『特撮』と『実物』
特撮番組。つまり、実写に少々の手間を加えた、映像作品である。
その中でも一般的な、子供向けの番組だった。
所謂変身ヒーローが人間大の怪物と戦う、という数十年前に遡る形式の番組だった。
もちろん、変身ヒーローの正体を演じる役者と、変身ヒーローの姿で演技をする役者は違う。
言うまでもなく、双方の着ている『着ぐるみ』は相応に高額だが、それでもただの派手な服でしかなく、実際にパワードスーツとしての機能があるわけではない。
視野が極端に狭いし、着ぐるみによっては可動範囲が狭かったり、単純に重いこともある。
それらを着て、ヒーローと怪人を演じなければならない。それを専門とするスーツアクターが、ヒーローと怪人を見事に演じていた。
今回、この場でも変身前の姿の撮影も行うということで、変身前役の俳優や女優も控えている。
そして当然、カメラマンを始めとした多くのスタッフが真剣に撮影を行っていた。
所詮は作り物、と嘲るのは簡単だ。実際、そういう面が無いわけでもない。
ただ、少なくともこの場の彼らは本気で仕事をしていた。
今この場にいる彼らは、全力でTVのヒーローを作り上げようとしていた。
後でCGの映像を合成するとはいえ、役者は足場の悪い磯で立ち回らなければならない。
もし転ぶようなことがあれば、それは大怪我を負うこともあるだろう。派手で勇壮な彼らのスーツの下には、生傷が絶えない。
そして、緊張と共に撮影を行っていると……。
「……おい、なんだアレ」
「あんなもん、予定にないぞ?」
「おかしい、なんかのドッキリか?」
誰もが、それを見て驚愕していた。
誰もが本気で撮影を行い、作品を作り上げようとしているが、だからこそそんなものが実在するわけがない、と思っている。
だからこそ、まさか目の前に現れた巨大な構造物が、見た目通りに超古代文明の遺産だとは思うまい。
「いたずらか?」
『それ』は、最初は見えないほど小さいチリだった。
再生機能を阻害していた破壊の力が悠久の時を越えて失われたたことにより、そのチリが集まり始めていた。
最初はそれが散らかされた破片に見えなかっただろう。
それが集まりだしても、巨大なオブジェが捨てられただけだと思っただろう。
それが、完全に元の姿を取り戻しても、まさかなんのひねりもなく超古代文明の遺産だとは思わなかっただろう。
「三角コーン?」
目の前のそれを見て、誰かがそうつぶやいていた。
真っ白なそれは、最初円錐の形をしていた。
巨大で綺麗な円錐で、歪みや亀裂は最初見えなかった。
それが、CGでも花火でもない、明らかな推進力を放出して、ひっくり返り始めた。
そして、円錐の先端が中ほどまで割れて、四本の脚が形成される。
立ち上がったそれは、六メートルほどの歩行兵器となっていた。
その兵器は自らに与えられたルーチンに従って、目の前の目標へ搭載している兵器を発射する。
「なーーー!」
発射口は、意外にも円錐だった時に底面だった部分の縁。
発射されたものは、白いコードで繋がれた人間の指先ほどの小さい何か。
狙われたのは、比較的近いところにいたスーツアクター二人だった。
「ぎーーー!」
人間にもかろうじて視認できる速度で放たれたそれは、正義の味方と悪党に命中し、二人を気絶させたかのように動けなくさせていた。
そして、二人の身体に針でも刺したかのように、脱力している二人をコードで巻き上げていく。
そのまま、円錐の底面に乗せていた。
「い、いやあああああ!」
絹を裂くような乙女の叫びが、全員を正気に戻した。
アレが何なのか、スーツアクターは生きているのか死んでいるのか、そんなことは分からない。
しかし、確実なことはいくつかある。
それは、あの何かは人間を捕まえているのだと。
四本の足が動き出す。
自動車よりは遅いが、しかし確実に人間よりも早く、この岩場を走っていく。
あっという間だった。
誰もが取り乱しながら逃げようとして、誰も逃げることができず転んでいく。
岩肌でケガをするが、誰もそんなことを気にしない。
ただ、目の前に現れた明確な脅威に対して、恐怖し、絶望していた。
目の前に、本物のヒーローが現れるまでは。
