05/04 暗がりのおじさん
眠れないなら、こんな話を聞かせてあげよう。
あれは子供の頃、君と同じ小学校二年生の時だ。当時の僕は、父さんの仕事の都合で、福島のお爺ちゃんの家に暫く預けられていた。お爺ちゃんの家は山深いところにあって、それはもう、絵に描いた様な田舎にあった。
転校先は小さな学校で、全校生徒を合わせても数十人しか居ない。想像も付かないだろうけど、一年生から三年生まで同じ教室だった。東京からの転校生は珍しがられて、最初こそは年下からも年上からも人気だった。でも僕は、男の子より女の子と趣味が合ったし、東北弁で楽しそうに喋る他の子に付いていけなかったから、次第にいじめを受ける様になっていった。
夏休み前のある日、三年生のガキ大将がこう提案したんだ。
「肝試しをしようぜ!」
三年生と二年生のわんぱく連中、五人が賛成した。普段は仲間外れにする僕も、このグループに入れられてしまった。それだけで嫌な予感を感じた、と言うか、悪い出来事が起きるのを確信していた。今も昔も怖いものは大の苦手だけれど、僕に断る権利は無かった。
肝試しと言っても、夜にはやらない。田舎の夜は本当に足下が見えないくらい真っ暗で危ないし、何より親に怒られるのがおばけより怖いからだ。
それで、その日の放課後、早速決行された。悪ガキ達に引き連れられて、山道を上っていく。日はまだまだ高いところにあったけれど、森の中は薄暗く、その時点で不気味に感じていた。一方、他の子供達は慣れた様子でずんずん進んでいく。
目的地に到着した時、僕は息を呑んだ。そこは古い小さなお社だった。長年放置されている様で、周囲は茫々に雑草が囲んでいるし、注連縄は殆ど腐っていて紙垂はもう跡形も無い。
肝試しのルールは、その社の中に入り、奥にそれぞれの石を置き、前の人の置いた石を拾って戻る、というものだった。それなら誰かがズルをしても次が気付く。
一番手は、予想通り僕だった。早く行けよと急かされて、遠巻きに見守る子供達を何度も振り返りながら、お社の戸口に立つ。格子戸から中をチラッと覗き込んだけれど、光は全く差し込まず、すぐ目の前が真っ黒に塗り潰されていた。両開きの戸は施錠されていない。思い切って恐る恐る開くと、砂埃と腐った木材の臭いが鼻を突いた。
戸を開いても、中はやっぱり暗い。木漏れ日が、煤けた色の床を薄い四角に照らし出したけれど、奥の方までは目を慣らしたって見えそうになかった。そんな所にまで踏み込んでいって、石を置かなくちゃいけない。足がすくんだ。
突然、ドンと強く背中を押された。それをやったのはガキ大将だった。お社の中に突き飛ばされて、あっと気付いた時には戸が閉められていた。何やらガチャガチャする音と、子供達の笑い声がする。
僕は閉じ込められていた。外から太い枝で閂がされて、押しても叩いても、戸はびくともしない。
「日が落ちる前に出してやるよ」
とガキ大将が言う。そして、みんなで手を叩き合って、僕に背中を向けて行ってしまった。呼べど叫べど、立ち止まりもしてくれなかった。
僕は泣き叫んだ。格子戸を掴んで、何度も何度も揺すった。古くて半ば腐っていてボロボロの戸だったけれど、僕みたいな子供にとっては頑丈すぎた。戸に張り付いて、動けなくなった。だって、ちょっとでも後ろを振り返ったり引き下がったりしたら、すぐそこには真っ暗闇がある。怖くて怖くて堪らなかった。
僕の声は誰にも届かなかった。山の中に用事のある人なんて居ない。段々、怖さと寂しさとが胸に充満していって、涙も出なくなっていった。かわりに出てくるのは言葉にならない金切り声だ。
このまま僕はここで死んでしまうのかも知れない。子供心にそう思い始めた頃、不意に、誰も居ないはずの後ろから声がする。
「うるせえな」
驚いた。心臓が口から飛び出して、宇宙まで飛んでいくんじゃないかってくらい、驚いた。そして、よせば良いのに思わず振り返ってしまったんだ。
だけど、お社の中は真っ暗で、何も見えない。もしかしたら空耳だったのかも、と思えたら良かったのに、続けて声がする。
「こっちは寝てんだぞ、ギャーギャー喚くな」
やっぱり、誰か居る。居るとしたら、狭いお社なんだから、すぐ傍に居る。僕は無我夢中で戸を叩いた。出して、ここから出して、と叫んだつもりだったけれど、それはたぶん声になっていなかった。
「だから、うるせえって。何も取って食ったりしねえよ」
そう言って、その誰かはあくびをした。おばけにしてはのんびりした様子で、口調は荒いけれどそう悪いものでもなさそうだったから、きっとホームレスだと思った。
