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 通話を終えて白崎が戻ってきた。あまり冴えない表情だ。

「良くない知らせだったの?」

「いえ、そんなことはないですが……鎮森さん、だっけ」

「はい?」

「君、これから時間はある?」

「有り余ってるってさっき言ってたわよ」

 前田が先に答えてしまったので、頷くだけにとどめる。白崎は困ったような顔で切り出した。

「なら、急で申し訳ないけど一緒に来てくれないか。今、社に報告入れたら、いますぐ面接するから是非つれてこいって、おもしろがっちゃって」

「そんなこと言うのは立原たちはらくんね」

 前田が笑うと、白崎は苦り切った顔になる。

「相変わらずです、あいつも。今日だって本当は一緒に宮本先生に挨拶に来るはずだったんですが」

「面倒なことはあなたに押しつけて逃げられちゃったわけね。ほんと大変ね、白崎くん」

 労う言葉には、あまり心がこもっていないように聞こえたが、そこに突っ込みを入れるよりも、琴美には重要なことがあった。

「あの……これから面接なら、着替えてから伺いたいんですけど」

 今の琴美の姿はスーツどころか、セータにジーンズ、靴はファーの付いたショートブーツだ。ショートボブの髪は年末に美容院に行ったばかりだからいいとしても、他は会社訪問するような格好とは言い難い。

「堅苦しく考えないでくれていいよ。あれはただの好奇心だから、本面接の練習か、老人ホームの慰問とでも思ってきてくれれば」

「慰問、ですか……?」

 前半と後半ではかなり立場が違うのだがと首を傾げると、

「立原くんて、あなたとそんなに年が離れてなかったわよね?」

 前田も怪訝そうに突っ込んだ。

「そこはあまり深く考えないでくださいよ。気分の問題なんですから。とにかくそういうことなので、そろそろ失礼させてもらいます」

 強引に話を打ち切ると、白崎はコートを着込んで鞄を持った。

「車で来てるから、乗せてくよ」

「あ、はい」

 琴美も急いで立ち上がると、ダウンジャケットを羽織った。やはり着替えていきたいと躊躇していると、前田に背中を叩かれた。

「行ってらっしゃい。がんばってね」

「ありがとうございます。行ってきます」

 前田に後押しされた格好で、琴美は白崎の後を追いかけた。せめて化粧くらい直していこうかとも思ったが、前を行く白崎の足は速い。会社に着いたら化粧室を借りようと、琴美は駐車場に向かった。

 車に乗る寸前で、また白崎の携帯が鳴り響いた。

「寒いから、先に乗っててくれ」

 言われたままに、琴美は助手席に滑り込んだ。車内と言えども、暖房が入っていなければ寒さに変わりはない。シートベルトをつけて手をこすって待っていたが、白崎は電話が長引いているのか、なかなか乗り込んでこなかった

「――わかった、また連絡する」

 扉を開けながら通話を切って、白崎は後部座席に鞄とコートを放り込み、運転席に収まった。エンジンをかけて、暖房を強くする。

「待たせて悪かった。それとすまないついでにもう一つ。社に戻る前に寄って行かなきゃならないところができた。早めに済ませるから、つきあってくれ」

「はあ、わかりました」

 仕事なら改めて一人で会社の方に行きますと言う暇もなく、白崎は携帯を見ながらナビを設定して車を走らせた。駐車場から出て大通りに入ると、速度を上げる。駅とは反対の方向に向かうようだと、琴美は見当をつけた。

「この辺も結構変わったんだな。前はあんなビルはなかった」

 大通りに出てから、白崎が指さす。通り過ぎるビルを琴美は振り返った。

「あのビルは、去年できたばっかりです。前はパン屋さんでした」

「パン屋は覚えてるな。けっこう旨かったと思ったんだけど、辞めちゃったのか」

「噂で聞いただけなんですけど、ご主人が病気で入院して、そのまま辞めてしまったみたいです。あそこのクリームパン、よく買ってたので本当に残念です」

「クリームパンは食べたこと無かったな。俺は主にコロッケパンで」

「コロッケパンもおいしかったですね。できたての時間に当たると幸せの絶頂でした」

「できたてだと、三つはいけたな」

 思い出したら腹が減ってきたとぼやきながら、白崎はナビの指示通りに車を走らせた。いくつめかの信号で、大通りから横道に入る。この辺りは古い住宅が多く残っていて、三階建て以上の家屋が少ない。区画整備も遅れているから道路も狭い。すれ違う車が来ないことを祈ってくれと真剣に言われて、琴美は助手席に乗ったことを後悔した。

