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…………。
えっと。頭が痛くなってきた。
「要するに、貴女。遠野くんを色っぽい水着で誘惑して、彼に襲ってきてもらうために、こっちであらかじめ目ぼしい水着を見つけておきたいと?」
「ざっつらい」
親指を立てる伊達眼鏡の頭をかち割って、その中にちゃんとした脳が入っているのかを姉さんに確かめてもらいたくなった。目頭を押さえた私は、笑顔の後輩に確認する。
「おかしいところがたくさんあるけれど、まず第一に、どうして遠野くんに自分を襲わせようとするの。恋人なら、それなりのステップを踏んでからでしょう。手も繋げないうちに身体を許すなんて、まともな女のすることじゃないわ」
「その前にお聞きしたいんですけど、センパイ」
「なに」
「せっくすって、したことありますか?」
ぶふっ。
自分でも驚くくらいむせ返った私。なんてことを言い出すんだ。そう思って伊達眼鏡を睨んでみるが、彼女の目は真剣そのものだったので、逆にこちらが怖気づいてしまう。実際、少し身体を引いて逃げてしまった。けれども、伊達眼鏡は座卓に身体をグイッと乗りだしてきて、私の目をじっと見据えてくるから困る。
「どうなんですか」
「………………し、たことない、けど」
気迫に負けて正直に応えてしまう。
もはや視線が目の前の後輩と合わせられない。
すると伊達眼鏡は残念そうに身を引いた。
「やっぱりなー。そっちのことはセンパイには相談できないかー。買うしかないのかなー。ちなみにセンパイ、えっちな漫画とか、映像データとか、持ってたりします?」
「もっ、持ってるわけないでしょっ!」
座卓を叩いて声を荒げる私。自分でもわかる。今、顔が真っ赤だ。きょとんとした目の前の後輩はニヤニヤとし始めている。
「ほんとにー?」
「くっ……」
客観的に見ると、まるで私がそういうものを持っているかのようである。けれど、本当に持っていないのだ。持っていないけれど、ここで、何か言い訳じみたことを言ってしまうと、疑惑が濃くなってしまう。かといって、黙っていると黙秘権を行使している犯罪者みたく持っていると認めているようなものだ。持っていないけど。泣きそうだ。
クスクスと伊達眼鏡の後輩が笑う。彼女は私の鼻先に人差し指を向けて悪い微笑で言った。
「かーわいい。トーノには内緒にしといてあげますよ、セーンパイ」
「…………」
「あ、怒っちゃいました?」
「怒ってない」
私は伊達眼鏡の後輩から目を背けて舌打ちする。
「話を戻すけど、どうして遠野くんに襲わせようとするの」
すると今までニヤニヤしていた伊達眼鏡が急に鉄砲でも当たったかのようにしおれてもじもじし始めた。頬を染めて、人差し指をくっつけたり離したり。
「だ、だって。昨晩の周期でセンパイも知ってることだと思いますけど、あたし。トーノに触れなくなってたじゃないですか」
「それで?」
「このままだと手も繋げないし、だから、トーノに襲ってきてもらうしかないかなって」
「なぜ」
「だってトーノってヘンタイなくせ、優しすぎて奥手じゃないですか。あたしの完璧なナイスバディが着こなした水着で誘惑して理性を破壊しないかぎり、トーノは襲ってきてくれないかなって思って。今晩の周期、ちょうど水着を着る機会もあることだし」
彼女が言っているのは、昨晩の周期の最終日に【クロノ・メルヒ】までたどり着けたはいいが、定期飛行船のチケットが翌日、つまり今晩の周期の初日午後の便しか取れなかったので、それまでの時間は【クロノ・メルヒ】のビーチで海水浴でもしようということになっていたことを指している。じゃなくって。
「違う。手がつなげないからって、どうして襲ってきてもらえばいいなんて考えになるのかって聞いてるの」
