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神なき世界  作者: みやす
1/2

前半

おれたたえんど予定。

無理して読む必要はありません。

コメント等受け付けておりませんのであしからず。

( 零 )

 暗がりの中、先頭の女の頭上に漂う明りを頼りに歩く者達がいた。

 主がいなくなって久しい館はいたるところが朽ちている。


「俺たちのあるじ様は本当にこんなところに住んでいたのか?」

「・・・昔はもっと綺麗でたくさんの人がいたんだよ」


 軽薄そうな笑いを浮かべる男に女は苦笑した。

 これがかつてこの世を治めていた者の居城だとは今の姿からはまったく想像が出来ないだろう。

 床は抜け壁は崩れ落ち、敷地内には大小様々なクレーターがあった。

そこは見る影も無く廃墟だった。


「俺たち本当にここまで来たんだな」

「ダメよ気を抜いちゃ。まだ終わったわけじゃないんだから」


 興奮と感慨をいり混ぜた声を上げたまだあどけなさの抜けきらない少年とそれを窘めた隣を歩いていた同じくらいの年かさの少女。

 他の者より幼い二人はきょろきょろと落ち着かないようだ。

 少年は燃えるような真っ赤な髪にダークレッドの瞳、浅黒くやけた褐色の肌がやんちゃな雰囲気を漂わせている。

 少女はプラチナブロンドの髪にグレーの瞳、白磁のように白く染みもない滑らかな肌は彼女自身が身に纏った純白のローブよりも白く透明感があった。

 二人並んで言い合う姿はまるで黒い子犬と白い子猫がじゃれあっているようにしか見えない。

 少年は少しムッとした顔をしたが、お姉さんぶった口調の少女の顔を見ると舌打ちしてそっぽを向いた。


「あー、感じわるーい」


 少女はふくれっ面になると、先頭を歩いていた女の腕に跳びついた。


「ねー、依代様からも言ってよー」

「まぁまぁ、実際それだけのことをしてきたのです。感慨にふけってしまうのも仕方のないことですよ」

「依代様は甘すぎなんだよー。だからみんな付け上がっちゃうんだからね」


 依代と呼ばれた女は微笑して少女の頭をポンポンとたたいた。


「もー、いつまでも見習いの子供じゃないんだからね」


 少女は口では文句を言いながらも満更でもない表情を浮かべた。


「そうだね、もう立派な魔法使い様だ。おかげでここまで来られたんだからね」

「そーだよー。もーどんどん頼ってくれていいんだからね」

「ありがとう。頼りにしているからね。皆もあと少し、もう少しだけ力を貸して下さい」


 少女がまだまだ慎ましく控えめな胸をそらせるのを微笑ましく思いながら、依代は皆に頭を下げた。

 先頭を行く軽薄そうな男も小柄ながら巌のような貫禄の小男も、品のある長身の男も、後ろを歩く黒髪の美女も皆軽くうなずいた。


「とーぜんだよ。依代様は心配性だなー」


 少女は満面の笑みで答える。

 そんな少女を見ている少年の顔だけが曇っていた。

 その様子を見ていた長身の男は少年の肩に軽く手を置く。


「最後まで気を抜いてはいけませんよ。私たちはまだ何も事を成してはいないのですから」


 少年は男の言葉に顔を上げると、少女の方を見た。

 しばし視線を送った後、再び前を向いた瞳には少年にはそぐわない仄暗い火が灯っていた。


 数刻の後、彼女達は目的の地にたどり着いた。

 部屋と呼ぶには少し広すぎる空間の先には数段の段差があり、そこには大の男が三人座って有り余る大きさの石でできた椅子が倒れていた。

 足が砕かれ所々崩れてしまっていたが、一枚岩から削りだして作られたであろう椅子には様々な細工が施されているのが分かる。

 華美な装飾はないものの朽ちてなお荘厳な雰囲気をかもし出しているそれは、まさに玉座と呼ぶに相応しい。

 一同は漫然と誘われるかのように玉座の前まで進み出た。

 その中でただ一人依代だけは喜びと悲しみが同居しているような複雑な表情で一歩一歩何かを確かめるように歩いていた。


「ついにここまでたどり着いたよ」


 今度は依代のささやくような言葉だった。

 依代は玉座の前にたどり着くとその場に立ち尽くしていたが、しばらくして仲間を振り返った。


「皆さんのおかげでここまで来る事ができました。もう少しで餓えも争いもなく、全ての人が笑って暮らせる世界が戻ってきます。最後にもう一度だけ力を貸して下さい」


 依代が頭を下げると皆が思い思いの言葉で応じた。

 その中、一人黙りこくって緊張の面持ちで立つものがいた。


「そんなに緊張しなくてもいいよ。少しの間だけ預かり物をしてくれるだけでいいんだ。何も難しいことなんてないから」


 少年の顔を覗き込むようにして話しかけると、緊張をほぐす様に笑みを投げかける。

 眩しいものを避けるように少年は少し後退ると俯いたまま軽く頷いた。


「それじゃあ、始めます」


 依代は全員の顔を確認すると両の手を差し出すように指示した。

 目を瞑り何かを呟くと依代の体から光があふれ出し、一同はあまりの眩さに目を閉じた。

 光がおさまり目を開けると六人の手の上にはそれぞれ別々の結晶が乗っていた。

 人間の頭ほどの大きさがあるそれは、重さ以上にその存在感がずっしりと圧し掛かってくる。


「大変かもしれないけど、少しだけお願いするね」


 そう言って依代は玉座に向き直った。

 新月の月夜のような黒髪はいつの間にか何物にも染まっていない純白に変わっていた。

 依代は両膝を着くと手を組んで祈りを捧げるように俯いた。


 これまでの長旅を思うと万感の思いだった。

 多くの人に助けられ支えられここまで来ることができた。

 自分ひとりでは到底無理だったであろう道のりを思うと、達成感や充足感よりも感謝の念の方が大きいかもしれない。

 俯いた依代は小さく笑みを浮かべていた。



 お前は人間が愚かだと笑うが、なかなかどうして捨てたものではないだろ。



 そして、依代は旅の終わりの言葉を紡ごうと息を吸った。

 その瞬間、焼けるような痛みが依代を貫いた。

 目を開くと己の胸から刃が生えていた。

 何が起きているのか理解できず、ただただ白銀の刃に滴る己の鮮血を眺める。

 依代は背中から剣を引き抜かれた勢いで背後に崩れ落ちてしまう。

 見開かれた双眸は剣を握ったままの少年を映し出した。


「こっ、この力さえあれば神なんかいらないんだ。俺たちならもっといい世界が作れるんだ。人間の世界にお前たちの存在する場所なんかないんだよ」


 声を震わせた少年は自らに言い聞かせるように叫ぶ。

 ある者は驚愕に身を凍りつかせ、ある者は決意の眼差しで見つめ、ある者は冷静に見渡し、ある者は現状を理解できず、ある者は薄っすらと笑みを浮かべた。

 皆が立ち尽くすなか、見下ろしている女に死を与えるため少年は震える両手で剣を握りなおした。


「・・・そっか」


 依代は誰にも聞こえない声を漏らすと少し悔しそうな、困ったような微笑を浮かべた。

 己の心中にあるわだかまりを吐き出すように深呼吸すると、少年は剣を振りかぶった。


「じゃあな、依代様」


 吐き捨てると、剣を振り下ろした。



 渾身の斬撃は何か柔らかいものを切り裂いた手ごたえがあった。

 やってやった。

 少年はそう思った。

 しかし、少年が見たものは立ちふさがる少女の姿だった。

 少年は理解できなかった。

 真っ白な少女は己の体液で真っ赤に染まり、噴出した鮮血は少年も真っ赤に染めていった。

 なぜお前がいる。

 どうして。

 少年の手から剣が滑り落ちた。


「・・・ダメだよ」


 いつもの怒ったような、それでも泣きそうな顔で少女は言った。


「こんなの・・・ダメだよ・・・」


 足元から崩れ落ち、少女は依代をかばうように覆いかぶさった。


「どうして・・・なんで」


 少女のすでに閉じかけていた眼から雫が頬を伝う。

 その瞬間強烈な光に襲われた。

 光がおさまると辺りは先ほどよりも濃い暗闇に覆われていた。

 床には大きな血溜りができているが、それ以外は何一つ残っていなかった。




( 壱 )

 雲ひとつ無い空。

 見渡す限りの砂漠。

 オアシスに広がる波紋と活気のある町。

 いつもと変わらない景色を眺める少年の頬を乾いた熱風が撫でる。

 ここは砂漠に点在するオアシスの一つ。

 オアシスを包むように広がる町は行商の拠点として始まり、光に誘われる虫達のように集まった人々によって大きくなった。

 少年は今日も賑やかな町を見下ろす。

 町を一望できる塔の天辺に少年は幽閉されていた。

 部屋の中には木槌や金槌などの工具や彫刻刀やはさみなどの道具、用途不明の機器が置かれている。

 足の踏み場も無いくらいに雑多に置かれた木材や金属のインゴットは彫刻や彫金、細工の素材で、足元に転がるアクセサリーや調度品の中には創作途中のものも混ざっている。

 少年は塔の最上階に閉じ込められ日がな一日作品を作っていた。

 気乗りせずベッドに倒れこむ少年。

 次第に瞼が重くなり、少年の精神は肉体と言うしがらみから開放される。




 かつてこの世界は一人の神によって統治されていた。

 人々の暮らしは神の名の下に守られていたのだ。

 全ての民は神によって導かれ、全ての罪人は神によって裁かれた。

 しかし、どんなに有能な指導者がいたとしても国というものは滅ぶもの。

 神の治める世界においてもそれは例外ではなかった。

 平和な日常も永遠に続くことはなかった。

 長く続いた平和にもやがて小さな綻びが現れた。

 初めは些細な争いだったのかもしれない。

 だが人々の争いは次第に大きくなった。

 神が仲裁に出てきた後には、力に対する反発と争いの種火が人々の心の中でくすぶり続けていた。

 もしかしたら神という名の絶対的強者によって押さえつけられていたからこそくすぶり続けたのかもしれない。

 その後も諍いは絶えず、どれだけ神が奔走しようとも争いはなくならなかった。


 そして、人々は反旗を翻した。

 人々の蛮行に愛想を尽かした神は姿を消した。

 器を残して。


 箍が外れた世界は大いに荒れた。

 大地は荒れ、水は腐り、光は陰り、人は争った。


 その時、六人の賢者が現れた。

 彼らは残された器を御旗に、神の再臨を信じて立ち上がった。

 袂を違えてしまった人々の心を一つにせんと。


 彼らは強大な力、明晰な知、優しき心を持って乱世を治めた。

 しかし、白の賢者の裏切りにより器が破壊された。

 乱心したかつての仲間を彼らは討った。

 破壊された器は跡形も無く消え去った。

 彼らの夢は道半ばで絶えてしまったのだ。


 彼らは、神なき世界に以前よりも素晴らしい世界を作り上げることを誓った。

 後に5つの国が起こり、五賢者は五王となった。





「ユン・・・ユンさん聞いていますか」

「・・・ハイ」


 意識をどこかに飛ばしていた少年は、自分の名前が呼ばれていることに気がつくと何とか立ち上がった。


「えーと、伝説の五賢者様が裏切り者を討ち果たし、精霊を使役して今の平和な世界を作り上げました・・・でいいですか?」

「はーいその通りでーす。ユンさーん、好きな子のことを考えるのもいいですが、今は私の話を聞いてくださいねー」


 自信なさげに答えたユンにシスター・セーラがおどけて釘を刺した。

 部屋のあちこちから子供たちの笑い声が聞こえる。

 ユンはすみませんと謝って椅子に座った。

 ここは村の外れにある教会。

 この森に囲まれた小さな木造の教会堂には、大小さまざまな子供たちが集まっていた。

 教会堂ではシスター・セーラが空いた時間を使って子供たちに読み書き、計算を教えている。

 子供たちの大きさはまばらで、一番上は十六歳の少女、一番下は六歳の少年と幅広い。

 そのため、授業を行うのはシスターだが、わからないところは年長者が下のものに教えることになる。

 ユンも来月には十六回目の誕生日を迎えるので年長組の一人だった。

 普段は年下の者に教える立場のため、こういうときは必要以上に注目を浴びてしまう。

 視線を感じて隣を見るとそばかすが愛らしい少女がニヤニヤと見ていた。


「ユンのえっちぃ。」

「・・・。」


 少女を一瞥するとユンは無視した。


「ごめんてー。すーぐそーやって怒るんだからさー」


 ユンの冷たい反応もなんのその、大して気にした様子も無く少女は続ける。


「そいで、ユンさんはいったいぜんたい何をそんなに考えてたのさ」

「何でもない。サクラには関係ないことだ」

「ふーん、それは私には言えないえっちぃことってことだね」

「まあ、そんなとこだ。なかなかディープな話になるからこれ以上は聞いてくれるな」

「おーまいごっど。あんなに純真無垢だったユンさんがいつの間にかこんなに汚れてしまっていたなんて、この世に神はいないんね」

「そーだな」


 少し考えてからサクラと呼ばれた少女はつぶやいた。

「・・・ユンのばか」

「そーだな」


 気のない返事で適当に返すのが気に入らないサクラは打って出ることにした。


「そいで、ほんとんとこはどうなんさ。実はユンさんはかわいいかわいい幼馴染の私の事を考えていたとか?」

「・・・あぁ、そうだな。実はお前のことを考えていた」


 どうやったら静かになるかそんなことを考えていたユンは正直に答えた。


「え、あ、うぅぅ~~」


 思わぬ返答にサクラはしどろもどろになってしまい、しまいには俯いてしまう。

 突然顔を真っ赤にして俯いてしまったサクラのことを不思議に思いながら、ユンはいつもと変わらない窓の外の景色に目を向けた。

 毎日繰り返される日常、何も変わらない日常、そんな日常にユンはうんざりだった。

 いつの間にかユンの思考はまた協会の外に、正確にはまだ見ぬ世界へ向かう。

 何か起こらないかな。

 心ここに在らずのユンをよそにシスター・セーラの授業は続いた。



 この世界は海に囲まれた大きな大陸だった。

 まん丸とはいえない歪んだ丸の大陸の中心には大きな湖がある。

 遠い昔、人々の横暴な振る舞いに神が怒り姿を消したとき、繁栄を極めていた都市は消滅し大地には巨大な穴が開いた。

 この大穴に長い年月をかけて水が溜まり、かつて神が住んでいたといわれる地はいつの間にか湖となった。

 天湖と呼ばれるその湖は四方を天にも届くようにそびえる山に囲まれている。

 険しい山は人々に頂を見せることは無く、神の地へ行かんとする者を拒み続けている。

 天湖を中心に北に在るのは闇の国。

 一年のほとんどを雪に閉ざされ光が届かずいつも薄暗い。

 北西に在るのは風の国。

 高い山に囲まれた地には風が吹き、人々の奏でる音楽はその風に乗って流れる。

 南西に在るのは土の国。

 地下資源に溢れ穴を掘る人が多く、どこかに穴ぼこで中が空洞になってしまった山もあるという。

 南にはうっそうと茂る森。人が住み着かず獣や魔物が溢れる地。

 南東に在るのは火の国。

 ほとんどが砂漠に覆われオアシスに寄り添うように集まる人々。乾いた空気に炎は踊り、冶金や鍛冶が盛んに行われる。

 そしてここは水の国の外れにある小さな村。

 水の国は大陸の北西に在る国で、東西に流れる大河を中心に発達した国だ。豊富な水資源は大地に実りを育み、張り巡らされた運河は人や物そして富を運んできた。

 豊かな国ではあるが国の主な産業は漁業、農業、畜産業である。

 国土の半分以上が川、湖、湿地帯で占められており鉱山などの地下資源は皆無といっていい。

 その為、水の国では水キャベツ等の水生植物の栽培や漁業、魚の養殖、水牛等の水生家畜を育てることで生計を立てていた。

 多くの民草は日の出と共に畑仕事に精を出し、家畜を世話した。空いた時間を使って機織などの工芸品を作る者もいるが、十分に実りがあるため農閑期以外で行うものは少数だ。

 しかし、水の民が作る工芸品には水の精霊の加護が宿るため旅人に重宝され高値で取引されていた。

 持ち運ぶだけで水が少しずつ溜まる水筒やカップは乾燥地を旅するには必需品だが、多くが慰み程度に作られた物や小遣い稼ぎで作られた物のため、数回使用すると加護が消える消耗品だった。