『間もなく目的地です』

 住宅街をくねくねと進んでいくと、ナビの機械音が響いた。

「この辺、か?」

 速度を落としてそろそろと車を進めながら、白崎が呟く。釣られて琴美も見回してみたが、そもそも白崎がどこを目指しているのか知らない。

「なんていう会社ですか?」

「いやそうじゃなくて――あ、あれかな」

 白崎の視線を追うと、住宅が途切れて広くなった場所があった。道路側には鉄柵の門扉があり、その奥に平屋建ての建物と、何に使うのかわからない大型の機械が置かれているのが見える。大きめの町工場と言うのが適当だろうか。

 白崎は門の前で車を止めて、携帯を取り出した。

「俺だ。そう、今ついたんだけど――いや、そこまではわからないな。これといって何も――わかった、確認してみる」

 運転席の窓を開けて、工場の方を見ながらどこか困った様子で白崎は携帯を切った。取引先なのかとも思ったが、そのまま腕を組んで考え込んでしまう。

「あたし、降りて待ってましょうか?」

「え?」

 驚いたように顔を上げる白崎に、琴美は前方を指した。

「あそこにコンビニもあるし、適当に時間つぶしてますから、用が終わったらまた拾ってください」

「……急に何の話だ?」

 白崎は怪訝そうに顔になった。琴美は躊躇したが、正直に答えた。

「部外者がいるので、工場の中に入りづらいのかなと思いまして」

「ああ、そういうことじゃ――待った、今なんて?」

 手を振ってシートに再びもたれかかろうとした白崎は、がばっと身を乗り出した。

「工場って言ったか?」

「言いましたけど……」

 不安になって琴美は窓の外を見た。外観からして、町工場以外の何者でもないように見える。

「……違うんですか?」

 白崎は外と琴美を交互に見つめて唸った。

「いや、間違い、ではないと、思う……」

 その口調が何より疑わしい。琴美はもう一度窓の外の目をやった。これが工場でないとするなら、いったい何なのだろうか。

(工場の建物を改装した……ライヴハウスとか居酒屋とか、テレビで見たことあるけど……あ、あれは工場じゃなくて倉庫だっけ。実は体育館でしたとか?)

 平屋の建物を睨んでいろいろと当てはめていると、「よし」と白崎が呟いた。

「鎮森さん、降りて、一緒に来てくれないか」

 白崎は後部座席からコートと鞄を掴んで車から降りた。いきなりのことに、琴美はぽかんと見送っていると、窓の外から急かされた。慌ててシートベルトを外してドアを開ける。

「中に入るんですか? 門は閉まってますけど」

 車から降りると、空気がひんやりと冷たかった。慌ててジャケットのファスナーを上まで上げる。隣で白崎は厚手のコートを羽織ってマフラーを巻いていた。ダウンジャケットの琴美と比べると遙かに寒そうである。

(スーツにダウンジャケットは、合わないか、やっぱり)

 来年の今頃は、同じように寒さに耐えるようになるのだろうか、なれるのだろうか――期待と絶望の半分ずつ混ざった琴美の視線に全く気づかず、白崎は敷地内を見回して門扉に手を掛けた。

「開いてるな。大丈夫だな。たぶん」

「たぶん、が気になります」

「気にしない。行こう」

 白崎は一気に門扉を引き開けた。

 敷地内にガラガラと音が響き渡る。それほどに、静かだった。工場から物音がまったく聞こえないのは、休業日だからなのではなかろうか。だとすると、勝手に入り込むのは軽犯罪じゃないかと止める間もなく、白崎は人ひとり分だけ開けた門の隙間から中に入り込んだ。手招きされて、琴美は渋々、後に続いた。

「誰もいなさそうですね」

 門から先の敷地はコンクリートで舗装されていた。ところどころにペンキで手書きされた記号や矢印が見て取れる。入って正面が倉庫のような大きな建物だ。臙脂色の屋根には『豊原テック株式会社』と書かれていた。入り口は三カ所あるようだが、全部シャッターが降りていて、向かって左から順に1、2、3と番号が振られている。建物の左手には、先ほど見えた大型の機械が置かれていた。近くで見ても、何の機械なのかはさっぱりわからない。

(ここが何の工場なのかわからないんだから、当たり前か)

 視線を反対に動かすと、平屋の事務所らしき建物が見えた。小さな入り口の横には、やはり『豊原テック株式会社』とかかれたプラスチックの看板が下がっている。事務所内に明かりはなく、しんと静まりかえっている。

「今日はお休みなんじゃないですか?」

 隣を見上げると、白崎は小難しい顔をしていた。

「誰もいないか?」

「いえ、ちゃんと確かめた訳じゃないのでわかりませんけど、でも事務所に明かりも付いてないし、あっちも全部シャッター降りてますから、もしいたとしても警備の人くらいじゃないでしょうか」

