか?」
僕は淡々とした調子で応じる。
「雨に濡れると、後始末が大変だろう? 濡れたコートをクリーニングに出さなきゃとか、革靴がだめにならないよう手入れしなきゃとか」
「……じゃあそれ、あたしたちには関係ないね。だって死んじゃうしさ」
彼女が眠そうに目を細めてそう言う。
あー……思っていたよりも、そのワードが早く来たな。
もうちょっと紆余曲折あってから、『だって死んじゃうしさ』に行き着いてほしかった。
……無粋だなぁ。そこに持っていくまでの過程を楽しむ気はないのかね。
僕はちらりと横目で彼女を見遣る。
ていうか……どうでもいいことだけど、この子は茶系の制服がびっくりするほど似合っていないな。
薄茶のブレザーに、濃い色調のチェックのプリーツスカートという組み合わせは、意外と着る人を選ぶものなのかもしれない。
なんとなく彼女には、グレー系の制服が似合うと思う。
彼女の瞳は薄曇りの日の海を思わせるから。
薄暗くて透き通ってはいないのに、不思議な深みがあって、なぜだかそれなりに美しいようにも感じられる。
たぶん彼女は紺色も似合わない。……勝手な思い込みだけれど、紺色ってちゃんとした人じゃないと着こなせないイメージがある。
かくいう僕の制服は紺のブレザーで、この保守的なデザインは、何事にも折り目正しい自分には合っているような気がする。
僕と彼女は制服の相性さえも悪い。
茶系と、紺系。
隣を歩いていても、組合せ的になんだかしっくりこなくて。
そう――こういったどうでもいい所に、僕と彼女の関係性がよく表れているのかもしれない。
僕と彼女は相容れない。
ただね、ひとつ共通点もあるんだ。それは『近い将来、必ず死ぬ』ということ。
人はいつか死ぬ――そりゃそうだ。だけど僕らは『近い将来、必ず死ぬ』。これはもうね、決まっているんだ。
僕は小さく息を吐き、彼女に言った。
「最悪だ」
すると彼女がこちらを見た。傘をクルクル回しながらも、陽気さは皆無で、目が死んでいる。
「なんで最悪なの?」
「君はすぐに死ぬから関係ないって言うけれど、雨に濡れたあと、すぐ死ねるか分からないじゃないか」
「え、たぶんすぐ死ねるよ。てかさ、すぐ死ねなくても、たいした問題じゃないじゃん。どうせ死ぬんだよ?」
おいおい……正気か? 感性が違いすぎると、雑談すらも苦行だよ。
僕は意外と律儀なのかもしれない。聞く耳を持っていない彼女に説明を始めるのだから。
「今、雨に濡れるとするよな?」
互いに傘を差しているから濡れていないが、まぁ仮定の話だ。
「うん」
「あと一週間生き延びるとしたら、どう? 今着ている制服が濡れたら、やはり手入れは必要だろう? あるいは、あと一カ月生き延びるとしたら? 濡れてふやけたローファーを手入れもせず放置しておいたら、かなりひどいことになる」
「え、うざ」顔を顰める彼女。「つか、どうせ死ぬんだよ? いいじゃん、そんなのどうだって」
「どうだってよくない。どうせ死ぬなら、身綺麗なまま死にたい」
「うざ、さぶ」
「……語彙力のなさ」
「やば、キモ」
同年代なのにさ、反抗期の娘を持て余す、おっさんの気分になるよ。
うざ、とか、さぶ、とか言ってりゃ、自分が相手よりも上位に立てると思っているのか?
それは大間違いだぞ、目を覚ませ――お前がそれを言った相手は、大抵のケースで周囲から信頼を得ているし、お前を見て、『あなたこそ、言動のすべてがさぶいし、皆から嫌われてるよ……?』としか思ってないからな。
痛いやつが「うざ」「さぶ」って言う相手は、絶対まともだから。
「想像してみ? 洗濯物の生乾きの臭いを」
「……あー」
「最悪だろ? そんな状態で最期を迎えたくない」
そう言ったあとで、僕は頭上にかざしていた黒い傘をどけた。
髪に、まつげに、頬に、指に、次々と水滴が当たって、滑って、落ちる。
水滴が、重く、重く――……学生服に染み込んでいく。
ああ、不愉快だ、と僕は思った。
そんな僕を、彼女は呆れ顔で眺めている。
「……いいの? 言ってた話と違うことしてるじゃん」
そう言いつつも、彼女も赤い傘をどける。
彼女もすぐに濡れていく。
「あー冷た……やっぱ雨嫌い」
がっくりと肩を落とし、無気力そのものといった顔つきで空を見上げている。
だらしなくて、姿勢が悪くて、頭が悪そうで、不機嫌そう。
言い方は悪いけれど、彼女は、これまでの僕が避けてきた人種そのものだった。
……僕はね。
これまでずっと、世間一般が「好ましくない」と言いそうなことは、決してしないで真面目に生きてきたよ。
別に無理をして、いい子ちゃんを演じていたわけでもない。
――『無難』って、得することが多いしね。
リスクを避けることで、結果的に楽に生きられた。
見た目がそれなりに爽やかで、穏やかな態度を取っていれば、大抵の人から親切にしてもらえる。
それなりに人から好かれ。
目立つトラブルもなく。
そう――かなり順風満帆な人生だったよ。
まだ十七年しか生きてないくせに、何をいっちょ前に総括してんだって話だけどさ。
とにかく僕は枠組みから少しもはみ出ることなく、生きてきたんだ。
だけどそんなふうに自分を縛って生きてみたって、なんにもならなかったんだ。
ほんの一週間前までは、『人生まだまだ先が長い』と安心しきっていた。
とんだ甘ちゃんだったな。
どうしてあんなふうに、呑気に過ごしていられたのだろう。何も気づかずに、のうのうと、馬鹿みたいに。
呑気でいたぶん、ショックがでかかったね。
あんなとんでもないことを、なんてことない喫茶店で告げられたんだ……そりゃあ、やるせない気持ちになるものだよ。
――僕と彼女は、もうすぐ死ぬんだってさ。
しかもだ。
彼女が死んだあと、僕はきっかり二十四時間後に死ぬらしい。