お月見コンパ
主人公:山畑つくし
九月になったが、厳しい残暑が続いていた。でも、セミはもう鳴いていないし、ヒマワリも咲いていない。少しずつ秋へと移り変わろうとしているようだった。相変わらず、ネクタイを締めた大人達が暑さから逃れるように喫茶店に入ってくる。そして、キンキンに冷えたアイスコーヒーをおいしそうに飲み干して、また仕事へと戻っていく。そんな日々の繰り返し…。
一方、方言研究会は毎日が新鮮だった。九月一〇、一一日に全国言語地理学会が東京で開かれたので、私達はスタッフとしてかり出された。スタッフとしての仕事は大変だったが、空き時間に最新の学説を好きなだけ見て回れるのはすごくありがたかった。
また、九月二七日は方言東京都民大会と言うのがあった。これは座って聞いているだけでよかったので楽だった。ここで唐津先生が発言者として独自の方言論を展開されていたので、方研のメンバーは一部、いびきをかいていた不届き者もいたが、ほとんどが真剣に聞いていた。やはり、最近の方言ブームで方言に関心をもつ人が増えており、どちらの会場も大盛況であった。特に方言の本を片手に持った中・高校生が多いのにはびっくりさせられた。
もちろん、通常の方研の活動もきちんと進めていた。九月の方研のテーマは「西日本の方言の分類」であった。様々な調査や協議の結果、まず、九州と中国・四国に分類される。その中で九州はさらに有明海沿岸(福岡・佐賀・長崎・熊本)、大分、宮崎、鹿児島の四つに分けられる。中国・四国は山陰(鳥取・島根)、瀬戸内(岡山・広島・山口・香川・徳島・愛媛)、高知の三つに分けられた。また、大分は瀬戸内地方の影響を強く受けているため、九州・瀬戸内ともに共通する方言をたくさん持っている。これが大分弁の独自性を出していると言う結論に至った。また、香川・徳島弁は関西弁の影響を強く受けており、瀬戸内のカテゴリーでくくるのは難しいと言う意見もでたが、今回は瀬戸内地方の言葉の一種と見なすことになった。
また九月には月見コンパがあった。これは毎年恒例の行事の一つで、一人一品、自分の郷土料理を持ち寄ることになっている。これは方研の方針「方言と文化は一体で学ばなくては身につかない」に従って実施されるものである。
私は毎年、熊本の実家から送ってもらう「からしれんこん」を切って、これを月見コンパに出していた。今年もこれを出すつもりである。
これは江戸時代の熊本に病弱の藩主がいたため、病弱の藩主の体を考えて作り出されたものである。れんこんの穴の中に和辛子をつめて、外に卵を付けて揚げたものである。これを食べたところ、藩主はたちまち体が丈夫になったとされる体にいい食べ物である。
さらに今年は親に無理を言って赤酒一升瓶二本を送ってもらった。赤酒は熊本ではお神酒として正月に使うものである。赤酒はその名の通り、朱色の液体であるため、わざわざお屠蘇を入れなくていいのでとても便利である。最近は料理酒として使う料理店が増えている。
本来、お酒を持ち寄るのはまれであり、一人七〇〇円出して、ビール、焼酎、カクテルなどを買うのが慣例である。しかし、今回は赤酒のことを私がみんなに話したところ、みんなが飲みたいと言ったのでわざわざ用意したものである。
夜になり、サークル棟の屋上で月見コンパが始まった。きれいで丸々とした月が雲一つない空にポツンと輝いていた。空気がよく澄み切っていて、とても気持ちがよかった。
私は最初に山咲君のさつま揚げを食べた。まだ、始まったばかりだったのでビールを片手に食べたが、これは芋焼酎が合うと感じた。後で焼酎片手に食べたいと思う。次に前橋さんの鰹の土佐作り、いわゆる鰹のたたきのことである。これはビールとの相性がとてもよかった。お次は長浜君のシューマイ。これは横浜の郷土料理ということであった。ここでビールがなくなったので、新しい缶ビールを開ける。
