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before the grassy plain of ransiel

 イリト村から王都へは熟練した旅人でも四日は歩かなければならない。

 旅に慣れていないアリスの足では、最低でも六日は見ておいた方がいいだろう。

 途中に物資の補給ができるような街も存在するが、そこまで辿り着くのにもアリスの足では二日はかかる。

 問題となるのは距離ばかりではない。

 イリトは辺境の村であるので、十分に街道が整理されておらず、最寄りの街にたどり着くまでにランシール草原を越えなければならないのだ。

 ランシール草原とは、王都ランシールを中心とした土地のうち、背の高い草が生い茂っている平地を指す。

 背の高い、といっても成人の太もも程度の高さであるので、視界が遮られるほどではないのだが、この草原には厄介な生物が住み着いている。


 アリスは今まさに、その生物に包囲されつつあった。

 姿は見えないが、草をかき分けて駆ける音が四方から聞こえる。

 生物の正体はランシールウルフ、ランシール草原を根城とする狼である。

 灰緑色の体毛が特徴的なその獣は、狼としてはかなり小型の部類であるものの、その小ささはこの草原では利点となる。

 草が彼らの体を覆い隠してしまうので、相手に悟られずして接近することができるのだ。

 その体毛の色も手伝って、草が緑色の時期にランシールウルフの接近を感知するは至難の業であるとされている。

 他の狼の特性に漏れず、群れで狩りを行うため気付いた時には囲まれていた、などということも珍しくない。

 

 姿が見えない以上、囲まれた際に頼りになるのは音である。

 アリスは草が風にざわめく音に混じって聞こえる、狼たちの足音に耳を澄ませた。

 狼たちはしばらくの間、アリスから一定の距離をおいて円状の包囲網を崩さずにいたが、アリスがいつまでも動かないことに焦れたのだろうか、徐々に包囲網を狭めてきたようだ。

 狼が動きを見せると、アリスも動く。背に携えたショートソードを抜剣し、呟くようにして魔法の詠唱を始めた。

 狼たちも警戒しているのか、未だ襲いかかるそぶりは見せない。

 やがてアリスが詠唱を終える。

 しかし、その場にこれといった変化は起こらなかった。

 アリスは目を閉じて動かない。再び狼の足音に集中しているのだ。

 やがて先ほどまでの駆ける音とは明らかに違う、跳躍の音が確かにアリスに耳に届いた。

 一頭の狼がアリスの背後から飛びかかってくる。

 それに対してアリスはろくに狙いも定めずに、背後を振りむき剣を振るった。

 するどい剣閃が風を切る音がした。

 しかし相手の位置すら確認せずに振るったその一閃が、野生の狼に当たるはずもない。

 剣は空を切り、あわや狼がアリスの首筋に喰らいつかんとしたそのとき、狼は突然強い力に吹き飛ばされて宙を舞い、地面に叩きつけられた。

 アリスの剣はかすってすらいなかったはず、吹き飛ばされた狼は、訳もわからぬままに意識を手放したことだろう。


 強い力の正体は、爆発的な突風。まるでアリスの剣筋に追従するようにして、局所的な暴風が吹き荒れたのだった。

 アリスが詠唱した魔法は、風の元素をその場に顕現させるためのものではなく、自らの武器に留まらせるためのもの。

 単純な風魔法を応用し、自らの武器を我流の魔法剣としたのだ。


 狼たちは一頭が吹き飛ばされて怖気づいたのだろうか、いつのまにか包囲を解いており、既にその足音は聞こえなくなっている。

 アリスが安堵のため息をつこうとしたその時、再び草を揺らす音がした。

 まだ残党がいたのか。

 アリスは咄嗟に距離を取り、音の聞こえた方へ剣を構える。

 アリスの予想に反して、そこにいたのは一人の青年だった。


「ブラボー!」


 賞賛の言葉を告げながら、青年は両の手を打つ。

 年齢は二十歳前後といったところだろうか、口元に短い髭を蓄えている。

 頭には黄色いターバンを巻いており、羽織っているローブも黄色と、全身を同色で統一している。何かこだわりでもあるのだろうか。

 腰に曲刀を携えており、背には革袋を背負っている。

 見た目は冒険者のように思えた。


「素晴らしい!今のは魔法剣でしょう。実際に使っているところを見たのは初めてだ。

 君はエヴェリオン出身の人なのかな。」


 エヴェリオンとは大陸の極北にある魔法学園都市のことである。都市そのものが魔法学園を中心として形成されており、王室に仕えるほとんどの魔術師はこの学園に在籍していた経歴を持つ。