 また、専門に作っている職人が少ないことも高値な原因となっていた。

 それでも、十分な実りが得られるこの地において無理に稼ぐことをする者は少なかった。

 これらの加護が宿ったものはアーティファクトと呼ばれ、その民の持つ性質によって様々な効果が付与される。アーティファクトの性能は創造者の持つ力に左右されるが、中には込められた強い思いや創造時の感情の昂ぶりによって思いがけないほど強力な物ができることもあった。

 地方の村でも子供を労働力として必要としないくらい豊かだった。

 そのためシスターのミス・セーラが村の子供たちを集めて読み書き計算を教えていたのだ。

 十数人の子供たちは、濃淡はあるもののみんな青い髪と瞳だった。

 青い髪と瞳は水の民の証だ。

 火の民なら赤く、闇の民なら黒い。

 髪を見たらそれが何処の民かは一目瞭然。

 水の民はただ髪や瞳が青系統の色をしているだけではなく、水の精霊に祝福された民のことで、彼らは水の精霊に働きかけ水魔法を使うことができた。

 そのなかで一際濃い色の髪をしているユンは、大人を合わせても村で一番の力の持ち主だった。

 その力は雨を降らすことすら可能で、大人たちからも一目置かれていた。

 しかし、それだけの力を持っていても村から出ることは許されず、狭い村に閉じ込められていることがユンには不満だった。




 何処からか鳥の鳴き声が聞こえている。

 雨戸を開けっ放しの窓から差し込む光がユンの顔を照らし覚醒を促す。朝もやが立ち込めているのか、いつもより弱弱しい朝日を浴びてユンはムクリとベッドから体を起こした。

 まだ重い瞼を擦りながら部屋を出ると玄関に向かう。

 寝室から出るとリビングのテーブルの脇を抜け、暖炉を越して段差を二段降りると玄関ついた。住み慣れた家は目をつぶっていてもぶつかることなく目的地につくことができた。

 ドアノブを回し扉を押し開けると、ギイーと立て付けの悪い音がした。

 初夏とはいえ朝はまだ冷え込む。吐く息は白く吸い込む息は肺を切りつけるようで、体にまとわりつく冷気は肩を震わせた。

 更に階段を数段下りてテラスから出ると、家の前を流れる川の前で立ち尽くし、ユンはおもむろに水面に顔を押し込んだ。

 五秒が過ぎ、十秒が過ぎ、一分が過ぎた。

 何も知らない人が見たら事件と勘違いしそうな状況のまま数分が過ぎると、突然ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲み始める。

 更に数秒の後、ガバッと頭を上げ犬のように頭を振ると周囲に水が飛び散る。

 顔には空色の髪が張り付き、払いきれなかった水が滴っている。

 目を完全に覚ますと家に引き返し、タオルで顔を拭き髪の毛の水分を拭き取った。ユンは肩までびっしょり濡れたシャツを脱ぎタオルと一緒に洗濯籠に放り込む。

 上半身裸のまま部屋に戻ると作業服に着替えて再び外に出た。

 ユンは橋を渡ると森へ入って行く。森には獣道があり地面に草はなく行く手を遮る枝も無かった。ここはユンだけが知る道で枝が邪魔になるとむしり、草は歩き続けているうちにいつの間にか生えなくなっていた。周囲が薄暗くなるくらいに茂った森はしばらく続き鳥の鳴き声さえも不気味に聞こえる。次第に木々の隙間から光が差し込み始めるとやがて湖に抜けた。

 ユンの家は村から少し離れた川の上流に位置しており、大きくカーブした川は森を挟んで大きな湖になっていた。

 大きく見えた湖は実は大した大きさではなく、周囲にたくさんの溜池が作られたことで肥大化して大きく見えているだけだった。

 初めは変哲も無いただの湖だったが、人々はこぞって新たに溜池を作り近くに家を立て、この溜池で家畜を育て魚を養殖した。次第に小さかった湖は大きくなりたくさんの家で囲まれた小さな村になっていた。

 森を抜けたユンは木造の民家を曲がると村で一番の溜池の脇に立っているガタイの大きい男を見つけると駆け寄った。


「おはようございます。ダンおじさん」

「おはようユン。今日も早いな」


 白ランニング姿で手を振るダンは、浅黒く焼けた肌を際立たせる真っ白な歯を見せて微笑んだ。


「いつも自分より早く来ている人に言われるとなんか複雑ですね。今日こそは先に来たと思ったんですが」

「はっはっはー」


 苦笑いするユンを見て、ダンはわざとらしいくらいに豪快な笑い声を上げた。


「まぁ、おじさんだからな。年を食うと長くは寝れなくなるものなのさ、ちょっとした物音でも目が覚めちまうし大変なんだぞ、少年」


 いつも年だ年だとおどけてみせるおじさんだが、筋骨隆々な肉体は衰えを感じさせず、肌はつやつやで、細目がちな顔は年齢を詐称する。

 すでに四十半ばを越えていたはずだが、誰が見ても三十半ばか少し若いくらいにしか見えない。

 実際、ユンから見て実年齢よりも若く見られ侮られる事を嫌って、年寄りを自称している節があった。


「それではいつも通りで頼むよ。私は隣を見てくるからね」


 軽く手を振りながらニコニコと去っていくダンに「了解です」と返してユンは作業を始めた。


 ダンのところには三つの溜池があった。一つは魚の養殖池で水の国では最も多く養殖されている有名な魚を育てている。

 この魚は白身でありながら身は赤みを帯び、割と淡白なものが多い川魚の中では脂が乗っていてうまい。

 大きくなると体調は一メートルを超え、特に産卵直前のものは絶品であり、また卵もおいしく食せると人気があった。

 残りの二つは水牛(みずうし)の飼育を行っている溜池だ。

 水牛はとても臆病な家畜で耳元で手を叩けば死んでしまうとすら言われている。

 形は牛にそっくりだが、水中で外敵から発見されないように体は透き通っており、水中に入ってしまえば発見することは困難だが、加熱すると白く変色する。

 肉質は最高でかぶりつけば容易に噛み切ることができ大量の肉汁が口腔内に溢れる。

 また口の中で解けるように消えていく肉は水の国にやってくる多くの人々を魅了した。

 しかし、国外での飼育は難しく日持ちをしないため水の国でしか食す事ができない。

 そのため国外で出会えたとしてもそれは目が飛び出るほどの高値で売られ、大体が偽物であり例え本物だったとしても鮮度が悪く水牛本来のパフォーマンスを発揮できていないという。

 ユンは水面を覗き込んだが、水牛を確認することはできなかった。

 最新の注意で餌を投入するとゆっくりと咀嚼する様子が見て取れた。

 水中を餌を詰め込んだ胃袋と思われる袋状のものが泳いでいる姿を確認できたら、排水溝に溜まったごみを取り除く。

 排水が詰まると水が滞りみんな酸欠や水質の悪化で死んでしまうため、十分に確認しながら慎重に行わなければいけなかった。

 一通り作業を終えるとダンが戻ってきた。


「お疲れ様です。こっちは終りました」

「はい、お疲れさん」

「それでは」


 ユンは報告だけして立ち去ろうとするが、いつの間にかダンにがっちり肩をつかまれていた。


「まぁそんなに慌てなさんな。まあ朝食でも食っていきなさい。」


 優しい口調だったが、そこには有無を言わさない威圧感があった。


 ユンの溜息をよそに、ダンの娘自慢が始まっていた。

 昨日の娘たちはいかに可愛かったか、どんな表情が一番魅力的かということから、初めてしゃべった言葉が「パパ」だったことに続き、今は初めて誕生日に手作りのプレゼントをくれたことを語っていた。

 ダンの家は歩いても五分とかからないところにあったが、二十分以上経過した後に未だ見ぬ将来の婿に激怒し泣き始めたところでなんとかダンの家にたどりつくことができた。

 ダンはとても良い人だが、過剰な娘愛によって現世を飛び出し未知の世界に行ってしまうことがしばしばあった。

 玄関の方からパンの焼けるいい匂いがすると「ぐう」と自然と腹の虫が鳴き、大きく響いた自己主張はダンを現実世界に引き戻した。

 何の音かわからず回りを見渡すダンだったが苦笑いをするユンをみて笑った。


「さあ、おいしい朝ごはんが待っているぞ」


 ユンの肩に食い込んでいた指が離れると、背中を押され玄関の中へと誘い入れられた。

 いい匂いに誘われるように歩くと食卓にはすでにサラダやベーコンエッグがユンを含めた人数分用意されていた。


「おはようユン。今日も良い朝だね」

「ユンユン、おはよう」


 食卓に着くと台所から焼きたてのパンを持ったおばさんとミルクを抱えたユンと同年代の少女が出てきた。


「おはようございます。ファリセナおばさん」


 少女を無視してファリセナに挨拶を返した。


「なんだいなんだい、こんな可愛い幼馴染があいさつしてるのに無視しちゃいけないぜ、ユンさんや」


 朝から妙なテンションで絡んでくるサクラに少しうんざりするが、無視し続けると後々面倒なことになるのは長い経験上理解していた。


「本当に可愛い子は自分のことをわざわざ可愛いとは言わないし、本当に幼馴染なら俺の名前を間違うわけが無いな」

「それは私が可愛くないってこと?ユンのバカ」


 サクラは雨上がりの空のような薄い水色の髪と瞳をしており、部分的に編み込みしたショートヘアは活発な少女の印象を与えた。

 好奇心旺盛な大きな目はいつも輝き、薄い唇はよく動く。

 本人はそばかすとツンと上を向いた鼻をコンプレックスとしていたが、客観的に見て十分に魅力的な女の子だった。


「まあ、可愛くなくは無いな」


 可愛いと口にするのは面白くなくて言葉を濁したユンだったが、その言葉はサクラを開きかけた口のまま硬直させた。

 口をつぐんだまま座り込んでしまったサクラから開放されると、ユンは隣の席の皿に顔を突っ込んでいる少女に目を向けた。

 少女の名前はリラ。

 サクラの妹のリラは姉と同じ色の髪をしているが、髪は年中ぼさぼさだった。

 姉は少し吊り目なのに対して妹は垂れ目でいつも眠そうに見えた。

 実際ユンが気がつくといつも寝ていて、昼には協会脇の大きな木の下で昼寝をしているのを何度も見たことがあった。

 ファリセナおばさんに注意されてムクリと上げた顔には、べったりと卵の黄身がついていた。


「おはよう、リラ。今日も眠そうだな」


 まだ寝ぼけているのか定まらない焦点がこちらを向いた。

 何だこいつと言わんばかりに首を傾げた後、しばらくしてコクリと頷いた。

 ユンは指を刺してリラに顔の汚れを教えたが、小首を傾げるだけで気にすることなく朝食を食べていた。

 ユンはパンにベーコンエッグとサラダを乗せ、さらにパンを重ね即席サンドウィッチを作る。

 サンドウィッチにかぶりつきながら前に座るダンに目をやると、親ばかフィルターを通してみているのか朝から残念な娘たちに目を細めている。

 そこへ朝食の準備を終えたファリセナが台所から戻ってきた。

 いつも通りの朝食風景を目にして呆れているファリセナおばさんと目が合うと、お互いに肩をすくめて苦笑いをした。


「ほらほら早く食べちまいなよ。いつまでたっても片付かないだろ」


 ファリセナおばさんが手を叩いて注意するとみんな食事を始めた。



 朝食を終えユン、サクラ、リラの三人は協会に向かう。

 未だに眠そうなリラはサクラの裾に掴り引きずられるようにして歩いていたが、サクラの方は特に気にすることも無く元気に歩いている。

 リラは常時眠たそうで一見鈍そうに見えるが、無駄に幼い頃からサクラに連れ回されているわけでは無く運動神経は抜群だった。

 ただ、その能力を差し引いても有り余るやる気の無さが彼女の真価を発揮する場面をことごとく奪っていた。

 幼い時には連れ回されているだけのリラも年を重ねるごとに利口になり、やがて勉学を理由にすることで両親を味方に引き込んだ。

 サクラの相手を回避する理由に選んだ勉学だったが、元来出不精のリラには合っていたらしい。

 やる気の無さに理知的な側面をプラスし、いつの間にかとてもクールな女の子に育ってしまった。

 サクラはいつも元気で運動は得意だが勉強は苦手だった。

 姉御肌で面倒見が良く子供たちに慕われているが、彼女の仕掛ける悪戯は周囲を巻き込むことが多く大人たちからは目をつけられている。

 先日はミス・セーラに普段の感謝のプレゼントをするために、子供たちがみんなで木の実を採ってきた。

 そこにサクラの悪い虫が顔を出してしまった。「ただあげるだけじゃーミス・セーラも喜ばないよ。もっと驚かせてあげようさ」と子供たちを丸め込んだ彼女はプレゼントの箱にちょっとした細工を施した。

