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「いや、そうでもない。確かにドリアードの歌はプレイヤーに【魅了】を付与する。ダンジョン内でその歌を流れ聞いた場合は、すぐに耳を塞ぐがなければならない。そうしないと、【魅了】状態になってしまって夢遊病者みたいになってダンジョンの奥へと誘われてしまう。けれども、ここはダンジョン最深部。ダンジョンの奥へ誘われるもなにも、ここがその最終地点だ。だから、ここで歌を聞いても、【魅了】状態にはならないんだよ」
ドリアードの歌に状態異常付与効果があることは、目の前のダンジョン初心者であるハーフヴァンプ少女でさえ知ってるくらいの、プレイヤー間でごくごく一般的に浸透した情報である。だから、みんなドリアードの歌が聞こえたらすぐに耳を塞いでしまうので、最深部では【魅了】状態にならない事実を知ってる人間は多くない。というか、ほとんどいないのではないだろうかと思っている。まあ、俺みたいにドリアードの歌をちゃんと最後まで聞いてみたくて、色々と試行錯誤してみた奇特な人間がいれば別だけどな。
あれは本当につらかったなー。
【魅了】状態のシンプルで手間のかからない解除法であるビンタをメイメイとルイルイにお願いして、彼女たちとここに一緒に潜ったのは確か現実世界時間にして一年ほど前のことである。あの時、最深部では【魅了】状態にならないということを突き止めるまで、俺の両頬は満月みたくパンパンに膨れ上がっちまってたからなー。
懐かしくも痛々しい、ぜったいに忘れたくはない良い思い出だぜ。
俺が懐古の念に浸って頬を撫でていると、ハーフヴァンプ少女は俺の両耳から手を放して『あっそ』とだけ呟いた。
それからしばらく、二人で並んで三角座りしながら静かにドリアードの歌を聴く。
うーん。俺の聴く限りでは、前に聴いたときよりも歌い手が上手くなっている気がする。さては前回に俺が歌を聴いていたドリアードの個体が、誰にも倒されずに今日まで生きて歌を精進させているのかもしれない。願わくは、そのまま生き続けて、さらなる高みを目指してほしいと思う。
でもなー、きっとだめなんだろうなー。
誰かに火炎属性スキルでもって消し炭にされちゃうんだろうなー。
可哀そうで寂しい気持ちになるが、そこはほら。NPCのモンスターだからと割り切るしかないのだ。およよ。
「ねえ」
俺が涙をほろりとさせていると、隣のハーフヴァンプ少女がまたもや肩をぶつけてきた。
「うん?」
「ダンジョンに潜るのも、いろいろあったけど、まあ。その…………、悪くないわね」
「だろ。そう思ってくれて、何よりだ。俺もあんたをおぶった甲斐あるよ」
「ねえ……、ふぁ」
何やら眠そうな声とあくびが聞こえたので隣を見やる。すると、ハーフヴァンプ少女が膝を抱えながら、うつらうつらと船をこいでいた。まあ、確かにドリアードの歌もそろそろ佳境に入り、そりゃあもう良い子守歌になるわな。
寝ぼけ眼でハーフヴァンプ少女は続けた。
「あたし、の……なまえは、シャノーラよ…………シャノで、……いい、わ。それ、で、……あんた……の……なまえ…………」
「ああ、俺は――――」
言葉を切る。
もう自己紹介しても意味がないということは、俺の肩に自分の頭を乗せてきたハーフヴァンプ少女の口から漏れる小さな寝息でわかる。けれども、相手がせっかく自己紹介してくれたんだ。
「俺はトーノ。そのまんまだけど、トーノでいいよ。まあ、次に会うことがあれば、その時はよろしく。シャノ」
ちょうどドリアードの歌が終わった。昨晩は寝てないし、俺もそろそろ眠くなってきた。今週期もあと二時間ほどで終わる。とりあえずダンジョンから脱出しよう。それから、ハーフヴァンプ少女改め、シャノは憲兵ギルドに知り合いがいるようだったし、俺の知り合いの憲兵がいる詰所にでも置いていけば問題ないだろう。
俺は彼女を起こさないように抱き上げると、ダンジョン脱出用の魔法陣へと向かう。
でもやっぱり、お姫様抱っこはキツいなー。筋力的にも、精神的にも。
すると背後でクスクスというソプラノの笑い声が聴こえた気がした。
すぐに振り向いてみたが、さっきまでドリアードがいた場所にはもう何もいなかった。