 琴美が指す方を順番に見て、白崎は顎に手を当てた。

「警備か。あり得ないこともないな。それじゃ悪いが頼まれてくれ」

「何でしょう」

「ぐるっと回って誰かいないか見てきてくれないか。警備の人でも何でもいい」

 琴美の背中にどっと疲れが落ちてきた。

「……すみません、今のあたしの話、聞いてました?」

「聞いてたが、どうした?」

「いえ、いいです、なんでもないです」

 真顔で返されて、琴美は頭を振った。目の前の様子からして誰もいないことは明白なのにと、喉元まで出かかった文句をぐっと飲み込む。

「行くのはかまわないんですけど……あたしが誰か見つける前に誰かに見つかったら、どう言い訳したらいいんでしょうか。白崎さんならともかく、あたしはただの学生なので単なる不審者に成り下がってしまうんですけど」

「だったら、うちのバイトだと言えばいい」

「ここに立派な社員どころか社長がいるというのに、何でバイトがうろうろしなければいけないんでしょうか」

 言下に言い返されて、白崎は目を瞠った。

「……意外とこだわる奴だったんだな」

「こだわりますよ、そりゃあ。不審者になるかどうかの瀬戸際なんですから。こんなところで通報されて、この先の就活に何かあったら困ります」

「もうその必要は無いからいいだろ。ああ、待て、ちょうどいいものがある」

 苦笑しながら、白崎は鞄を開けて中から数枚の紙を取り出した。

「誰かに会ったら、これを見せればいい」

 得意気に渡されたのはA4サイズの用紙が二枚だった。一枚目には書かれているのは、内容からしてお詫び状だった。琴美はざっと目を通して、首を傾げる。

「不良品の回収、ですか……?」

「いまウチでやってる仕事の一つだ。そこに回収品の写真が載ってるだろ。不良箇所が見つかったから全国展開で自主回収中なんだよ」

 白崎の言うとおり、二枚目の用紙には電化製品の写真がずらりと並んで載っていた。電気店の広告チラシのようだ。ただし載っているのはどれも冬によく見かける小型の電気ストーブだけ。最初のお詫び状によると、これらの製品に組み込まれている電子部品の不良が見つかり、長時間の使用の際には発火の恐れがあるので回収中、ということだった。

「これ、白崎さんの会社で作ってるんですか?」

「違う。ウチは回収作業の手伝いだけだ」

 企業が自社の製品を自主回収するという話は、琴美も聞いたことがある。テレビCMや新聞広告でお詫びと共に回収のご協力を、というアレだ。簡単に言ってしまえば、『持ってたら返して』と訴えるのである。消極的とも言えるが、ユーザー登録でもしない限り、購入者がどこの誰なのかわからないので仕方がない。

「不良品に当たったことはないのでよく知らないんですけど、こういう場合って一軒一軒、尋ねて回るんですか?」

「どうだろうな。たぶん、普通はそこまでしないだろうな。地域限定とか、狭い範囲だったら無いこともないかもしれないが」

 白崎の答えで、琴美は先ほどからの疑問が解けた。条件が整えば、答えは絞り込まれる。

「じゃあこれは普通じゃない機械なんですね。もしかしてこういう工場で使うようなものですか?」

 沈黙が降りた。

 白崎は珍しいものでも見るような目で琴美をじっと見つめていた。

「あたし、何か悪いこと言いました?」

「いや……なるほど、そうくるか」

「は?」

「なんでもない。気にしなくていい。それより、なんでこれが特別だと思ったんだ?」

 白崎はチラシをパンと叩いた。

「何でと言われましても」

 琴美は首を傾げた。直感的にそう思ってしまったので、理由を探すのが難しい。

「そうですね……これ、家庭用に見えるんですけど、白崎さんは最初からここを目指してましたよね。だから、ですかね」

 大学からナビまで設定して一直線にやってきた。周囲の住宅には、目もくれずに、だ。

 白崎は値踏みするように琴美を見て、ため息をついた。

「目の付け所は悪くないな。が、残念ながらハズレだ」

「正解は何ですか」

 白崎は肩をすくめて工場を指した。

「聞きたかったらさっさと行ってこい」

「先に教えてくれてもいいじゃないですか」

 不満そうな琴美に、白崎は意地悪く笑った。

「……入社試験の一つだと思ってくれてもいいぞ?」

「いますぐ行ってきます! 行かせていただきますとも!」

 心の中でめいっぱい舌を出して、琴美は地面を踏みにじるようにして歩き出した。

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