 その結果、ミス・セーラが箱を開いた瞬間に箱が破裂し中身が飛び散った。サクラの企みは見事に成功しミス・セーラは目を見開いて驚いた。

 しかし、そこからが誤算だった。

 熟れた真っ赤な実が勢い良く飛び散り壁や机、そしてミス・セーラにぶつかり赤く染め上げる。

 まるで血の海に佇んでいるような彼女は、傍目からは血に餓える殺人鬼に見えた。

 俯き加減で見えにくかったが彼女の瞳に怒りの炎が燈るのを子供たちは見た。

 怒りに肩を震わせながら協会から出てきた殺人鬼もといミス・セーラは、恐怖で顔面蒼白になる子供たちの間を縫ってサクラの前までやってきた。


「ハーイ、ミス・セーラ。今日もお変わりなく美しいデスネ」


 右手を軽く上げてフランクに声をかけるサクラだったが、先ほどまで浮かべていた笑顔は消え、その目は恐怖で歪んでいた。

 無言で仁王立ちのミス・セーラから油の切れたロボットのような動きで顔を背けると、ついに雷が落ちた。


「またあなたですか。あなたですね、あなたしかありえません」

「ちょっとそこに正座をなさい」

「いやぁ、でもミス・セーラ。ここは石だらけだし正座は無いんじゃないかなぁ「いいから正座なさい」ハヒッ!!」

「いつもいつもあなたは…………………」


 背筋を伸ばして正座をするサクラに数時間にわたり延延説教をした後、ミス・セーラも少しは落ち着いたようで、すでに乾いていた血糊のような果汁をハンカチで拭い取った。


「それで、何でこのようなことをしたのですか」

「それは・・・」

「それは?」


 長時間に及ぶ説教で精も根も尽きて俯いていたサクラが顔を上げると、サクラの目はミス・セーラ越しに遠くで夕食のウサギをぶら下げて歩いているユンを捕らえた。

 再度俯いて上げたサクラの眼には涙が溜まっていた。

 そして意を決した表情に切り替えると、指を刺した。


「それは・・・ユンがその方が面白いからって」


 ゆっくりとサクラの指差した方を振り返るミス・セーラの顔はまるで般若のようだった。


「この馬鹿をけしかけたのはあなたですかーーー」


 スカートの裾をたくり上げながら鬼の形相で猛然と走ってくるミス・セーラに、ユンはぎょっとしてぶら下げていたウサギを落とした。


「あの馬鹿にいらないことを吹き込んだのはあなたでしたか・・・・・・」


 ひどい言い草だなと思いながらもユンはこの状況を一瞬で理解した。

 ニヤニヤ笑いながら手を振って去っていくサクラを見ながら、ユンは心の中でありとあらゆる罵詈雑言を投げつけた。

 謂れの無い説教が終った頃にはすでに日が暮れ真っ暗になっていた。

 翌日、颯爽と逃亡したサクラの代わりにリラと二人で協会の掃除を終えると、全ての原因となった赤い身をもってサクラが現れた。

 赤い実を渡されると、こんな物でチャラになると思っているのかと怒りがこみ上げてきたが、サクラの邪気の無い笑顔を見ていると、次第に腹を立てることすら馬鹿らしく思えてきた。

 隣にいたリラと顔を見合わせて肩をすくめると、リラは無言でユンの右肩に手を置いた。リラの目は「諦めろ」と言っていた。

 考えてみるといつもユンが割りを食っている。

 快活なサクラと物静かなリラ。二人を足して二で割ればちょうどいいと秘かに思っていたが口にすることはない。


「なにかむかっ腹なことを言われている気がする」


 いつの間にか先を歩いていたはずのサクラが立ち止まってこちらを見ていた。


「気のせいだろ」


 サクラの顔には腑に落ちないと書いてあったが、適当に流して三人は歩いていく。


 教会堂に入るとすでに複数の子供たちがいた。サクラは真っ先に最後列の窓側へ陣取り、勉強を邪魔されるのを嫌うリラは最前列の中央に陣取るために歩いていった。

 ユンはちょうど真ん中辺の窓側に座る。

 特にやることも無く、目を閉じるとすぐに意識が泥の中に沈んで行った。


「「「おっはよーございまーす」」」


 大きな声で目を開けると、壇上にはミス・セーラが立っていた。

 どうやら寝入ってしまったらしい。小さく欠伸して伸びをした。

「ユンちゃんユンちゃん、お口の端から涎が垂れておる」

 

 そしていつの間にかサクラが隣に座っていた。

 じと目でサクラを一瞥して、口の周りを拭った。


「うっそー。だいじょぶ、涎なんか垂れておらんよ」

「・・・」


 ユンは今のでサクラを無視することに決めた。


「ユンさんや」

「・・・」

「ユンさんやー」

「・・・」

「ユンさんやーい」

「・・・」

「ユn」

「そこの二人お静かに」


 机を叩いて笑顔でミス・セーラが注意する。

 子供たちは一斉にユンの方を向いてくすくす笑う。


「すみません」


 腑に落ちない怒りを押しとどめながらユンが答える。


「やーい、ユン、おーこられたー」

「・・・」


 イラッとしてサクラを睨みつけるが、本人は何処吹く風でむしろ相手にされたことを喜んでいるように見えた。

 ユンは諦めてミス・セーラの講義に耳を傾ける。

 その後もサクラはちょっかいをかけてきたが、無反応を貫くとしばらくして大人しくなった。

 突然止んだ攻勢に違和感を覚えて覗き見ると、してやったりとドヤ顔のサクラと目が合った。

 単純な押してだめなら退いてみろ作戦に見事に引っかかったユンは惚けてしまった。

 サクラが頭を使ってきたことに一瞬驚いたが、考えてみればサクラは勉強をやらないだけで勉強が出来ない分けではなかった。

 サクラはただの馬鹿ではない。

 無駄な馬鹿なのだ。

 ただその単純な作戦に引っかかった自分が恥ずかしかった。

 一瞬の隙を突いてユンの使っていた紙を奪うと自分の胸の下に隠してしまう。

 咄嗟に手を伸ばすが途中でその手を止めた。ユンの伸ばした手の先にはサクラの年の割には発達した胸があった。


「ユンのえっちぃ」


 引っ込めたら認めてしまうようで、攻めも退きもできないままユンは硬直した。


「ユンさんや、そんなに勉強ばかりしていると頭がおかしくなっちゃうよ」

「ああ、そうか。勉強をしないからお前はバカなんだな」


 優しく諭すように話しかけるサクラにユンは厳しく返した。どうやら自分が思っている以上にはめられたのが悔しかったようだ。


「ムキー、バカって言った。バカって言った方がバカなんだよー」

「お静かに!」


 大声をあげたミス・セーラのこめかみには薄っすらと青筋が浮かんでいるように見えた。いつも以上に怒気をはらんだ声色に多くの視線がユン達に向けて送られた。

 その中でも強烈な視線を感じた方を見ると、最前列にいたリラが冷たい目でこちらを見ている。「何やってんの?」「他所にいってやれば?」という絶対零度な視線の先には未だにサクラの胸に手を伸ばすユンの手があった。

 変な汗が体中から滲み出、顔に血が上っていくのが自分でもわかった。硬直して動かない手をゆっくりと下ろすと、ユンはガックリと項垂れた。


 ミス・セーラの講義が終ると、しばらくお小言を貰って教会を出た。

 教会の周りは小さな広場になっており、ブランコやシーソーといった簡単な遊具があった。

 講義が早く終った時や昼飯後には子供たちが遊んでいる姿が見られたが、すっかり昼時をまわっていた広場にはすでに人影は無かった。

 協会から出るとユンは誰もいないブランコが取り付けられたモミの大木に向い、サクラもそれに続く。

 やはりそこにいた。

 このモミの木の根元には子供一人くらいなら隠れることができそうな窪みがあった。

 初めはその窪みもただごつごつして居心地が悪そうだったが、とある物好きが何年も何年もそこで昼寝を続けた結果、いつの間にかその窪みはその物好きの体にフィットするようになっていた。

 彼女に安らぎと快眠を与えるベッドの存在は子供たちの間では有名だった。

 実際に試すものも多くいたが、誰一人として熟睡にいたることは無かった。

 名実ともに専用ベッドと言われるようになった窪みはいつの日か『リラの穴』と呼ばれるようになっていた。


「やっぱりいたな」

「やっぱりいたね」

「それにしてもよくこんなところで寝られるな。こんなところで寝たら、次の日は身体中痛いし、寝違えるし、風邪ひくだけだぞ」

「ユンさん、なーんか実感こもった言い方だね」


 サクラはじと目でユンを見た。


「まあ、な」


 ユンは苦笑いを浮かべた。


「前に眠れないときがあってな。そんでリラの穴のことを思い出した。いつもあんだけ寝ていられるんだ、きっと眠りにつけるはずってな」

「で」

「で、いざ寝転がってみると、もう最悪。ごつごつするし窮屈だし。でも、ここまで来たら意地でも寝てやるって根性で寝た。結局明け方近くにやっと眠れたんだが、寝苦しいわ、悪夢でうなされるわ散々だった。しかもそれを見つかって辞書の角でどつかれて目を覚ましたという素敵な体験つき」

「あはは、ユンさんおばかさんだね。まあ、わからないことも無いんだけどね」


 とサクラは幸せそうに眠るリラの顔を見る。


「リーラー、またこんなとこで寝て。風邪ひいてまうよ」

「んー」


 起きる気配は無く、むずがゆそうにもぞもぞしながら返事が返ってきた。


「お母さんに怒られるよー」

「ん、んー」


 少し苦しそうに呻き声を上げると、片手で眼を擦りながら片手を伸ばした。

 サクラが仕方ない子だなぁと呟いて手を伸ばそうとすると、リラは突然機敏な動きでサクラに抱きついた。正面から抱きついたはずのリラは、サクラの肌を這いずる虫のような奇妙な動きで背後に回ると負ぶさって再び眠りについた。

 ユンとサクラは呆気にとられていたが、どちらともなく笑い声を上げた。

 余談だが、サクラたちを送り届ける途中でユンはサクラの顔が赤いのに気付いた。

 声をかけようとしたユンだったが、サクラの背後でユンの方を眠たげな無表情で見ているリラと目が合って喉元まで出ていた言葉を飲み込んだ。

 いつの間にかリラの手はサクラの胸元に伸び、その発展途上ながらもその存在感を感じさせる二つの果実を揉みしだいていた。

 再び見たリラの顔は先程と同じ無表情フェイスなのに、今回はなぜかニヤニヤと笑っているように見えた。

 普段は大人っぽい少女の子供っぽい行動に驚きながらも、その行動がユンへの当てつけである事に苦笑を禁じ得なかった。


「お父さんが最近水牛の調子がよくないって言ってたんだけど」


 サクラは家の前まで来ると何かを決意して、帰ろうとしていたユンの後ろ姿に声をかけた。


「そういえば、今朝も食欲が少なかった気がするな」


 振り返ったユンは、今朝のことを思い返しながら答える。


「なんかね、ストレスが溜まっているんじゃないかって、動物は人間より敏感だから。だから、もしかしたら魔獣とか良くないものが近くに来てるのかもって、だから・・・」

「だから?」


 逡巡するサクラの様子にユンはいぶかしみ、先を促す。サクラは覚悟を決めると顔を真っ赤にして言葉を紡ぎだした。


「・・・だから、ユンの家まで送っていってあげようか」


 握りこんだ拳は白くなるくらいに力が入り震えている様子に、怖がるなんてサクラも女の子なんだなと思うと自然と笑いが込み上げてきた。


「な、なによ、なんで笑うのよ」


 乙女のなけなしの勇気を笑いで返されたサクラは、さらに顔を真っ赤にして怒った。


「いや、ごめんごめん。何でもないんだ」

「きっと気のせいだよ。水牛のこともおじさんに任せておけば大丈夫だ。たとえもし本当に魔獣が出たとしても俺の方が強いからね。それに、サクラに送ってもらったらまたここまで送りに来ないといけないだろ」


 いつの間にか後ろを向いていたユンは、手を振りながら去っていった。


「・・・ユンのバカ」


 少女の小さな叫びは少年に届くことはなかった。


「ただいま・・・」


 誰もいるはずのない家に入るのに、小さな頃からの習慣になっていた言葉をルーチンワークで口にしてしまうと慣れたはずの孤独が今さら身に沁みる。

 ユンは足の踏み場もないほどに散らかった床を慣れた様子で進んで行く。その姿はダンスのステップを踏んでいるかのように不規則な歩幅だった。

 床には鍛金、彫金、彫刻、象眼、陶芸、各種細工、縫製、染織と多岐にわたる大小様々な道具の数々が散らかり、それに付随して金属、宝石、木材、布、糸、土、石、貝殻、植物、薬品等々、高価なものからそこらへんで拾ってきた石まで様々なものが無造作に置いてあった。

 外の水車は動力となり、炉を燃やし、石臼を回し、金槌を振り下ろす。

 生活できるような部屋は一つしかなく、家というよりはアトリエという様相をしていた。

 ここは元々はユンの母親が創作活動を行っていた場所だった。

 彼女が一人で立ち上げたギルド(と言ってもメンバーは一人だけだが)の名前が入った商品はとても人気があり常に品切れ状態だったという。

 幼い頃から母親の創作活動を見て育ったユンも自然と引き込まれ、様々な技術を習得した。

 そして母が数年前ふらっと出て行ってしまった後もユンはこの家に住み、自分で創作した物を売って生計を立てていた。

 母とダンが幼馴染だったこともあり、ダンからは一緒に住むことを勧められていたがユンは頑として首を立てには振らなかった。

 生活費も自分一人生きていける程度には稼げていたが、それでも事あるごとに世話になるダンに義理立てするために仕事を手伝っていた。


「さて、今日は何をするかな」


 作業着に着替えると足元を見渡してつぶやく。

 一見無造作に散らかっているように見えるが、ユンにとって無駄なく仕事ができる配置で物を置いてあった。

 そのため他人を家に上げることを極端に嫌うユンは、過去に勝手に家に入り込んで掃除をしていたサクラと喧嘩になったこともあった。

 ユンは机の上に置きっぱなしにしてあった年季の入った鍛金用の金槌を手に取った。

 手にした金槌を眺めて少し考え込むと、炉に火をくべ、壁際にある水車からの動力を伝える駆動シャフトを切り替えて炉に空気を送った。

 炉の中に金属の延べ板を放り込むと鍛金の準備に取り掛かる。

 やっとこで真っ赤に熱された延べ板を掴むと、真っ赤になって震える少女の顔を思い出しながら、右手に構えた金槌を打ち込んだ。


 翌日、ユンが目を覚ますと、すでに太陽が昇っていた。

 ベッドから飛び降りると急いで着替え、寝坊の原因となった包みを掴んで外に飛び出した。

 いつもの獣道を抜けると、そこにはいつもとは違う光景が広がっていた。

 湖の脇で大人たちが集まり思い思いに話をしていた。

 ユンはその中から知った顔を見つけ話しかけた。


「おはようございます、おじさん。ごめんなさい、寝坊して遅れてしまいました。なにk・・・」


 あったんですか?と尋ねる前にユンの体はダンに絡めとられていた。


「よかった。無事だったか。いつもの時間に来ないから、もしかしたらお前さんまでやられてしまったのかと心配していたんだよ」


 気が動転しているのか、本当に心配していた安堵が先行したのかは定かではないが、熊の首ですら捻じ切ってしまいそうな肉体が全力でユンの体を締め上げ、自由をうばっていた。

