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「あはは、うそよ。わざとじゃないってわかってるから。もう顔をあげて? ね?」
額を地面にこすりつけている俺の肩に手をおいて、ミミさんは困った笑顔で許してくれた。しかし、シャノとミカゲちゃんがそんな彼女を押しのけて俺につめよってくる。彼女らの顔は退避部屋の暗がりでもわかるくらいに怖くなっている。特にシャノがひどい。俺を養豚場にいる豚の糞を見るような蔑んだ目で見てくる。
「ゆるさない」
「そーだ。ゆるさねーぞ」
「このあたしが死ぬほど心配してあげてたのに。あんたはミミといちゃついてたってわけね? ええ、いいわよ。そっちがその気なら、あたしも容赦しないわよ。首ちょんぱしてやるから、そこにかしずけ。ぶっころしてやる」
「そーだそーだ、かしずけかしずけー」
シャノはハルバードを振り上げて今にも俺の首を胴体からおさらばさせて無限の彼方へ飛ばしそう。そんな彼女をミカゲちゃんがここぞとばかりに煽ってくるから困る。
「待て。待て待て。落ち着け、シャノ。話せばわかる。話せばわか」
「問答無用ぉぉぉおっ!」
あ、ダメだこりゃ。
振り落とされるハルバードの刃を眺めながら、さっきクラウソラスとの戦闘で垣間見たばかりである走馬燈を繰り返した。さっきのラッキードスケベはこっちが全面的に悪いので、避けるに避けられない。だから、お願い誰か止めて助けて。
「こーら」
シャノを止めて俺の命を助けてくれたのは、またもや被害者であるはずのミミさんだった。彼女はシャノとミカゲちゃんの頭に拳でコツンと軽くたたいて戒める。
「私がいいって言っているんだから、もうこの話は終わり」
お姉さん口調のミミさんに、ミカゲちゃんはしゅんとなると俺にアッカンベしてからユーリくんの背後に隠れた。一方で、シャノはというとハルバードを収めようとしない。彼女は両目を潤ませて俺をキッと睨んでいる。
「シャーノー。気持ちはわからなくもないけれど、そろそろやめなさい」
「だ、だって。だって、こいつがっ」
ミミさんは、ため息を吐く。
「これ以上やったら、嫌われちゃうわよ。それでもいいの?」
「…………っ、うっ、うぇ、うわああああああああああああああああんっ」
シャノがハルバードを落とし、ミミさんに抱きついて泣き始めた。
「だってっ、こいつがあああああああっ! ミミのぉ揉んだぁぁっ! あ、あっ、あたしだってぇまだ揉まれたことないのにぃいぃいぃいいぃいいいいいぃいいぃっ! も、もし、かして、あいつミミの、ことっ、すっ、すす、すぅひっ! うぇっ、ひぐっ、ううぅ、うぅ」
「あーはいはい。よしよし。大丈夫よ。私、トーノくんを男として見てないから。だからトーノくん、ないとは思うけれど、先に言っとくね? 私には他に好きな人がいるから、ごめんなさい無理です」
「え? あ、はい。ええ?」
急にミミさんに二つの意味でフラれてしまう俺はタジタジである。別に告白したいほど好きとか思ってはいなかったけれど、嫌いじゃない女の子にフラれるのは、わりとショックだ。しかもそれが、こっちが告白してないのにフラれてしまうなんて、精神的ダメージがわりとデカいのは言うまでもない。っていうか、泣きそうである。泣いた。
「ほら、シャノ。安心して。絶対に盗らないから」
「……ほんと?」
「本当よ。それにね、シャノ。トーノくんだって、どうせ揉むならシャノみたいに大きいほうがよかったなって思ってるわよ。ね? トーノくん?」
「え? あ、はい。ええっ?」
再び急に話を振られてしまった俺はよく考えずに頷いてしまった。しかしながら、よくよく話の流れを考えてみるに、ここで肯定したらますますシャノにぶっ殺される確率が高くなってしまうのではないだろうか。俺は戦々恐々としながらシャノの動向を探る。
しかし俺の予想は斜め上に外れたことを知る。シャノは鼻をすすりながら、こっちを見て呟くように言うのだ。
「…………………ねえ、ほんと?」
くっ。ぐぐっ。
だから、このクソアマ、どうして時々こんな無自覚に可愛くなりやがる。並みの男だったら心臓爆発して身体中の穴という穴から血を噴き出して死んでしまうに違いない。超低血圧である俺でさえ、心臓が飛び跳ねて口からゲロしそうになっているのだから。
俺はシャノの視線から逃れるように顔を背ける。けれども彼女は先の質問の答えを俺が出さない限り、こっち見るのをやめないつもりだ。そもそもYESと答えてもNOと答えても、どっちも墓穴になってしまうことである。けれども、それに答えないかぎりはシャノの視線から解放されない。ジレンマも甚だしい。ホント止めて。
「ほんとなの?」
くそ。
ええい、ままよ。
「……ああ、ほんとだよ」
俺は、男として正直に答えた。例え俺が尻派だと言っても、オスの呪縛からは解き放たれない。どっちかって言ったら、そりゃ。どうせ不慮の事故で触るくらいなら、大きいほうが良いに決まってるじゃないか。なあ?
