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…………………。
…………。
いつまでたっても着弾音が聞こえないので目を開ける。
「た、たすかった……のか?」
気絶しながらも俺の身体に抱き着いてるシャノの温もりから、ここが地獄でないことだけは確かだ。
グルゥ。クラウソラスの唸り声。
地面すれすれのところでクラウソラスは滞空していた。ジェットエンジンのような甲高い音をあげている翼は羽ばたかせることなく、代わりに翼膜から溶岩よりも恐ろしく綺麗な紅蓮の光粒子を大量に放出しながらクラウソラスは重力と拮抗している。その光粒子は物体に当たったしりから爆破していき、無秩序な破壊と混迷を周囲の空間にもたらしていやがる。
バキキ、バキ。
げっ、やばいぞ。
何か不吉な音がしたと思ったら、この円柱空間が、崩壊し始めているじゃないか。
岩壁には亀裂が地上に向かって入っていき、破砕された岩石が雨あられのごとく降り注ぎ始める。くそ、運営め。期間限定だからって、MAPを閉じるのが早すぎだ。こっちはまだ地に足を着けてないことにさえ慣れていないというのに。
えっと。
馬は飛ばないからわからないんだけど、上に行くときってどうすればいいのかな。
マニュアルをめくってると、クラウソラスが咆哮した。
翼膜から噴出する光粒子が収束し、同心円状に拡散し始める。
待て待て待て、おいおいおいおい。
こ、こいつ。
とんだ荒馬だ。
早くも俺の制御を逸脱してやがる。
手綱を引っ張ったりしてみるが、クラウソラスそれを完全無視。
首を伸ばして遥か天井を見上げた。
んで、再び咆哮。クラウソラスの翼膜から紅蓮光が爆散する。
上へ参りまーす。エレベーターガールがいたならそう言っただろう。
急激な身体の位置エネルギーの上昇を知覚する俺の三半規管。シャノに覆いかぶさって垂直になるクラウソラスの背にしがみ付くのが精一杯だ。クラウソラスは俺たちが登攀した岩壁に致命的な破壊をもたらしながら、どんどん地上へと舞い昇る。あーれー。
そして、程なくして円柱空間の終わり。
すなわち、地上と地中との境。
突破した。
懐かしい地上の空気が冷たく俺の顔面を叩く。
あたりは満天の星が瞬く夜だった。
ズォン。
背後で大砲でもぶっ放したかのような爆発音が聞こえる。
げぇ。振り返ってみると、まるで火山が噴火したみたいに今まで俺たちがえっちら登ってた円柱空間から火炎柱が噴出してやがる。
つーかこれ、クラウソラスめ。
どこまで上昇する気だ?
地上に出たというのに、未だに天国へまっしぐらな荒馬の行方を心配する。
このまま圏外突破とかだったら、やだなー。
空気ないし。たぶん寒し。
とーまーれー。
俺の願いが通じたのか、それともマニュアル放り捨てて引っ張った手綱の操舵がよかったのか。地の底から、遥か上空まで一気に駆け昇ったクラウソラスの身体がようやく止まる。そして、咆哮。静かな夜をぶち壊して四方の下界へその轟は響き渡る。まるで何かから解放されたかのような、まるで己の存在を誇示するかのような、そういう嬉しそうな感じで何よりだ。
それにしても、スゲー景色だよな。
錯覚かもしれないが、星がものすごく近くに感じる。
まだ、こんなに心が震える景色がこの世界にはあったのかと。
俺は、まだもうしばらくは消えたくないと神さまに祈る。
その時、俺の下で感嘆のため息が聞こえた。見ると、シャノが美しい星空を見上げて息を呑んでいる。どうやら珍しく【気絶】状態から確率復帰できていたようだ。
「ねえ、」
シャノが口を開いた。
「こんな綺麗な景色、見たことある?」
俺は素直に首を横に振った。
「さすがの俺も、これは初めてだな」
「ふふん。このシャノーラさまのおかげで見れたんだから感謝しなさいよね」
「はいはい。ありがとうございます」
冗談めかしたシャノに俺が肩をすくめて応えると、彼女は頬を膨らませて一言。
「はい、は一回」
「はい」
二人して笑い合う。しかし、それはすぐに悲鳴に変わった。なぜなら、急にクラウソラスが落下し始めたから。あーれー。おーちーるー。二人して風圧で不細工な顔になりながらクラウソラスにしがみ付いていると、地上に激突する前に急制動。Gでフラフラになってるところを、クラウソラスが身体を激しく震わせたので、俺とシャノはあえなくその背中から振り落とされた。
落下点は水場だった。湿地源のような場所。高さはまったくなかったので無傷だ。
すぐに俺は立ち上がると、水位は膝のあたりまでしかないことに気づく。
「シャノ、おい、シャノってば」
隣でジタバタともがいておぼれていたシャノに声をかける。彼女は俺を見て、ここが浅いということに気づいて、慌てて立ち上がる。そして、咳払い。
「し、知ってたわよ?」
さいですか。
シャノにジト目を向けるが、俺はすぐにそれをそらした。
いやだって、その。