上空を飛行していた誠志は、目標地点の真上に来ると加速を続けていたバイクから飛び降りていた。
言うまでもないが、例え大気圏内でも空中で止まるには減速が必要で、その分の距離も必要になる。
だが、飛行している物体から慣性の法則や空気抵抗を加味したうえで飛び降りれば、その減速の心配はなくなっていた。
後は、そのまま落下すればいいだけである。
「パラシュートないけど、作るのか?」
『そんなことをしたら速度が落ちる! 両足で着地すれば問題ない! 靴をショック吸収使用に変えたのはその為だ!』
『安心しろ、この時代にも緩衝材はあるだろう。お前の靴はそれ以上だ。両足で着地すれば、お前の身は守られる』
「~~~俺、ヒーローだよな! パラシュート付けない状態で、身投げしてるもんな!」
こんな凄いことをしているんだから、俺は勇敢に違いない。
と、行動の無茶さを後悔しつつ承認欲求を前面に出す誠志。
『ああ、君は勇敢な戦士だ! そして、見てくれ眼下を。既に起動している、再生が完了している!』
『なんだ、コォヌか。安心しろ、アレは非殺傷兵器だ。おそらく死人は出ない』
「おそらくってなんだよ!」
両足を地面に向けたまま、空中から落下しているという最悪の事態。
その状況でもたらされた比較的明るいニュースに、微妙に安心できない情報が混じっていて問いただす。
そもそも、コォヌとはなんなのか。
その辺りを、きちんと説明してほしいところである。
『アレはコォヌ……対人捕獲用の兵器だ。武装は捕獲機能の付いたテイザーガン、人体に電気を流し込み行動不能にさせ、頭の上に乗せていく兵器だ』
『ああ、あれで死んだ人を僕は知らない。でも、既に人に狙いを定めている。おそらく、何人かは捕まってしまうだろう。前回のようにコォヌの足を壊してしまえば、頭の上の人はケガをしてしまうかもしれない』
心臓にピースメーカーを入れていればテイザーガンによって異常をきたしかねないし、頭から落としてしまえば死んでしまう。
そういう条件であることは、よくわかった。
「どうすればいい?」
『いったんコォヌの頭上に着地してくれ。僕の指示通りに推力を調整すれば捕まっている人を踏まずに乗り込めるはずだ。大丈夫、君が乗ったぐらいならひっくり返らない』
「なるほど、一旦抱えて降りろと」
『そう言うことだね。ただ、降りる前にシングルショットでいいからテイザーガンの発射口を潰してくれ。あと、捕まっている人にはテイザーガンがつながったままだ。切らないといけないから注意してくれ』
手順を踏めば、誰も死なずに収められるかもしれない。
その言葉を聞いて、誠志は顔を引き締める。
相変わらず落下し続けている身体だが、義務感や使命感でそれを我慢する。
自分は戦うと決めた。ヒーローになると決めた。
そして、ヒーローとはカッコよくなければならない。
ヒーローのカッコよさとは、全力で困っている人を助けることにあるはずだ。
「全員助けるぞ、レヒテ、ゴーシェ!」
『うん、絶対に助けよう!』
『さて、そう慌てることでもあるまい』
右手からわずかずつ推進力を放出し、起動を調整する。
重力加速度によって早くなり続ける、直立姿勢の誠志。
ヘルメットで隠された顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
既に上着は無く、光沢のあるタンクトップと左右の手を覆う赤と青の装甲が、上半身の服装だ。
下半身がジャージではあるが、それでもヒーローに見える姿だろう。
罪悪感を隠すために、罪悪感をごまかすために、それでもヒーローであろうと彼は落下に身をゆだねる。
失敗して後悔して成長するヒーローもかっこいいが、誰も傷つけさせない方がいいに決まっている。
長いようで短い落下時間を、円錐の底面に着地することで終えていた。
音を発することで衝撃を分散する仕組みなのか、彼の着地は爆発の様な音をしていた。
そして、それはコォヌを見上げていて救援を知らなかった彼らには、頭上に乗せられたスーツアクターが爆殺されたように聞こえただろう。
「~~おい、これってヒーローショーの……っていうか、撮影か」
