後編
夢中で歩いて(走って?)いると、いつのまにか狼の 声は聞こえなくなっていた。未だアリシアとエヴ ァンスは手を繋いだままで、トパはそんな二人の 少し後ろで本を片手に歩いていた。日が少し傾い て、さっきよりもっとあたりは冷え始めた。雪国生まれなだけあって、三人とも寒さには強い方だ。 それに、三人が着ている服も毛皮でつくったもので保温性は抜群だ。だが、そんな三人が堪え切れない寒さを感じるほどに辺りはぐっと寒くなってきたのだ。いつのまにか三人の口数も減った。アリシアとエヴァンスは手こそ繋いでるものの、言葉は交わしていない。三人の吐息が白く現れ、雪原に消えていく…。そんな白さの中に銀に光るものが写った。
最初に気付いたのはアリシアだった。
「光ってる! あそこの方が光ってるよ!」
声を荒げ、先の方を指差した。その声に気付いたトパも正面を見据えた。
「…あれは?」
「…! あれが?」
エヴァンスは真っ先に駆けていった。さっきまでの寒さも今はどこへやら?
「待ってよ! エヴァンス!」
「やれやれ」
トパは本をしまうと、エヴァンスの後へ続いた。
今、三人の前には銀に光る森があった。
「ここが…?」
「間違いないだろう。銀の森だ」
「やった~!」
目の前の森は木の色こそ普通と変わらないが、その木のひとつひとつに雪が積もっていて、それが銀に光っていた。地面も雪と氷の混じったようなもので覆われ、やはり光っていた。ぽつぽつと木の緑が見え隠れしている所があり、この森の美しさを引き立てていた。
「はぁ……」
アリシアが感嘆のため息を漏らした。しばらく三人はぼんやりとこの森を見続けた。
「な、中に入ろうか?」
エヴァンスが言った。
「そうだな」
「あ~、カメラ…持って来ればよかった。まさか、銀の森がこんなに綺麗だなんて」
「また来ればいいさ。俺たちの目的は雪月花だろ。進もうぜ~」
「わかった☆ 絶対、また行こうね?」
アリシアはスキップしながら、森に入っていった。
「あ、俺が先に入るんだぞ!」
「……子供」
* * *
「わぁ~~っ! すごい!」
森の中も銀に輝いていて、さながら光の中にいるようだった。
「アリシア、下は氷だ! 転ぶぞ!」
「はぁ~~い♪♪」
トパの声に空返事をし、なおもスキップで進んで いくアリシア。
エヴァンスも辺りをきょろきょろしていて、田舎から上 京してきた青年のようだ。
「でも、ここは興味深い。また来るときは僕もカメラを持ってこよう」
そんなトパもこの森に目を奪われていた。
「きゃっ!」
アリシアがこけた。エヴァンスは吹き出し、トパ は呆れ顔だ。
「ははっ…大丈夫かよ~」
エヴァンスはアリシアに声をかけ、その顔がいつ もと違うことに気がついた。
「アリシア…?」
アリシアは無言で前を指差した。
灰色の狼がこちらを見ていた。
「さっきの狼…?」
「わかんねぇ」
エヴァンスはアリシアを引き寄せた。
「大丈夫だからな!」
「うん」
少し大柄な狼で低く唸ると、牙を向けて二人に向かってきた。
「アリシア! エヴァンス!」
トパは事態に気付き、二人の元へと走った。
「きゃあぁあぁ」
エヴァンスは短剣を抜き、そのままアリシアを抱き寄せるようにして立ち上がった。
エヴァンスの剣が空を切る。ひゆぅっと乾いた音がし、走り寄った狼が間合いをとり、ガルルと吼えた。
「トパ! アリシアを連れて行け!」
「わかった」
エヴァンスはアリシアをトパのほうへと放る。
「エヴァンス!」
アリシアが金切り声をあげた。トパはアリシアを受け取り、そのまま連れて走る。
「やだ! エヴァンスも!」
「いいから!」
トパは抵抗するアリシアを抱え上げ、森の奥へと走った。
地面が氷の所為で思うように体が動かない。トパはもどかしさを感じながら走り続けた。
* * *
グアァァア…
狼の金の瞳がエヴァンスを睨みつけている。エヴァンスは柄を握っている手が汗ばんでいるのを感じた。隙を見せたら来る!
狼はエヴァンスの周りをじりじりと歩く。エヴァンスもそれに合わせて動く。
―と、
エヴァンスの右足に痛みがはしった。それは、さっきの火傷が服にこすれて生じた軽いものだが、エヴァンスに隙を作るのには十分だった。
「くっ…!」
グアゥッ!
