2.幸せの繋ぎ方を知らないという不幸せ
「お前も俺も、馬鹿だよね」
投げかけた言葉に、小川のせせらぎに耳を澄ませていた彼女の首がこてんと、傾いた。彼女の動きに合わせて、腰まで伸びた髪が揺れる。それを見ながら、随分伸びたなぁと頭の片隅で呟き、俺は目の前の小川へと視線を戻した。
「もう十年以上ここに来てさ、きっとこれからもお前は毎月ここに来て、俺は二、三ヶ月に一回お前と一緒にここに来る。でも、もうすぐ卒業でしょ?大学でも就職でも、きっと今より時間がなくなって、いつかここも離れちゃうかも知れないじゃん?」
へらりと、笑ってみせたけれど、彼女の表情は険しい。可笑しいな、笑顔には結構定評があるのだけれど、今日は失敗したのだろうか。小さな失敗を茹だるような暑さのせいにして、俺は足元の小石を指で弄って気分を紛らわせた。
どうでも良いのだけれど、お尻の下に敷いた石が痛い。
「そりゃあ反省も大事だし、忘れないのも良いことだよ。とっても大事!でもね?それを引きずって、前に進めなくなって、自分の中で時計の針止めてちゃあ、周りにもあの子にも、迷惑なんじゃないかなぁーと、俺は思うのですよ。でもこういう事言うとさ、お前は自分を責めるでしょ?」
俯く彼女の顔を覗き込むと、普段と違って弱々しい拳が頬を掠めた。黙っているところを見ると、どうやら本人も一応自覚はしているらしい。
常に自信たっぷりな顔――無理矢理作ったものだから、ひどくちぐはぐで不細工だと俺は思う――も、強気なその口――空回りばかりだから、少しくらい素直になれば良いと思う――も今は形を潜めている。
こうして見ると、彼女は平々凡々な見た目の女子高校生だ。ただの大人しい、女の子だった。
「後悔なら、今でもするよ。例えばあの日、遊びに行く計画を立てなければ。例えばあの日、あの子に見つからなければ。前日雨が降らなかったら。中止していれば。はしゃがなければ。でももう、遅いじゃない?何言ったって、もう十年以上過ぎちゃったじゃない?縛られるのも、縛り付けるのも、良くないと思うよ?」
「あの日計画を立てたのは……私でしょーが」
「うん、でも、それに賛成したのは俺だよ?俺はね、やっぱりお前には幸せになって欲しいわけ。笑って生きて欲しいわけ。あれは全部の不運が重なった結果。その原因は俺達。だから……うーん、口下手ってか語彙力のない俺にはなんて言ったら伝わるかわっかんないけどさー……目一杯生きた方が良いと思うよ、お前も……俺も、ね」
やんちゃで、生傷の絶えない五歳だった彼女にとって、自分の計画のせいで死んだ八歳の兄は、自分をたっぷりと甘やかし愛してくれた優しい兄は、どれ程根深く存在するのだろうか。
生意気な五歳だった俺にとっての彼は、今じゃあすっかり朧気だった。どんな髪型で、どんな顔で、どんな声だったかも思い出せない。 ただ、雨のせいで緩んだ足場から崩れ落ちる彼の瞳だけが、呪いのようにこびりついて離れない。ゆっくりと遠のくそれが、現実を、その瞬間を受け入れるように濁っていくその瞳だけが、今でも焼き付いている。
まるでそこだけが、今も生きているようだった。
「……確かに兄さんは、あの優しい兄さんなら、幸せに生きてくれと、言ってくれるかもね……でも……それでも私は、心から笑って、生きれない……」
きゅ、と唇を噛み締めた彼女の濁った瞳を見ながら、俺は静かに願った。彼女の流した涙が、いつか俺を殺せばいいのにと。
幸せの繋ぎ方を知らないという不幸せ
(そうすれば俺も、彼女の中で根深く存在できるのだろうか。)