一体どういう衝撃吸収能力なのかわからないが、両足から着地して全く痛くない状況に戸惑いつつ、しかし改めて確認して捕まっている人の服装の可笑しさに気付いた。
本物のヒーローや怪人が捕まっているのではない、スーツアクターが捕まっているのだと理解できる。
「そうか、岩場で撮影を……運がないな……」
『近くにたくさん人がいる。まずは発射口を全部潰そう、人に当てないように指示するから、角度に気を付けて!』
「わかった!」
製造者であるゴーシェが認める、頭上の安全地帯。
歩行しているのでやや揺れているが、それでも安全と分かっていれば狙うのはたやすい。
前回のスフェールは一度空気砲を撃てばしばらく再発射までの時間が空いたが、今回のコォヌはそうでもないらしく、テイザーガンの発射校の数だけなら連続攻撃が可能な様だった。
『安心しろ、この兵器は人間を捕獲するように設計されているから、体当たりや足で潰そうとはしない。お前が誤射しなければ、発射口を全て潰せば一旦は無力化できる』
「プレッシャーをかけるな!」
涙をぬぐえない状況でも、何とか人差し指から青い弾丸を発射していく。
外すこともあったが、焦ることはないと言われたこともあって何とか潰すことはできていた。
「後は……これを切ればいいんだな?」
二十ほど発射口はすべて破壊したが、再生は始まっている。余り時間をかけすぎると、要救助者が増えかねない。
電気を流し込まれて気絶している二人は、幸いにも身動きが取れないままだった。
溺れている人間は藁にもしがみつくというが、溺れて暴れている人間を助けようとして、自分も溺れるという話はよくある。
助けに来た誠志におびえて落下するかもしれないし、しがみついてきて逆に救助に手間取る可能性もあった。
気絶しているかどうかはともかく、身動きが取れないのは救助する側には楽だ。
大きく迂回させてこちらに寄せてきたバイクに、その二人を荷物のように載せる。
後は、このまま右手の掌でコォヌの頭に触れれば……。
「レヒテ!」
『いいや、離脱するんだ!』
今更のように、コォヌは自らの体を揺さぶり始めた。
おそらく、全ての捕獲兵器が切り離されて、更に自分が捕獲していた相手の重量も感じなくなったことで、もはや頭上の物を振り落とすべきだと判断したのだろう。
未だに健在な四つの足で体を揺さぶり始めた。
『要救助者を優先した結果だな』
『当たり前だ、僕は、僕たちは壊すために戦っているんじゃない! 守るために戦っているんだ!』
「レヒテ、反論は良い! とにかくどうすれば……」
『一旦降りてくれ。このままでは、完全破壊できない!』
既に、小型ヘリコプターは二人を乗せたまま他のスタッフの所へ向かわせている。
後は、テイザーガンが復活する前にこのコォヌを完全に破壊する。それだけだ。
「……分かった!」
先ほどのダイブに比べれば何のこともない。
十メートルもない高さから、誠志は飛び降りた。
そして見上げてみれば、やはり巨大な捕獲兵器の威容が見える。
「前のよりは、小さいか」
『コォヌはあくまでも捕獲用の兵器だ。損傷を受けてもテイザーガンの再生までは人を傷つけないように回避に専念する。ある程度ではあるが姿勢制御用の推進力も備えているぞ』
『足を全て壊しても転倒はしない! 逃がさずに、狙いを定めて攻撃してくれ!』
「わかった!」
コォヌはそのセンサーで戦闘用ユニットであるレヒテを感知していた。
それが自分をたやすく破壊できると、認識できる程度には『彼』にも識別能力があった。
故に、コォヌは回避を選択した。非戦闘員を捕獲するために制作された彼は、四本の足で悪路である岩場を、人間のいない方向へ逃げ出そうとした。
『コォヌはスフェールよりは足が太く、頑丈だ。提案するぞ、前回の手りゅう弾を使うべきだ』
『却下だ! これ以上お前の手は借りない! 人差し指と中指を向けてくれ! スパイラスショットを使用する! 着弾地点を破壊するシンプルショットと違い、貫通能力を持っている! 下に向けて撃てば地球さえ貫くから気を付けてくれ!』
「貫通能力高すぎだろ!」
文句を言いながら、言われた通りの手の形をとる誠志。
