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「えっ?」
と、ここで間の抜けえたシャノの声。
彼女は何かに蹴躓いたように前のめりになって魔法陣の外へ身を乗り出したのだ。
「シャノォーッ!」
ユーリくんの声。
あわやシャノの身体が真っ二つというところで――――。
「んの、バカッ!」
シャノが伸ばしてきた手を俺が引っ掴んで、彼女の身体を引き寄せることにかろうじて成功し、事なきを得た。しかし、そのまま反動で彼女の身体を受け止めきれず、後ろに倒れてしまう俺。背中が地面に激突して、ぎゃふん。クラクラして星が飛ぶ意識を取り戻して、目を開ける。すると鼻先にシャノの顔があったからギョッ。
「ひゃぁっ!?」
シャノが可愛い声を上げてバッと自分の顔を離して上体を起こす。そして、目を潤ませた真っ赤な顔でしばらく『あわわわわ』と口をわなわなさせて震える。その後、彼女は俺のお腹の上に馬乗りになりながら、ぽかぽかと叩いてくる。
「はっ、はやくどきなさいよぉっ! あたしから早くどきなさいよぉ、このバカっ! ヘンタイっ! くずやろうっ!」
「……シャノさんや。よーく見てみな。俺の上にのってるのはそっちのほうだぞ」
「えっ? あ、あっ、ええっ!? な、なんでっ!? なんであたし、えぇっ!?」
自分が俺に馬乗りになってることに今さら気づいたのか、目をぐるぐる回しながら混乱している。そんな彼女にやれやれと首を振って、俺は自分から彼女の下から抜け出そうと身体をモゾリと動かした。
「んぁっ」
いきなり、シャノがビクッと背筋を伸ばして震える。
…………。
いや、なんつーか。驚いた。その。めちゃくちゃ、えっちぃ声が聞こえたんで。
彼女は、今では俺の胸に両手をついて荒い息を吐いている。燃えそうなくらい顔を赤くさせて、変な汗を身体から流していた。というか、泣きじゃくり始めた。いったいぜんたい、何が起こったんだ。俺が、何かしたのか?
「ひっく、ばか。ばかばか。急に、う、ごかない、でよぉ……。あ、あん、たの腰ベルトの、バックルがぁ……。うっ、ううぅ、あっ、あたってんのよぉ、ヘンなと、こにぃ」
唇を震わせながらそんなことを言う彼女の言葉を俺は遮る。
「わかった。おーけー了解。わったから。もう言うな。それ以上言ったら、いくら俺でも変な気分を起こすかもしれないし。落ち着いたら、どいてくれ。じっとして待ってるから」
「…………うん」
シャノは小さく頷いた。
く、このクソアマやめろー。そこで、その可愛さ爆発させんのはやめてー。
いい加減にしないと、俺の理性が瓦解するだろうがー。
しばらく心頭を滅却する俺の腹の上でもぞもぞしていたシャノは、ゆっくりと身体をどかせた。解放された俺は自分の腹部をさすったが、すぐその手は引っ込める。シャノの汗かなんかでレザー生地が湿ってて生々しかったので。
「なんか、ごめん」
俺が謝ると、膝を抱えて顔を埋めていたシャノは顔を上げて、こっちに視線を流した。その目はぼーっとして焦点が定まっていない。
「……そのバックル捨てろ」
「はい」
恐ろしいくらい低い声のシャノに俺はガクブルして、ギザ付いた金属バックルのついている腰ベルトを急いで取って捨てた。彼女はそれを見て満足したのか、俺から視線を外して魔法陣の消えた空間に目をやる。
「おいてかれちゃったみたいね。その、あたし」
「みたいだな」
その通りで、もうそこには他のメンバーはいない。最初から残るつもりだった者と、意図せずして残ってしまった者。二人してため息を吐く。
「ああもうっ、最っっっ悪っ。いっつもこうなのよぉっ。シャノーラちゃんのこの美貌に嫉妬した神さまがそうさせてんのよ、ぜったい」
「調子戻ってきたな。よかったよ。さっきのテンションでずっといられたらこっちが困る」
「……なっ、なによ。さっきのことは、その、わ、わすれなさいよ」
「はいはい」
立ち上がった俺はシャノに手を差し出す。彼女は俺の手をじっと見た後で、その手を握って立ち上がった。
「こうなった以上は仕方ない。クエスト攻略は二の次だ。あんたと俺が無事にこっから出てける策を練らないとな。あと、十五分くらいで」
それが退避部屋の壁が開くまでのタイムリミットだ。時間はない。いつだって。さて、どうすっかな。しかし、考え始める俺に対して、何を思ったのかシャノは俺の胸に飛び込んできたのである。
「今度はいったい何を……」
「ごめ、……なさい」
「は?」
「ごめんなさああああああああいっ! うわああああああああああああああああんっ!」
シャノは俺に謝りながら再び泣き始める。しかし今度のは色っぽさとはかけ離れたいつもみたく子供っぽい泣き声なのでヘンな気分にはならないから助かった。でも、いったいなんで泣いてんのさ。
「あ、たしがっ、ド、ドジなせい、でっ、またあんたに迷惑かけちゃっ」
ははあん。嗚咽しながら理由を話す言葉を聞いてみるに、どうやら彼女は俺に迷惑をかけてると本気で思っているらしい。俺はシャノの肩を持って俺からひっぺがすと、彼女の頬をつねった。
「ひ……ひたい」
「あのねえ。迷惑なんかじゃねえよ。あんたみたいな可愛い女の子がドラゴンにバラバラにされるとこなんて見たくもねえし、助けた女の子に言い寄られたりしないかなーなんて感じで、俺が下心ありきで勝手にやってんの。つーか、あんたが例え自殺志願者だったとしても、無理やり助けるつもりだ。だから、あんたは胸張ってふんぞり返ってムカつくこと言ってればいいんだよ。いつもみたいにな。じゃないと、俺がやりにくいだろ。むしろメソメソされたほうが迷惑だぜ。顔だけのあんたがしわくちゃで不細工な表情されると取り柄がなくなっちゃうだろ」
「うっ、ううっ、うっ、ううううううううううううううううううっ」
ダメだこりゃ。余計に泣き始めたシャノはその場に置いといて、俺は退避部屋の中を歩き回る。壁を触ってみるが、やはり抜け道などはない。つまり、この退避部屋の壁が開いたとき、クラウソラスと真正面から対峙しなければならないということだ。
先に攻撃されるとしたら、シャノだろう。
さて、どうしようかな。
首をひねっていると、服の裾を引っ張られた。見ると、シャノが指でつまんでいた。彼女は泣きはらした赤い目で頬を膨らませている。
※報告:退避部屋が閉じている時間を諸事情により15分⇒30分に変更しました。(2016/11/7)