同意を求めてユーリくんの方を見やる。微妙な表情で事の成り行きを見守っていた彼は俺の視線に気づくと、シャノの胸のあたりをチラッと眺めて、すこし頬を赤くして首を振った。
強くて愛嬌のある謙虚で律儀な純情イケメン。
ユーリくんって、ほんと。
男にとっては、もはや悪魔のような生き物だよな。
俺が遠い目をしていると、その間にシャノが立ち直っていた。彼女は目を赤くはらした目でこっちを一瞥すると、一言。
「……ヘンタイ」
そう罵って、ぷいとそっぽを向く。そんな彼女を微笑みながら見ていたミミさんが、未だ腰が抜けて尻もちついていた俺に手を差し伸べてくれる。
「おっとと」
いろいろと有難く、その手を握って立ち上がった俺は少しよろけてしまった。それを受け止めてくれたミミさん。
「私から無理って言っておいてなんだけど」
ちょっとだけショックだったなー、と俺の耳元で囁くように悪戯っぽく言った。
俺がミミさんの台詞が何を意味しているのか考える前に、彼女は自分の口元に人差し指を当てて内緒のジェスチャー。なので、俺はスルーすることにした。深く考えると底なし沼にドハマりしそうなので。
それよりも、現状どうなってるのか把握することの方が大事である。妄想よりも現実の方が重要なので。まあ、ここは仮想現実だけれども。
ユーリくんが手を挙げて視線を集中させた。
「いいかな。ひとまず、ミミとトーノのおかげでどうにかなったよ。ありがとう」
「いやいや。俺は逃げ回ってただけで、べつに大したことはしてないぜ」
頭を深く下げるユーリくんに面食らってしまう。
「そうよ。どーせ、ミミをふしだらな目で舐めまわしてただけなんでしょ」
シャノが頬を膨らませてボソッと呟く。その台詞に口をへの字にする俺を見てミミさんがクスクスと笑った。
「私をふしだらな目で見ていたかどうかはわからないけれど――――」
ミミさんのそんな前置きに泣きそうになりながら口を開けようとしたシャノを無視して、彼女は言葉を続ける。
「私とトーノくん、というよりかは、トーノくんだけでどうにかしてくれたという感じよ。本当に、すごかったわ。彼がいなければ、全滅だったかもね」
「うん、そうだね。僕も【梟眼】で戦闘を見ていたからわかる。驚いたよ。本当に――――」
ユーリくんが意味深な視線を俺によこす。
「本当に君は、いったい何者なんだい? どう考えてもあの動き、【略奪者】じゃないよね」
彼の視線には、疑惑の念が色濃く反映されていた。そりゃ、そうだもんな。人間は得体の知れないものには注意深くなるもんだ。その傾向は経験上、賢い人間ほど強くでる。ユーリくんほどのプレイヤーだったなら、おそらく今は要注意人物ブラックリストの最上段に俺の名前があるのではないだろうか。
彼の視線に身もだえしていると、その間にミミさんが割って入ってきた。
「ユーリ、今はそんなこと、関係ないでしょう?」
一番、目の前で俺の異質さを目の当たりにしたはずであるミミさんがムッとした表情でユーリくんに対峙した。それに対して、ユーリくんは少し意外そうな顔をして言葉に詰まると、軽く咳払いする。
「わかったよ。でも、これだけは。トーノ、教えてくれないかい? 【略奪者】なんてウソではなく、本当の君のジョブを」
うーむ。