海には入れないのか、海岸線沿いを逃走するコォヌに対して、狙いを定めていた。
『そのままだ、そのまま撃てば宇宙まで何を壊すこともなく貫いていく』
「本当に物騒だな……いけぇ!」
撃つ、そう思っただけでスパイラルショットは放たれた。
右手の指先から、青い螺旋の光がほとばしる。
それはある意味当然だが、発射されたと誠志が認識した瞬間には青い直線がその通過地点にあるコォヌの足の付け根を破壊していた。
『コォヌの足は根元が同じだからな、大威力で貫けば当然すべての足が機能不全になる』
「なんでそんなものを……」
『創造主の趣味だ、気にするな』
だるま落しのようだった、と言えばそれなりには正解だった。
四本の脚は全て根元から破壊され、結果付け根の部分が岩場に落ちていた。
姿勢制御用の各部のブースターが、よろめいている機体を安定させようとしているが、しかし転倒を防ぐので精いっぱいだった。
『そろそろテイザーガンの修理が終わるだろう。注意しつつ接近し、破壊してくれ』
「もうか?! 分かった!」
この時、誰もがこの状況を意図していたわけではなかったのだが……。
バイクのヘルメット、光沢のあるタンクトップ、赤と青の装甲に覆われた両手をもつ誠志は今更ながら特撮ヒーローのコスプレに見えて。
強大な敵へ立ち向かう、パワードスーツによって人間ならざる脚力と速度を得た、誠志の後姿は余りにもヒーローそのものだった。
視聴者ではなく観戦者、目撃者でしかない特撮番組の撮影班はカメラワークも何もなく、ただ茫然と彼の奮戦を後方から見守ることしかできず……。
『テイザーガンの再生を確認した! 五機すべてがこっちを狙っている! 臆することなくこのまま進むんだ!』
『対人兵器だからな、お前を捕獲するべき人間と認識しても、その速度に対して標準を合わせることができん。加えて射角の関係上足元は狙えない』
「分かった!」
そして……発射される白いコードを潜り抜けて、そのまま青い右手を白いロボットにたたきつける。
『ブレイク!』
数瞬の後に、淡い光と共に白いロボットは消えていく。
磯には多くの破壊痕が残っているが、根元から破壊され残骸として転がった四本の脚さえも、淡雪のように崩れていく。
当事者をして幻想的なその光景は、観戦者たちにはなお幻想的だった。
爆風爆炎でごまかさない破壊の技は、正に彼らが生み出そうとしていた英雄のそれだった。
「……あれ、バイクは? もうこのまま乗って帰るつもりだったんだけど」
『済まない、まだ降りていないんだ』
「二人とも? そりゃあまあそうか……」
目の前でこんなことが唐突におきて、空飛ぶバイクにさらわれた仕事仲間が乗せられていても、降ろす気にはなるまい
『それもいいが……アレはカメラ、映像を記録する機械だろう? 壊さなくていいのか?』
「駄目だ」
あのカメラがどれだけ高価か、なんとなく察しは付く。
おそらくではあるが、そこらの外車よりも高いのではないだろうか。
「どうせ見られた時点で終わりだ……そのうちバレるだろ」
『目撃者は消す、とでもいうつもりか?! ゴーシェ!』
『バカな、それは我が決めるところではない。それに、そうした発想は戦略的には愚策だ。事が露見した暁には、何もかもが裏目に出る』
どのみち実行するつもりはなかったが、殺せと言われなくて安堵する誠志。
正直、物が壊れすぎることも人が死ぬことも、まっぴらだった。
とりあえず、自分の正体につながるようなことは何もない。
誠志はヘルメットをかぶったまま特撮番組のスタッフたちに近づいて行った。
色々と脳内でシミュレーションするが、生粋の戦士でもなければウエットの効いたジョークが言えるナイスガイでもない。
よって、とりあえず黙ることにした。寡黙というのは、大抵カッコいいものである。
「あ、あの」
とはいえ、無言で近づいてくる相手に恐怖を抱くなというのも無理な話だ。
誠志自身、様々なシチュエーションを脳内で想像していた。
怖がられて、逃げられる。
ありがとうと、感謝される。
呆然として、動けない。
まあ、その中のどれかだろうと察しは付いていて、おそらく呆然として動けないだろうと分かっていた。
