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「いらっしゃい」
店員はカウンターに一人。優しそうな金髪のお姉さん。日本人らしからぬモデル体型だ。もしやハーフかもしれない。お姉さん自身が着ているそのバーテンダー服はすごくよく似合ってるが、この古めかしい純和風の喫茶店内では少し浮いていた。いや、でもそのギャップがまた癖になるかもしれない。
そ、そうよ。ギャップよ。思い出した。男を落とすにはギャップが大切って、昨日デートの予習に読んでた雑誌に書いてたっけ。でも、ギャップって?
「あの、連れがいるはずなんですけど」
あたしは心の中で『ギャップとは何か』というちょっと哲学的なことを考え始めながら、店員のお姉さんに尋ねる。すると、彼女はぽんと手を叩いた。
「ああ、さては朱里のオフ会のメンバーの子ね? 今日、新規の子が来るって聞いてるわ。一番奥のテーブルへどうぞ。あとで美味しい紅茶を持っていくわね。朱里の連れは最初の一杯はみんなサービスにしてるの」
お姉さんは微笑みながら店の奥を指差す。頭をぺこりと下げてお礼を言ってから、あたしはそっちへ移動する。店内にあまり人はいない。お姉さんが指さした方向、つまり店の奥の方のテーブル席に四人。近くのカウンター席に一人。トーノを探すが、性別は全員、女性。
テーブル席に座っていたうちの一人が、あたしを認めて手を挙げる。向かいの病院で働いているのだろうか。白衣をだらしなく着こなした妙齢の女性だった。いや、でも、テーブル席のソファーにふんぞり返って座るその姿は、まるで王様。その脇に座ったお淑やかそうなこれまた妙齢のお姉さんに『あーん』させてリンゴを食べているその様は、とてもヤな感じだ。
「キミがシャノとかいう大馬鹿者かね?」
開口一番。もしゃもしゃとリンゴを頬張りながらあたしを馬鹿と言ったその女を、瞬時にエネミーとしてカテゴライズしてそれは顔に出さずに、あたしは愛想笑いを浮かべた。
「はい。シャノーラこと、篠原やちおです。あなたは?」
「トーノから聞いてるとは思うが。ギルドマスターのマゼンタだ。本名は、榊原朱里。こっちでは年上に敬意を表して朱里さまと呼びなさい」
「あなたが……」
トーノが終始微妙な顔で『マゼンタさんにだけは気をつけろ』と言っていた意味がわかったような気がする。
「しっかしまあ、トーノの趣味はわからんね。はん。見たところ、性格が悪そうじゃないか。確かに胸だけはそれなりに大きいようだが、あいつ確か乳じゃなくてケツ派じゃなかったか。こんなテンプレ通りの巨乳腹黒めがねのどこがいいのやら。つまらんな。実につまらん」
リンゴを口にしながら馬鹿にしたような口調で話す朱里と名乗った女に、あたしはむかついて頬を膨らませた。けれど、性格が悪いというところは自覚しているので言い返せない。言い返せるところと言えば、一つだけ。
「めがねは伊達です」
眼鏡を外す。
「あっ、ああああああああああああああああああああああああああああっ!」
すると、朱里さんの対面に座って今までムスッとそっぽを向いていた金髪ツインテールがあたしを指差して驚愕する。いや、驚愕したのはこっちだわ。だって、ASAそのままの容姿なんだもん。違うところと言えば、耳が尖ってないことくらい。
「テメエっ、篠原やちおって、あの篠原やちおかっ!?」
「知ってるのか、メイ」
あたしを指摘する金髪ツインテールに、朱里さんが首を傾げる。
「あ、姉御ぉ! 篠原やちおって言えば、いま売れっ子の清純派アイドルっすよぉ! なんで知らないんですか! ほらたくさんCM出てるじゃないっすかっ!」
「私は基本的にテレビは見んから、知らんねぇ。望結ちゃん、知ってるか?」
朱里さんは、りんご『あーん』させていたお姉さんに尋ねる。
「うーん、あの、えっと。ごめんなさいね。私はちょっと芸能には疎くて」
