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――――――。
――――。
程なくして、ノロノロと亀行進していた宝箱の開錠ゲージが一杯になる。ピロリンという間の抜けたSE音とともに、俺の左腕が解放される。
「シャノっ!」
俺が宝箱から即行で引っこ抜いた左手を上げると、シャノはクラウソラスから飛びのいてハルバードを地面に振り下ろして叫んだ。
「【ダークミスト・ディバージェンス】ッ!」
彼女の足元からドッと吹き出る黒い煙。
闇属性戦闘補助魔法スキル【ダークミスト・ディバージェンス】。フィールドに闇属性の黒霧を発生させて、範囲内の敵に【視界不良】のデバフを確率(大)で付与するランクCの【暗黒騎士】専用スキルだ。
おそらくは魔法スキル耐性が絶大のクラウソラスには数秒の目くらましにしかならないだろう。けれども、それだけあれば逃げ道の用意されたトンズラは簡単にできる。
というわけで、俺はシャノに手を引っ張られて宝箱の脇に開いていた螺旋の階段通路を猛ダッシュでグルグル下りていた。いや、この螺旋階段はクラウソラスが通れるほど広くないわけで、実際もう走らなくてもいいわけであるが、上のほうで彼のバケモノの咆哮が断続的に聴こえてしまうと、それに背中らをせっつかれて先を急いでしまう。
でも、さすがにもういいかもな。
罠とかがあるかもしれないし、慎重に進んでも良い頃合いだ。
「シャノ。そろそろゆっくり行こうぜ」
俺がそうシャノに言って、彼女が俺の方を駆けながら振り向きかけたその時。
「ひゃわっ」
シャノが足をもつれさせる。
自然、手を引っ張られていた俺もつられて体勢を崩す。
咄嗟に彼女を引っ張って彼女と地面との接触を回避させる。
いて。
背中に鈍痛。
ごろごろー。
ついで、漫画みたく階段を文字通り転げ落ちる。
んで、やっとズササーと止まったのは、どうやら螺旋階段の一番下までたどりついてからだった。あり得ないミスだ。途中で罠があったら、ぽっくり死んでたぞ。
「あいてて、て……」
俺はずきずきする頭を起こす。
気配からシャノが俺の上に乗っていることはわかってる。
早くどいてくれー。
あれ、でもおかしいな。
目を開いたのに視界が真っ白いぞ。
それなのに鼻先には何かしら人肌から発せられるじんわりとした熱気が感じられる。
「ひゃぁっ!?」
シャノの悲鳴。しかし、それは俺の下半身の方から聴こえてくる。
これは、もしかして。
俗にいう、シックスティーナインという体位なのでは?
俺はため息を吐いた。
「んひゃぁ!? こ、ここここのばかっ! ばかばかっ! どこに息を吹きかけてんのよこのヘンタイヘンタイヘンタイっ!」
「あ、いや、わりい。そういうつもりじゃ」
「ぁ、んぁっ、ばっ、ばかああああああああああああああああああああああっ! しゃべんなああああああああああああああああああっ! 吐息が■■■■にかかるだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
シャノの禁止用語を交えた涙声に一瞬で口チャックする俺。嫌なら早くどいてほしいんだけどな。見えなくても人間ドキドキとムラムラはするもんである。
しばらくシャノはハアハアと荒い息を吐きながら黙っていたかと思うと、ゆっくりと俺の上から身体をどかせた。続いて、俺は土ぼこりを払って起き上がる。
「……えっち。へんたい。すけべ。くず。かす。ごみ。あほ。ばか」
ぺたんこ座りしていたシャノは真っ赤になって俺から顔を背けて罵る。それをじっと見ていると、その視線から逃れるように両手で防御しながらもう一言呟く。
「……あほ」
「それ、二回目」
「……じゃあ、ばか」
「それも二回目」
「…………じゃあ、……すき」
シャノは消え入りそうな声でそう言うと、自分が言った台詞に照れて彼女はさらに耳まで真っ赤になって押し黙る。
…………。
おいおいおいおいおい。
なんなんだこの可愛い生き物は。
まさか、新手のサキュバスかなんかじゃねえだろうな。
それともまさか、理性の頑強性を試されているのだろうか。
俺は頭を地面に打ち付けて平静を取り戻す。
「……な、なにしてんのよ」
訝ってくるシャノの質問には応えずに、額から流れる血を拭って俺は立ち上がると、周囲を見回した。
そこは円形の広場のような場所。
真ん中に朽ち果てて光苔に覆われた女神像がぽつんと寂しそうに立っている。
出口と入り口は転がってきた螺旋階段しかなさそうで、あとはごつごつとした岩肌が露出したかのような荒い壁が広場を囲っている。上を見上げると、その壁がずっと遠くまで続いていた。彼方に白い小さな点が見えているのは、地上の光だろうか。本当にわずかだが、ここでは地下空間の澄み切った冷気ではなく、地上の雑多な空気が微かに匂う。
なるほどね。
とりあえず、俺はシャノに先ほどの礼をするためにシャノに頭を下げた。
「シャノ、助けてくれてありがとう。命拾いした」
「お、大げさよ。こっちで死んだって、記憶がなくなるだけでしょ」
「いや、きみは間違いなく俺の命の恩人さ。ありがとう」
「……なによ」
「ありがとう。ハグしても?」
「……やめろ」
「はい」
「そ、それで、これからどうすんのよ」
「もちろん、ダンジョンから脱出する。どうやらここは出口みたいだからな」
「え? 出口?」
俺が上を指差すと、シャノは視線を遥か遠くの光点に向ける。それから彼女は再び俺に目を向けると、嫌そうな表情で口を開く。
「まさか……」
「そのまさかだぜ、シャノ。ロッククライミングのご経験は?」
終わりは近い。
道具一式をインベントリから取り出しながら俺はシャノに訊いた。