シャノは俺が視線をそらしたことに気づいて、自分の身体に目を向ける。
「…………っ!? ひゃぁぁあっ!」
みるみるシャノの顔は真っ赤になって爆発。しゃがみ込んだ。
というのも、彼女のミニワンピが水に濡れてぴったりと張り付いて透けてしまい、彼女の身体のラインをちゃっかり暴露しちゃっていたのだ。そして、これはシステムの抜け穴と言うかなんというか。曰く、濡れ透けは謎の反射光で規制されない。つまり、そういうことである。
「み、みた?」
「……いや、べつに」
「そっ、そそ、その顔は見た顔だわっ!」
ずっきゅーん。
人間は図星を突かれるとどうしてこう挙動不審になっちゃうのだろうか。
俺は口笛を吹きながらそっぽを向くしかねえ。
「………………せ、」
しばらくして、唸って威嚇していたシャノが俺の服の裾を摘まんでチョイチョイと引っ張って何かを言いかけたので、仕方なく彼女を見下ろす。
「……せきにん、とって…………、ください……」
なぜ敬語。
そして、その破壊力のある涙を溜めた上目遣いは止めなさい。
やめ、や、やめろーっ。
俺が片手で自分の眼球を抉ろうとしたところ、ズシン。
地面が揺れる。水面が波打ち、何かが近くに落ちたことを知らせた。
目を向けると、そこには爬虫類的巨大生物の影。
クラウソラスだ。
【デアデメデル・ライガードル】は破壊したのか、もうなくなっていた。
その蛇眼は俺たちを見据えている。水浴びをしに降りてきたわけではなさそう。
シャノが不安そうに俺の腕に抱きついてきた。
や、やめろーっ。腕に今までにないくらいの凄まじい感触がー。こんな状況なのに、空気読まずに俺の理性が音を立てて崩れていく。おそらくはシャノも故意ではないので、振り払うこともできない。
く、くそー。このクソアマー。
俺は彼女に恨み節を垂れながら、クラウソラスの動きに注意する。
シャノが生唾を呑み込む。
クラスソラスは、ゆっくりこちらに近づいてきた。
俺の想像が正しければ、もう攻撃してこないはず。
クラウソラスは、俺たちの前で歩みを止める。蟻んこでも見るような目で見下し、馬鹿にしたような感じで鼻を大きく鳴らすと、首を曲げて頭をこっちに近づけてきた。
俺は手を伸ばす。
しばらくすると、俺の手のひらの上には綺麗な緋色の石ころが二つ転がっていた。まだ熱を少し帯びているそれは、クラウソラスが蛇眼から垂らした二粒の涙が固まったものだった。
これで用事は済んだと言わんばかりに、クラウソラスは巨体を震わせて咆哮すると、四つの翼を広げて空へと帰っていく。衝撃で雨のように降ってくる水しぶきの中で、俺は手のひらにのった二つの石ころを転がせた。
「そ、それってまさか」
我に返ったシャノが石ころを指摘して言う。
「ああ。間違いない。【アルカナ秘涙石】だ。んで、これでクエストクリアってことだな」
「……どういうこと?」
「忘れたのか。これは救出クエストだ。ダンジョンに迷った誰かさんを助けるための。その誰かさんってのがプレイヤーじゃなかった。それだけさ」
シャノは俺の言わんとすることを理解して、息を呑む。
「ちょっと待ってよ。じゃあ、あたしたちって、助けなきゃならない相手に何回も殺されそうになってたってわけ?」
「そういうことだな」
【クラウソラス・アルカナドラゴン】は地殻から生まれる。その後、本能に従って地上まで穴を掘って昇ってくるわけだが、さっき飛んでったあいつが行きついたのは不運にも最難関クラスの迷宮ダンジョン内だったてわけだ。んで、迷宮を彷徨ってたあいつを運営が何を思ったのか救出するための緊急クエストを出したってとこだろう。
アルカナドラゴンは希少だからな。地下で腐らせておくのはもったいないと思ったのか。それともせっかく創りこんだ【デブリス遺跡大迷宮】を破壊しつくされるのは面倒だと思ったのか。大穴狙いで、ただ単に空を飛ぶことも知らないあいつを憐れに思っただけという線もなきにしもあらず。
「でもまあ、ランクA+に見合ったやりがいのあるクエストだったぜ。報酬も無事に手に入ったことだしね」
シャノに【アルカナ秘涙石】を投げ渡す。彼女はそれを両手で受け取って、握りしめた。
「さて、と。これで終わりよければすべて良しだ。さっさと帰ろう。まずギルチャが復活したから、シャノはユーリくんたちに無事を知らせたほうがいい。それから、…………シャノ? おーい。どうしたよ」
感慨に浸るのはここまでにして、家に帰るまでがクエスト精神から帰宅の段取りを始める俺を、シャノは黙ってじっと見つめている。俺の顔になんかついてんのかな。拭ってみるけど、微かな血の跡しかぬぐい取れない。
「終わってない」
シャノは言った。
「まだ、ちゃんとした返事。あんたから、聞いてないもん」
…………。
なんの返事か聞き返すほど、野暮じゃない。
俺は少し黙って、それから笑って『やっぱり君が現実の俺に会ってくれてから言うよ』とだけ伝えた。