 ユンはダンから何とか脱出をしようと試みるが、両手両足は骨が折れるのではないかと言う剛力で締め上げられ、鼻と口は焼きたてのパンよりも膨らんだ胸板で塞がれ、耳をたわしの様な無精ひげが擦りつけ、「大丈夫だったか大丈夫だったか」と口ずさむダンの子守唄を聞きながら、ユンの意識はフェードアウトした。


 くるしい。くるしい。苦しい。

 意識を取り戻すと、ユンは飛び起きた。


「ご、ゴリラに絞め殺される夢を見た」


 大きく息を吐き出して深呼吸した。落ち着いて辺りを見回すと自分がダンの家にいることを理解し、突然の出来事にポカンとしているサクラと目が合った。


「・・・おはよう」

「お、おはよう」


 数秒の沈黙を破ってユンは声をかけると、やっとでサクラの硬直が解けた。

 起きた瞬間、一瞬サクラの顔が目に入った気もするけれどきっと気のせいだろう。

「うーんと、俺なんでここにいるんだっけ?朝、寝坊して急いで湖に向かって、人ごみがあって・・・」

「ご、ごめんね。お父さんが迷惑をかけて。あんなことがあったからなかなか来ないユンの事を気にしてたんだけど、みんなのことを放っておく事もできなくて、顔を見たら安心してついうっかり力加減を間違っちゃったんだって」


 ついうっかりで意識を奪い取られるってどういうことだ、と思いながらも先を続ける。


「あんなこと?」

「あーそっか、ユンさんは見る前に気を失っちゃったんだっけ」

「何かこんがり焼けたパンのような、でもとても固そうな何かを見たような気がするんだけど」

「・・・なにそれ?」

「いや、よくわからない」


 二人して頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら首をかしげる。


「それはたぶん夢の中の出来事だよきっと」


 サクラが気の進まない表情で何とか話を進める。


「えーっと、あの、それで、今朝のことなんだけど、お隣のファータおじさんの水牛が一頭いなくなったんだって。それでその池の所に獣の足跡と何かを引きずった跡があったから、きっと魔獣が出たんだって話になったんだ。そしたら、まさかのユンさん寝坊でしょ、もしかしたら食べられちゃったんじゃないかーって、お父さん気が気じゃなかったみたいだよ」


 サクラは、ふぅと一息ついた。


「まあ、ただの獣かもしれないし、これからどうするかは今お父さんたちが話し合ってるところなんだって

 そう言って、サクラは隣の部屋を親指で示した。注意してみると確かに隣の部屋からは何人かの男たちの声がしていた。


「ところで、お腹は減ってないかい?」


 サクラに聞かれると、とたんに空腹感に襲われ空っぽの腹が鳴いた。


「ふむふむ、それじゃー朝ごはんにしよう」


 ユンの腹の音を聞くと、それを肯定だと受け取ったサクラは笑いながら入り口に向かい、ふと扉の前で立ち止まった。


「ところで、ゴリラって何?」


 ユンの方を振り返ったサクラがたずねる。


「さぁ?」


 不思議そうな顔をしていたサクラを見ながら、ユンは考えていた。

 ゴリラって何だろう。




 いつもより少し遅めの朝食をとると、三人で協会に向かった。

 大人たちの話し合いは結果が出ていないのか、朝食にダン現れなかった。

 ミス・セーラの講義は何事もなく始まり、何事もなく終った。

 しかし、今朝の出来事が子供たちの間にも伝わっていたのか、講義の間も浮き足立って集中できていない者が多いようだった。

 大人たちの姿を見ていた子供たちは敏感に不安を感じ取っているようだ。

 協会から出ると、ぽっちゃりした体型の少年がユンを迎えた。


「ユン。今から帰り?」

「そうだ、サクラとリラを待って帰るところだ。ブルドは何してるんだ?」


 少年の名前はブルド。ユンと同じ年の少年は、年が近いこともあってユンとサクラとよくつるんでいることが多かった。

 少年にしてすでに立派なビール腹のブルドはサクラからは、ブードを経ていつの間にかただのブーと呼ばれるようになっており、妹のリラからはブーさんと呼ばれていた。

 ブルドはユンの肩を掴むと、サクラとリラを待たずに歩き出した。


「これ見てよ」


 ブルドがカバンから取り出したのは金だった。


「やっとで三千溜まったんだ」

「へー。で、それがどうしたんだ?」

「へー、じゃないよ。二ヶ月もおやつを我慢して貯めたんだから」

「おーがんばったな。で、それがどうしたんだ?」

「全然思ってないよね?まあ、いいけどさ」


 ブルドは言葉とは裏腹にとても残念そうな顔をしていた。ユンは適当に流したが、常に食べ物を持ち歩き暇さえあれば何かを食べているような男が二ヶ月も我慢できたなんて奇跡だと思う。


「なあ、ユン、アクアボード売ってくれよ」


 アクアボードはユンが考案したアーティファクトで、水の精霊の加護によって水面を自由自在に滑走できる板のことだ。

 乗るのにコツはいるが、コツさえ掴めば誰でも乗ることができ、レジャーに移動手段にと現在王都で人気になっている・・・らしい。

 らしいというのは、アクアボードはユンが創作し馴染みの商人に流しているものだったが、村から出たことのないユン自身はそれを使用している人を見たことがなかったからだ。


「あれが王都でいくらの値がつくか知ってるか?」


 しばしポカーんとしてから、気を取り直して尋ねた。


「知らないけど、五千くらいじゃないのか?」

「あれは王都に持って行けば五万で売れる」


 次はブルドがポカーンとする番だった。


「なんでそんなにするんだよ、ユンがただの木に彫刻するだけだろ?5千で十分じゃないか」

「ふざけんな、その彫刻にそれだけの価値があるってことだろ」

「何言ってんだよ、あんな趣味の悪い彫刻に誰がそんな金を払うんだよ」


 趣味が悪いと言う言葉にユンはカチンときた。実際にユンのセンスは独特で商人にも買い取ってもらえないものが多くあった。

 それでも、それが自分にとってかっこいいと思うもので、自分が作るものに妥協はしたくなかった。

 その結果売れないことがあったとしても、それはブルドには関係ないことだ。


「おぉよう言った、それなら自分でつくりゃいいだろ」

「それができてたら、ユンなんかに頼らず初めからそうするさ」

「それじゃあ、力がない自分を恨むんだな」

「・・・力があるからって偉そうにすんな」

「力がないから金で買うんだろ。大人しく5万持ってきたら売ってやるさ」


 言葉に詰まったブルドが吐き捨てると、頭に血が上ったユンも自制が効かず毒を吐いた。


「ブーもユンも、二人とも言いすぎだよ」


 さらに毒を吐こうとしていた二人をサクラが止めた。頭に血が上っていた二人はサクラとリラがすぐ後ろにいることにも気がつかなかった。


「ブーもユンがそれで生活しているのを知ってるでしょ?確かにユンのセンスは少し特殊かもしれないけれど、それがいいって人もいる。それに人の精一杯を馬鹿にすることを私は許さない」

「・・・」

「ユンもブーがどれだけ我慢したのかわかるでしょ?ユンの作ったものが欲しいって、自分の好きなことを我慢して必死に貯めたお金なんだよ、少しは気持ちを酌んであげてもいいんじゃない。確かに足りなかったのかもしれないけど、それでも言い方があるんじゃないかな?」

「・・・」

「自分の想いだけで相手のことを思いやれないなんて、今の二人かっこ悪いよ」


 ユンとブルドを一瞥するともう言うことはないとばかりに、サクラとリラはさっさと帰っていった。

 その場に取り残された二人は、お互い気まずそうに目をそらすと各々家路に着いた。


「ただいま・・・」


 玄関を開け自分の家に一歩足を踏み入れると、ユンの足が止まった。

 まだ太陽は高いところにあるはずだが、家の中は真っ暗だった。

 ユンの家は独特な仕様のため、様々な作業をする際に明かりが内外に漏れないよう、または外から中の様子がうかがい知れないようにつけられた木製の内窓があった。ただし、それは見られたくない作業の時や真夜中の作業の時に閉めるもので、普段は開けられているものだった。


「おかえりー」


 ユンの独り言に、誰もいないはずの家の中から返事が返ってきた。

 目を細めて注意深く見渡すと、椅子に浅く腰をかけ、琥珀色の液体がなみなみ注がれたグラスを傾けている女がいた。

 紫がかった艶やかな黒髪は、扉から差し込むわずかな日の光すら反射して輝き、その長い黒髪とは対照的な病的と言ってもいいほど真っ白な肌は暗闇において幽霊のように見えた。

 その女が自分の知る人物だとわかると、ユンは足を踏み出し内窓を開けた。


「あなたは一体何をやってるんですか」

「何って、見ればわかるでしょ?ユンちゃんを待ってたんじゃない」


 光が差し込み顔があらわになった美女に、ユンは冷めた視線を送ったが、美女は何処吹く風でグラスの中身を煽った。


「そういうことじゃないでしょう。なんで勝手に人の家に上がりこんで酒盛りしているのかってことでしょう」

「だって、外で待ってたらお肌が焼けちゃうじゃない。それに、一人暮らしのユンちゃんが美女を家に連れ込んでるって、人に勘違いされちゃうでしょ?あの幼馴染の子とか」

「誰もそんなこと思いませんよ。でも何でそこでサクラが出てくるんですか」


 意味がわからず首をかしげるユンに、「あらあら」と苦笑いする美女。それに気を悪くしたのかユンは声を荒らげた。


「それに、そんなに日焼けが嫌なら、いつもみたいに夜に来たらいいじゃないですか」

「あらー、女性に夜に来いだなんて、一体何をするつもりなのかしら」


 素なのか酒のせいかは定かではないが、顔を赤らめた美女はニヤニヤと笑う。普通の人がうかべたら下品な笑いも美女がうかべると妖艶な笑いに変わった。その笑顔に不本意ながらユンはドキッとしてしまい、咄嗟にそっぽを向いた。


「何もしませんよ、それに用が在るのはそちらでしょう」

「あらあら、そこまで拒絶されてしまうなんて、私ってばそんなに魅力無いのかしら」


 俯き加減で眉を下げる美女にユンは言葉を失った。


「真夜中に殿方とあって手を出して頂けないなんて、女として失格ですわ」

「・・・」

「魅力の無い私は、きっとこのまま誰にも相手をされず、女としての自信を失って、一人寂しく枯れ落ちていくんですわー」


 台詞棒読みで大根役者甚だしかったが、これ以上続けてもろくな事にはならないとユンは観念した。

 もしかしたら空気が読めない方が生きることが楽なのではないかとユンはふと思った。


「イベリスさんはとても綺麗で魅力的です。その艶やかな黒髪も、泣き黒子も、背が高くてスレンダーかつグラマラスな体も全部魅力的で、僕はいつもドキドキさせられっぱなしです」


 泣きマネをしていたイベリスはパッと笑顔になると「ユンちゃんありがとー」と言いながら寄ってきて、その豊満な胸を押し付けるように抱きついた。

 美女に抱きつかれ真っ赤になったユンの耳元にイベリスは口を近づける。


「泣き黒子は女子をほめるポイントじゃないと思うんだけどなー、ユンちゃんは泣き黒子が好きなのかな?」


 何も言えずさらに真っ赤になったユンに満足すると、イベリスはニコニコ笑いながらまた椅子に座った。


「相変わらず君は可愛いな」

「・・・それは男子に対するほめ言葉じゃありません」

「いやいや、ほんとに君は可愛いな」


 ユンのささやかな抵抗に、イベリスはハハハと笑い声を上げた。

 イベリスがまたグラスを傾け始めると、ユンは荷物を机の上に置き、イベリスの向かいに腰を下ろした。


「それで、日中に来るなんて珍しいですね、今日はどうしましたか」

「いや、たまたま近くまで来たから歩いてきたの。少し早いけど在庫を見に来たわ」

「へー、いつもは歩かないみたいな言い方ですね。いつもはどうやってくるんですか?」

「まーいろいろかな。ところで、在庫はどう」


 明らかに言葉を濁したイベリスを珍しく思ったが、村から出たことのない自分には知らないことがきっとあるんだろうなと気にすることは無かった。

 年齢不詳美女のイベリスは闇の民の商人だ。

 ユンの母親が作っていた品を納品していたのも彼女で、母がいなくなった今でもイベリスはユンの作った品を買い取りに足を運んでいた。

 商人の中でも闇の民の商人は少し変わっていた。

 彼女らはなぜか日が沈む頃に大量の商品を持って現れ、明け方には何も無かったかのように忽然と消えていった。

 そんな彼女たちは、いつの日か闇商人と呼ばれるようになっていた。

 闇商人と言ってもこっそりと密売を行うような商人ではなく、何処にでも現れ売れるものは何でも売り物にするとても商魂豊かな人々だった。

 それにしても物心ついたときにはすでにイベリスは母の工房に出入りしていたが、当時からその艶やかな髪も白く透き通る肌もメリハリのあるボディーラインも何もかもが変わらない。

 十年以上も前から時が止まったように姿がまったく変わっていない彼女は実は化け物ではないかと思う。


「なにか失礼なことを考えていないかしら」

「いえ、滅相も無いです」


 なにかを感じ取ったイベリスに指摘され、ユンは誤魔化すように在庫を確認する。


「えーっと、ネックレスが三に指輪が二、カップが六、水筒が一、ストールが一、あとはアクアボードが三かな」


 ユンは倉庫から運んできた品を机の上に並べる。


「アクアボードはもういいや、たぶんもう売れないし」

「え・・・。嘘ですよね?」

「いやいや、マジマジ」


 少し前までは王都ではアクアボードが人気レジャーになりつつあると噂(情報ソースはイベリス)だった。それが何故突然売れなくなるのかがユンには理解できない。

 材料費は森の木を切り出した端材でほぼ只。一つで三万と高額の買い取り商品はユンの家計を支える有力選手となっていただけに落胆が隠せなかった。


「まー、いろいろあるんだよ」


 ひどく落胆するユンの姿にイベリスは頬をポリポリかく。


「やっぱり、一つ五万は高すぎたのかな」


 ユンの呟きを聞くとイベリスは腹を抱えて笑い出した。


「ハハハ、それは無いわ」

「なんでそんなこと言い切れるんですか」

「だって初めは二十万で売っていたし、今でも十万で売れるからね」

「え、だって五万ってイベリスさんが」

「そんなの嘘に決まってるじゃない」


 きょとんとするユンにイベリスは人の悪い笑いをうかべる。


「商人がより安く商品を手に入れようとするのは当然でしょう?そのためなら平気で嘘の一つや二つ吐くわよ」

「騙していたんですか」

「騙してなんていないわ。君が嘘を信じ込んだけよ」

「同じじゃないですか」

「全然同じじゃないわよ。少なくとも私はあと二万は出すつもりでいたもの。でも君は私の言葉を信じて三万で妥協した。ただそれだけ」

「でもそんなの、こっちは信じるしかないじゃないですか」

「でも、信じちゃいけなかった。ううん、違うわ。そうね、もっと誇りを持つべきだった、かな。職人としての。自分の作品に誇りを持っていたなら、もっと喰らいついてきたはずだもの」

