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あとぜき!  作者: あまやま 想
1年目
12/26

もっと要領よくやっていきたいのに…

主人公:大津武

 三月最初の金曜の晩、方言研究会の追い出しコンパが行われた。場所はいつもの「赤奈来」。僕は追いコンに初めての参加となる。方研の追いコンは激しいと先輩からよく聞かされていた。聞かされた通り、かなり激しい。まず、このときに限り無礼講が許される。卒業生は後輩が勧めた酒を必ず飲み干さなくてはいけない。そのうち、先輩・後輩に関係なく酒の飲ませ合いになる。いつもなら、酒が弱い人に対しての配慮があるのだが…。僕は一次会が終わる頃にはすでにベロンベロンになっていた。その後の記憶は全くない…。

 翌朝、頭の中でつるはしを持っている人が暴れまわっているような激しい頭痛で目が覚めた。胃もムカムカする。しばらくすると胃が激しくせり上がってくる嫌な感触がした。これはやばいと思い、急いで重い体を引きずりながらトイレに駆け込んだ。便器に向かって吐けるだけ吐いた。そのとき、誰かが背中をさすってくれた。

「大丈夫か? 昨日はすごかったみたいだね。山畑さんと会長さんと他数名で酔いつぶれたお前を部屋まで運んでくれたんだよ。後でお礼を言っておけよ」

 亀池が言ったことに対して、僕はうなずくので精一杯だった。情けないことに便器にもたれかかったまま、起き上がれずにいた。

「おい、しっかりしろよ。まったく、世話の焼ける奴だな…」

 そう言って、亀池は僕を肩にかついで部屋まで運んでくれた。僕は小さな声で「ありがとう」と言うのがやっとだった。彼は僕をベッドに寝かせた後、ソルマックを買いに行った。これぞ、ルームシェアのいいところである。一人暮らしならどうなっていたことやら…。

「おい、ソルマックを買ってきたぞ」

「ああ、すまんね…。ありがとう。財布はズボンに入ってるから、そこから代金を取ってくれ…」

 そう言うと、彼はソルマックの代金を取った。僕はやっとの思いで体を少し起こしてソルマックを体に無理矢理流し込んだ。そのとき、彼は思いがけないことを言い出した。

「大津、明日の夜とか空いてない?」

「空いているけど…どうしたの?」

「ちょっと話したいことがあるんだ…」

「別にいいよ。看病してくれた人の申し出を断ると悪いだろう…」

 僕がそう言うと、彼は何事もなかったかのように僕の部屋から静かに出て行った。


 次の日、やっと二日酔いが治った。前日、一日中死にかぶっていたのが嘘のように元気になった。昼間はつくっちゃんの所へ行った。まず、酔いつぶれたときに介抱してくれたことのお礼を言った。すると、彼女の口から信じられないことを聞かされることになった。

「武が突然抱きついてくるから、私びっくりしたとよ。あんたは覚えとらんかもしれんけど、みんなからさんざん冷やかされたんだけんね」

 僕は言葉を失った。ただ謝ることしかできなかった。記憶を失うということがこれほど恐ろしいと言うことを僕は身を持って体験した。

 夜、家に帰ると亀池が夕食を作り終えて、僕の帰りを待っていた。彼は僕と違って、料理を作るのが上手だった。シチューのいい香りがする。僕は手を洗って席に着く。そして、一緒に食べる。シチューが実においしい。僕はシチューを二杯もおかわりした。やがて、お互いの腹が満たされた頃に亀池が切り出してきた。

「加与のことなんだけどさ…あいつ、お前のことが好きになってしまったみたいなんだよね。三日前にそのことを相談されて…。でも、大津には付き合っている人がいることをちゃんと伝えたよ。でも、あいつ…そんなことを全く気にしてないんだ。俺はどうしたらいいのか…まったくわからなくなってさ…」

 しばらくは黙って聞いていたが、亀池は要点のない昔話をダラダラと続けるだけだった。

「実はお前との友情と、加与との愛情の板ばさみにいつもくるしんでいたのかもしれない…。今ならはっきりそう言える」

 しまいにはこんなことまで言い出したので、とうとう僕も我慢できなくなって、机を思いっきり叩いてしまった。

「つまり、何が言いたいんだよ。そんな昔のことをいつまで引きずるつもりなんだよ。そんな話を続けるなら、俺はもう部屋に戻るよ」

「ごめん…気を悪くさせてしまって…。でも、今このことを相談できるのはお前だけなんだよ」

 彼はそう言って悲しそうな目で僕を見つめていた。よく考えてみれば、彼も島崎さんに振り回された人間の一人だ。彼と協力して、この問題を解決した方がいいと感じた。そこで亀池と島崎さんが別れてから、島崎さんが僕にどんなことをしてきたかを話すことにした。もちろん、彼女が亀池に対して、どう思っているのかも話した。