本当に申し訳なさそうに頭を下げてくるお姉さんにあたしは恐縮して会釈する。
「ではルイのほうは、……たぶん知らんだろうな」
つづいて朱里さんは、金髪ツインテールの隣でテーブルに突っ伏して可愛い寝息を立てて昼寝していた金髪おさげの方を見てため息した。っていうか、この子もASAのまんまじゃない。くっ、悔しいことに、胸の大きさまで再現性が高いわね。テーブルと身体に押しつぶされたものについて、ついあたしのものと比べてしまった。
「お前はどうだ、莉緒。我が愛しの妹よ」
朱里さんは最後にカウンターで我関せずと文庫本を読んでいたショートヘアの似合う女の子に声をかける。この子も関係者だったの? ショートヘアの女の子は、あたしを一瞥してふいと顔を背けて文庫本に戻る。
「知ってるよ、姉さん。その子、わたしと同じ学校の制服着てるでしょ。あと愛しの妹とかやめてよ。気持ち悪いから」
「ああ、どっかで見たことがあると思ったら。私の母校の制服じゃないか。合点した。ありがとう、我が愛しの妹よ」
大きく頷いた朱里さんがしばらくあたしの頭からつま先までを眺める。
「なるほど。身元は証明されているというわけか。ならば仕方ないね。面倒だが次の手順だ。うちのギルドメンバーを紹介しよう。まず私だが、さっきも言ったようにギルドマスターのマゼンタをやってる榊原朱里だ。こっちでは向かいにある病院で超天才救命医をしている。こう見えても、ぴちぴちの二十六歳だ。彼氏はいない。しかし彼女は数えられんくらいいる。ちなみに病院の看護婦はみな私のものだし、ここの喫茶店のマスターでさえ私の女だ。このギルドもトーノ以外はぶっちゃけ私のハーレムだ。異論は認めん。色目を使うなよ。殺すぞ。――――あとは、そうだな。ギルドに入りたいなら、ギルドのルールはこの私だ。私の命令には絶対従うように。以上」
それから朱里さんは金髪ツインテールと金髪おさげを指差す。
「そっちのツインテールとおさげはもうASAで会っているね。ツインテールの方がメイメイで倉橋芽衣子。寝ているおさげがルイルイで倉橋瑠衣子だ。二人は双子で中学三年の小娘どもだぞ。仲良くしてやれ」
「よろしくね」
「ふんっ。誰がよろしくやっかよっ!」
あたしが手を差し出すと、芽衣子は再びムスッとして不貞腐れた。このガキンチョ、他人が下手に出てあげたのにー。額に青筋が浮かんだのがわかる。
「お前がどんなに有名人かは知らんが、その子らと仲良くしておいたほうがいい。なんせ、あのニューロマイクロマシンを独占してるクラハシカンパニーの令嬢だからな。芸能人の一人や二人、その気になれば闇に葬ることだって容易いだろう。なあ?」
「え?」
あたしが驚きの声を上げると、芽衣子は『どうして言ったんだ』と咎めるように朱里さんに視線を向けた。朱里さんはニヤニヤと笑ってその視線に肩をすくめる。
「善意で牽制してやったんだ。もはやお前が勝つには親の権力に頼るしかないだろ。それとも何かね。はいどーぞと泥棒猫にあっさり渡すのか。私はそれでも構わんが」
「うっ、……それは、やだ」
押し黙る芽衣子は泣きそうになりながら俯いて動かなくなる。
「これはお前が招いたことだぞ。あれだけ、さっさとガツンと言えと言ったのに。トーノのようなクソ童貞のファッキン野郎はハッキリ言わんと絶対にわからんのだと散々忠告してやってただろうが。お前がグズグズしているからこういう事態を招くんだ」
「……トーノが幸せになれるなら、……それでいいもん」
消え入りそうな声でそう言った芽衣子に朱里さんは鼻を盛大に鳴らす。
「はんっ、健気なこったねぇ。泣けるよ、私は。お前もだぞ。そこで知らないふり決め込んでる我が愛しの妹よ」
いきなり振られたショートヘアの女の子が咳き込んだ。
「……わ、たしは、べつに。…………ずっと親友ポジでいいし」