「・・・」

「実際、私は君の作品に五万の評価をつけていたわ。けれど、君は自分の作品に三万の評価しかつけなかった。だから私はその値で買い取った。そして、君が三万と評価した商品を私は七倍近い二十万で売った。それは私の商人としての誇りだ」

「私の目利きは間違っていない。私の勘は外れていない。私の志は誰よりも尊い。私の力は・・・。まあ、それが私の誇りだ」


 イベリスの表情が一瞬曇ったように見えたが、その眼には力があった。イベリスの言葉にユンは何も言い返せなかった。

 もしも自分の作品に誇りが持てていたのなら、きっとブルドの言葉もあしらえていたはずだ。

 自分には職人としての誇りも自信も覚悟も全てが中途半端で足りていなかったことを痛感した。


「まあでも、アクアボードが売れないのは本当だよ。同じようなものを売っている奴もいるから値段が下がっているし、それに、ボチボチ加護が切れるものも出てくるだろう」


 イベリスの言葉にユンは首をかしげる。アーティファクトの加護がいつかは切れてしまうことは誰もが知っていることだからだ。


「カップや水筒の加護は切れてもそのまま道具として使えるが、アクアボードはただの板だ。しかも、水面を滑走中に加護が切れれば大なり小なり事故になる可能性もあるだろう。そんなことになれば、一変に熱は冷めるさ。まあ、ここらが潮時だろうね。」


 イベリスの言葉にユンは息を飲んだ。


「っそれは、不良品を売っていたってことじゃないですか」

「不良品?何を言っているの?私が売った時には確かに十全だったわ。アーティファクトを使いつつけたらいつかは加護が無くなるのは公然たる事実でしょ。それを使って消耗させたのは使用者本人だわ。使い込んだ道具が壊れて怪我をしました、そんなの自己責任だわ。私も君もとやかく言われる筋合いは無いわね」


 イベリスの直前まで誇りだ何だと言っていたとは思えない言い草に、ユンは呆気に取られた。


「とまぁ、そういうことだからアクアボードは買い取れないな」


 そう言って、イベリスは机の上に並んだ品を手にとって眺める。


「このストールはいいね。肌触りも良いし強い加護が着いているから火の国に持っていけばきっと高く売れるわよ。それにこの青と緑の色合い気に入ったわ。一万でどうかしら」


 普段ユンの作品をあまり褒めることの無いイベリスの言葉に少し頬が緩むのを感じた。そのストールはユンが染色から全て行った自信作で、自分でも驚くくらいの出来だった。


「ありがとうございます。では」


 と浮かれて先を口にしそうになったとき、イベリスの眼が怪しく輝いていることに気がついた。


「えっと、それは自分でも驚くくらいうまく出来た自信作で、素材から染料、手間を考えたら安く見積もっても三万、いえ五万はすると思います。あなたの力があればそこから利益を出すことも可能でしょう」

「ふふ、五万は言い過ぎだな。三万が妥当な線だと思うが、でもまあ、お前がそこまで言うんだ四万で買い取ろう。これまでかなり稼がせてもらったしな」


 悪戯がばれた子供のような笑顔でイベリスがこちらを見る。どうやら気がつかなかっただけで今までもかなりこの手でやられていたみたいだ。こんな稚拙な手に引っかかっていたなんて、過去を顧みてユンは苦笑するしかなかった。

 イベリスはユンの自信作のアクセサリーに手を伸ばした。


「こっちの指輪とこのペンダントを五千で、あとは、そうねカップと水筒は全て一万でどうかしら」

「え?」


 とっさに言葉が出てこなかった。


「不満かしら?かなり高めの金額だと思うのだけど」

「いえいえ、不満なんてそんなことは・・・」


 いや、自信作のアクセサリーが歯牙にもかけられなかったのは不満ではあるが、カップや水筒はいつもなら二千前後、高くても五千がいいところだった。それが一万。ユン会心の出来の指輪は不買い取りなのに。

 いろんな意味で驚きの表情をうかべるユンにイベリスは続ける。


「で、どうなの?」

「じゃ、じゃあそれでお願いします」

「まいどあり」


 イベリスはニヤリとする。


「何か最近火の国が騒がしいの。だからきっと高く売れるわよ。」


 イベリスは手元のカップを指ではじいた。砂漠での移動が多くなれば、水が沸いてくるアーティファクトは品薄になり、さらに高くなる。イベリスはそれを狙っているのだろう。

 目先の利益に浮き足立つ人間は往々にしてミスをするものである。

 ユンは意を決して言葉にした。


「この指輪はどうです?」


 ユンは一押しの指輪を差し出した。


「ああ、それ。いらないわ、趣味悪いから」


 にべも無い言葉で切り捨てられ、ユンはがっくりと肩を落とした。

 売れ残った品を倉庫に運び戻ると、机の上にあったはずの商品は無くなり代金だけが置いてあった。

 荷物と呼べるようなものを一切持っていないイベリスがどのようにして商品を運んでいるのか、毎度のことながら疑問に思う。

 何度か尋ねたことはあるのだが、決まって「乙女の秘密」と返ってきた。

 ユンが椅子に座ると、イベリスはユンのカバンの中身を興味深そうに眺めていた。


「・・・何してるんですか」

「んー、十万、いや十五万でどう?」

「いや、そうじゃなくて、何勝手に人のカバンあさってるんですか」

「いや、何かお金の匂いがしたから、つい」


 イベリスは右手で生臭いサインを作りながら、舌を出しておどけて見せた。


「それ、お金じゃなくて、金属のにおいの間違えですよね」

「何を言っているの。お金になりそうな匂いがわからずして一人前の商人になれるわけがないでしょ」


 然もありなんと語るイベリスから、徹夜で作った短剣を取り上げると恨みがましい目を向けられた。


「そんな目をしてもだめですよ。これは売り物じゃありません」

「じゃあ、何用?」

「・・・護身用です。最近は何かと物騒ですからね」

「だけど、ユンちゃんのじゃないよね」

「・・・何でですか」

「だってユンちゃんの趣味じゃないし。ユンちゃんの物だったら、もっとゴテゴテしてておどろおどろしてるもの」


 確かに花をイメージして作り上げた短剣は、細くて頼りなく思えて決してユンの趣味ではなかった。しかし、女子の体力や力を考えたらこれくらいでちょうど良いはずである。

 この短剣は魔獣を怖がって震えていたサクラの不安が少しでも減ればと、昨晩思い立って作ったものだった。

 別に話してしまってもかまわないことだが、今ではなんとなくイベリスには話していけないことのように感じてしまう。

 痛くない腹を探られるのは、決して気持ちのいいことではないが、段々本当に痛いような気がしてくるから困ったものだ。


「まあ、いいんだけどね」


 困り果てたユンを見て満足したのか、イベリスは追及の手を止めた。


「でも、せっかくだからもう少し手を加えてみない?」


 何を、と聞く前にイベリスは動き出していた。目の前にあったカバンもといユンのカバンの中からペンとメモ紙を引っ張り出すと何かを書き出した。


「はい、これ。この絵と石をはめる小さな窪みを追加して欲しいの」


 まるで自分のものをねだるようにお願いするイベリスの手からメモ紙を受け取る。メモ紙には絵と言うより模様や記号と言った方がしっくりするようなものが書かれていた。

 短剣自体はシンプルなデザインを意識して作ったためそれくらいの彫刻が出来そうな余剰スペースはあった。しかし、その絵が一度完成した短剣に追加で彫刻しなければならないほどのものとは思えない。


「これは何ですか?」

「んー、ナイショ」

「じゃあ、止めときます」


 右手の人差し指を唇に当てながらウインクするイベリスに、さっとメモを着き返す。


「あー、冗談冗談。これは精霊文字よ」

「精霊文字?」

「そ、精霊文字。昔の人は今の人たちみたいにマナの色が決まってなかったんですって。だから文字や絵、歌なんかを使ってそれぞれの精霊に力を借りたの」

「そんなことが出来たんですか?」

「そう言われているわ。さすがに実際に見たことなんて無いけどね」


 体を乗り出して熱心に聞くくらい興味津々のユンに、舌先を出して冗談っぽく笑った。


「それで、この模様にはどんな意味があるんですか?」

「これは、マナの循環を示すもの・・・って言ってたかな?確かなことはわからないんだけど、この窪みに魔宝石をはめることでアーティファクトにマナを注ぎ込むことができるらしいわ」

「それってつまり、アーティファクト本体が壊れない限りは魔宝石をはめることで半永久的に使い続けることができるってこと?」

「うぇるだーん。お姉さん賢い子は好きよ」

「じゃあ、この模様を使えばもっとすごいものができるかもしれないですね」

「それはダメ。精霊文字を知っている人も多くは無いけれど存在するでしょう。それでもそれが広がることが無いのは、それだけ危ないものだからじゃないかしら。もしかしたら少し形が変わるだけでとても危険な意味に変わるのかもしれないわ。そんな不確定要素の多いものを多用するのはとてもじゃないけれど危ないことだとはおもわない?」

「・・・そうですね」


 自分の軽率さで一気に熱が冷めた。


「まあ、普通に考えたらアーティファクトよりも魔宝石のほうが高いから実用性は低いわね。それに、もしそんなものが普及したら物が売れなくなってしまうわ。大量購入、大量消費。これが商人にとって世界のあるべき姿よ」


 顔をくしゃりとして笑うイベリスの顔は今まで見たイベリスの笑顔の中で一番魅力的に見えた。


 その後イベリスの監修の元で短剣に細工をし直すと、いつの間にか外は暗くなっていた。

 玄関先まで送り出したユンは、数時間過ごしていたはずの美女に改めて眼を奪われていた。月明かりに照らされて輝くイベリスの黒髪には天使の輪が浮かび、息を飲むほど美しかった。


「それじゃ、次来るまでに出来るだけカップや水筒を作っておいてね」


 イベリスは長い間使い込まれてきたためか、色あせて所々擦り切れたローブを目深までかぶる。

 後姿を見送るユンだったが、自分の仕事を終えたイベリスは振り返ることなく歩いていった。月明かりで闇夜に浮かぶその堂々たる後姿は、ローブ越しでなお気高く美しく見えた。

 イベリスの姿は、いつの間にか夜の闇に紛れて見えなくなっていた。


 いつも鳥達のさえずりが始まる頃に目を覚ますユンだったが、目を覚ますとまだ部屋の中は暗かった。

 一昨日は夜更かししたせいもあって、昨晩はイベリスが帰ったあとすぐに眠りについてしまった。そのためいつもより早く目が覚めてもおかしくは無いが、窓の外を見てそれが間違っていることをしった。

 空には今にでも落ちてきそうなくらい厚く重たそうな鉛色の雲が覆っていた。今は持ちこたえているが、いつ雨が降ってもおかしくなかった。

 いつもなら騒がしくさえずる鳥達も鳴りをひそめて雨に備えているのかもしれない。

 ユンは身支度を終えると、荷物を持って家を出た。

 湖に着くとダンはすでに働いていた。「おはようございます」と挨拶をすると、ユンも作業を始めた。

 大人たちの仕事ぶりはいつもと変わらず、昨日のことは何も無かったかのようだった。

 餌やりを終え、溜池の掃除をしていると数人の男達がダンの元にやってきた。

 その重苦しい雰囲気は少し離れていたユンにもわかるほどで、何事かと見ていたユンと目が合ったクロウは仕事を上がって家で朝食を食べるように言った。


「ご馳走様でした」

「ごちそーさまでした」

「・・・いただきました」

「はい、お粗末さまでした。それじゃ、出かける準備しなさいよ」


 そんなやり取りをしているところにダンが帰って来た。


「おかえりなさい。・・・あんたなにかあったのかい」

「ああ・・・少しな」


 にこやかに声をかけたファリセナだったが、ダンの険しい顔に表情が硬くなった。

 テーブルまで来ると、いつもの席にどかっと腰を下ろした。


「あんたご飯は?」

「ああ、貰おう」


 手を組んで口元を隠すように頬杖をつくダンの表情は険しいままだった。なにか考えているようすだったダンだが、意を決してユン達に視線を送ると口を開いた。


「お前達、最後にブルドを見たのはいつだ?」


 思いがけない質問に何も返せないユンだったが、ブルドの身によくないことが起こっているということは理解した。すると、三人の中で悲壮な表情をうかべていたサクラが口を開く


「そんな、ブーが・・・」


 最近の出来事から考えうる限りで最悪の事態に思い至ったサクラは、今にも泣きそうだった。


「違う、そうじゃない。ただ、朝からブルドの姿が見えないだけだ。大方みんなから隠れてなにか食べ物を独り占めしているんだろう」


 誤魔化そうとして無理して笑っているのがバレバレだったが、サクラは何とかうなずいた。


「そういう訳だから今日はミス・セーラ講義は中止だ。父さん達は村の外を探しに行ってくるからお前達は家で大人しくしているんだ。わかったな?」


 ダンの言葉に三人はうなずいた。口調はいつも通りだったが、有無を言わせない迫力があった。


 ダンは急いで朝食を食べるとすぐに出て行った。

 急にやることのなくなった三人は、とりあえず朝食の片付けを手伝った。片づけが終ると、リラはお気に入りのロッキングチェアに腰掛けて本を読み始める。普段ならさっさと部屋にこもってしまうところだが、みんなのいるところから離れられないところをみるとやはり怖いのかもしれない。本人にそんなことを言えばきっと冷たい眼を向けられるだろうが。


