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その時、俺の上方から聴こえた不吉な音。
ついでシャノの悲鳴。
見上げるまでもない。状況は理解した。
俺は目の前を滑落してくシャノの手を掴む。その衝撃で俺の身体も滑落し、アンカーが何本かぶっ飛んだが、すぐに止まった。リスクマネジメントは大事だ。もしもの時のために多めにアンカー張りながら登っていたのが功を奏する。
まあ、それでも滑落した人間を受け止めるなんて現実では絶対にできない芸当だけどね。
ここが仮想現実でホッとしたぜ。非現実さまさまだよな。
安堵のため息も束の間のことで、ご都合主義もここまでのようだ。
クラウソラスが『アタックチャーンス』と言わんばかりに嬉々として這い上ってくる。
今まで散々堪ったうっぷんを晴らすべく。
だーいぴーんち。
けれども、そんな時だからこそ逆に零度以下まで凍り付いて落ち着くノミのマイハートには惚れるぜ。さて、時間はない。いつだって。とりあえず、俺は岩肌に足を着けて体勢を立て直す。よっと。
「気絶は、してないよな」
「う、うん。ごめんなさい。あの、……石が、崩れて……っ」
「気にすんなよ。運が悪かっただけだ。シャノのせいじゃない。今度からはもうちょっと幸運値を上げといたほうがいいぜ」
それか幸運値を上げる装飾品かなんかを装備したほうがいい。
べそをかき始めるシャノをあやす。あやしながら、策を練る。どうすればいいか。どうすれば二人とも生き残れるのか。時間はない。時間はないぞ。すぐ真下までクラウソラスは、迫ってきているのだから――――。
ぴろりーん。
間抜けなSE音が思考を掠めた。
ボロ縄の鑑定が終了したらしい。しかし、これは――――。
「シャノ」
俺は宙吊りになっているシャノの目を見る。すでにクラウソラスが彼女の足に噛み付こうと首を伸ばしている。時間がないから説明してる暇はない。だから、俺は要点だけ言った。
「今からあんたを落とす。いいか」
シャノは俺を見上げて静かに応える。
「うん」
そ、それだけかよ。
この状況で落とすと言われて、それだけしか言うことがないのかよ。
彼女は、俺を丸きり信じてるような目をしてる。だから余計に困るよな。
俺は口をへの字にして、シャノを繋いでいた登攀用ロープをダガーナイフで切り離した。
そして、彼女の身体を放り投げると同時に、自分は【インヴィジブル・ヴェール】。
クラウソラスの視界から消えておく。
その頃一方でシャノの身体はというと、一瞬だけ宙に浮いていたかと思えば、重力に負けて落ちていく最中だった。ジェットコースターに乗ってる人が上げる類の悲鳴を彼女は叫び始める。
グワァッ。
首を伸ばしていたクラウソラスが、そんなシャノの身体を追って壁から跳ぶ。
その巨体から繰り出された脚力によって岩壁が爆散し、多数の岩石片が飛び散る。それらと一緒に、シャノとそれを追うクラウソラスが円柱空洞を落下していく。
そろそろ、俺も行かなきゃ間に合わない。
俺は【インヴィジブル・ヴェール】を解除して、自分と岩壁に繋いでいたロープを切った。瞬間的に汎用体術スキル【震脚】を発動。直線方向への移動について敏捷値に絶大ボーナスが入る。方向は斜め下へ四十五度。岩壁を蹴って自分の身体を射出する。
音速を超えた超音速航行により一時的な聴覚障害補正が入ったが、気にしない。対面方向の岩壁に着弾した俺は、再び同じように斜め下四十五度方向に【震脚】。それを繰り返すこと三回。クラウソラスに追いつく。
ギャゥアッ。
最後の【震脚】で位置調整してクラウソラスの背中に着弾した俺に気づいてクラウソラスは空中でジタバタともがく。その拍子に鋭い岩石片が俺の頭蓋を掠めて血液が飛散した。状態異常【出血(小)】が入る。この程度なら問題ない。クラウソラスの背中から離れないようにしがみ付いて、自分のインベントリを開ける。
アイテムを選択して取り出した。
【デアデメデル・ライガードル】。
死にそうな思いまでして手に入れたボロい麻縄。
それはランクA+、通常MAPでは仕様ではない期間限定緊急クエスト専用のキーアイテムだった。
それをクラウソラスに使用する。
グギャァ。
すると、ボロい麻縄が光って蛇のようにくねると、みるみるクラウソラスの頭に巻き付いた。次の瞬間、俺の手に握られていたのは手綱。それはさっきまではなかったクラウソラスの頭絡に繋がっている。
くっそー。
馬には何度も乗ったことはあるが、竜に乗るのは初めてだ。
ぶっつけ本番だけど仕方がない。
俺は未だに暴れるクラウソラスに対して、馬を操る要領で制御下に置く。すると、クラウソラスはたちまち大人しくなった。
よし。
よし、いけるぞ。
「シャノッ!」
重心移動させて先を落ちるシャノのとこまで急ぐ。思ったよりスピードが速い。地面までもう幾何の猶予もない。
「シャノォッ!」
俺の叫びに、ぎゅっと目を閉じていたシャノが瞼を開いて俺を視界に収めた。彼女の目から涙が飛ばされ、俺の頬に当たって弾ける。
「トーノぉっ!」
彼女は俺の名を叫んで手を伸ばした。俺もそれに応えるため、クラウソラスから身を乗り出して手を伸ばす。そして、指先が触れ合う。要領がわかってきたので手綱捌きでシャノの身体へクラウソラスを寄せる。すると、今度は指先の第二関節くらいまで届いた。お互いに掴んで、身体を引き寄せる。
シャノを無事キャッチ。
ところがどっこい、このままではクラウソラスごと頭から地の底へ激突だ。
「話すなよッ!」
舌噛むぞっ!
「もうぜったい離したげないんだからぁーッ! ひゃああああああああっ!」
シャノがぎゅっと俺の身体に抱き着く。
そっちの離すじゃないんだけど、まあいいや。
俺は手綱を思いっきり引っ張った。けれども落下スピードは変わらない。
ここで視界がシステムにより一部ジャックされ、そこに別ウィンドウでマニュアルが立ち上がる。ははあん。どうやら飛行手順があるようだ。
いいぜ、クラウソラスよ。
お前が地の底を這うだけが能の怪物じゃねえことを教えてやる。
その翼の使い方を、大空への飛び方ってやつをな。
……まあ、って言っても、まだ俺も飛んだことねえんですけどね?
俺の脳内に表示されたマニュアル指示に従ってクラウソラスは両の四翼を広げた。すると翼膜から次第に火花が散り始める。それは最初、線香花火程度だったのに、どんどん爆発的に増大していき、最終的には眩く神々しい紅蓮のフレアを放出していく。熱せられ圧縮された空気が気流を創って渦を巻く。
バチ、バチチ。
地面は目の前。未だ正面衝突コース。
間に合うかな。いや、間に合わせるさ。
手綱をもう一度、強く引っ張る。今度は身体に急制動のための悪魔的Gが強くかかった。シャノの身体から力が抜ける。気絶したのかもしれない。
だああああああもおおおおおおお。
とおおおお、まああああああああ、れええええええええええ。