* * *
「はぁ…はぁ…はぁ」
アリシアが膝に手をついて、呼吸を整えている。トパは辺りの様子を気にしながら、剣を握った。
「ここがどうやらその水辺のようだな」
「え?」
アリシアが顔を上げると、そこには小さな池があり、
その周りには緑の水草のようなものが生い茂っていた。
「これが雪月花…?」
「みたいだな。 …アリシアはここにいろ」
「え?」
「僕はエヴァンスのところへ行く」
「わ、私も…」
「大丈夫」
トパは至極優しく微笑むと、そのまま駆けていった。アリシアはへなへなとその場に腰を抜かした。
* * *
狼がエヴァンスに飛び掛ってきた。エヴァンスは体制を崩しながらも、剣を振った。
「うぁっ…!」
エヴァンスは氷の地面へと倒れた。剣は狼の顔の部分をかすめ、目の辺りを切った。
ガウゥッ…
目の辺りからは血が滲み、狼はうずくまった。
エヴァンスはばっと起き上がると、そのまま森の奥へと走った。そして、トパとぶつかった。
「わっ!」
「うわっ!」
「大丈夫か? エヴァンス」
「何とかね。とどめはさしてないけど…」
「そうか。この奥の池に雪月花が咲いている。アリシアもそこにいる」
「おうけい~☆」
「そろそろ夜になるぞ。急ごう」
トパとエヴァンスは森の奥へと走った。
* * *
「「アリシア!」」
「エヴァンスッ…!」
アリシアはエヴァンスに抱きついた。
「良かった、無事で」
「はいはい。俺は大丈夫だよ」
エヴァンスはアリシアの頭をなでなでした。
「そろそろじゃないか?」
「え?」
アリシアが振り向くと、池が月の光でライトアップされていた。
よく見てみると、池の周りだけ木が生えていなかった。
「神秘的…」
「月の光って…こんなに綺麗なものなんだな…」
すると、池の周りに群生している雪月花の一つのつぼみに動きが出始めた。
「あ! あれ!」
三人は池の前にしゃがみこんだ。月の光がつぼみを煌々と照らしている。
つぼみはゆっくりゆっくりと開いていく。緑のつぼみの中から、青白い花弁が姿を見せた。
三人はその様子を食い入るように見ていた。つぼみが開ききると、真っ青な花が現れた。
中心は群青色で外側にいくにつれ、段々と色が褪せていっている。
「綺麗…」
「すげぇ」
アリシアとトパは、ほぼ同時に声を出した。
銀世界に緑の絨毯が広がり、その上に青い球が転がっている…そんな光景だった。
「やっぱりカメラが必要だったな…」
しかし、二人がそんな光景に目を奪われている間に花は萎れていった。
「あっ…」
「え?」
みるみるうちに花は萎れていく。青くて美しかった花も茶色くなっていった。
「雪月花の花の寿命は短い。冬の満月の夜にだけ咲き、そして朝が明けるまでに実をつくるんだ」
「切ない…」
パサパサと花が散り、中心に青い丸が現れた。
「これが雪月花の実か!」
エヴァンスはその丸へと手を伸ばし、もぎ取った。
「あ…」
「柔らかい」
エヴァンスは手の中でその青い実を転がした。
その実は、まるで池の水を吸ったかのように瑞々しく輝いていた。
「実も綺麗なんだね」
「あぁ」
「うまそ~」
エヴァンスはきらきらした目で、その実を見つめた。アリシアはその様子に気付き、
「あ、私も食べる!」
と叫んだ。
「誰のおかげでここまでこれたと思ってる?」
トパは本へと目を移した。
「あ…」
トパが声を上げた。
「エヴァンス!」
「え?」
エヴァンスがトパのほうを見ると、さっき、対峙していた狼がそこにいた。
「ちっ…!」
エヴァンスは実をアリシアに預け、剣を抜いた。
「待て!」
トパに一喝され、戸惑うエヴァンス。
「何で?」
「そいつの足元を見ろ」
エヴァンスが足元を見てみると、小さな狼がその狼にまとわりついていた。
「やぁ~~、可愛い。子犬みたい!」
「親なのか? こいつ」
「らしい。だから、襲ってきたんだ」
「そうか…。子供を守ろうと…。俺、悪いことしちゃったな」
目の前の狼の目の辺りは血で赤くなっている。狼は低くうなっている。
「悪ぃな。知らなかったんだよ。でも、お前の子供を傷つける気はないぜ?」
グルル…
狼はエヴァンスを睨んでいる。エヴァンスは剣を捨てた。
「な?」
狼はじっとエヴァンスを睨んでいる。エヴァンスも狼を見つめた。
「そうだ!」
エヴァンスは、はっと気付いたようにアリシアの元へと向かった。
「貸して~」
アリシアの手の中にある雪月花を掴むと、狼へと放った。
「あぁ~~!」
アリシアが声を上げた。小さな狼はその実の匂いをかいだ後、ぱくりとそれを食べた。
「!」
アリシアがうる目になっている。小さな狼はもぐもぐした後、狼のもとへと走り、
足に擦り寄り、アリシアのところへ来た。そして、アリシアの手をぺろぺろと舐め始めた。
「可愛い~~」
アリシアはその狼を抱きしめた。大きな狼はのそのそとエヴァンスのほうへ近寄ってきた。
「ほら? さっきはごめんな」
エヴァンスは狼を優しく撫でた。狼もされるがままになっていた。
「雪月花の実の威力か…」
トパは、本を片手にふふんと微笑んだ。
「ごめんな~。折角、雪月花の実を採りに来たのにさ」
町への帰り道、エヴァンスが言った。
「え? あ、いいのよ。狼、可愛かったし~」
「僕は興味深いものが沢山見れたのでね」
「それに…また来るんでしょ?」
「あぁ。絶対、来る!」
「へへ、楽しみね~」
「おう♪」
三人はまたここに行く約束をして、一面真っ白な大雪原を町へと歩いていったのだ。