「それじゃ、俺も帰ります」

「ダメよ。ダンが帰ってくるまで待ちなさい」

「そうよ。魔獣がいるかもしれないし危険よ」


 ファリセナに便乗してサクラが続ける。


「まだ魔獣が出たって決まったわけじゃないだろ。それに、いつまでもここにいるわけにはいかないし」

「ずっといればいいじゃない」

「そういうわけにはいかないよ。それにここにいるにしたっていろいろ取りに帰らないといけないだろ。それなら俺は家に帰るよ」

「でも、途中で襲われるかもしれないじゃない」

「襲われるときはどんな時だって襲われるし、だからっていつまでも引きこもっているわけにはいかないしね」

「じゃあ、ユンの家まで送ってく」

「そうしたら、またサクラを送ってこないといけないだろ」


 いつまでも引き下がらない駄々っ子のようなサクラに苦笑する。


「それに、帰ってやりたいこともあるしね」

「そうかい、それじゃあ本当に気をつけて帰りなさいね」

「ありがとうございます」


 心配そうなファリセナに背を向け歩き出そうとすると、裾を掴まれた。

 振り返ると、今にも泣き出しそうなサクラがいた。


「大丈夫だよ」

「・・・」


 泣きそうなサクラの顔を見て、ユンはカバンの中身の存在を思い出した。


「はい、これ」


 カバンから布に包まれた短剣を取り出すと、サクラの手に握らせた。


「・・・何、これ」

「お守りだ。何かあってもこれがあれば大丈夫だから」


 サクラは布から出てきた短剣を眺めた。


「すごい綺麗・・・いいの?こんなの貰っちゃって」

「俺様の自信作だからな。大切に扱えよ」

「うん。大切にする」


 柄にも無くおどけて言ったユンだったが、サクラの真っ直ぐな瞳に見つめられて恥ずかしくなった。

 サクラの表情が少しだけ明るくなったことを確認すると、ユンは自分の家に向かって歩き出した。


「何かあったらすぐに引き返して来るんだよ」

「わかりました」


 背後で玄関の扉が閉まる音が聞こえると、ユンは進路を変える。

 畜生、何でこんなことになったんだ。

 直前まで貼り付けていた作り笑顔を引っぺがすと、ユンは心の中で毒づいた。

 あの時喧嘩していなければ。

 あの時もう少し優しくできていたら。

 今更になってユンの胸の内には詮無い後悔が湧き上がってくる。

 サクラにはああ言ったが、昨日のことや最近の家畜の様子を考えると村の近くに何かいることは確実だった。

 もし本当に魔獣が村の近くをうろついているのなら、いくら大人といっても魔力の弱い者では話にならない。

 その点ユンは村でも一番の魔力の持ち主だった。

 俺なら大丈夫。

 実戦など一度も行ったことは無かったが、根拠のない自信を胸にユンは一人でブルドの捜索を始めた。

 厚い雲のせいでわかり難いが、大人たちはハンマーや斧、鍬や鋤など思い思いの武装をして村の中を二、三人で組んで捜索していた。

 大人たちの動きを探っていたユンだったが、何かが近づいてくる気配を感じてとっさに物陰に隠れた。


「西の方にはいなかったが、ブー坊は一体何処に行ったのかね」

「どっかに隠れているだけならいいんだがな。他の奴らは何処を探しているんだ?」

「ダンさん達は協会の方を探してみるって言ってたぞ」

「親父達は東を探すって」

「それじゃあ、残りは・・・南の森か」

「いや、それは無いだろ。掟で禁止されている森に弱虫バー坊が近づくわけ無いって。だってブー坊だぞ?」

「そうだな。ブー坊だしな」

「それに、俺達が行かなくても誰かは探しに行っているだろ」

「まあ、腹が減ったら帰ってくるさ」

「「ブー坊だし」」

「それもそうだな」


 男達は笑いながら去っていった。角を曲がる背中を見送るとユンは再び村の様子を観察する。

 先程の話しを聞いてしまったせいか、大人たちが意図的に南の森に近づいていないように見えた。

 もしも昨日の件でブルドがユンを見返そうとしているのなら十分に在り得る。

 普段は弱虫で食いしん坊だが、一度頭に血が上ると周りが見えなくなって突っ走ってしまう。

 ユンの知っている幼馴染はそんな奴だった。

 周囲を見渡し、ユンは南の森に進路をとる。

 大人たちに見つからないように歩き向かう南の森は、村ができた時から立ち入り禁止の禁忌の森だった。

 ユンはもう一度周囲に誰もいないことを確認すると森に足を踏み入れた。


 ユンの姿が森の中に隠れると、その後ろを少し距離を置いて一つの影がついていった。


 南の森はただでさえ曇天で弱い光を遮り、辺りは薄暗い。

 ユンは捜索を開始するが、普段から人の出入りの無い森は木々が茂り、真っ直ぐ歩くことさえ困難だった。

 木々に阻まれ風の通らない森の中は湿度が高く、じめっとした空気が体にまとわりついた。気温自体はそんなに高くないが、異常な湿度や緊張のせいか藪を掻き分けて歩くユンの額には玉のような汗が噴き出した。

 ふかふかで沈む腐葉土に足をとられながらも半刻ほど歩くと、森の密度は少しずつ薄くなった。

 木々の間からは木漏れ日が差すようになり、視界も開けてきた。


「ふー。少し休むか」


 大人三人分は優に超える大木の根元に腰をすえ、その幹に体を預ける。

 ユンは右手を胸の前に掲げて、掌に意識を集中する。

 すると、掌から数センチのところに複数の水球が現れた。

 ユンは左手で水球を掴むと、無造作に口の中に放り込む。

 本来はこの水球を相手に向けて放つことで水系統の初歩魔法である水弾やウォーターニードルと呼ばれる魔法になるのだが、ユンは自らの渇きを癒すために水球を呼び出した。

 一定の数に保たれ一つ口の中に放り込むとまた一つ補充された。

 水球を四つほど口にすると喉の乾きは大分解消された。


「ワオォォォォーーー」


 五つ目の水球を口にしようとすると、近くで犬の遠吠えのような音が聞こえた。

 見つかる前に立ち去ろうとするユンだったが、遠吠えが聞こえた方から人の叫び声が聞こえた気がした。

 足元にあった太めの枝を掴むと軽く素振りし、周囲に警戒しながら声の聞こえたほうに向かって足を進める。


「グルルルルゥゥーーー」

「ちょとなにさ。私なんか食べてもおいしくないんだよー」


 唸り声が聞こえる方へ向かうユンの耳に知った声が聞こえてきた。


 ユンが玄関から出て行くと、サクラは貰った短剣に見入っていた。

 ユンの作る物は全然可愛くなくて、あまりサクラの好みには合っていなかったが、この短剣は違った。

 男達が使う短剣のように無骨でなく、小さめなサクラの手でも扱えるようにと全体的に細めのシルエット。

 少し反り返った刀身は淡く耀き、小さな木くらいなら力を込めなくてもスパッと切れそうな気がする。

 むしろ切れ過ぎそうで少し怖い刀身だが、今は可愛らしい桜の花びらの装飾がされたなめし皮の鞘に収められている。

 柄は一見すると見た目重視で使い辛そうな曲線だったが、握ってみるとサクラの手に驚くほどフィットした。

 シンプルだが可愛らしい装飾の中に小さいが存在感のある水色の石がはまっていた。

 思いもしない突然の贈り物に驚き、明らかにサクラの好みで作られていた贈り物に感激した。


「ユン、私の為に作ってくれたんだね」


 自分のためだけに作られた物だと思うと、嬉しくてサクラは眺めているだけでご機嫌だった。


「あ、そういえばお礼を言うの忘れた」


 しばらく短剣を眺めていたサクラだったが、嬉しさのあまりお礼を言うことを忘れていたことに気がつき、浮かれ気分のまま先程までの恐怖を忘れユンを追いかけるように外へ出た。

 外はあいにくの雨模様だったが、お礼を言うだけだから大丈夫だよね。と自分に言い聞かせサクラは雨具すら持たずユンを追いかけた。


「あ、ユ・・・」


 探していた相手を意外を早く見つけ声をかけようとしていたサクラだったが、ユンの怪しい行動に息を潜めた。

 森の中に入っていくユンの後をこっそりと追いかけた。

 薄暗い森の中もユンを見失わないように歩き続け、汗が流れるのもかまわず追いかけた。

 森が開けると立ち止まっているユンが見えた。

 どうやら木の根元に腰掛少し休憩を取るようだ。

 サクラはユンから距離をとり、姿を隠す為に茂みに入った。

 ユンに注意を払いながらサクラは茂みに隠れると腰を下ろそうと右手を伸ばした。

 しかし、サクラの右手は地面に届くことはなかった。

 明らかに地面よりはやわらかくゴワゴワした肌触りの何かは、例えるなら薄汚れた動物の体を撫でるような感触だった。

 恐る恐る手元を見ると、そこには動物の尻尾があった。

 その尻尾の先を目で追っていくと、当然それは本体とつながっている。

 その異様に長い尻尾の持ち主は眠っている狼のような生き物のものだった。

 見た目は狼や犬のようにも見えるが、その大きさは二倍近くあり、尻尾は蛇のように長かった。

 サクラは恐怖で挫けそうになる心を奮い立たせ、慎重に手を持ち上げた。

 何とか気付かれずに尻尾から手が離れると、砕けそうになる腰を何とか持ち上げ中腰で後退った。

 少しでも音がしないように藪を避け、遠回りで獣から遠ざかる。

 藪の切れ目を見つけ細心の注意で抜けると、サクラは安堵の溜息をついた。

 過度の緊張で流れ出た汗を拭うと周囲を見渡した。

 藪を迂回したせいでユンを見失い、サクラの胸にはまた不安が押し寄せる。

 焦ったサクラは急いで一歩踏み出した。

 そして、不安に駆られたサクラは完全に油断していた。


「ピギャャャャーーー」


 サクラの足は先程の獣のものよりも細い尻尾を踏みつけていた。

 どうやら、藪の中に子供が寝ていたらしい。

 そう理解した瞬間には、勢いよく引き抜かれた尻尾に足をとられサクラは尻餅をついていた。


「いったー・・・」


 小振りなお尻をさすりながら立ち上がったサクラの目の前には、いつの間にか先程まで寝ていたはずの獣の親がいた。

 手を伸ばせば簡単に触れることが出来る位置で自分よりも大きな獣と目が合ってしまったサクラは軽くパニックを起こしていた。


「え、えーと・・・おはようございます?」


 片手を上げて疑問形で挨拶をしたサクラに対して獣は鋭い牙を剥き出しにして威嚇した。


「グルルルルゥゥーーー」

「ちょとなにさー。私なんか食べてもおいしくないんだよー」


 半泣きで絶叫するサクラに親獣は鋭い爪で切り裂かんと前足を振り下ろした。

 咄嗟に目をきつく閉じたサクラだったが、親獣の前足が振り下ろされることは無かった。

 サクラは不思議に思って目を開けると、そこには折れた木の枝を持ってサクラの前に立ちふさがるユンと顔面を強打され血を流している親獣のがあった。


「・・・大丈夫か?」


 「馬鹿野郎なんでこんなところにいるんだ」ユンは喉元まででかかった言葉を飲み込み、なんとか言葉を搾り出した。


「え、あ、うん。だいじょぶ」


 振り返ることなく投げかけられた問いにサクラは何とか返すことができた。


「そうか」


 ユンはサクラの返事を聞くと、折れた枝を親獣に投げつけた。

 親獣は飛んできた枝を難なく振り払うが、ユンはその間に複数の水球を出現させていた。


「喰らえ」


 振り下ろされる爪を右に飛んでかわし、掛け声と共に親獣に向かう水球は鋭い針の形になる。

水の針は親獣の左半身の肩から腰にかけて穿った。

 所々血を流し満身創痍の親獣だったが、その瞳からは戦意が失われること無くユンを見返していた。

 ユンが水球を召喚すると、親獣も再び前足を振り上げた。次の攻撃に備えていたユンだったが運悪く親獣の腕に滴っていた血が目に入ってしまう。


「くそっ」


 咄嗟に転がり爪を回避しようとするが、鋭い爪はぎりぎりでユンの右足を掠めた。

 切り裂かれた右足に激痛が走り、ユンは顔をしかめる。溢れ出す涙で視界がぼやけるが、おかげで視力が戻った。

 親獣のなぎ払う一撃を転がって辛うじてかわすが、ユンは痛みで集中できず水球の制御がうまく行かない。

 反撃で放った水弾は形をたもてず親獣の体を濡らしただけだった。

水がかかり一瞬ひるんだ親獣だったが、なんの衝撃も無いことに気がつくと即座に大きな牙でユンに迫った。

 これはダメだな。

 自分の力ではどうしようもない事態に陥り苦笑が漏れた。

 でかい事を言っておいて、結局守れなかった。

 たかが獣一匹に歯が立たなかった。

 漫然と自分に迫る未来に思いを馳せ、ただただ無駄に死を迎える無力感がユンを襲った。

 あと数秒。

自分の命が尽きるまでのタイムリミット。

ユンはすでにあがくことを諦め、死を受け入れた。

 親獣の牙がユンに届く直前、何処からか飛んできた水の刃が親獣の体を通り抜けた。

 切り離された親獣の頭はユンを通り越し地面に落ちる。

 立ち上がったユンの前では首が無くなった親獣の胴体が崩れ落ちる。

 痙攣が続く親獣の胴体からは不規則に血が噴出し、ユンの体を、地面を赤黒く染めていた。

 やがて血は止まり、親獣の心臓は完全に機能を停止した。


「簡単に諦めないでよ!勝手に死なないでよ!ユンが死んじゃったら、私どうしたらいいのよぉぉ」


 サクラは肩を怒らせ叫んだ。

 握りこんだ短剣を抱くように胸の前に置いて。

 生まれて初めて聞いたサクラの心からの全力の叫びはユンの鼓膜を揺らし、そうしてユンを正気に、現実に戻らせた。

 サクラの声は震え、やがて消え入りそうに弱々しくなり、そして嗚咽に変わっっていった。

 大きな瞳は決壊したダムのようにとめどなく溢れる涙で濡れ、鼻をぐしぐしさせながらもユンをにらみつけていた。


 足の痛みに表情を引きつらせながら、ユンはサクラの元へ歩いた。

 ユンはサクラの震える肩に手を置いた。

 責めるように睨み付ける瞳と目をあわすことが出来ず、ユンは俯いた。


「ごめん」

「・・・・・・」


 思わず出てきた言葉にサクラは何も言わない。


「怖い思いをさせて、ごめん。」


何とか言葉を搾り出したユンの頭に衝撃が走った。

驚いてサクラを見ると、おでこを赤くしたサクラの真っ直ぐな瞳がユンを射抜いた。


「違うでしょ!そんなことで起こってるんじゃない!ユンは笑ったの。もうダメかもしれないって、死ぬかもしれないって時に笑ったの!そうじゃないでしょ!なんで!なんで・・・」


 サクラは叫ぶと膝から崩れ落ち、再び大粒の涙を流した。

 ユンは膝をつきそっとサクラの肩を抱いた。


「ごめん。生きるの諦めてた」

「そんなの全然かっこよくない!あがいてよ最後まで!死んじゃったら終わりなんだよ!まだまだユンといろんなことしたいよ!勝手に諦めて、勝手に死なないでよ!」

「・・・ごめん」


 ユンはサクラが泣き止むまでずっと肩を抱き続けた。

 サクラの手は未だに真っ白になるまで強く、きつく短剣を握り締めていた


落ち着くのを待って、ユンはサクラの硬直した指を短剣から1本1本優しくはがした。

 