「そうか、加与はそんなことを言っていたのか…。確かに世の中には恋愛と名誉の両方を要領よく手に入れる人もいるけど、俺はそうじゃなかった。どっちも中途半端になってしまって、このままじゃいけないと思ったんだよね。だから、大学ではとことん弓道と向き合おうと決心したんだ。あいつだって教師になるために頑張るって言ってたから、お互いに励まし合っていたのに…。いつからか、すれ違っていたんだよね。結局、俺は一つのことにしか専念できないけど、あいつは常に恋をしていないとダメってことかな…」

 日々の生活に常に恋愛があると他のことがうまくいかなくなる人と、逆に日々の生活に常に恋愛があると全てがうまくいく人との溝は思った以上に大きい。お互いにうまくいっている間はいいけど、一度すれ違い出したら前者と後者の溝はどんどん深まっていく。でも、そんなことを気にしていたら恋なんかできない。

「僕は今をとにかく大切にしたい。過去に引きずられることなく、未来に過剰な期待をすることもなく、今を精一杯楽しく生きたいんだ」

「お前、いいことを言うなあ。やっぱり、年上と付き合いだしてから変わったよね…。考え方とか、しぐさとかが大人びた感じがする。酒を飲んだ後は相変わらずだけどな…」

 そう言いながら亀池は笑っていた。僕も彼につられて笑った。彼が急に変なことを言うので、とてもくすぐったくて恥ずかしい。別に年上と付き合うから成長するわけじゃなく、恋愛を経験することが人を成長させるんだと思う。


 三月一五日、三月二回目の方研の活動日であった。この日は役員引継ぎが行われた。この日をもって、三年生が現役を引退することになる。今後は卒論や就職活動に専念することになる。会長は渕山さんから豊前さんに、副会長は山畑さんから柿野さんに、会計は竹山さんから玉木さんにそれぞれバトンタッチされることになった。これからは新三年生を中心に方研は活動していくことになる。

 一年生は四月に入ってくる新入生を一人でも多く、方言研究会に入れるためにみんなで話し合いをした。僕はこの一年を振り返ってあっと言う間だったなぁと感じていた。四月からは新二年生になると言う事はわかっていたが、未だに実感がわかない。

「ちょっと、大津君ボーッとせんとしっかり考えてや。新入生が入って来んと、私らが苦労するじゃん」

 駒場さんが僕を制した。彼女はこの一年間で大きく変化した。入学した頃はビン底メガネをかけ、こてこての大阪弁を話していた彼女も、今ではコンタクトで大きな瞳をパッチリさせて元来の美しさを強調し、大阪弁の勢いはすっかり弱まった。一年足らずでかなり東京の色に染まった駒場さん。なんだかんだ言って彼女に一番大きな影響を与えたのは横浜育ちの長浜だろう。この二人が付き合っていることは方研のみんなが周知していることである。一年というのは過ぎてしまえばあっと言う間であるが、人を変えるには十分な時間である。

「駒場のいう通りだぞ。俺らも二年になるからしっかりしないと…。頼むよ。大津君」

「ああ、わかっているよ。何も二人で言わなくてもいいだろう」

 そうやって、駒場さんが言ったことに対して、長浜はさりげなく援護射撃をしてくるのであった。もちろん、これは冷やかしのネタになる。しかし、二人は嫌がらない。むしろ、喜んでいるフシがある。

「もう、こんなときにさりげなくいちゃつくのはやめてくれないかな? まったくこれだから付き合っている人達は…」

 山咲はなめらかな口調で二人を冷静にたしなめた。入学した頃は鹿児島弁独特のイントネーションで聞き取りにくかった彼の口調も、今ではすっかり癖が抜けた。黒ぶちメガネの少年は、今や東京じこみのファッションにこだわる大学生になった。

 宝島さんと前橋さんはかなり仲がよく、二人でよく行動しているようである。何でも、宝島さんが高校時代から付き合っていた彼氏と別れたときに、前橋さんが親身になって相談に乗ってあげたことがきっかけで親友になったそうである。

 本当、この一年間いろいろあったなあ…。二年生になったらどうなるのだろうか…。


 三月も終盤にさしかかり、だいぶ暖かくなってきた。このところ、就職活動で忙しい彼女は各地で行われる就職説明会に参加するために、毎日スーツで身を固めて歩き回っていた。そのため、喫茶店のバイトを辞めてしまった。時には大阪や九州などの遠方にも行くために何日も家を空けることがあった。そんな時、彼女から久しぶりに暇ができたから会おうと連絡が来たのである。

 つくっちゃんと会うのは十日ぶりだったから胸をワクワクさせながら、彼女の家に向かうと彼女はまだいなかった。そう言えば、卒論の打ち合わせがあるから遅くなるって言ってたな…。そこで『着いたよ』と彼女にメールを送っておいた。でも、メールは戻ってこなかった。五分ほど待っても彼女が戻ってくる気配がないので、近くのコンビニで立ち読みをして時間をつぶすことにした。この日は「マガジン」の発売日だったので、「マガジン」を読みながらメールの返信が来るのを待っていた。しかし、「マガジン」を読み終わっても、彼女からのメールは来ることはなかった。もう、五時を過ぎていた。そこでふと携帯を見てみると、なんと携帯の電源が切れていたのである。