「ガキってのは、えげつねえ事を平気でするから嫌いなんだよなあ」
ホームレスのおじさんはそんな事を言う。やっぱり怖い人なのかも知れない。そう思いながら、恐る恐る、いつから居たのか尋ねてみた。
「ずっとだ、ずーっと」
おじさんはそう答えた。
「ここから出たいって言われてもなあ、悪いがおれには手伝えねえよ。ここんとこ力が出ないから、ずーっと寝てんだ、ずーっと」
暗がりでハハハと朗らかに笑った。お社の中で少しだけ空気が動いた。
「まあ、クソガキもいずれ戻ると言ってる事だ。気長に待ってりゃいいさ、気長に」
おじさんは言葉通り悠長な口振りでそう言った。
「立ってたら疲れちまうし、こっちも落ち着かねえ。ま、そこに座ってろ。ああ、でも蛇には気を付けろよ」
最後に付け加えられた一言で、僕は立っている事に決めた。
僕とおじさんとはそれっきり話をしなくなった。何と声を掛けて良いか分からなかったし、また寝ているところを起こしたら申し訳無いと思って。
時間はとても長く感じられたけれど、確実に進んでいた。段々太陽は傾いていって、約束の夕方が近付いてきた。格子戸の外の明かりは無くなっていったけど、逆に希望が涌いてくる。
でも、期待は見事に裏切られる事になった。外が暗くなっていったのは、日が落ちていくのと同時に、空が俄に曇りだした所為でもあった。とうとう、雨が降り出してしまったんだ。
七月とは言え、東北の方ではまだ梅雨明け前。雨模様は瞬く間に土砂降りになった。ザーザーという雨の音が、胸を掻き毟るみたいだった。
そして、僕を閉じ込めた奴らは、戻って来なかった。後から聞いた話だと、外で遊んでいる所に俄雨が来て、みんな急いで家に帰ってしまい、僕の事をすっかり忘れてしまったらしい。まったく、酷い話だよ。
「来ねえなあ」
おじさんがぽつりと呟いた。どうやら起きていたらしい。僕は、どうしよう、と訊いた。
「どうしようたって、どうしようもねえよ」
大人にそう言われてしまったものだから、僕は絶望的な気分になった。
ただじっと待ち続けて、ついに夜になってしまった。外もお社の中と変わらず真っ暗になって、もう何一つ見えなかった。雨の音と、埃だらけの床の手触りだけがそこにあった。でも、
「おい、大丈夫か。寒くねえか」
そうおじさんが何度も話し掛けてくれるだけで、とても心強かった。
助けが来たのは夜の九時くらいだった。警察や街の自治会の人達が、総出で僕を捜し回ってくれていたけど、まさかお社に閉じ込められているなんて、気付くのが遅くなったらしい。
怖かっただろう、と制服のお巡りさんに言われて、僕はおじさんが付いていてくれたから大丈夫だ、と答えた。えっ、と顔をしかめたお巡りさんが、懐中電灯をお社の中に向けると、お社の奥の壁まではっきり見えた。
お社の中はがらんどうで、誰も居ない。勿論、正面の格子戸以外出入り口は無い。お巡りさんが他の人達に、誰か見なかったかと尋ねたけれど、みんな一様に首を傾げた。
僕がお爺ちゃんの家に帰ってすぐ、五人の悪ガキとその親が謝りに来た。五人はみんなこっぴどく叱られたらしく、泣きじゃくっていたよ。
それから、僕へのいじめはぱったりと止んだ。寧ろ、あんな酷い目にあってケロッとしていたから、すごい奴だと思われていたみたいだ。
おじさんの話は、もうそれっきり誰にもしなかった。あの不思議な体験は誰も信じてくれないだろうし、また変な奴だと思われるのもイヤだったから。
それから夏休みが明ける前に、父さんの仕事が一段落付いて東京に帰る事になったけど、それまでの間に何度もお社に行った。けれど、おじさんは何度呼び掛けても返事をしてくれなかった。
何年もして、僕が大人になった頃、お爺ちゃんが亡くなって、お葬式の時お祖母ちゃんにお社の事を訊いたんだ。そうしたら、あの年の冬に、雪の重さで潰れてしまったらしい。それほど雪の酷い年じゃなかったし、まだまだこれから降るぞって頃の出来事だったそうだ。
それを聞いて、家に帰ってすぐ、神棚を置いた。ほら、あれがそうだよ。きっと今頃、おじさんは住むところが無くて困ってるだろうと思って。
でも、たぶん、あそこにおじさんは居ない。だって、あんな小さい中じゃ窮屈で寝られないだろう?
きっと、おじさんはまたどこかの暗がりで眠ってるよ。それで、また誰かが怖くて寂しい思いをした時に、「うるせえな」って、優しく話し掛けてくれる。
だから、もう寝なさい。
おやすみ。
一日一話・第四日。
今回はほんわか不思議系で。
昔書いた話を新たに書き直し。こんな調子でいつまで続くやら。