そして、演出する側ではあっても体現する側ではない彼らは、実際に硬直していた。
自分たちの前に、怪我人を乗せたバイクが止まっていることにも気づいたかどうか。
誠志は無言でバイクから怪我人を二人ともおろし、彼らに渡した。
「あ、あの……」
こういう時、何といえばいいのか、番組スタッフは誰よりも精通しているはずだった。
だが、実際に遭遇してしまえば、演出家も脚本家も監督も、俳優さえも言葉が無い。
アシスタントディレクターがかろうじて、スーツアクター二人を受け取るのがやっとだった。
そんな彼らを前に、誠志はバイクに乗って、そのまま空へと飛んでいくのだった。
※
『感電させられた人たちは、この時代の病院に行けばきっと助かるだろう』
「そうか、そりゃよかった」
着ぐるみの上からでも感電させられるというのは凄いが、それでも尚加減はできていたらしい。
感謝する気にはなれないが、ゴーシェやゴーシェの創造主は、それなりに技術者としてはしっかりしていたらしい。
『誰も死ななくてよかった、本当にそう思うよ』
「……なあ、レヒテ」
白雲の中を飛ぶバイクにまたがって街を見下ろしながら、それなりの充実を感じつつ空の旅を楽しんでいた。
その一方で、喜びを感じているレヒテに対して疑問を感じる。
ゴーシェがこの文明を守る理由は、それなりには理解できた。
宇宙開発、あるいは宇宙旅行の為に文明を再構築しようとした創造主の意向を汲んで、彼はこの文明に手出しするのをやめていた。
自分がこの文明に接触することが、かえって宇宙開発を妨げることになると判断したからだ。
不干渉というのは、実にありがたい。誠志としても、実に嬉しい事だった。
その一方で疑問も浮かぶ。
そもそも、レヒテは何を思ってこの時代の文明を守ろうというのか。
「なんでお前は、俺達の文明を守るために必死なんだ?」
『……なんでって、どういう意味だい?』
「レヒテは、自分の時代を守るために作られたんだろう?」
『ああ、もちろん。その役割は果たせなかったけどね』
「じゃあこの時代のことは、どうでもいい筈じゃないか」
もちろん、ゴーシェを壊したいというのは分かる。ゴーシェの製造した兵器を完全に破壊したいこともわかる。
だが、この時代の人間にそこまで心を砕く理由がわからない。もちろん、誠志としてはありがたいのだが、それでも彼がここまで協力的な理由がわからないのだ。
「いやほら、この大量生産大量消費の現代文明は嫌いかなって……」
『なんだ、そんなことか』
「ってうああああ!」
急上昇し、更に高度を上げるバイク。操作しているのはレヒテなので、彼の悪戯か照れ隠しだろう。
そうして高度を上げると、そこには何もない。ただ青い空と白い雲がクリアに広がる世界があった。
高度が上がったが、しかし速度は落ちているようでもある。
のんびりと流しながら、ゆったり話がしたい。そういう気分なのだろう。
『やれやれ、酸素の供給を行うぞ。装着者、少し待てよ』
『―――ああ、無神経だった、済まない』
ゴーシェに気を遣わせたことが照れくさいのか、レヒテは素直に謝っていた。
そうである、よく考えれば上空に上がればその分酸素濃度も下がるのだ。
急激な変化であれば、そのまま高山病になりかねない。レヒテの行為は、普通に危険だった。
「早くね」
『ああ、しばし待て』
一端ヘルメットをレヒテで破壊させて、今度は両手を合わせて一気に酸素マスク付きのヘルメットを装着する。酸素ボンベの中身も含めて製造してもらったので、ほとんど問題がない。これにて、宇宙にでも行かない限り安全だろう。
『ごめん、少し恥ずかしい話でね』
『お前は恥ずかしいという理由で装着者を殺す趣味があったのか? 驚きだな』
『そんな言い方は無いだろう! いや、殺しかけたのは本当だ、申し訳なく思っている』
どうにも、正しいのはどっちか明白なのだが、それでも言い方で損をしていると思う。
そして戦闘ユニットであることを差し引いても、レヒテは短慮が過ぎると思うのだ。
『とにかく……僕はこの文明やこの世界の人たちを守りたいと思っている。それは本当だ、信じて欲しい』