ショートヘアの女の子の台詞にやれやれと首を振った朱里さんは、あたしに視線を戻す。
「あっちで本を読んでるのが我が愛しの妹の榊原莉緒だ。高二だ。ASAではビブリオと名乗ってる。まだ会ったことはないね?」
「……はい。あ、でも。トーノの話によく出てきます。俺の親友だって、言ってました。でも、あれ? 確か、男の子じゃ」
「トーノが勝手に我が愛しの妹のアバターを見てそう思っているだけだ。まあ、実際むこうのアバターも♀なんだがね。いかんせん胸が薄すぎる。現実じゃあ、我が愛しの妹は着やせするタイプで脱ぐとすごいのにね。もったいない」
「姉さんっ!」
両手をわきわきさせた朱里さんに、莉緒センパイ(あたしは高校一年なので)は文庫本を投げつける。それを上手くキャッチした朱里さんは莉緒センパイに投げ返した。戻ってきた文庫本をぱしんと受け取ったセンパイは、あたしに目を向けた。
「二年五組、榊原莉緒」
それだけ言うと、再び文庫本を開いてセンパイは黙る。うーん。トーノから聞いていたイメージとは少し違う気がするなー。でも、図書室に出没しそうな物静かで可愛らしいセンパイではある。あたしほどじゃないと思うけれど、男子からの人気も高いのではないだろうか。
「あと、ミューな。本名は、十禅師望結。この駄おっぱいめ」
朱里さんはリンゴ『あーん』させてたお姉さんの胸を揉んだ。お、大きい。
「あの、えっと、それだけですか? 朱里ちゃん、私の紹介だけ雑じゃないですか?」
望結さんと言ったか。
困った表情で首を傾げる姿は、まるで団地妻である。
彼女はあたしの方を見て頭を下げた。
「十禅師望結と申します。ASAではミューって名乗っています。揉め事でお困りのことがあれば、力になりますよ? 以後、お見知りおきくださいね」
なんというか、礼儀の正しい人である。この人はトーノが言ってた通りの人だ。
「こう見えて望結ちゃんは現首相の孫で、すでに官僚コースに入ってる勝ち組の天井人なんだぞ」
「どうして朱里ちゃんが威張っているのですか。ああ、気にしないでくださいね? おじい様のコネを使ってあなたをどうこうするなんて今は考えていませんから」
ぞくり。背筋が凍る。
望結さんは怒らせてはいけない類の人だとトーノが言った意味を理解した。
そこで、あたしは周りを見回す。
これで全部だ。
「あの、それで、トーノはどこに?」
「ん? ああ、やつか。やつは、大抵はいつも寝坊だよ」
朱里さんは言葉を切って、咳払いをする。
「ちょうどいい。あのバカが来るその前に、いろいろお前に尋ねておかねばならんことがあるんだ。自衛手段でね。というか、防御装置かな。いくらあのバカがお前に会いたいといっても、はいそうですかと会わせるわけにはいかない。私も芽衣子や莉緒じゃないが、あのバカの人柄は嫌いじゃないんでね。お前がどういう人間か、事前に知っておく必要があるんだよ。あのバカに会わせる前に。いや何、芸能人なら身分の証明は申し分ない。もし何かあれば、社会的に殺すのも容易いから及第点だ。あとは、あのバカとの出会いとか、どうやって告白したのかとか、クソの足しにもならない与太話を幾つかしてくれれば、あとは我々で判断する。多数決でな。お前をあのバカに会わせてもいいかどうか。民主主義万歳。それで過半数以上の票をとれなかったら、悪いがお前には帰ってもらう。そして二度とあのバカの前に現れるな。それがお互いの身のためだからな」
「それって、どういう」
「言ったろう。私の命令は絶対だ。それができずにグズグズ文句垂れ流すなら、今すぐお引き取り願おうか。それともお前は、摘まみだされるほうがいいのかね? 」
有無を言わせない朱里さんさんの口調にムッとしながらも、ここまで来たのにトーノに会えないなんて堪ったものではない。話すのは恥ずかしいけれど、仕方がない。あたしは【インベルグの密林】でトーノと出会ったところから話し始めた。