「ありがとう。助かった」

「え、あ、私?」


 ユンの言葉を理解できず、サクラは困惑した。


「ああ、サクラのおかげだ。サクラがいなかったら俺はダメだった」

「ええと、私、ユンが死んじゃうと思ったらどうしていいのかわからなくて、夢中で短剣を振ったら、あの狼の首が切れて・・・」


 焦点の定まらないサクラの目は、首を切断された親獣を捕らえた。

親獣の頭と離れてしまった体には、いつの間にか三匹の子獣がすがり付いていた。

いつまでも起き上がらない親獣の体を子獣は何度も揺すり、消えていく体温を留まらせようとするかのように寄り添っていた。

 サクラはユンの持っている短剣を、そして自分の両の手に目を落とした。


「・・・私、私が殺しちゃった。子供からお母さん奪っちゃったよぉ。私がこの子達の巣に入りさえしなければこんなことにはならなかったのに・・・」


 サクラは涙を隠すように両手で顔を覆うが、大粒の涙が地面を濡らしていた。


「・・・うん。それでも、サクラのおかげで俺は生きてる」


 ユンの言葉にサクラは涙と鼻水でぐしょぐしょの顔を上げた。


「ありがと」


 ユンが改めて言うと、サクラの目からは再び大粒の涙が流れ始めた。


「いぎででよがっだよぉーー」


 ユンは大泣きするサクラの頭を軽くポンポンと叩くと、短剣を鞘に収めた。

 いつの間にか子獣達の姿は消えていた。


 サクラが落ち着く頃、足の手当てをしていたユンは何かの気配を感じて振り向いた。

 しかし、気配を感じた先には何も無かった。


「どう、かしたの?」


 まだ鼻をグシグシさせ、目を腫らしているサクラが首をかしげている。


「誰かいる気がしたんだが」

「まだ、魔獣がいるの?」

「いや、わからないけど、もし魔獣が他にもいるならもう出てきていると思う」

「そっか、じゃあなんだろね。もしかして、ブーとか?」


 そんなわけ無いだろ。ユンが返そうとすると、ユンが気配を感じた方からカサリと葉っぱを踏みしめる音がした。

 二人は顔を見合わせると、ユンは手ごろな枝を拾ってかまえ、サクラも腰の短剣を抜いた。

 足音を立てないように注意し、物音のした木まで足を進める。それから二人は一気に飛び出した。


「うわあああああーーー」


 叫び声を上げながら頭を抱えているのは、間違えなく二人の幼馴染だった。


「おい」


 ユンはブルドの前でしゃがむ。


「何やってんだ、おまえ」

「助けてください助けてください助けてください助けてください」

「おいこら、聴け」


 ユンが叫び続けるブルドの肩を掴むとビクッと震えた。


「ブー大丈夫?」


 サクラが声をかけると、やっとでブルドは目を開けて二人を見た。


「・・・あれ、二人とも生きてる?」

「ああ、おかげさまで。それで、お前はこんなところで何やってるんだ」

「何やってるって、それは・・・そう、今から君達を助けに行くところだったんだよ。惜しいことをしたな、あと少し待っていたら僕がかっこよく化け物を倒すところを見せてあげられたのにな」


 涙や鼻水のあとが残る顔のまま、ブルドは腰に手を当てるとフンッと息巻いた。


「そりゃ、どうも」

「それで、あの狼野郎は何処にいったんだい。僕に恐れをなして逃げたのかな」

「そこだ」


 ユンがブルドの後ろを指差すと、ブルドは跳ね上がってユンの後ろに隠れた。


「こ、このやろう。お、俺に手を上げようなんて百年早いぜ。唐揚げにされたくなかったら出直して来るんだな」


 ユンの背中に顔を埋め、ユンを盾にしながら強がるブルドの肩をサクラが叩く。


「ヒィッ」


 情けない声を出して跳ね上がったブルドが振り向くと、ニコニコと笑っているサクラが立っていた。


「な、なんだサクラか。驚かせないでくれよ」

「ごめんごめん。それで、ブーは一体いつからここで見ていたのかな?」


 顔は笑っているが、鬼のような怒りオーラをまとうサクラにブルドはダラダラと冷や汗を流した。

とっさに再びユンの後ろに隠れようとしたが、サクラのアイアンクローがブルドに炸裂した。

アイアンクローといってもサクラの小さな手では米神を掴むことは出来ず、ブルドの有り余る皮下脂肪を力技で握り締めていた。


「い、痛たたたたた。ちょ、放してーー」

「ん?聞こえないねぇ。で、いつから見ていたのかな?」


 有無を言わさぬサクラの迫力に、ブルドは肩を落として白状した。


「え、と、サクラが・・・」

「私が?」


 ブルドはニコニコと不自然に笑うサクラの先を促される。


「茂みから出てきて、狼みたいな奴の尻尾を踏んだ辺から」

「初めからじゃないかーーーーー」


 サクラの絶叫が響き渡った。

 サクラは「ゴメンゴメンゴメン」と連呼するブルドの首根っこを掴むと茂みまで引きずっていった。


 しばらくすると、スッキリした顔のサクラと顔を識別不能なほどボコボコになったブルドが戻ってきた。


「まあ、何はともあれ無事で何よりだ」


 ユンはスッとブルドから目を逸らして言った。


「ユンしっかり現実を見てよ。ぜんぜん無事じゃないよ」

「自業自得だよ」


 必死に訴えるブルドだったが、隣で微笑む少女を見て口をつぐんだ。

 緊張感の無い二人の会話に、ユンは溜息をついた。


「それで、結局お前は何をしてたんだ」


 ユンには思い当たることがあったが、それを口にはしなかった。


「それは・・・なんとなく」


 ユンの問いにブルドは気まずそうに目を逸らした。その態度でユンは、やっぱりな。と確信した。


「村のみんなが探してるんだぞ」

「そうだよ、みんなブーのこと心配してたんだからね」

「僕は誰にも心配してくれなんて頼んでないでしょ」

「・・・それがわざわざ探しに来た人に対して言う言葉かよ」

「探しに来てなんて言ってないでしょ。呼んでもないのに勝手に着ておいて押し付けがましいよ」


 ブルドの言葉にユンが逆上した。


「こっちは怪我までしてんだぞ。お前の勝手のせいでどれだけの人に迷惑をかけてんのか考えろよ」

「それはすいませんでした。勝手に探しに来て、勝手に怪我して、本当にお疲れ様でした。君達がいなくても僕は無事に帰れますので、勝手に帰ってください」

「ふざけんなよ、おまえ。もし俺達がいなかったら、今頃おまえはあいつらの腹ん中だろーが」

「何言ってるの。あれはサクラが勝手に魔獣の巣に入って行っただけでしょ。僕ならあんなへまはしないね」


 サクラに背を向けているブルドは気がつかなかったが、サクラの顔が苦しそうに歪むのがユンからは見えた。ブルドの自分勝手さにユンの限界がやって来た。


「あーあ、どうせ昨日弱いって言われたのを根に持って、大した覚悟も無く迷い込んだだけだろ。魔獣を見ただけで助けて助けて叫んで、戦う勇気も無いチキンが」


 コケにされて、ブルドの顔は真っ赤になった。


「あんなの、君達が墓穴掘っただけだろ。僕が助ける筋合いは無いね。それに、僕一人だったら怪我をすることなく倒せてたね」

「口だけだったら誰でも言えるんだよ、このデブ。本当にそんな力があるんなら簡単にサクラを見捨てたりなんかしねえよ。だから、図体ばっかで器が小せえデブって言われんだ。わかれよアホ」

「デブって言うなーーー。自分でだってわかってるよそんなこと。僕なんか何にも出来ないなんて、わかってるさ。だからって、どうしろって言うのさ。出来ないことは出来ないんだ。何でも出来る奴はいつもそうだ。いつも人のことを見下して、君だって心の中ではいつも僕のことを笑っているんだろ」


 ユンの襟をブルドが掴んだ。


「バカかおまえ。出来ない出来ないって言い訳して何もやろうとしてねえ奴の何を笑えって言うんだよ。笑わせんな」


 ブルドに襟を掴まれたユンもブルドの襟を掴み返す。


「もうやめてーー」


 今にでも殴り合いが始まりそうな剣呑な空気が漂う中、涙を流しながらサクラが叫んだ。


「もうやめようよ。みんながブルドの事を心配して、探しに来て、見つかって、無事で。それでいいじゃない。喧嘩なんかしないでよ。三人で帰ろうよ」


 膝から崩れ落ちて手を突くサクラは肩を震わせながらつぶやいた。握り締めた拳には次々と大粒の雫が落ち濡らしていった。

 気まずい雰囲気が漂い、ユンとブルドはどちらからと無く手を放した。


「悪い、サクラ」

「ごめんね、サクラ。僕も言い過ぎたよ。もう喧嘩はしないからさ」


 顔を上げると、サクラは二人を見つめた。


「本当に?」


 首をかしげるサクラに、二人は必死に頷く。


「じゃあ、仲直りの握手」


 その言葉に二人の顔は強張った。


「嘘なの?」


 そんなことはないさ。と笑う二人は、お互い頬を引きつらせ、相手の手を潰さんとばかりに全力で握った。

 その様子を見て、サクラは本当に嬉しそうに笑顔をうかべた。

 何の勘の言っても、結局三人の中で一番強いのはサクラだった。


 話し合いの結果、三人は休憩してから村へ戻ることにした。

 ユンは自分で出した水を飲み、サクラとブルドはブルドの持ってきた水筒からレモネードを貰って口にしていた。

サクラが「これ甘すぎ」と不満を漏らしたブルド特性レモネードは、蜂蜜八割のブルド黄金比のドリンクで、喉を潤すことは出来なかったが、疲労を回復させることは出来た。

 心中穏やかではないが、煮え湯を飲み込むように無理やり怒りを納めた二人は黙り込んだ。

初めは二人に話題を振っていたサクラだったが、自然と口数は少なくなり、いつの間にか三人の間には沈黙が立ち込めていた。

 薄暗く動物の鳴き声すら聞こえない森はどこか不気味だったが、疲労のためか気付けば三人は眠りに落ちていた。


「ユン、ねえユン、起きて」


 いつの間にか深い眠りに落ちていたユンだったが、サクラに肩を揺すられて目が覚めた。


「おはよう。サクラ」

「うん、おはよー。じゃなくて、なにかが近くにいるの」


 瞼を擦っていたユンだったが、サクラの言葉で一気に目が覚めた。

 魔獣を倒したことで完全に油断していた。近くにはまだ仲間がいる可能性もあったのに、その可能性すら考えつかなかっただけでなく、寝てしまった自分の迂闊さを恨んだ。

 感覚を研ぎ澄ますと確かに何かがいる気配がした。気配は少しずつ近づき、次第に複数の足音が聞こえるほどの距離になっていた。


「おい、起きろ」


 ユンは視線を逸らさずブルドを揺さぶる。


「なんだよ邪魔すングッ・・・」


 気持ちよく寝ていたところを起こされて不満を口にするブルドだったが、その口をユンが強引に塞いだ。

 ムッとするブルドは現状を理解できず騒ごうとしたが、サクラが自分の唇に人差し指を添えていることに気がつくと大人しくなった。

大人しくなったブルドをユンは開放した。

 口元を開放されたブルドはユンの視線の先を追った。

 そのとき、茂みの向こうから複数の人間が現れた。彼らは小汚いローブ纏いコンパクトな荷物を背負っていた。

その姿は旅人のそれと変わらなかったが、全員がフードを目深に被っている姿は異様だった。


「なんだよ、驚かせて。ただの旅人じゃないか」

「ちょっと待てよ」


 今にも片手を挙げて、おーい。と声をかけようとするブルドを力尽くで止めた。

 フードを目深まで被っているため男か女かすらわからないが、明らかにただの旅人ではなかった。

 ブルドは顎の下のたっぷりな贅肉を揺らし、必死にユンの束縛から逃れようとするが、普段から力仕事をしているユンには敵わず、いたずらにそのたわわなお肉を揺らすだけだった。