「それは信じるけど、理由は?」
先ほどの戦闘で破壊を優先するならば、コォヌの頭上に乗った時点で勝負は決まってた。
戦闘ユニットであるレヒテは、敵の破壊よりも自分の出自とは関係ない人々の救助を優先したのである。
もちろん、さほどの脅威でなかったことは事実なのだが。
『……僕は、確かに戦闘ユニットで、かつて存在した街を守るために戦っていた。それは本当だ。だけど、別に製造された意味を果たすことだけが、僕の望みじゃなかった』
雲海を越えて、眼下に街が広がっていた。
日本の都市圏では良くある、切れ目も絶え間もない、街が何処までも続く光景だった。
『僕はね、文明もそうだけどそこにいる人たちの事をこそ、守りたいと思っていた』
ヘリコプターの回転する音、推進器の音。それらが今は無音のように、耳に届かない。
『僕の前の装着者は、所謂お巡りさんでね……自分の管轄の事にはとても詳しかった。誇りをもって業務に勤しんでいたんだよ』
ゴーシェが滅ぼした光景を、懐かしみつつ語るレヒテ。
そこには、明確に憧憬が存在していた。
『僕は、ゴーシェとその製作者が活動を始めてから起動したからよくは分かっていない。でも、動き始めた当初はまだ多くの物が残っていた』
それは、失意の日々だったのだろう。
投入され続ける、大量の兵器たち。それによって失われる、帰ってこない貴い人命。
豊かな生活、暖かい日々は、ゴーシェの製作者の勝手なエゴによって破壊されてしまった。
『以前の装着者は、僕に人間性を求めた。そっちの方が信頼できるといってね。だから僕も人間性を獲得していった』
それは、辛いことだったはずだ。
滅亡に向かう文明を守るために、絶望的な戦いに臨む。
そんな日々の中で人間性を得るのは、むしろ残酷なことだったのかもしれない。
だが、そんな後悔は微塵も感じられないようだった。
『僕の以前の装着者が此処にいても、きっとこの文明を、この街を、人々を守ったと思うよ。ゴーシェやその製作者がどんな意図で文明を滅ぼそうとしていたのか、当時の僕らは知る由もなかったけど……少なくとも、どんな理由だったとしても諦めなかったと思う』
休日の午前、未だに小食を食べていない誠志は、しかし少々の空腹を覚えるだけだった。
そんな彼の真下には、余りにも多くの命が息づいている。
そんな人々を、レヒテは愛おしく感じているようだった。
『だから僕はゴーシェを許せない。コイツの掲げた目標がどんなに夢や希望があっても、それが暴力によるものなら絶対に許せない』
それは、人間性を学んだが故の怒りだった。
どうしても、肝心な部分でゴーシェとの協力を許容できない。
その一方で、自分が守るべきだった文明とは縁がない、この国の人々も守らなければならないと思っていた。
『ゴーシェ、お前の製作者のやろうとしていたことは、あの時代に生きる人々の平穏を乱してまで成し遂げねばならないことだったのか?』
『我が創造主にとってはな。あのような停滞した文明は、先に進む者の足を引っ張る文明は、憎かったのだろう』
『バカな! 僕たちは文明の利器だ! 文明とは人間の、人々の生活を豊かにしていくために、不安を取り除き恐怖を和らげるために有るはずだ!』
空から世界を見下ろしながら、二つの人工知能は再び議論をしていた。
いいや、言い争っていたというべきだろう。
『不毛だな。我とお前では、そもそもの設計思想、存在意義が違う』
『ああ、そうだろうとも! だが、これはあの時代に生きた人々の総意だ! 宇宙に行きたいと願うお前の製作者は間違っていた! こうして伝える機会を得たからこそ、どうしてもそう言うことしかできない! 言わずにはおれない!』
『無意味だな、我らは既に、お互い失敗している。もはや、取り返しがつかないのだ。大事なことは、これからどうするかではないか』
『未来を語るな! お前は皆の平凡な明日を奪ったんだ!』
かつての強敵同士が手を組む。
それは素晴らしい事なのだろう。
だが、その難しさを左右の手の甲から感じつつ、誠志は何も言えぬまま空を行くことしかできなかった。
いがみ合う両手に対して何も言えない己は、未だヒーローではないと感じながら。