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あとぜき!  作者: あまやま 想
1年目
4/26

夏空と七変化

主人公:山畑つくし

 七月は前期試験があるので、いつもなら毎月五・一五・二五日前後にある方研が一・六・一一日に行われていた。内容も事前に予習が必要なものから、予習がほとんど必要ないものに変わる。七月一回目はいつも世界の言語と日本語の関係について三年生が一年生に教える形を取る。私達が先輩から学んだことを後輩に教えるだけであり、いつもみたいに文献やインターネットをいじくり回す必要はない。

 七月二回目は面白方言発表会がある。これは日頃、様々な調査をしていく中で見つかった面白い方言を一人最低三個発表していくものである。私は「きそたれけつ」と「てらてらあめ」と「ちんちんどうし」の三個を紹介した。それぞれ「へっぴり腰」という意味であり山形で使われる言葉、「天気雨」という意味であり奈良地方で使われている言葉、「親友同士」という意味で熊本・天草地方で使われる言葉である。「ちんちんどうし」という言葉を説明しているときに数名がクスクスと笑っていた。どうせ、変なことでも考えているのだろう。方言は常に敬意を持って扱われなくてはいけないというのに…。

 他の人が扱った方言の中で一番印象に残ったのは大津君が発表した「せっちん生まれ」である。これは「戸を閉めるのをよく忘れる者」という意味であり静岡で使われる言葉である。「あとぜき」とほぼ反対の意味を持つ言葉である。それがとても面白い。方言の勉強なんかしていなかったら、熊本弁と静岡弁を同時に知ることはなかっただろう。両方を知ったことで今まで対を持たなかった「あとぜき」という言葉が、私の頭の中で一対の言葉になった。

 七月三回目の方研は夏合宿の話し合いがあるだけだった。話し合いの結果、合宿は八月二四日から二八日までの五日間で行われることになった。場所は江ノ島で唐津先生から講義を受けたり、ゼミ形式の話し合いをしたりすることが中心になる。この日は久々に唐津先生が来て、先生の予定を確認したうえでこのような形となった。もちろん、自由時間もたっぷりある。海で泳ぐこともできるし、みんなで花火や肝試しをする時間もある。

 この頃になると、一年生が急に大学生らしくなる。四月に高校生ぽさを残していた彼らも大学に入って二・三ヶ月もすれば、髪を染めたり、化粧の仕方を染めたり、あか抜けた服を着たりするようになる。

 私も一年生の頃、髪を栗色に染めることや化粧の仕方を覚えた。タバコもこのころ覚えた。今は髪を傷めたくないので、髪にウェーブをかけるだけだけど、化粧はあの頃よりも上手になったと思う。

 駒場さんの大変身はすごくて、一時期、方研の話題を独占していたぐらいである。宝島さん、前橋さんも最近、化粧の仕方を覚えてきたようである。また、男性も少しずつ変わってきている。大津君は髪を茶色に染めたし、山咲君はひげを生やすようになった。長浜君は黒縁メガネからしゃれたメガネに変えてから、かっこよくなったような気がする。

 前期試験期間に入ると、しばらく方研のメンバーとも会うことがなかった。この頃になって、ようやく梅雨が明けた。図書館で勉強していると、夏空がとても恨めしく思えた。

 そう言えば試験が終わったら、大津君が高校時代の友人とルームシェアをして大学の近くで生活すると言ってたな。一人暮らしはお金がかかるからダメだと言われていたらしいが、ルームシェアによって家賃が抑えられることから状況が変わった。また、いきなり一人暮らしだと親も不安だが、誰か一緒だと安心するのだろう。

 私が熊本から東京に出てきたとき、いきなり一人暮らしさせることは不安と言うことで、入学してからの一年間は学生寮に入っていた。その後、寮を出てから大学の近くで一人暮らしを始めた。私にもそんな時期があったなと懐かしく思った。

 やがて、試験も終わった。外には夏空が広がっていた。外に出ると地面からの照り返しがとても強かった。少年とヒマワリだけが元気よかった。私は喫茶店「マリーアントワネット」でバイトをしていた。あまりの暑さにネクタイ姿の大人達がクーラーのよくきいた部屋に飛び込んできた。そして、アイスコーヒーかアイスティーを頼む。私はそれをカランカランと音をたてながら、客席まで持っていく。程よく汗をかいたグラスはよく冷えていて、外で汗をかいた人の喉を潤す。こんな光景を見るのも今年で三回目になる。

 一年の夏、私はお金がなくて途方にくれていた。次の仕送りまでまだ半月もあった。必死になってバイトを探していたときに見つけたのがこの店である。時給千円と言うのは東京でも高い方であったので、ここに決めた。それから二年が経ち、バイトの中ではトップになっていた。店長から新入りのバイトの指導を任されるようになった。何でもそうだが長く続けていくと、待遇がよくなる代わりに責任が重くなる。いつまでも新人のままでいられたら、どんなに楽だろうか…。でも、世の中はそんなことを許してはくれない。

 八月に入った。八月は盆や合宿の関係で方研は六日の一回しか行われない。しかも、合宿に関する説明や班分けについての話し合いであった。合宿には現役で活動している三年以下が参加する。班は三つに分けて、出身地のバランスを考えた上で縦割りになっている。今年は三年生が一人ずつ、二年生が二人・二人・一人、一年生が二名ずつに別れることとなった。A班には会長の渕山君、二年は柿野君・御坊さん、一年は長浜君・宝島さんの五名が割り振られた。B班には会計の竹山亜紀、二年は杉田君・豊前さん、一年は山崎君・駒場さんの五名が割り振られた。C班には副会長の私、二年は五木君、一年は大津君、前橋さんの四名が割り振られた。班ごとに一つのテーマを決めて、最終日に発表しなければならない。このメンバーの振り分けを見て、唐津先生はそれぞれの出身別にバランスよく割り振られていていいだろうとおっしゃっていた。

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