「あっちー。なんかジメジメして気持ち悪りー。なんで森ん中なのにこんなにあっちーんだよ」


 次の瞬間、ユン達は目を疑った。

 襟をパタパタさせてローブの中に空気を送り込んでいた男は、暑さに耐えかねてフードを脱ぎ、フードの下からぼさぼさのくすんだ赤い髪がのぞいた。

 赤い髪は火の民の証だ。

彼の存在自体は決して珍しいことではなかったが、彼がいるこの場所が問題だった。

 通常、各々の民はその土地に根付くマナの加護を受けている。

そのため商人でもない限り自国から出ること自体が珍しかった。

その中でも、反対属性の国、すなわち水の民にとっての火の国、火の民にとっての水の国、というのは立ち入ってはいけないというのが常識だった。

反対属性の国では極端にマナが少ないため、己の力が制限される。

最悪の場合は一切の魔法が使えなくなってしまうからだ。


「こんなんなら、まだ砂漠の方がましだぜー。水の奴らはよくこんな気分の悪りーところに住んでられんなー」

「ここらはとても湿度が高いようですからね。開けたところでは川に沿って風が吹きかなり涼しいそうですよ」


 そう言って、隣の男もフードを脱いだ。

 フードの下にいたのは、やはり火の民の男は眼鏡をかけた優男で、隣の粗忽そうな男よりも物腰が柔らかだった。


「そりゃ、早くこんなところおさらばして涼もーぜー」


 そうですね。そう言ってくすくす笑う優男だったが、茂みの影に転がっていた魔獣の首を見つけて目を見開いた。

 優男の様子を怪訝に思った男が優男の視線を追いかける。


「こいつ俺等が放ったキマイラじゃねーか」

「そうですね。僕達の放ったうちの一匹で間違いないですね」

「なんだこの役立たず。簡単に殺られてんじゃねーぞ」

「まぁ、所詮は失敗作ですからね。期待するだけ無駄ってもんでしょーね」


 粗忽な男はキマイラと呼ばれた魔獣の首を踏みつけた。


「ちょっといいですか」


 優男は不満そうな男を押しのけると、キマイラの首を拾い切り口に指を突っ込んだ。引き抜いた指にべったりとついた血を親指と人差し指を擦り合わせる。


「まだ殺られてからそんなに経っていないですね。もしかしたらまだ誰かが近くにいるかもしれません」

「あぁん、こんなカスの弔い合戦でもすんのか、面倒臭え放っときゃいいだろそんなもん。こんな弱い奴なんざ、どの道すぐ狩られてただろーよ」

「まあ、そう言わないでくださいよ。もしかしたら、近くに村が在るのかもしれません」

「ただの通りすがりかもしれねーだろ。んなもん放っといて行こーぜ。村なんざ歩いてりゃそのうち行き当たるだろーよ」


 優男は目を細めてバカにするような視線を自分より身長のある隣の男に送った。


「ははーん。そんなこと言っておいて、さてはグライン君キマイラを倒した相手を倒せる自信がないんですね」

「んだと、調子乗ってんじゃねえぞこのクソ野郎。キマイラなんざ寝てても倒せらあ。こんなザコ一匹倒せたところで俺の相手じゃねっつーの」

「さあ、どうでしょうね。魔法が使用された形跡もありますし、一筋縄ではいかないと思いますよ」

「舐めてんじゃねーぞ。十分だ。十分で捕まえてきてやる。覚えてろよ、吠え面かかせてやっからな」

「それはそれは。楽しみに待ってますね」


 笑みを浮かべた優男は、頭に血を上らせて息巻くグラインを手を振って見送った。


「それで、村に着いたらどうするんだ」


 今まで黙っていた男が口を開いた。


「グライン君には好きなだけ暴れまわって頂いて、その間に私達はやることをやりましょう。もちろん抵抗する人は皆殺しにしていただいてかまいません」


 その物腰柔らかな口調とは裏腹に、優男の腹の中は真っ黒だった。


「それより、グライン君もいませんし少し休憩にしましょう。それにしても小腹が空きましたね。ちょうど食材もあることですし食事にしませんか」

「わかった」


 男は聞こえるか聞こえないかの声でぼそりと呟くと、優男以外の三人は手馴れた手つきでキマイラを解体していた。


「今の聞こえた?皆殺しって聞こえたけど、僕の聞き間違いだよね」


 顔を真っ青にしてブルドは首を傾げた。


「どうしよう。みんなに教えないと。お父さん、お母さん、リラ、大変みんなにどうしよう大変」


 サクラはプチパニックを起こし、ブルドの頭がもげそうな勢いで肩を揺さぶっていた。

ユンは突然の出来事にどうしていいかわからない二人を見つめる。

 敵が近づきすぎた、ここから三人で逃げるのは無理だろう。

例え逃げ切ることが出来たとしても後をつけられたらみすみす村の位置を教えることになってしまう。

ダン、ファリセナ、リラ、ミス・セーラ、その他村のみんな。ユンは自分が幼い頃から知っている顔を思い出していた。

 村には力自慢の男達や子供達に魔法を教えていた大人達がいる。

だが、今ユン達の目の前にいる男達には叶わないだろう。

確かに水の国の国土にいる以上、村人達の方が有利かもしれない。

しかし、奴らは人を殺すことに躊躇しないだろう。

そんな殺人鬼達が突然村に現れて、平和な生活に慣れきった村人ではきっと歯が立たないだろう。

 優男は抵抗する人間は皆殺しだと言った。

奴らが何をするつもりかは知らないが、ユンには斧を持って走り出すダンの姿が鮮明に想像できた。

 それはダメだ。

 ユンはもう一度幼馴染達の顔を見た。


「二人とも落ち着け」


呆然としている二人がユンの方を向くのを確認して先を続ける。


「奴らが何をするつもりかは知らないが、魔獣を使って村を襲わせていたのが奴らなのは確かだ。きっとあの男が言っていたことも冗談じゃないだろう」


 じっとユンの言葉を聴いていた二人だったが、心が壊れそうなのがユンには見えた気がした。


「だから、早く村に帰ってみんなに知らせないといけない」

「そうだ、みんなでかかればきっと五人くらい何とかなるよ」

「いや、奴らはプロだ。無策で不利なところに飛び込んでいく愚は犯さないだろう。それに、奴らがあと何人いるかわからない。みんなには逃げるか隠れるかして欲しい」

「そんな、村を離れるなんて、僕嫌だよ」


 情けない声で泣きそうなブルドが嗚咽交じりに漏らした。


「でも、ここから三人で逃げるなんて無理だよ」

「だから一人が囮になって注意を引いているうちに、二人が村へ戻るしかない」


 ユンの言葉に二人は目をむく。そしてサクラはユンを見つめ、ブルドは二人を交互に見た。

 ブルドはおののいた。

現状を考えれば一番鈍く、一番役に立たない自分が二人の足を引っ張ることの無いように囮役をやるのが上策だ。

しかし、囮になれば確実に命を落とすことになる。


「ぼ、僕は残らないからな。絶対嫌だ」

「そんなのダメだよ。誰かを置いていくなんて出来ないよ」


 ブルドは必死に、サクラは切実に、二人は懇願したが、ユンはゆっくり首を振った。


「囮は俺がやる。どの道この足じゃ村まではもたないからな」


 ユンは先ほどキマイラにやられた自分の右足を示した。


「・・・そんな。ぼ、僕は」


 自分の醜さを恥じ、頭を抱えたブルドが一歩下がると、『バキッ』そのおろした足が枯れ枝を踏み砕いていた。


「誰だ」


 男の叫び声と共に、小さな火の玉が襲い掛かってくる。



「・・・大丈夫。もう絶対諦めない」



 ユンは泣きそうなサクラの頭に手を置いた。


「サクラのことは任せたぞ」


愕然とするブルドに声をかけ、ユンは藪から飛び出した。


「壁よ」


 ユンが叫ぶとユンを取り囲むようにドーム型の薄い水の壁が現れ、ぶつかった全ての火の玉を消し去った。


「水よ」


 ユンが唱えるといくつもの水球が現れる。走りながら右手をかざすと弾丸と化した水球は、不意打ちの攻撃を全て防がれ驚愕する男達の米神を撃ちつけた。


「ちっ、二人だけか」


 ユンは今の攻撃で二人が昏倒するのを確認しながら、サクラ達から少しでも遠ざかるように駆けた。

 ユンの背中を優男とフードを被った男が追いかけてくる。男達はユンの背中に向けて火の玉や火の蜥蜴を放ってくるが、全てユンの防御に阻まれた。

 ユンは全力で走った。途中でキマイラにやられた傷が広がったのか激痛が走ったが、二人から敵を遠ざけない限り止ることは出来ない。

 ユンは水の壁を展開して防御するが、その壁も敵の攻撃によって次第に薄くなっていた。

 背後を振り返るユンは男達を気にする振りをして、二人が見えない位置まで来たことを確認すると立ち止まった。


「もう追いかけっこは終わりですか。それにしても、水の領域とはいえ、全ての攻撃を防ぐとは、少年なかなかやりますね」

「そりゃどうも」


 優男の掛け値無い賞賛もユンは適当にあしらった。

 ユンが右手を振ると、男達の足元から氷柱が突き出した。

 男達は回避行動に出るが、後方宙返りで華麗に回避した優男に対して、バックステップで回避したフードの男は氷柱に脇腹を浅く削られた。


「ちっ、無詠唱かよ」


フードの男は悪態をついた。

 ユンは思いのほか軽い手応えに驚きながらも、更なる追撃のため前に出る。怪我をしている男を視界に捕らえ、再び水弾を放とうとした。

 ゾクリ。

 背中に薄ら寒いものを感じたユンは攻撃を中止し、背後から迫っていた炎弾に標的を変更した。

 飛んできた炎弾は人の頭ほどの大きさがあり、これまでとは明らかに威力が違った。ユンが放った六発の水弾は炎弾とぶつかり、水蒸気爆発を起こす。

 たった数歩の位置で起きた爆発に巻き込まれ、ユンは吹き飛ばされた。転がるユンは木の幹にぶつかって止まった。


「はっはー。やっと見つけたぜ」


 木の陰から出てきたグラインが優男を指差していた。


「な、十分だぜ」

「ふむ、十一分と二十八秒ですね。グライン君は、やはり口だけですねえ」


 得意げに胸を張るグラインに懐から懐中時計を取り出した優男は溜息をついた。


「んだと、この陰険野郎。てめえの時計ぶっ壊れてんじゃねーのか。俺の腹時計はきっちり十分だっつの」


「何を言っているのですか。あなたの腹時計はいつだって昼時で止まっているのでしょう。当てにはなりませんね」


 中指で眼鏡を持ち上げると、小ばかにするようにやれやれと首を振った。


「俺様の腹時計は貴様の腐ったような時計より正確だ」


 一瞬、優男が鬼の形相を見せたが、グラインはそのことに気がつかなかった。


「まあ、いいです。それで、少年、まだ続けますか」


 背中から木にぶつかったユンは、一寸の間気を失っていた。

 気がついた拍子に咽そうになったが、堪えられた。

 涙で滲む視界には、優男とグラインと呼ばれていた男が話しており、その背後では怪我の治療をしている男が控えているのが見えた。

 どうする。

 正直、グラインの力は予想以上だった。不意を突かれたとはいえ、水の領地においてユンと互角の力を出してくるとは思っても見なかった。

 驚きがユンの頭の回転を鈍らせ、焦りが空回りを誘う。

 そして、まだ何も打開策が立てられないままのユンに、優男の声が降ってきた。


「なんだ、まだ意識があるのか。しぶてえガキだな」


 グラインが吐き捨てると同時に、グラインの左手から再び炎弾が放たれた。


「くそっ」


 ユンは間一髪で左へ転がり炎弾をかわした。

 ユンがかわした炎弾は背後にあった幹をごっそり削り、ぶつかった地面を真っ黒に焦がした。

 あんなもんまともに喰らったら洒落にならねえぞ。炎弾のもたらした結果を目の当たりにして焦るユンは、グラインの左手にすでに次弾がおさまっているのを見て飛び跳ねた。

 辛うじて次弾もよけることが出来たが、炎弾は立て続けて襲いかかり、ユンは逃げ惑った。


「ちっ。ちょこまかと、うっぜーな」


 舌打ちするグラインはちょっと見でも焦れているのがわかった。本来ならもっと強力な魔法で、一撃でしとめるのがグラインの戦い方なのだろうが、力が制限されているせいで思うように魔法が使えないようだった。

 強力な炎弾も複数同時には展開できないらしい、連続して放ってくるものの、単発で直線的な攻撃はユンでも何とかかわすことができた。


「あーもー。うざってーつーの」


 額に青筋をたてて痺れを切らしたグラインは倍近い大きさの炎弾を放つ。

 迫り来る炎の固まりは完全にユンを射程に捕らえていた。逃げることを諦めたユンは両の手を突き出した。


「っ、壁よ」


 ユンの言葉で現れた水の壁は、今までの全方位型ではなく、正面のみを守る正真正銘の壁だった。

 炎弾をユンの全力の壁は受け止めた。水の壁は小型の太陽のごとき炎弾によってもうもうと蒸気を上げ、次第に厚みを失っていく。

 必死に炎弾を受け止めるユンの目には、かなり消耗しているものの次弾を構えるグラインの姿が映った。

 ポツッ

 これはやばいかな。諦めかけたユンの鼻頭を一粒の水滴が濡らした。

 クスリと笑い、ユンは左手を胸の前で握った。


「はんっ。やっとで諦めたか糞餓鬼」


 立ち込める蒸気の中から、なんとか炎弾をしのぎきったユンが姿を現した。


「俺様の一撃を防ぎきったのは褒めてやるが、今更神頼みとは笑わせてくれるな。天に祈ったところで神なんかいねーよ。祈る相手が違うだろーが。頭を地面につけて許してくださいだろーよ」


「グライン君、気を抜いてはいけませんよ。それに擦り付けるのでしたら、頭ではなく額の間違えですね」


 その場に立ち尽くし祈るようなユンの姿を見て、腹を押さえてギャハハと笑うグラインを優男が窘めた。


「天に祈る。はっ、確かにそうかもしれないな」

「何がおかしいんだ糞餓鬼」


 鼻で笑うユンは胸の前にあった左手を高く掲げた。その所作にグラインは憤り、優男はいぶかしみ空を見上げてハッとした。

 先程までぐずついていた空はいつの間にか雨になっていた。しかし、ユン達の周辺に雨粒は落ちてこず、幾多の雨粒が上空に漂っていた。


「くらえっ、ブレッドレイン」


 ユンが左手を振り下ろすと、上空に漂っていた幾千、幾万の雨粒は弾丸となって男達に降り注いだ。

 雨粒の一つ一つは大地を穿ち穴を開けた。

当然、空と大地の間にいた人間にも同じことは言え、穿たれた肉体からは血煙が上がり、滴った血で大地が染まる。

 激しい降雨の弾丸で周囲はけぶり、もやに包まれていた。

 さすがにこれでは生きていないだろう。

 今までの張り詰めていた緊張は解け、安堵と共に薄ら寒いものがユンを苛む。

 雨粒が顔を伝って流れることも気にせず立ち尽くすユンの手は、いつの間にか震えていた。

 これまで生きていくために多くの動物を狩り、命を奪ってきた。しかし、人間の命を奪うのはユンにとっても初めての経験だった。


「・・・これは、結構きついな」


人を殺めた。その事実が重圧となってユンを襲った。

 その時、何かが通り過ぎ、ユンの右頬を引き裂いた。

 風がもやを吹流すと、そこに現れた光景にユンは目を丸くした。


「・・・なんで」


 喉はカラカラに渇き、かすれた声を絞り出した。


「いやあ、これは流石に驚きました。少年これはやりすぎでしょう。私がいなかったら、みんな死んでいましたよ」


 優男達を守るように頭上には穴だらけの巨大な岩が浮いていた。ユンの魔法によって体積の半分以上を消失した岩も、男達を守る傘の役割は十分に果たしたようだ。

 にこやかに笑う優男の指には黄色い宝石が輝く指輪がはまっていた。


「・・・魔宝石」

「へえ、流石ですね。それにしても、その年でこれ程とは、末恐ろしいですね。しかし、ここで殺してしまうのも惜しいですね。私達と一緒に来ませんか。もちろん貴方に拒否権はありませんが」


 相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべる優男だったが、その濃度が濃くなったきがした。背筋に寒いものが走り、いつの間にかユンは走り出していた。


「抵抗しても無駄ですよ」


 容赦なく襲い来る飛礫は水の壁を貫き、ユンにダメージを与えた。

 すでに痛みすら感じなくなっている重たい足を引きずりユンは走る。

 飛んでくる飛礫は木を間にはさむことで何とかかわし、一定の距離を置いて投げかけ続ける優男の声から逃れるように走った。

 どれだけ走ったかわからなくなった頃、森の奥から光が差し込んでいるのがユンの目に入った。

 夏に火の中へ飛び込む虫のごとく、ユンは希望の光を求めて光のさす方へ駆けた。

 そして、森を抜けた時、ユンの希望は絶望へと変わった。

 ユンの眼前には広大な砂漠が広がっていた。

 サクラ達は無事に村へたどり着いただろうか。ダンは、ファリセナは、リラは、村のみんなは無事だろうか。

 ユンは砂漠の砂に膝をつき、そのまま地面に突っ伏した。

 遠くから誰かの声が聞こえたような気がしたが、ユンにはもう何も考えることが出来なかった。

 肌を焼き付けるような強烈な太陽の光は一転、ユンの意識は真っ暗な闇の中へ沈んでいった。


後半作成中。

早く書けたらいいな。

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