『宇宙雑音 -The Fansy Noise-』 第0号(プレ発行・2014初夏)
私たちの【宇宙雑音】について
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「……かならず感ずべき事にふれても、心うごかず、感ずることなきを、物のあはれしらずといひ、心なき人とはいふ也。」(―― 本居 宣長『源氏物語玉の小櫛』より)
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「自分の『立場・役割』をわきまえろ。『雑音』に惑わされて『余計なこと』を考えるな。こうした指示の威力によって、さまざまな情報は、集団のフィードバック回路への入力になることなく、雑音として聞き流されて終わる。
(中略)
役割と自分とを切断することによって、『雑音』を気にして『余計な事』を考えることはすまい、と努めていけばいくほど、雑音を入力へと変換しうる能力、すなわち思考する能力もまた、確実に磨耗していく。このようにして、自分というもののなさが、その人の常態となる。そして、このように自分というものがない人々が中枢もしくはその周囲に多ければ多いほど、その集団においては、そこに固有のコードのもとで入出力が効率的に処理されているようでありながら、いちばん肝心の呼応可能性が衰退する。 ……」(―――大庭 健『「責任」ってなに?』より)
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我々は、(冒頭に引用したような意味において)"雑音"というものをキーワードとした文芸同人サークルです。SF・ライトノベル・ミステリ・ファンタジー・純文学、そのすべてを射程に捉え、それぞれを統合することのない総和のなかにおいて作動させることを目標としています。
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このページは文芸同人サークル《Vulnerability Noise》の活動スペースです。「同人」とは云え会員も少なく、実力などはまるで無い(素粒子のような)サークルです。しかし、多くが学校では文芸同好会や文芸部に所属していたことのある、小説っぽいものではなく、早く(本物の)小説を書きたいと、想いをたぎらせている者たちです。
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「宇宙雑音」という名は、戦後日本SFをリードしてきたSFファンジンである「宇宙塵」や「宇宙気流」にあやかろうという魂胆が伺えますが、このページについては特に、「SF至上主義」というわけではありません。というのも、我々が目指すのはファンタジーやサイエンス・フィクション、私小説、シュルレアリスムなどの要素が挿しこまれることで成立する複合的な文芸だからです。
ここでいう複合的な文芸とは、主にライトノベルと呼ばれるものと近しい存在です。同じであるかどうかはわかりません。ライトノベルとは、文芸に限らずあらゆる表現方法と様々なジャンルの「心揺さぶる要素」を種として同じ畑で、あるいは同じ培養液で栽培し、そこから育った生態系をまるごと作品として提供できる少年少女小説だということができるでしょう。これは一般に言う日本の近代文学からすれば、いやその他独自の伝統を持つミステリやSFなどからしても、もしかすると主旋律(メロディ)から外れた雑音(ノイズ)なのかもしれません。
しかし、そのノイズを単なる騒音と断する事もまた、できないのではないでしょうか。
三浦しをん、有川浩、夏川草介、森見登美彦、西尾維新、etc.……
近年の人気作家は、多かれ少なかれその作風や文体に、この“ライトノベル的”要素が含まれているのですから。
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そもそも“雑音”とは、人類が19~20世紀の前半にかけて、地球規模で音楽的な感受性の統一を(西洋主導で)進めるなかで、五線記譜法で表しきれなかった、(あぶれた)音/リズム/間 を呼ぶ言葉だったという側面があります。――それまで世界各地に存在した、それぞれの音階叙述法を世界共通フォーマットとしての西洋音楽方式に“翻訳する”際に理解されなかった音声――それはなんだか、かつてフーコーの言った“狂気”というものに、似ているかもしれません。「近代社会の成立と共に理性的な社会規範が人びとを規制し、その裏で社会規範からはずれた異質な者は、非理性的な〈狂気の人〉として排除された。(山川出版社「倫理用語集」[狂気-フーコー]より)」。
そして、それはこの場を指す言葉ともなり得るでしょう。
人生とは、砂浜に打ち上げられるたったそれだけのために旅をする、波のようなものだ。かつてリオデジャネイロのホテルから海を見下ろして、そう語った作家がいました。
同業者のフィリップ・K・ディックに「あのちび公」と呼ばれたその人は、短編集『The Beast that Shouted Love at the Heart of the World』の「まえがき」において、未来について語る際そのような比喩を使ったのです。
しかし、道半ばのボク達は思うのです。
打ち上げられる浜辺があるだけ素敵じゃないか? という風に。
海原で生れたすべての波が、陸に辿り着くわけではありません。
途中で消えるもの、より大きな流れに呑み込まれるもの、渦潮となっていつまでも同じ場所で廻り続けるもの。そして、重要なのはその波が生まれた時には、旅する先にどのような未来が待っているのか、分からないということです。
生れたからには、“どこか向こう側”を目指して進んでいくしかない。
たとえ、ひたすら徒労が続いても、果てに待つのが破滅でも。
そうして、辿り着いた陸地がもし巨大な亀だったとしても、別にいいじゃないか? だからこそ彼=アメリカSF界の鬼才、ハーラン・エリスン氏はその文章:「リオの波」(1969年)の最後をこの言葉で締め括ったのではないかと、思ったりします。――――“でなければ、だれが好き好んでこんなところまで旅をするだろう……ひとりぼっちになるだけのために?”
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ところで、このページの名前である《宇宙雑音》というのは、(辞書的な意味としては)「宇宙空間から飛来する電波」のことを指します。
しかし、私たちとしては、もっと大きく、パラレルワールドとパラレルワールドの間で取り交わされる、重力波みたいなものを意味している気がします。
よくわかりませんが、でも別にいいのです。パラレルワールドを人と置き換えるとなんだか高尚なことみたいですが、でも、別にいいのです。
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ただ、これだけは言わせて下さい。
――――「このページは、(絶対に)面白い。」
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□団員紹介(P.N.とか、H.N.)□
*gaia-73 1994年生。会長 にされた人。
*須玖鷽孔 1995年生。副会長になった人。
*硲千 1997年生。
*野ヶ宮ノガ 1997年生。(連絡とれず)
*鯨峰狩肴 1997年生。
※サークル名は正確には、“Vulnerability-Noise”と表記します※
【Vulnerability】
①脆弱性。もろさ。無防備さ。そこから転じて“他から影響を受けやすいこと”。
②共同体の成員と異なる徴をもつことによって攻撃されやすいこと。攻撃誘発性。
③レヴィナスの倫理学で、他者が負う傷や苦しみに自分が傷つくこと。
【Noise】
①騒音。雑音。
②電気信号の乱れ。また外部から混入し、通信などを妨害する電気信号。
③(誤データによる)無意味な語。
④《ラジオ・テレビなどの》雑音、画面の乱れ。
⑤周囲の批判的意見。
⑥既存の秩序を破壊し、新しい秩序を生み出す媒介となるもののひとつ。
[引用文献]
・大庭 健『「責任」ってなに?』(講談社現代新書・2005年)
・『本居宣長全集 第四巻』(筑摩書房・1969年)
・ハーラン・エリスン/著,朝倉久志+伊藤典夫/訳 『世界の中心で愛を叫んだけもの』 (ハヤカワ文庫SF・1979年)
・『広辞苑 第六版』[岩波書店]―「ヴァルネラヴィリティー」「ノイズ」「雑音」
・『G4-ジーニアス英和辞典』[大修館書店]―「vulneravility」「noise」
・『カタカナで引ける英和辞典』[三省堂編修所]-「ノイズ」
・『パーソナルカタカナ語辞典』[学研出版]―「ノイズ」