「ああ、そっちですか。せっくすって最大に恥ずかしいことですよね。それを最初にやっちゃったら、手を繋いだりすることくらい、へっちゃらになるかなって。荒療治ってやつです。それに、既成事実も作れちゃいますし。トーノの性格からして、一度抱いたらたぶん一生捨てられる心配はしなくていいでしょう?」
「……遠野くんがどうして貴女みたいな女を好きになったのかわからなくなるわ」
「ほら、あたし。身体だけは最高に良いですから」
えへへ、と照れ笑いする伊達眼鏡に、私は飽きれてため息するしかない。たぶん彼は、彼女のそういうところに惹かれたのだろう。一途に自分を思ってくれて、その気持ちをぶつけてきてくれる彼女のそういう素直な部分に。
せっせとブロックを積み上げて月に行きたかった私の隣で、ミサイルにまたがった彼女が猛スピードで追い越していって月を爆破してしまった感じである。今まで私も芽衣子も積み上げるだけで、彼に自分の気持ちを何も伝えなかった。まあ、これは自業自得の結果ではあるかもしれない。だから、納得した。ずっと私は彼の親友のままでいい、と。
私はお茶をすする伊達眼鏡にデコピンしてムカついてきた心を静める。
「あぅ。痛いです」
「ばか。まあ、わかった。貴女が何を考えて水着なのかさっぱり理解はできないけれど、わかったわ。でも、どうして私が一緒に水着を?」
「センパイだけじゃないですよ。ギルドのみんなも行きます」
「どうしてギルドメンバーが貴女と水着を買いに行かなきゃらならないの」
「だってあたしが一人で行っても楽しくないし」
「他の人を誘えばいいでしょ」
「誘える人いないし」
「ふうん」
「あっ、言っておきますけど、友達が少ないとかじゃなくて、みんな予定が合わなかったってだけなんですからね? まあ、もっとも、このあたしの完璧な身体を突きつけられて、それを自分の身体を比べて憂鬱になるのが嫌だから断ったって線もありますけどね。あははっ」
「…………ああ、そう。でもなに。そうだとしても、貴女。そもそも水着なんて買う必要なんてあるの? 水着の写真集を出したんでしょう? その時の水着を適当に選んでASAで同じふうなデザインのを買っておけばいいじゃない」
「……いやです」
「なぜ」
「……たしかに写真集で出した水着は全部もらったけど。でも、不特定多数の人間にもう見られてるわけじゃないですか。トーノには、まだ誰もあたしが着てるとこ見たことない水着を、一番最初に見てもらいたいし。だから、」
「なるほどね。その気持ちは、わからなくもないけれど」
「でしょ? だから試着も内輪だけでやるわけだし」
「……ちょっと待って」
私は嫌な予感がして頭を抱える。こういう時の私の勘はわりと正しい。困ったことに。
「まさか、貴女が今朝おくってきたこの『ドキドキ! 篠原やちおちゃんとゆかいな仲間たちの水着試着大会』とかいうふざけた企画書のことだけど。場所は――――」
「ぴんぽーん。トーノの病室でやりまーす」
「………………」
「怖い顔しないでくださいよー。あ、朱里さんにはもう許可はとってありますよ? むしろノリノリだったし。ギルドメンバーは絶対参加だって言ってたし。あたしセンパイにそれを伝えたかったんです。メッセージ読んでくれないから」
何が許可なのか。
あんのバカ姉さんはー。
「行かない」
私は伊達眼鏡から視線を外して言った。すると彼女は口元に指を当ててニヤニヤ笑う。
「んー、来なかったらトーノにセンパイがビブリオくんだってことバラすって言ってましたけど」
…………。
「…………何時からなの」
「放課後。すぐ。水着はもう朱里さんたちが今年のトレンドを買い占めてるそうですよ?」
ますます不安だ。
私は昼休みが終わる予鈴を聞きながら身震いをした。