 無論、こんな片田舎にエヴェリオン関係の人物などいるはずがない。

 先ほど青年が言った、エヴェリオン出身なのか、と問う言葉は、相手の魔法を褒め称えるときの半ば定型文のようなものなのだ。


 アリスはそういった知識も学んでいるので、真面目に返答することなどせず、小さく鼻で笑うだけだった。

 剣はまだ納めない。相手が得体のしれない者である限りは、警戒を解いてはいけない。


「そんなに警戒しないで下さいよ。その格好からして、あなたは冒険者さんですかね。」

「未来の、がつくけどね。あなたも同業者なのかな。」


 青年はアリスの言葉に一瞬きょとんとした後、すぐに笑い始めた。

 まるでアリスの言葉が全くの見当違いであると言うかのように。

 青年は楽しそうに笑っているが、笑われているアリスは気分のいいものではない。


「何がそんなにおかしいのさ。」


 アリスが少し怒ったように言うと、青年はようやく笑うのをやめ、目じりを拭いながら謝意を述べる。


「あはは、すいません。ただ確かに今の私の格好を見ると、冒険者にしか見えないな、と思いまして。私はあなた方のような勇敢な人達とは全く異なる人種ですよ。この荷物の少なさからでは信じていただけないかもしれませんが、私は定めた順路を行き来するだけの行商人ですよ。まだまだ駆け出しですけどね。」


 そう言って青年は背の革袋から、一回り小さな革袋を取りだし、アリスにその中身を見せる。中には袋一杯に塩が詰まっていた。


「ここよりもずっと南東に行ったところに、塩を安く売ってくれる村があるのです。私はそこで仕入れた塩をこれから王都に売りに行こうとしてるんですよ。これっぽっちの量ですけど、買おうと思ったら結構な値段になるんですよ。」


 青年は人の好さそうな笑みを浮かべて、聞いてもいないことをダラダラと喋る。

 この手の人間は、あまり信頼できる人種ではないが、少なくとも敵意はないらしい。

 そう判断したアリスは、ショートソードを鞘に納め、改めて行商人に向き直る。


「それで、その行商人さんが何の用かしら。何か売りつけようと思って寄って来たのなら、あいにくだけど入用のものはないよ。」

「手厳しいなぁ。いたいけな少女が狼に襲われていたから、加勢しようと思っただけですよ。」


 行商人は頭を掻きながらもっともらしいことを言うが、アリスは彼の目が泳いでいるのを見逃さなかった。

 青年はしばらく沈黙を保ち、自らの言い分が通るのを待ったが、アリスの胡散臭いものを見る目についに折れたのか、本音を漏らした。


「わかりました、本当のことを言いますよ。あなたが狼たち相手に劣勢のようなら、囮にして私は逃げるつもりでした。今こうして近寄ったのは、あなたほど腕の立つ方と一緒なら、安全に王都へ辿りつけると思ったからですよ。」


 なぜか怒ったようにして話す行商人。どうやら開き直ったようだ。

 しかしどうせこれも演技なのだろう。苛立った素振りを見せつつも、その目はこちらの出方を窺うように、ちらりとアリスの様子を伺っている。

 アリスは内心呆れていたが、少なくとも先ほどの行商人の言葉に嘘がないことはわかっていた。目的が分かった以上、目の前の相手は信頼はできなくとも、信用はできる相手である。


「別に構わないよ。私も王都に行く予定だったし、一人よりも二人の方が心強い。あなただって、この草原を順路にしているのなら、少しくらいは闘えるんでしょう?」


 行商人の顔にはちきれんばかりの笑みが浮かんだ。あなたのその言葉を待ってました、と言わんばかりのその表情に少し不快になったアリスは、青年に釘を刺しておくことにした。


「ただし、あなたが私を見捨てて逃げようとすれば、そのときは容赦なく後ろから切りつけるからね。」


 行商人の笑顔が、凍りついた。


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