それから大津君のねぎぬたを食べた。この料理は深谷ねぎとすりゴマとやりいかを白味噌とみりん、だし汁、酢で味付けしたものだと、大津君は説明していた。これは彼の手作りであった。他にも宝島さんの東京名物・まつりいなり寿司、駒場さんの大阪名物・お好み焼き、豊前さんの富山名物・ブリ大根、亜紀の宮城名物・味噌しそ巻きなど様々な種類の料理があった。これだけたくさんおいしい料理があると、ついつい名月のことを忘れてしまう。みんなが再び月のことを思い出したのはお腹が満たされ、酔いが程よく回った頃であった。
私は亜紀と豊前さんの三人で話していた。そこに大津君と長浜君がやって来た。すると、整形の話から、恋愛するときに外見を重視するのか、それとも内面を重視するのかという話になった。亜紀と豊前さんと長浜君は外見を重視するらしい。私はそういう考え方はあまり好きではなかった。外見というのは心がけ次第である程度よくなるものであるが、いくら努力してもどうにもならない部分の方が多い。その際たるものが身長である。私は一七一もある自分の背に少しコンプレックスを持っていた。一七〇もあれば、自分よりも背の低い男性はたくさんいる。私はそういうことはあまり気にしないのだが、恋人が自分よりも背が高いのはちょっと…と言う男性は意外と多い。高校の頃、初めて付き合った人は私よりも六センチ低いということを異常なほどに気にしていたので結構ショックを受けた。もし、私が男性でこの大きさであるなら、こんなに身長のことで悩まなくてよかったのにとさえ思った。
「やっぱり人間は中身ばい。そう思わんね。だって、外見なんてさ、骨の形とか脂肪のつき具合とかの組み合わせに過ぎんとよ。そんな偶然の産物で、私は人を判断したくない」
少し言い過ぎたのかもしれない。さっきまで理想の外見について色々と話していた三人が急に黙り込んでしまった。他のグループの会話がよく聞こえた。私は何か言わなくては…と適切な言葉を探すがうまく見つけられなかった。
「山畑さんがそんなことを言うとは思いませんでした。そういう考え方の人が一人でもいてくれると僕みたいなチビでも、もっと自信を持って生きてもいいんだなと思えてきます。確かに人間、中身が肝心ですよ。でも、人間の中身なんてぱっとわかるものではないんですよね。もちろん、外見も中身もいい人間がいれば何の問題はないんですけど…」
そのとき、大津君が言ったことでみんなが笑い出した。私も一緒になって笑った。彼は私に助け舟を出してくれたのか…それとも、ただの偶然か…それはわからない。しかし、私はどちらにせよ救われたことに変わりなかった。そのとき、なぜか心がときめいた。
「大津君、何言っているの。そんなね、外見も中身もいい人間なんてめったにいないのよ。そんな人がたくさんいれば、外見を取るか、中身を取るかなんて会話する必要なんかないはず。でも、人間は何か一つ優れているものを持ったら、必ずセットで何か一つ劣っているものを持ち合わせているものよ。だから、外見を取るか、中身を取るかという問題に私達は常に直面するのよ」
亜紀が大津君をからかうように言った。そのとき、急に冷たい風が吹き始めた。携帯画面を見て、もう日付が変わったことを知る。そろそろお開きだ。
「さて、そろそろお開きにしようか。みんなで片づけをしよう」
渕山君が言ったので、みんなで片づけをして月見コンパはお開きになった。私は片づけをしながら、もっと大津君と話をしたい衝動に駆られた。
片づけが終わった後、彼を誘って再びサークル棟の屋上に上がった。さっきまでのざわめきが嘘のように静まり返っていた。静かな屋上で二人きり…。合宿のときのことや、今さっきのことが頭の中で駆け巡る。私が今やっていることは、ただ大津君をからかっているだけかもしれないし…、それとも…。