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「どっ、どういうことよっ!?」
シャノの悲鳴がこだまする。
俺は舌打ちして、彼女をクラウソラスの狂悪な牙から繰り出された噛み付き攻撃を寸前のところで回避し、ひとまず俺のところまで撤退させた。
クラウソラスとの戦いの火ぶたが切って落とされてから早一時間。
ちょうど、やつの膨大なHPも半分を削り切ったところだった。
突然、トラブルは発生する。
クラウソラスの攻撃パターンが、変わったのだ。
その変わりようといったら、まったくの別個体になったのではないかと思うほどガラリと変更されていた。通常、そんなことはありえない。さらには、半分になったHPバーが燐光し始めたかと思うと、その隣に【無敵】モードに入ったことを示すアイコンが表示されたのである。【無敵】というのは、防御系魔法スキルの中でも最高峰。物理・魔法ダメージを全てゼロにするチートスキル。リスボン仕立てのプレイヤーや生まれたばかりのモンスターなどにしか付与されないASAシステム制限下のアドミンスキルである。それがどういうわけか、目の前のクラウソラスに付与されたのだ。そして、ご丁寧なことに【無敵】効果時間を示すアイコン横の数字はインフィニティマークになっていやがる。
そんな馬鹿な。
そもそも、やつがそんなスキルを持っていないことは【分析眼】からわかる。理屈が通らないぞ。
クラウソラスは怒り狂ってジタバタしている。
どうすんだよ、あれ。
「どどどどど、どうすんのよ、あれ」
柱の陰に隠れた俺の隣で膝をついたシャノが慌てた様子で聞いてくる。とりあえず今は観察するしかない。【無敵】時間が本当に無制限なのか見極めなければならない。幸い、彼女はまだまだいけそうだ。
「……だ、大丈夫なの? あ、汗が、すごいわよ」
「ん? え、ああ。まあ、へーきへーき」
心配そうにのぞき込んでくるシャノには格好つけてそう言うが、実際、俺のほうの消耗はやばかった。やっぱり他人を動かすのは疲れる。それも相手の命がかかってるとなると、なおさらである。それでもあと半分なら、どうにかできそうだと思ってたりして頑張ってたんだけれど、ここにきてその【無敵】チートはちょっとないわー。
「あの【無敵】は、考えてみたけど、やっぱり不自然だ。そこで考えられることは三つ。一つ目はシステムのバグ。だったらどうしようもねえ。二つ目は俺たちが幻術で化かされているかもしれない。シャノ、俺の頬をつねってみてくれ」
「こ、こう?」
俺の頬をギュッとつねるシャノ。痛みにうめき声をあげる俺。それに対してシャノの中の何かが弾けたのか、彼女は恍惚な表情になると俺の両頬をつねりまくり始める。
「うふふ、ほらほら。もっと豚の様に泣きなさいよ。このこのこの」
「いだだだだだだだだだ」
やめ、やめろーっ。
バシッ。
「あぅっ」
シャノの額に渾身のデコピンしたら止めてくれた。
「ふう。うん、よし。二つ目も、なしと」
「うぅ、じゃあ、三つ目は?」
煙があがってるおでこを押さえながら涙目でこっちを睨んでくるシャノに俺は視線を戻す。
「イベントかも」
「は?」
「だから、クエストイベントが発生したのかもし――――」
俺の台詞の後半は、かき消される。クラウソラスが俺たちが隠れ蓑にしていた柱を尻尾で破壊し、倒壊させたのだ。前転して危機回避行動をとっていた俺は隣でヘンな格好で地面に突っ伏しているシャノを揺り起こす。おーい、起きろー。
「だああああああ、もおおおおおおおおおっ!」
彼女はガバッと地面から顔を上げると俺に抗議の視線を向けた。
「もうちょっと丁寧に扱ってよっ!」
「あ、ごめん」
やっぱりシャノの身体のコントロール。まだ咄嗟の操作は雑になるよな。
二人同時に立ち上がらせて、追いかけてくるクラウソラスに背を向けてスタコラ。一目散に逃げ始める。
「クエストイベントって言ったって、なんなのよぉー!」
並走しながらシャノが声を張り上げてきた。
「さあなー。何か特別なアイテムであの【無敵】状態を解除するとか、あとはこのボス部屋で一定時間鬼ごっこしていたら何かが起きるとかかなー」
「あんたやけに落ち着いてるじゃないっ!」
「いや、見た目にはわからないと思うけどな。心の中ではすっげー慌ててるってことは保証するぜ」
本当の話である。
俺はらしくなく焦っていた。できることならば、この状況を打開する光明か何かがほしいところである。頼むー。ASAの運営さんたちー。ヒントくらいは出してくれたっていいんじゃないでしょうかねー。