 これはやばいと思い、急いでつくっちゃんの家に駆けつけた。家の前の自転車置き場には彼女の自転車があったので、彼女が家に帰っていることがわかった。

 家の前に着いたので、ベルを鳴らした。しかし、彼女は出てこない。もう一度鳴らした。まだ、出てこない。もう一度鳴らした。まだ出てこない。ドアに耳を当ててみるとかすかに足音がした。僕は何回もベルを鳴らした。ようやく、彼女が出てきた。

「どうして、携帯の電源を切ったと? 確かに約束の時間に帰らなかった私が悪いけどさ。でも、だけんって言って携帯の電源を切ることないじゃない…。武にはわからんかもしれんけど、卒論の打ち合わせを先生ときちんとしとかないと四年になってから苦労するとよ。その上、就活で私は忙しいのよ。そんなこともわかってくれないの?」

「違うよ。携帯の充電が切れたんだって。あそこのコンビニでマガジンを読みながら、つくっちゃんから連絡が来るのを待っていたんだよ。でも、いつまで経っても連絡が来ないから、おかしいと思ったら、携帯の充電が切れていることに気付いてあわててここに来たんだって…。別に怒って、携帯の電源を切ったわけじゃない」

「何で携帯をちゃんと充電しとらんと。それにもし、充電が切れそうだったら、ここで待っていたらよかったのに…。せめてさ、待ってるだけでなくて、コンビニにいることぐらい伝えてよね。まったく…」

「何だよ。それじゃ、俺が全部悪いみたいじゃないか。何か、もう嫌になってきた。もう、帰る」

 本当は久々につくっちゃんと会えることを心から楽しみにしていたのに…。どうして、こんなささいなことでケンカしたんだろう。お互いにちょっと相手のことを思い、自分の非をきちんと謝ることができれば、こんなことにはならなかったのに…。自分の力のなさを痛感した。

「じゃあ、もう帰ればいいじゃない。私よりもマンガがいいんでしょ」

 バタンと勢いよくドアが閉められた。もう、外は真っ暗になっていた。日が落ちると急に冷え込みだした。この寒さが体にも心にも響いた。家に着くと、亀池はまだ帰ってなかった。一人だと寂しい。

 何であんなことになったんだろう…。今さら後悔しても仕方ない。まず、携帯の充電をしよう。それから、つくっちゃんにお詫びのメールを送っておこう。翌日、直接会って今日のことを謝ろう。

 しかし、彼女は翌日から熊本に帰省してしまった。何でも九州での就活を進めるために実家に帰ると言うことだった。僕はそのことをすっかり忘れていた。つくっちゃんはいつ帰ってくるのかな…。

 このころ、方研では創設以来初となる大方針転換をしていた。会則の「大阪弁を第二共通語として扱う」という部分を削除し、他の方言と対等に扱うことになった。また、共通語も他の方言と対等に扱うこととなった。

 きっかけは三月三回目の方研のときに、唐津先生が最新の方言学会や言語地理学会の動きに合わせる必要があると言ったことである。また、新会長になった豊前さんが「最近の学会の研究成果からすれば、会則変更は避けて通れない」と考えていたことから、四月の活動は「会則変更について考える」になっていた。唐津先生が突然やって来たのもそれと関係があるようだ。

 四月の活動は方研の会則変更に費やされた。これは方研の根幹に関わることなので、四月末まで続けることとなった。また、活動方針も方言地図が首都圏と大阪圏を除いてほぼ完成したことから「方言地図の作成」は削除されることになった。二一世紀にふさわしい新しい活動方針をみんなで作ることが決定した。

 四月一〇日の臨時方研では新方針について話し合いをした。様々な意見が出た。この日も唐津先生が忙しい中いらしていた。少なくても今後一〇年、二〇年に影響を与える活動方針である。顧問として責任をもって見届けたかったに違いない。

 五時間に及ぶ話し合いの末、ようやく全体の意見がまとまった。最後に会長の豊前さんが新活動方針を読み上げた。

「現在の日本において、方言と共通語の位置付けはあいまいとなっている。誰一人として完璧にある地方の方言を使いこなせる者もなく、また誰一人として完璧に共通語を使いこなせる者もいない。その中で我が方言研究会は全国に至る所に存在する方言と共通語を対等に扱い、それぞれの機能と役割を明確にし、時代にあった研究・調査を進めていくことをその存在目的とする」

 それぞれの主張のいいところだけをまとめたにも関わらず、かなり長々としたものになってしまった。本来、方針と言うのは短い方がいいと思うのだが…。ほとんどの人はせっかく後世に残すんだから立派なものを作ると主張するので、法律文のような堅苦しいものになってしまった。

 僕は翌日、つくっちゃんが大学に戻ってくると本人から聞いていたので、もはや活動方針なんてどうでもよかった。ようやく、九州での就活が一段落するらしい。

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